3-15 落ち着かない気持ちと来訪者
「本当に大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。ほんの少しよろけただけだから」
ついさっき静也はリビングでよろけた月乃を受け止めた。その際に月乃はソファーで静也の膝に乗っかってしまった。途端に月乃は絶望の顔色となってしまったが、静也は何も気がついていないようだったのでひとまずは安心したのだった。
「ベッドに入ろう?」
月乃はいつもの様子で、いや、いつもの様子を心がけつつも決してボロが出ないように努めた。幸いなのはその長い前髪で表情の詳細を隠せたことだ。唯一見える口元と口調さえ気をつけていればいいのだ。
それから静也が先にベッドに入ると、月乃も昨日と同じくその隣に寝転がった。
昨日静也は月乃の匂いによりほぼ一瞬で眠りに落ちた。今日も何事もなくすぐに寝てほしいと月乃は切に願った。
ベッドの中の月乃はもぞもぞとして落ち着きがなかった。なぜなら今も継続して肌に布地の慣れない感触が伝わり続けているからだ。さらに、もっと言えば静也が寝てくれるまでは決して油断が出来ないのだ。
それもこれも静也が選んだ下着を買うのをやめず、葛藤の末に着ないという最大の退き所を間違えてしまった自分にあった。そんな中で今もなおその身を申し訳程度にしか覆っていないきわどすぎる下着が月乃を悶々とそわそわさせ続けていた。
上はもはや隠れているのかどうか分からない極小の布 布地。下もまた下着という概念はどこに?という感想を抱くのには十分なほどに布面積の少ないTバック。しかも色がまた扇情的で挑戦的な黒だった。さらに若干肌が透けており、見る人が見ればほぼ全裸と変わらない代物なのである。
地味という言葉の権化であり影も薄い。何をやるにしても、趣味趣向全てにおいても地味を極めたような少女が実はこういう刺激的な下着を着けているなんて静也に知られたら、いや、絶対に知られるわけにはいかない月乃はその秘密を死守することだけに集中していた。
ちなみにそんな下着を選んでしまった静也はというと、ランジェリーショップであまりの恥ずかしさから自分が選んだそれが何だったのかを未だに見ないままここまできている。だから結局その詳細が分からないのだ。
そんな時、静也が月乃の方を向くようにして寝返りをうった。
月乃はそれにすらも一瞬びくりとして身構えてしまった。
「静也?」
昨日だったらもう寝ていた。今日はどうだろうかと月乃がその名を呼んだ。すると
「どうした?」
まだ起きていた。なんならそんな月乃のことを至近距離でじっと見ていたのだ。
同じベッドに入っているがゆえに月乃の匂いが静也の鼻腔をくすぐっているのと同様に、静也の匂いもまた月乃の鼻腔をくすぐっていた。それが至近距離にあるものなのだから月乃もまた自分に置かれた状況がどうであれ心地よい気分になっていた。
「ううん。なんでもないよ」
「そうか。それにしてもさっきは本当に大丈夫だったのか?」
「うん、平気。だから心配しないで」
月乃は静也に向けて微笑んだ。暗闇の中でもそれを察した静也は少し安心した様子で昨日と同じく横から月乃を抱くようにして腕をまわした。
「…ぁ……っ」
「ん?」
一瞬月乃から甘い声が出た。
静也の手が不意に月乃の胸の下部に触れてしまったのだ。もちろんわざとではない。腕の位置を決めかねて動かしていたがゆえに起きた事故なのだ。
それでも今はその大きくもなく小さくもない胸を守る布は無いのとほぼ変わらない。それに、静也が触れてしまった部分はたまたま布が無い部分だった。だからその生々しく柔らかな感触がしいたけパジャマというたった一枚の布だけを隔てて伝わったのだ。
無論、自分は何に触れてしまったのかを気付いていない静也は率直な疑問をなげかけた。
「もしかして痛いところにぶつかった?」
「そんなことないよ。ちょっとびっくりしただけだよ」
「そっか、ごめんな」
ここでも月乃は平然を装った。だが、生まれてこのかた自分の胸を異性の誰かに触らせたことも、事故でも触れられてしまったこともない月乃は強く動揺していた。それこそ暗く静かなこの部屋の中で自分の心臓の音が聞こえてしまうのではないかというくらいに。
それからも静也は腕が落ち着ける場所を求めて仰向けで寝ている月乃の体の上でもぞもぞと腕を動かした。
今日の静也はすぐに寝ないな。そう思っている月乃は次に動かした静也の手を取った。
「静也、そっちは駄目だよ?」
静也の手が下へ下へと移動していったのだ。万一でもその手が尻にまわされたら今度こそばれてしまうと危惧した。だがそんな気持ちとは裏腹に月乃の心にはあることが浮かび始めていた。
「静也?」
「ん?」
「……本当に、何もしないよね?」
暗い部屋で二人は同じベッドで寝ており、静也の手が自分の体を這いまわった。さらに鼻腔をくすぐるなんとも魅力的な匂いにより、そんなことを言っている月乃自身が悶々とした気持ちになってきてしまったのだ。だが、仮になにかがあった場合は月乃が秘密にしていた過激な下着という事実がバレてしまう。それだけはどうしても避けられなかった。それでも月乃はそんな色々な感情を抱いたまま静也に問いかけた。
もしも静也が本当にその気だったらどうしよう?
