幕間ードン・ラ・クール
「....それから、今宵私は喜びをもって婚約を交わしたことを報告する。紹介しよう、我がフィアンセ...
メアリー王女だ」
(は? 婚...約者?)
俺は王宮の大広間で硬直していた。頭の理解が追い付かない。
広間に響く拍手が雑音の様に聞こえる。
顔を見上げるとそこには幸せに満ち溢れた彼のと、美しい王女の姿があった。
「ごきげんよう。カントハーバー第三王女、メアリー=ランべスと申します。どうぞお見知りおきを」
(王女...... そりゃそうだ)
俺はただ友人として彼に会いたかっただけだったが、彼は俺なんかが気軽に会える存在ではなかったと深く思い知らされた。
そして心の深くに突き刺さる痛みを認識するよりも早く、俺は逃げる様にその場を去った。
「では、宮廷舞踏会の伝統に従って殿下には最初に踊る相手を決めていただきます......」
「......。」
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「殿下、どうぞお選びくださいませ」
(今去って行ったやつは...)
アントワーヌは先ほど去って行った者が気になり、訝し気に考え込む。
普段なら民衆のことなど気に留めたりしないが、その者だけは何故か見たことがあるような気がするのだ。
「殿下?」
「はっ... うむ。では......」
侍従の声で現実に呼び覚まされ、目の前を取り囲む群衆を見渡す。
宮廷貴族から地方貴族まで様々な階級の娘が待機している。
サンドニージュ宮廷の慣例で、宮廷舞踏会の主催者、つまり王族と踊る相手は王太子本人が決めることになっている。
儀礼的なものではあるが、ここで選ばれた貴族の娘は”王子様と踊る”という一生に一度の夢のひと時を過ごすことができるのだ。
これは非常に栄誉なことであり、それだけで死ぬまで自慢できることだろう。
(はっ、この中から選ばねばならないのか。まぁ、形式的なものだ適当に......)
「そこの薔薇色のドレスを着た者、そうお前だ。最初の相手に貴殿を選ぼう」
選ばれた少女は彼の肩に腕を乗せ、その身に余る栄誉に感謝を述べた。
広間にチェンバロを基調とする弦楽器の音が響き、宮廷舞踏会の第一夜が幕を開けた。
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王太子の舞踏が終わると、曲目が変わりそれぞれの招待客がパートナーとダンスを始めた。
最初の舞踏はいわばオープニングセレモニーのようなものだ。
「殿下、本当につまらなさそう。私が提案したのは間違いだったのかしら」
大階段の上からアントワーヌを眺めるメアリーはそう思った。
元々、この舞踏会の目的は婚約の発表だ。それを果たした今、メアリーにとっては何の興味をそそられることもなくなっていた。
「殿下は女として人を見たことなどないもの。舞踏会に参加したのだって初めてだし」
「っ、王女殿下! ご機嫌麗しゅう。いらしていたのですね...」
突然姿を現した王女の姿に周りの侍女たちは頭を下げ、敬服する。
「よして。貴方ももう王室の人間になるのだから、そんな堅苦しいのは御免よ。私のことはシャルロットと呼んで」
「は、はい。ではシャルロット様、あなたも舞踏に興味が?」
メアリーは少し口調を和らげ、親し気に質問する。
「いえ、ただ観察しにきたのよ。殿下の様子を、それとついでに貴族たちもね」
そういいながら彼女は広げた扇子をたたみ、オペラグラスを取り出して演劇を見るかのように観察し始めた。
「あら、もう終わったのかしら。誰とも話さずにどこかへ行ってしまったみたい」
高見の見物とはまさにこのことだ。しかし将来の王でさえこのように見るとは。
「何処へ行ったのかしら、気にならない?」
「私は...殿下がどこへ行かれようとかまいませんよ。私に咎める権利はないので」
メアリーはにこやかにそう答えた。彼女には彼がどこに行ったか、大体分かっていたからだ。
「サンドニージュ王太子妃として、そのくらいの好奇心は許されるわよ?というか気にしないと......」
シャルロットが彼女に忠告しようとした時、階段の下から何者かが昇ってくるのが分かった。
「メアリー王女、王女殿下、お話のところ失礼致します.... ですが、どうか私の息子たちと踊ってやってくださいませんか」
壮年の男性が二人の青年を引き連れて深々とお辞儀をしている。
「失礼、あなたは?」
「ポンパドゥール子爵、シニフィエール=ポンパドゥールと申します。こちらは息子のアンドレとローラン...ご挨拶を」
彼の合図に合わせて二人もお辞儀をした。
どうやら二人の王女を狙いに来たらしい。舞踏会という場所は宮廷への進出をもくろみしばしばこのような貴族も現れるが、王女を誘うとは相当な野心家だと見て取れる。
「ポンパドゥール...... あそこはたしか南方の地方貴族ではなかったかしら。わざわざいらしたの?」
「いえ、今はロゼイユの近郊に住んでいるのです。知らなくとも無理はございません」
シャルロットはいくつか質問をした後、舞踏に興味がないからと断ろうとしたがメアリーがそれを引き留めた。
「まぁまぁ、シャルロット様も今夜くらいは嗜まれたらいかがでしょう。せっかくの宮廷舞踏会ですよ? 私がローラン様と踊りますから、貴方はアンドレ様と...ね?」
「なっ、そんな勝手なこと! 舞踏など私は......」
彼女は強引に進められたことに戸惑っているようだ。周りの浮かれた貴族たちを見ながら自分は観察に徹するつもりだったのだろう。
「.........いいでしょう。メアリー王女の顔に免じて一度だけ踊って差し上げるわ。ただし私を出世の道具として考えているのなら殿下に取り次ぐことになるけれど」
