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楽園の欲祓師  作者: 翡翠ユウ
第3話 フィッシュ・ボウルの内外

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3-13 一つ屋根の下(中編)

 月乃(つきの)はぺたぺたと化粧水を塗っていた。その様子を静也(せいや)がじっと見ていた。


「どうしたの?」

「いや、こういう時は前髪を上げるんだなって思って」

「うん。じゃないと塗れないし」


 普段の月乃は長い前髪で両目が隠しているが、今はヘアバンドを使ってしっかりと上げていた。久々に、というか滅多に見ることのない両目が露わになった状態の月乃を前に静也は興味津々の様子だった。


「俺は化粧水とか使わないから良さが分からないんだよなぁ」

「今はね。でも今の継続がいつか活きてくる時がくるんだよ?」

「なんか大人みたいなことを言ってるな。というか、ヘアバンドだっけ?それも地味だな」


 月乃のそれはやはり地味な色をしていた。

 かのしいたけパジャマと同じ色合いで、尚且つしいたけのワッペンが付いていた。


「昔からこれを使ってるの。地味でもこれがいいんだよ。しいたけが付いてて可愛いし」


 月乃が乳液で仕上げをすると、ヘアバンドに手をかけた。


「待った」

「ん? どうしたの?」


 首を傾げた月乃は黒曜石のような光沢のある円らな瞳で静也を見つめた。そして、その様子もまた新鮮だったので静也は何も言わずにじっと見ていた。


「別に前髪で目を隠さなくていいんじゃないか? そんな目をしているんだからもったいないぞ?」

「嫌だよ。隠れてないと落ち着かないよ。それにね、これは便利なんだよ?」

「ほう? 授業中に寝てもバレないからか?」

「それもあるけど、目線で何を考えているかとか、次にどこに動きそうとかの予想を立てられなくてすむの。戦いになった時は相手の行動を読むのも大事で、私はこの前髪で相手にそれをさせないようにしてるんだよ?」

「なるほど。でも居眠りは否定しないんだな」

「まぁ。たまに寝ちゃうのは事実だし。それでも、今まで気付かれたことはないよ」


 月乃は少し自慢げに言った。

 口元でしか感情の変化が分からない普段とは違ってその目は雄弁に心を表していた。


「それは月乃が元々地味だから存在を気付かれてないだけなんじゃないのか?」

「それは多分ないと思うよ? これでも生徒会長だし、先生達の目には映っているはずだよ。それじゃさ、もしも私が今後も前髪を上げたまま生活をしたら静也はどう思う?」

「どうって…そうだな……」


 静也は少し考えた。さらにそんな月乃が学校で歩いていたり、何かをしている様子を想像した。


「駄目だな」

「どうして?」

「地味じゃなくなる。月乃から地味を取ったら何が残るんだ?」

「それもそれで酷いね。普通の生徒会長じゃないかな」

「いや、普通ではない。少なくともその状態の月乃は美人の部類に入る」

「び、美人?」

「そうだ。地味を捨てて美人になったそんな女の子は一説では清楚美人と言われる。そんなことになったら他の男子達が黙ってないに違いない。それこそ前の大川とか堀みたいなタチの悪い男子や、外見の良さを僻んだ女子が悪どいことをしてくるかもしれない。だから―」


 そこで静也は月乃の両肩に手を置いて真剣に言った。


「やっぱり月乃には前髪があった方がいい。そうすればアイデンティティが崩れることはないし、その可愛らしい顔が他の人に知られることもなくて安心だ。だからさっきの俺の言葉は忘れてくれ。やっぱり前髪は下ろしておくんだ」