その時はもう全てを伝えるしかない。そこで自分がどう思われても仕方がない。でも静也ならそんな自分のことも認めてくれるかな……? という心配と期待とが入り混じった感情を抱いた。
暗いからその顔は見えない。でも月乃はすぐ近くに感じる静也の顔に向けて問いかけた。すると静也が口を開いた。
「俺は月乃が傷付くことはしないよ。だからそんなに身構えなくていいよ。あと、何かに怯えているなら俺が何とかしてやるから話してくれないか?」
静也は月乃の異変に気が付いていたのだ。だから月乃が眠るまで起きていようとしていたのである。
自分のことで精一杯だった月乃はそれを察した。そして直後にはそんな自分が恥ずかしくなった。
「……ありがとう。でも本当になんでもないんだよ。私は静也が隣にいてくれたら安心だから。だから今日も落ち着いて寝てね」
それでも月乃は本当のことを言うことが出来なかった。やはり月乃にとってこれを晒すことで静也がどう思ってしまうのかという心配の方が大きかったのだ。
静也は純粋に心配をしてくれているのに自分は結局自分のことばかり。そんな情けなさを感じながらも本当のことを言えなかった月乃は心の中で静也に謝った。
「そうか。夜中も何かあった起こしていいからな」
「うん。本当にありがとうね」
それを聞いた静也はまもなくして寝息を立て始めた。月乃もまたそんな平和な音と、静也の匂いとぬくもりを感じながら眠りに落ちていった。
***
インターホンが鳴った。
その音が寝室にまで届くと静也が目を覚ました。
静也は隣を見ると月乃が心地良さそうに寝ていた。そして月乃は静也を抱きしめるようにして腕をまわしていた。夜とは逆の様子である。
再びインターホンが鳴った。
静也がスマホを開くと時刻は昼の11時を過ぎていた。
ベッドから出るのが面倒だった静也はそのまま出ずに居留守を決め込んでいた。だがここでもう一度インターホンが鳴った。さらにまた鳴った。
そろそろ鬱陶しく思えてきた静也は月乃を起こさないようにしてどうにかベッドから出ると玄関に向かった。そして到着した後にドアに付いている覗き穴から様子を窺うと、見えたその光景を前に扉を開けた。
「おはようございます。無波様」
そこにいたのはいつものメイド服に身を包んだ万能メイドこと能徒叶だった。彼女はいつものようにきっちりした姿勢で立っており静也をまっすぐと見ていた。
「今日は学校じゃないだろ? どうしたんだ?」
「はい。今日は心配になって様子を見に来たのです。大丈夫ですか?」
「あ、あぁ。大丈夫だ。でも俺を心配するよりも月乃の方を心配してあげてくれ」
「はい。確かに無波様も心配ですが、今日は星見様を心配して来たのです」
「……ん? もしかして知ってるの?」
「もちろんです。ここにいらっしゃるのでしょう?」
能徒はさも当然のように答えると自らの主の様子を案じた。すると
「あ、能徒」
と月乃が静也の後ろから歩いてきてその隣に立った。そしてその姿を見た能徒は安心した顔を見せた。
「おはようございます。星見様。お体の具合や調子はいかがでしょう」
「うん、問題ないよ。変な人も来ていないし。ね? 静也」
「あ、あぁ、そうだな。月乃、これはどういうことだ? 能徒は月乃が俺の家にいることを知ってたみたいなんだが」
「うん、一昨日帰っている時に能徒がいつもとは違うところで帰ったよね? 実はあれは私を取り巻く人を減らしたら誰か怪しい人が現れるかなって思って指示したことだったんだよ。まぁ、結局誰も来なかったんだけどね。で、その後は一人で家にいるのはさすがに不安だから能徒にだけは静也の家に泊まることを伝えてあったの。もちろんそこで襲われたら能徒に連絡をして全員に招集をかけられるようしたの」
「なるほど。ある意味自分を囮にしたってことか」
「うん。でも静也に言ったら止められそうだし、絶対に反対されそうだったから何も言えなかったの。ごめんね」
「無波様、私からもお詫びを申し上げます。ですがもしここで誰か、それこそ減田様が動けば正当防衛を駆使して早期殲滅が叶うと思ったのです。それに、万一のことがあって私や他の皆様が到着するまでは無波様が抑えてくださると確信していました。ですので今回はこのような方法を取らせていただいたのです」
「……なるほど。まぁ話は分かった」
静也は月乃が自ら進んで囮になったということに対して一瞬怪訝な様子を示したが、結局何も起こらなかったことと何かがあっても静也がどうにかしていたであろうことを鑑みて理解を示した。だがそれでも二つ返事で良しとするわけもなく
「月乃、能徒。今回はもう仕方ないけど、次にそういう作戦をやる時は必ず教えてくれ。俺は月乃やみんなに危険な目に遭ってほしくないんだ。その万が一が起きてからだと遅いってこともあるんだ。だから今後何かするなら一言言ってくれ」
「承知しました。以降はこのようなことはないようにします」
「うん。心配させてごめんね」
静也の声音は本気だった。そしてその雰囲気を察した能徒と月乃が了承した。それとともに僅かに反省の意を示したのだった。
「それじゃ、今日は心配してきてくれてありがとうね、能徒」
「いえ、主のことを一番に考えるのは当然のことですので。それでは私はこれにて」
能徒が一礼をすると二人の前を去ろうとした。だがそんな時だった。
「―本当にそれだけが目的かしら?」
とそんな声が三人の耳に入った。




