舞踏会ーラ・ニュイ・プリミエール
俺は目の前の出来事を反芻することに困難をきたしていた。
さっきまで杖をついて歩いていた老婆が美しい婦人へと変わり、さらには俺を宮殿まで連れて行ってくれるというのだ。
「ちょっと、待って下さい!か、彼を救うって?」
「勿論、貴方が会いに行こうとしている相手のことよ。彼は今邪悪な魔法によってその精神を束縛されている。そしてそれを救うのはあなたなの、エリゼ=ロワール」
全く意味が分からないが、どうやら俺には特別な責務があるらしい。
彼女も魔女ではないのか、とも思ったがそれは言わないことにする。
「まぁ、とにかく!もうすぐ舞踏会がはじまるわ。すぐにー、あぁ... まずはそれを何とかしなきゃね」
俺のズタズタになった服に視線を落とすと、彼女は真鍮のような細長い杖を取り出し俺に向けた。
「いいこと?心から自分の望みを完全な善意の下で願うのよ。そうしなければこの魔法は効果が無いから」
俺が言われた通りにすると、
『聖樹よ、瞬きの間の輝きをートン・デズィール・ス・レアリズラ』
瞬く間もなく、俺の服が新品同然のものに変わった。
しかも装飾が豪華になっている。
「これは......すごい。どうやって」
「それと、馬車も必要ね。どこかに植物は...... 瓜... まぁ、いっかこれで」
俺の反応を特に気にする様子もなく彼女は、畑を見渡し適当に見つけた瓜を拾ってくると再度魔法を掛けて馬車に変えた。
その後もネズミやリスなんかの小動物を御者や従者に変え、俺を幾度となく驚かせた。
「うーん。これで全部かしら。思ったより時間がかかったけど...... これで行けるわよね!さぁ、さぁ!時間は有限よエリゼ」
「まだあんまり飲み込めてないのですが.....」
だが、彼女に押し込まれるようにして場所に乗り込まされた。
よくわからないまま御者が出発しようとすると、
「あ!待って!大事な事。 この魔法は何でも願いを叶えられる代わりに何か制約を課さないといけないの。 今回の制約は『時間』。12時に鐘の音と共に、魔法はことごとく消え去る。だから......それまでには帰っていらっしゃいね」
頷く前にはもう馬車が走り出してしまっていた。
「楽しき夜を!」
その声もやがて聞こえなくなった。
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彼女の魔法で作られた馬車は王宮への道を駆け抜け、あっという間に邸宅は見えなくなった。
これは夢ではないだろうか。ずっと憧れていた王宮が目の前にある。
彼女は何者なのだろう。マダム・フェマレーヌと名乗っていたが、それはこの国では”妖精の貴婦人”を意味する。つまり彼女は妖精なのか? 考えても仕方ないことだが落ち着くために頭を働かせる。
「まぁ、そう深く考えるなよ。せっかく手に入った機会なんだ、存分に楽しめばいい」
「っ!? 君は..」
突然横から聞こえてきた声に驚いた。
彼は魔法によって変えられた従者のようだ。しかし、その雰囲気には見覚えがあった。
「まさか、アミ..なのか?」
毎日のように語り合っていたネズミだ。こうして人間の言葉を話しているのを見ると変な感じがする。
「あぁ。言葉は話せないけど、おれたちはいつもエリゼのことを気にかけてたんだ。今夜はようやくまともに助けられる」
しばらく会話しているとさほど時間が経たない内に王宮へと到着した。
「ど、どうしよう。舞踏会の作法なんて俺あんまり知らないのに...」
「さぁ、行ってこい。時間は有限だぞ」
俺はアミに励まされ、馬車を降りた。今夜はきっと人生で一番輝かしい夜になるだろう。
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「ブルターニュ伯爵家ご息女、リーヴル様! メルキアージュ侯爵閣下、モンテカルロ様!」
宮殿の中に入ると、大広間では侍従らしき者が次々に到着してくる貴族たちの名前を読み上げ続けていた。
みんな有名な王侯貴族たちばかりで、徐々に自分がこんなところにいるのが場違いな気さえしてくる。
暫くすると受付らしき場所にたどり着いた。ここで名乗らなければ中へ入れないのだろう。
「こんばんは。旦那様》、お名前をお伺いしても?」
「えっと.. エリゼ、エリゼ=ロワールです」
一瞬の緊張が全身を伝う。ロワール家の名義で招待状が来ているのだから受け入れてもらえるはずだが。