「う…うん。分かった。なんかすごい高く見てくれているみたいだけど、分かった」

「それでいい。でないと、また俺は月乃に変なことをする奴を排除したくなるからな」


 すると月乃は少し俯いて頬を赤くした。今回はまだ前髪を戻していないので、伏せ目となった瞳が泳いでいる様子も丸見えだった。

 それに気がついた月乃はすぐに前髪を戻すと、それで顔を隠したのだった。


「静也」

「ん?」

「肩…」

「あ、ごめんごめん。つい」

「もう……」


 いまだに肩に手を置いていた静也はそこから手を離した。

 目の前にいる月乃は静也の服を着ていてもやはり地味だった。だがそんな姿もやはり静也には魅力的に見えた。


「うん。やっぱりいいな」

「そればかりだよね。本当に仕方ないね」


 その時ふと時計に目を向けた月乃。それにつられるようにして静也も目を向けた。


「そろそろ寝るか?」

「うん、そうだね。明日は私の買い物に付き合ってもらうわけだし」

「そうだっけ?」

「帰り道で話したよ? 私の下着を買いに行くって」

「そういえばそうだった。別に同じ下着でも―」

「静也。駄目だよ?」

「俺は一向に構わない」

「私が構うんだよ? とにかく、買うからね。なんなら静也に意見を言う権利くらいはあげるから」

「リクエストを叶えるということではないんだな?」

「意見を聞くだけ聞くよ? 採用するかは私次第だけどね」


 そこで静也は考えた。

 月乃に似合う下着か……

 地味だけど肌は白いからそれに映えるものがいいと思うんだよな。でも派手ではない。絶対に派手なものではない。それこそ赤や黄色とかそんなものでは決してない。仮にそれを付けていたら下着に着られている感が強くなるだろ。


「静也」

「なんだ?」

「変なことを考えたら駄目だよ?」

「俺はただ、月乃に派手な下着は駄目だなって考えただけだ」

「変態さんだね」

「月乃も派手なのは買うつもりはないだろ?」

「もちろんだよ。普通のしか買わないよ?」

「そうか。なら良かった。月乃には普通が一番だよな」

「そう言われると複雑な気分なんだよね。まぁいいや。ベッドに行こうか」


 ということで二人は寝室に移動した。そして当初静也が出していた条件の通りに月乃と同じベッドに入ったのだった。

 まもなくして明かりが消されると、部屋はしんとした空気に包まれた。


「やっぱり落ち着くなぁ……」


 同じ布団の中にいるのでその中には月乃の香りが混ざり、それでいて隣にいる月乃自身の匂いもまた静也の鼻腔をくすぐった。


「自分じゃ分からないよ。そんなにいいものなの?」

「うん。いい……」


 すると仰向けで寝ていた静也が月乃の方を向いた。そして月乃を抱えるようにして手を伸ばすと、そのまま顔を月乃に接近させていき、その首筋辺りで落ち着かせた。


「…んっ」


 静也の息が触れた月乃は僅かに甘い声を出した。だが静也はそれに反応することはなかった。なぜなら


「静也?」

「……」


 月乃が次に名前を呼んだ時にはもう眠りに落ちていたからだ。

 あまりの寝つきの良さに驚きを通り越して呆れていた月乃は、あらためて自分の匂いを確認してみた。だがもちろん分かるはずもなく、それでも分かったのは自分が着ている静也の部屋着の匂いだけだった。それとともに今も首筋に顔を埋めている静也から香ってくる彼自身の匂いもまた月乃の鼻腔を反応させた。


「静也もいい匂いなんだからね?」


 すると月乃もまた寝ている静也の方を向くと、そんな彼を抱き枕にするようにして抱えた。そして間もなくすると月乃も静かに寝息を立て始めたのだった。


***


「ここがランジェリーショップというやつか……」

「あまりまじまじと見ちゃ駄目だよ? 本当に通報されるよ?」

「連れて来たのは月乃だろ」


 起床後、月乃はなかなか離れてくれない静也をどうにか起こして離させると、朝食をとってから近くのショッピングモールへと出発した。

 到着してから中を歩くこと数分。今日の目的である月乃の下着を買う店、男子禁制のいわゆるランジェリーショップにやってきたのだ。


 もちろん店員も女性。他に買いにきたであろう客もみんな女性なので、静也は非常に落ち着かない様子だった。


「どれにしようかな……」


 と月乃が店内を進み続けるのでその後を追っていく静也。


「なぁ、月乃」

「なに?」

「やっぱり外で待っていてもいいか? なんか落ち着かなくて」

「駄目だよ? それに静也は私の下着に意見を言いたいんでしょ? なら一緒にいないとね」

「って言ってもなぁ……」


 やはり落ち着かない様子の静也。もちろんそんな静也を見る女性達の目はどこか動揺していた。それに、心なしか各々ですぐに下着を手に取らずに静也がいなくなったり離れたのを確認してから取っていた。