「いやいや!滅相もございません!私達はただ純粋にこのパーティーを楽しみたいのです。息子たちもそう願ってのこと。此度のこと誠に御礼申し上げます... この栄誉を受けたことは一生の...」
シャルロットはわざとらしい賛辞の言葉に嫌気がさしたのか、ポンパドゥール卿が話し終えるよりも先に階段を降りていた。
それを見てアンドレもゆっくりとついて行った。
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「お待ちを、王女様。どこへ行かれるので?」
大広間を抜けてずかずかと進むシャルロットをアンドレが追う。
「黙ってついて来て。私と踊りたいのでしょう?」
そのままさらについて行くと、中庭に繋がる廊下へ出た。
鏡の間と比べると少し暗く、人の気配も感じない。音楽も微かに聞こえる程度だ。
「さて、あぁは言ったけれど、私は貴方と踊るつもりなんて無い。本当にダンスは得意じゃないの」
「そうでしたか、まぁ俺もかまいませんよ。むしろこうして話してるほうが好きだから」
彼は廊下の窓枠に腰掛け、ははっ、と軽い笑みを投げかけた。
「そんなこと言って、貴方が望んでいるのは第一王女の地位と権力。”便利な男”にでもなってすがるつもりかしら」
彼女の冷たく鋭い言葉は普段なら寄ってくる男をドン引きさせる刃として機能する。
王女という身分は国内外のあらゆる男を引き付けるもの、ましてサンドニージュの王女ともなればアルデバラン中の王族に狙われることとなる。
あらゆる学問に秀で、理解力もある。それに容姿の美しさも他国の姫に引けを取らない程であった。
あと数年で彼女も縁談について考える年齢になるというにも関わらず、今現在彼女に対する求婚があまり目立たないのは彼女の性格に難があるからかもしれない。
「はは、疑り深い人ですね。俺がお父様の言いなりになる人間に見えますか?」
だが、それでも彼は笑顔を絶やさず軽くいなす。
「違うの?あら、それは失礼。貴方って面倒が嫌いに見えたから」
「お父様に逆らうことが面倒?まさか、あなたが思うよりもずっと自由人ですよ俺は」
他愛のない会話を楽しむように振る舞う彼に、シャルロットは理解に苦しむ。
彼からは確かに浮ついた女たらし特有の雰囲気を感じるが、なぜか嫌じゃなかった。
それも彼の手口なのだろうか。
「それで信じろと? くだらない」
彼女は彼を気にも留めず庭園に向かって歩き始めた。
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「あぁ、俺は本当に馬鹿だな。一人で舞い上がって」
大広間から走り去った俺は、人気が無い回廊へといつの間にかたどりついていた。
舞踏会の主な会場はあそこだけのようで、この辺りは雰囲気が全く違う別世界になっている。
(俺なんかが宮廷で暮らせるわけないんだ)
別に期待なんてしていなかった。彼は俺みたいな下級貴族には手が届かないほど、尊い身分なのだから共になれる訳はないと。
それでも今のまま旦那様と義兄弟達に虐げられ続けることを考えると、一晩くらい夢を見たかった。
彼はこのままあの王女と結婚するのだろう、俺とは何の関りもなかったかのように。
「っ、そこの、ロワール家の貴様! はぁっ、探したんだぞ」
「えっ?」
突然声を掛けられて驚いた。
振り向くと、息を切らしながら走り寄る王太子がそこにいた。
「なっ、えっ、お、王太子...殿下!?」
自分の目が信じられない。さっきまでこの晩餐会の主役として王侯貴族たちに囲まれながら拍手を送られてきた、サンドニージュ王太子、アントワーヌが目の前にいるのだから。
「お前、逃げただろう!? この俺から逃げようとするとはいい度胸だな」
その声音は明らかに怒気を含んでいたが、同時に緊張している様子だった。
「いえ...滅相もございません... ただ、以前のことは覚えていらっしゃらないと思い...ご、ご無礼をお許しください!」
俺は何と言って良いか分からず跪くように許しを請う。
「ふん...まぁ良い。......それより、何故こんなところにいる? 他の者と踊らないのか」
「私は... 踊りに来たわけではございませんので。ただ......」
俺が言葉選びに戸惑っていると
「俺に会いに来たのか?ははっ、強欲なやつだな」
突然笑いだす彼にどうしてよいかわからなくなった。
「まさか、王太子だとは知りませんでした。何故......私を探されるのですか?このようなはしために」
「......いや、大した理由ではない。あそこにいるとうるさくて敵わん。妹の目もあるしな」
彼が言う妹とはシャルロット王女殿下の事だろう。聡明で大変美しい姫だと聞く。
うるさくてここに来た、とは言うがそれだけの理由でわざわざ俺を探しに来たのだろうか。
「メアリー王女とは踊らないのですか?彼女は殿下の......」
「妃だからか?あいつは俺のことなど気にしていない。だから俺も気にしない」
言っている意味が良く分からない、仲が良くないのだろうか。
「とにかく、あそこにはいたくないんだ」
「......。」
「...........。」
数十秒の長い沈黙が流れた。
彼は何を考えているのだろうか、なぜ俺とこんなところに......。
もしかすると一人でいたいのかも知れない、俺がたまたま彼のお気に入りの場所にいるせいで......
色々な可能性を考え思考が埋め尽くされる。やはり、離れようとした瞬間。
「......あー、その、散歩に付き合え。特別に俺の庭園に案内してやろう」
「え。そのような...」
急な誘いに戸惑い、つい謙遜しようとするが
「王太子の命令に従えないと?」
「いえっ!仰せの通りに」
そう言うしかなかったが、俺としても興味はある。
そう答えると彼は満足げに鼻を鳴らし、ついてこい、とばかりに回廊の奥へと歩いて行く。
俺も急いで後ろからついて行くのだった。