3-19 謎のシミ
「月乃。ご飯に行くぞ」
気絶から覚めた静也は、月乃がいるという静也の部屋に向かった。そして扉の前でその名前を呼んだ。だが返事は無かった。
ということで中に入ることにした。
「月乃……?」
そこで静也が見たのはこんもりと膨れ上がった布団だった。
無論、そこに月乃がいることは明白だった。
「月乃。ご飯行くぞ」
「……」
その問いかけにも布団の中からの返答はなかった。だが、静也はそこから何かが聞こえることに気が付いた。そしてその音に耳を澄ませると
「……みられたみられたみられた。静也に見られた」
そんな声が耳に入ったのだった。
静也はその布団を一気に取り去ると、そこには既に着替えを終えた月乃が体育座りをして小さくなっていた。さらに顔を膝の上に置くようにして伏せているので、静也からその表情は見えなかった。
ただでさえ華奢な体躯の月乃なのに、そのこじんまり感も相まってまるでそのままカプセルにでも入りそうなくらいに小さくなってしまっていた。
「月乃。どうした? 俺が何を見たんだ?」
「……え?」
「俺は何かを見たのか? というか貧血を起こしたみたいだから心配をかけたな。もう大丈夫だ」
「……本当に?」
その時月乃がぬぅっと顔を上げた。
長い前髪の奥から静也を見ているようだが、無論その瞳は静也には見えず、それでいて感情を測るうえでのものさしである口元は未だに膝に隠れてしまっていたので静也にとって今の月乃の感情は分からなかった。
「本当に?もなにも、俺が忘れ物をして部屋に戻ってドアを開けた時からの記憶が無いから、きっとその直後に貧血になったんだろうな」
「うーん……」
「俺はそんなにまずい物を見たのか?」
「ううん。そういうことなら何も見てないよ。静也はずっと私を気にかけてくれていたから疲れが出たんだよ。だから何も見てないよ」
途端に月乃が納得というか、何かに合点がいったのか顔を上げていつものように口元をにこっとさせた。
だが最終確認というように顔をぐいっと静也に近付けて問いかけた。急接近かつ、鼻の頭が付きそうなくらいに迫った顔を前にして静也は前髪の奥の瞳を見ることが出来た。その瞳は相変わらずの円らではあるものの、心配と不安と信頼という複雑な感情を宿しているかのようにじっと静也の目を見ていた。
「本当だよね? 本当に信じていいんだよね?」
「うん。俺は何も見ていないし、何も知らない。月乃が何を心配しているのかも分からない」
「……そう。ならいいよ」
本当に納得がいった様子の月乃はベッドから降りると静也の手を引いた。
「ご飯だったね。行こうか」
「あぁ。……ん? なぁ、月乃。これだけ聞いていいか?」
「?」
「こんなところに染みなんてあったっけか? なんか今も湿っているみたいだし、なんだ? ジュースでも零したっけかな」
「それは……」
その染みは小さなものではあったけれど、その位置的にさっき月乃が唯と能徒に純潔を確認されていた場所だった。そしてぐっしょりとした下着を脱いだ場所でもあるので、その染みは月乃が付けたもので間違いなかった。
「気にしなくてもいいんじゃないかな」
「いや、もしもジュースなら乾いた時にべたべたするから拭かないとだ」
「ちょっ…静也っ」
静也は月乃の手から離れてその染みを確認し始めた。そして月乃が止めるのも間に合わずそこに触れてしまった。
「温かいな。それになんかねっとりしてる気がする。なんだこれは?」
「いいってば。早く行こう?」
恥ずかしがる月乃は静也がそれに触れたのを見た時、なぜか鼠径部が反応し、羞恥と体の奥からじわりと滲みだした何とも言えないビクリとした感覚に苛まれた。
そんな時だった。
「分からないな。嗅いでみよう。そうすれば分かる気がする」
「嗅ぐって……! 駄目だよ、汚いから」
「嗅いでから分かることだ。だから心配するな。もしこれが敵からの何かだったらまずいだろ?」
「それはまずいけど、何もまずくないから。早く行こうって」
月乃が静也を引っ張って必死に止めた。だが静也の鼻がその染みに到達してしまった。それを見た月乃は一瞬顔面が蒼白になるも、再び鼠径部に何とも言えない感覚を得て無意識に両脚をもじもじとさせた。
「……なんか、いい匂いがする。食べ物ではないなんかこう……本能的にぐっとくるような。なんなんだこの染みは」
「臭くないの……?」
「ないね。まだ嗅げるぞ」
「いや、もう嗅がなくていいよ。ほら、もう行こう? みんながリビングで待っているんでしょ?」
「そうだが、なんだろう。ずっと嗅いでいたくなるんだよな。でもこの香りを俺はどこかで嗅いだような気がする」