「はい。ロワール侯爵閣下、エリゼ=コラージュ・ド・ロワール様でございますね。確認致しました。どうぞこちらへ」
そういって奥の大広間へと案内された。
彼が飾り字を彩られたリストを侍従に渡すとまた大声が響き渡った。
「ロワール侯爵閣下、エリゼ様!ご到着にございます!」
中はまさに豪華を体現したかのように黄金で縁取られた空間で、壁に鏡が張り巡らされてあるせいで来賓が無限にいるかのような錯覚に陥る。
(取り合えず...あの人をみつけないとな)
俺は緊張をほぐす様に深呼吸してから、料理や音楽には目もくれず”シェルメール”と名乗った彼を探しに行った。
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「どいつもこいつも下らんな。俺にたかってくる虫けらどもだ」
アントワーヌは来賓の王侯貴族で溢れかえる鏡の間のホワイエから、つまらなさそうに見下ろしていた。
「あら、みんな殿下のために来てくれているというのに。そんなことを仰るのですか?」
「貴族どもの目的は俺じゃなく、王家の血筋だ。顔を見ればわかる」
いつにもまして不機嫌そうな彼をメアリーは宥めようとして言うが、あまり意味はないようだ。
「私達の婚約を発表すれば、彼らも諦めるでしょう。そう心配せずとも...」
「正妻が居たところで、諦める奴らじゃないんだぞ。愛妾でも側女でも奴らは諦めるものか!」
この舞踏会に賛成したとはいえ、まるで見世物のように吟味されるのがアントワーヌは嫌いだった。
今夜、王太子アントワーヌとカントハーバーの第三王女、メアリーの婚約を大々的に発表し世論を安心させる、という計画は意味を成すのだろうか。
婚約、と言っても彼らが交わした密約によってそれは形式上のものになる。
それはすなわち、”互いに配偶者以外の相手と関係を持つことを容認し、直接会うのも必要最低限で良い”というものだ。
彼女にしてみたら多少抵抗があるものだろうが、元々これはサンドニージュ宮廷の慣例において普通のことだった。そして彼女は結婚前からこの慣例を承諾したということである。
「そこは上手く相手をなさって下さい。私は私で愛する方と過ごしますから、貴方もお好きな方と添い遂げてくだされば良いのです」
「愛する人...」
とは言え、結婚して正式に夫妻となれば王族の務めである世継ぎを残すという行為において、床を共にすることは避けられなくなる。
愛のない者同士でそんなことが出来るのだろうか、とアントワーヌは疑問に思わずにはいられなかった。
「殿下!ここにいらしたのですね。もう間もなく式典が始まります。ご準備を」
宰相フィリップがそう言って促した。まもなく発表の時間だ。その後ですぐ舞踏が始まる。
「ようやく良い知らせが出来るぞ、良かったなフィリップ?」
彼は皮肉気に応えると、メアリーと共に来賓の前に姿を現した。
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(一体どこにいるんだ。来ていないのか?いや、明らかに宮廷の貴族っぽかったしいるはずだ)
俺は確証のないまま部屋から部屋へと渡り歩き探していたが、見知らぬ顔ばかりでついには元の大広間に戻ってきてしまった。
「ん?なんだ、なんか様子が...」
そんな時群衆の視線が2階ホワイエに集まり、静まり返った。何やら始まるみたいだ。
「王太子殿下、アントワーヌ=シャンパーニュ=ジャンヌ・ド・オスブール=ベル・ド・ロアゾンの御成りである!盛大な拍手で讃えよ!」
侍従が大声で叫び、ホワイエに豪奢な服装を身にまとった男が現れた。途端に拍手が広間に響き渡った。
(え。あれって...)
彼は暫く自分に向けられた称賛を味わった後、手で彼らを鎮め話始めた。
「我が親愛なる民たちよ、この良き夜に乾杯を。今宵皆がこの舞踏会に来てくれたことを嬉しく思う。
苦しい暮らしが続く日々だが、今日だけは今宵だけは、すべて忘れ大いに楽しむがよい!」
再び喝采に包まれる。だが俺は拍手を忘れ違うことを考えていた。
(あの人、前にあった”シェルメール”だ)
間違いない。雰囲気はあの時とかなり違うが顔も声も全く同じだ。王太子だったのか。
俺は動揺が隠せなかったが次の彼の言葉でさらに驚愕することになる。
「....それから、今宵私は喜びをもって婚約を交わしたことを報告する。紹介しよう、我がフィアンセ...
メアリー王女だ」
(は? 婚...約者?)