 もちろん静也はそれに気が付いていた。だからこそ何とも申し訳ない気持ちになっていた。


「月乃は嫌じゃないのか?」

「ん?」

「いや、俺が一緒に下着を選んでいることに。それこそ選びにくいんじゃないのか?」

「平気だよ? だって静也は昨日もその前も私の匂いを嗅いでいるでしょ? 下着くらい今さらだよ」

「その理屈はいまいち分からないんだが」

「まぁ、いいから」


 そうして月乃がさらに奥に進んで行った。


「唯は胸が大きいし、可愛い下着をいっぱい持ってるんだもん。いつ静也が唯に下着を見せられることになるか分からないし。それなら私が先に見せれば静也は慣れるはずだもん。唯には負けられないもん」

「なんかぼそぼそ言っているみたいだけど、どうかしたか?」

「なんでもないよ」


 月乃は何事もなかったかのように口元をにこっとした。


「それで静也。どれがいいと思う?」


 そんな悪意無き質問が投げかけられると、静也は目に見えて困惑した。


「なぁ、月乃」

「どれが、いいと、思う?」


 駄目だ。答えるまで終わらない。

 そう思った静也はたまたま近くにあった下着を手に取った。


「えっ? これ? 本当に?」

「これで。これにしてくれ」


 恥ずかしくて早く出たい静也は自分が持っている下着を見ていなかった。そしてそれを突きつけられた月乃は動揺していた。そのせいか次の言葉が出ない様子だった。


「……本当にこれを着るの?」

「もちろん。買って帰ろう」

「本気?」

「もちろんだ」

「…………サイズ、見てみるね」


 観念した様子の月乃はその下着を持って試着室へと歩いて行った。その足取りはどこかよろよろとしていて、時々躓きそうになっていた。

 一人取り残された静也は、そのまま多くの下着に囲まれたままでいるわけにもいかないので、とりあえずその試着室の方に向かった。そして近くにあった椅子に座ると、落ち着かない気持ちのまま月乃が戻ってくるのを待った。


「静也」


 何時間とも思える時間を経験した静也は、戻ってきた月乃を見た途端に安堵の息を漏らした。


「終わったか? よし、買って帰ろう」

「最後にもう一回だけ確認ね? …本当にこれを買うの?」

「そうだ」

「静也は本当に私にこれを着て欲しいの……?」


 この時月乃は静也を下着の買い物に連れてきたことを後悔していた。だがそんな静也が取ったものを持ち、なんならしっかりと採寸まで終了している状態なのでもう後には引き返せないところまで来ていた。


 もしここで静也が、やっぱりやめようと言ってくれたら引き返せた。だがそんなことはなかった。だから月乃はかなり動揺しながらも決断した。


「……分かった。買ってくるね。静也は外で待ってていいよ」

「分かった。また後でな」


 ということで静也が店から出ていくと、月乃は再び後悔した。

 もし強引にでも買わないと言っていれば買わずに済んだかもしれないのにと。

 だが、やはり月乃の脳裏には唯という油断ならない存在があった。スタイル抜群で校内では有名な色気美少女。そんな彼女が本気を出した時を思うと、買わないという選択肢が頭から抜けてしまったのだ。


 それから少しして月乃が店から出ると、目の前のベンチで静也が座っていた。


「おまたせ」

「買ってきたみたいだな。よし、今日の食材を買って帰るか」

「そうだね。ねぇ、静也」

「どうした?」


 月乃は今まで経験したことのないような羞恥を感じていた。そしてそれは感情のものさしでもある口元に顕著に表れており、何かを言いたげなようで開いたり閉じたりしていた。


「どうしたんだ? 何かあったのか?」

「……責任、ちゃんと責任とってもらうからね?」

「え? 何の?」


 月乃の顔は真っ赤だった。

 地味の権化でもある自分がまさかこんなものを買ってしまったのだから


 それから月乃はむっと静也を見ると、その手を引いて次の買い物へと歩きだした。

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