その時月乃の頭には過去にみんなでセブンスターズの事務所に泊まって大部屋で雑魚寝した朝の光景が思い出された。そして、まだ他のみんなが寝ている中で静也の共感により唯の性欲をその身に宿してしまった結果、月乃の鼠径部に顔を突っ込んで嗅いだことも思い出したのだった。
もちろん月乃はそんなことは言わなかった。言えるわけもなかった。
「気のせいだよ。汚いから、ね? 後で私が拭いて綺麗にしておくから」
「まだだ。これは、舐めてみるか。分かるかもしれない。もう少しなんだ」
「舐めるのは絶対に駄目! 本当に汚いから」
「気になるんだよなぁ……」
「そんなに知りたいなら、いつか教えてあげるから。その時に嗅ぐでも舐めるでもしていいから。せめて今は駄目!」
「……ん? もしかして月乃はこれの正体を知ってるのか?」
焦った月乃はそこで失言に気が付き、途端に顔を赤くして口元をあわあわし始めた。
じっと迫る静也を前にして後退っていく月乃は完全にやってしまったという雰囲気を出していた。
「月乃。これはなんなんだ? 知っていることは全部教えてくれ」
「……知らないよ。何も知らないよ。でもそれは汚いからこれ以上嗅いだり触ったり舐めたら駄目だよ?」
「分からないな。教えてくれなかったら本当に舐めるぞ?」
「そんな……」
月乃はまたしてもこの部屋で窮地に陥った。そしてどうしようかと必死に考えを巡らせた。だが天啓が降りてくることはなく言葉が詰まってしまった。
「もしかして俺が気絶している間に何かがあってあの染みが出来たんじゃないのか? もしかして月乃の身に何かがあったのか?」
「それは……何もないよ。何もないから」
きっと答えるまでご飯に行くことはない。
そう思った月乃はそれでも本当の事を言うわけにはいかなかった。静也が覚えていなかったことは幸いだったものの、まさか染み一つでこんなことになるとは思っていなかった月乃は思った。
私、何か悪いことでもしたのかな? と。
どうしようか。どうにかならないものか。そう困り果てていると、まさに救世主とも思える人が部屋を訪れた。
「無波様、星見様。お体の調子はいかがでしょうか」
能徒だった。
メイド服を着た彼女を見た月乃はさっきとは違って急いで彼女にすり寄っていった。
「助かった……」
「星見様……?」
「あぁ、能徒。能徒なら知ってるかもな。この染みなんだけど、触るとねっとりしていて温かくて、臭くもないものか何かを零したみたいなんだ。何だと思う?」
「それは……あぁ、なるほどでございます」
その時月乃が能徒の服を軽く引いた。まるで何も言わないようにと言っているかのように。
「それは先ほど私と姉ヶ崎様がここにきた時に水あめを零してしまったのです。きっとその残りでしょう」
「でも月乃は汚いって言ってたぞ?」
「はい。床に落ちれば汚いものでしょう」
「うーん……そっかぁ…… なんか水あめにしては違う匂いなんだよなぁ…… 試しに舐めようとしたら全力で止められるし。本当に水あめなのか?」
「舐めようとされたのを止められるのは当然でしょう。誰も床にへばり付いたものを食べようとはしませんから」
能徒は毅然とした態度で堂々と答えた。
その様子を前にして静也は徐々に納得を示してきて、頃合いを見定めた能徒が提案した。
「もしかしたら今後分かるかもしれません。それまでは保留ということで良いのではないでしょうか?」
「能徒がそう言うなら。でも一つだけ正直に答えてくれ」
「はい」
「この染みは敵からのものではないんだよな?」
「はい。それはお間違いありません。ですのでどうかご安心ください」
「……分かった。そういうことなら、疑ったりして悪かったよ」
「いえ。では食事に参りましょう」
「そうだな」
それから静也が部屋を出て行った。
「ありがとうね、能徒」
「いえ、染みは後で綺麗にしておきますので」
「それは自分でやるからいいよ。それにしてもよく水あめってことで納得させられたね」
「最初こそ私は水あめということにしましたが、本当かどうかという問に関しては何も答えていません。最終的に勘違いしてくださって助かりました」
「あ、そういえばそうだね。まぁ、何にしても助かったよ」
「主をお守りするのが私の役目ですので」
「でもさっきは唯とやってくれたよね?」
「あれは主として受け入れてください。それに、姉ヶ崎様からは許しを得ていましたので」
「そっか」
すると、廊下の方から軽快な足音が響き二人の耳に入った。
「月乃姉ぇ、能徒、早く行くです! 食欲がわちを待っているです!」
悟利が満面の笑みで二人を迎えに来たのだった。
「うん。ごめんね、すぐに行くよ」
それから二人は静也の部屋を出た。
しかし月乃だけが戻ってきてファブリーズを振り撒いてから再度出た。
次回は4/17の予定です。




