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楽園の欲祓師  作者: 翡翠ユウ
第3話 フィッシュ・ボウルの内外

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3-12 一つ屋根の下(前編)

 星見月乃(つきの)は帰宅した。

 とはいっても外に無波(ななみ)静也(せいや)を待たせているので、()()()帰宅ではなく()()帰宅である。


 この後彼女はペットにご飯をあげてから三日間の外泊の準備をしなければならない。

 しかしこれは大変だったり面倒と思えるものではない。なぜなら外泊先である静也の家には自分から行きたいと言ったのだから実際の気分は嬉々としていた。


「はい、どうぞ」


 まず月乃はキッチンの戸棚を開けて缶詰を取り出し、愛猫のために皿にあけてやった。そしてそれを床に置いて座って待っている猫にそう言うと、猫は嬉しそうに食べ始めた。

 そんな様子を見て頭を撫でている月乃は満足そうだ。


「さて次は……」


 続いて月乃はキッチンで簡単な料理をし始めた。自分や静也の―ではなく、別の()()()の食事である。

 味は薄めで健康的。さらに脂の量も極力控えて作った料理が完成した。それらを大きな一つの膳に乗せ、別でトレーを二つ用意すると膳の上に重ねて置いた。

 少し重いものの、これくらいの量はもう慣れていた。なぜならこうして定期的に運んでいるからである。


 キッチンから出ると、そのまま地下へと通じる鍵のかかった扉の前に到着した。そこで一旦膳を置くと、ポケットから鍵を取り出して解除した。

 開け放たれた先はすぐに階段で、それをいつもと変わらない足取りで下っていく。そしてその先にまた一つ扉があったので、それも開錠すると中に入った。


「大人しくしてた?」


 月乃がそこに到着すると、最奥の両角に鎖で繋がれた()()()がいた。

 それらは月乃の存在を認識すると、一様にして体を小さくして震えた。


「いつも言ってるけど、大人しくしていたら何もしないよ? それより、私ね、今日から月曜日まで外泊するから家を空けるよ。でも明日の夜か明後日の夜には一回少しだけ帰ってきてご飯をあげるからね」


 そう話しながら月乃は膳に用意していた食事をそれぞれのトレーとそこに置いた食器に盛り付けていった。


「はい、どうぞ。あ、これは明日の分も入っているから、お腹が空いたらちゃんと食べるんだよ? 分かった?」


 月乃が問いかけるも、それらは何も反応を示さずに未だに震えていた。


「返事、しないと駄目だよ?」


 月乃が少しの圧を込めた言葉を言うと、途端にそれらは頷いた。


「それじゃ、行ってくるからちゃんと大人しくしているんだよ? ()()()()()()()()


 月乃は最後に、にこっと口角を上げると地下室を出て行った。もちろんそこの鍵を閉め、地上階とを繋ぐ扉もしっかりと施錠した。


「さてと」


 それから月乃は待ってくれている静也を思ってすぐに準備を開始した。


***


「おまたせ」


 それから数分後、月乃は家から出た。そして待ってくれていた静也に合流した。


「そんなに荷物はいらないんじゃないのか? しいたけの寝巻と下着を二セットくらいだろ?」

「そんなことないよ? 女の子はね色々と荷物が多いものなんだよ?」

「そういうものなのか?」

「そうだよ。それに、歯ブラシとか枕とか。その二つは流石に静也のを借りるわけにはいかないし」

「まぁ、そうだな」


 月乃はキャリーケースを持っていた。

 そこで静也が思い出した。

 部屋着は貸すとしても、外出ってなった場合の月乃の服が無いことに。そして、だからこの量なのかと納得したのだった。


「それじゃ行こうか。日も暮れるし、今家に食材は無いみたいだから買い物にも行かないとだし」

「そうだな」


 ということでまずはスーパーへ向けて出発し、それから一通りの買い物を済ませて静也の家に到着したのだった。


「家に何も無いって言っても何かしらはある。私も最初はそう思ってたよ」

「本当に何も無かっただろ?」

「そうだね。これでどうやって生活してるの?ってくらい何も無かったね」

「男はな、最小限のものでも結局どうにかなっちまうものなんだよ」

「さっきの私みたいに言わないの。それじゃどうしようかな」


 月乃は買ってきた食材を眺めながら考えた。そこで静也が


「そういえば床下収納にカレーの素があった」

「だったらカレーでいいね。簡単だし、切って入れて煮るだけだし」

「それじゃ早速作ろうか。俺は何をすればいい?」

「何もしなくていいよ。泊めてもらうんだし、料理は私がするよ。静也は休んでていいよ」

「そうか? なら先に風呂でも入ってくるかな」

「もちろんそれでもいいよ」


 月乃は持って来たキャリーケースの中からエプロンを取り出すと、制服の上から着用した。


「エプロンも地味だな」

「これでも派手とか地味とかこだわり無く買ったんだけどね」


 そのエプロンは無地で色合いもなく、なんなら紺一色だった。そのせいで制服との境目が分かりにくくなっていた。

 しかし、それでも静也は月乃のエプロン姿を目にして心にぐっとくるものを感じると、その姿をまじまじと観察した。


「うん。地味だけどいいと思う」

「そう。それじゃお風呂に入っておいでね」


 ということで静也がキッチンをあとにした。その去り際で月乃の口角が僅かに上がっていたような気がしないでもなかったが、気のせいということにしたのだった。


 それから月乃だけとなったキッチンでは包丁の音が響き、少しして換気扇とガスコンロが点火された音が鳴り始めた。また、少し遠くからは静也がシャワーを浴びている音がして、月乃はそれを聞きながら野菜を炒めて煮込み始めた。


「もう少しかな」


 徐々に煮えていっている野菜に竹串を刺すと、まだ少しだけ硬かったので鍋に蓋をして煮込むことにしたのだった。

 そこからさらに弱火で数分。再び竹串を刺した時に納得のいく柔らかさとなったので、そこでカレーの素を投入した。


「もう少しっぽいね」


 そんな時、シャワーを終えた静也が戻ってきた。


「う、うん。カレーを溶かせば完成だよ」


 月乃は風呂上がりでまだしっとりとしている静也を見て少し動揺した。また、そんな姿を初めて見たこともあって新鮮な気持ちとなった。


「どうした?」

「何でもないよ」


 静也もまた家のキッチンで月乃が料理をしてくれている光景に新鮮さを覚え、さっきのエプロン姿を見た時と同じような気持ちになった。

 そして静也はついあることをやってみたくなった。


「なぁ、月乃。少しだけいいか?」

「ん? なに?」


 すると静也は月乃の背後に回ってそのまま後ろから手を回して抱きしめた。


「あわ…」


 月乃から驚きの声が漏れた。

 背中から静也の体温が伝わり、自分よりも大きな体躯がまさに今密着していることに驚きを感じながら顔を赤く染めた。


「…うん。やっぱりいい……」

「もしかして嗅いでるの……?」

「それはもちろん。あとは、こうして腕の中に収まっている、これがいい」

「そう」


 さらに強く抱きしめたら潰れてしまうのではないかと思えるくらいに柔らかな体。そして地味という月乃が元来から持ち合わせているこぢんまり感が静也の腕の中で完全にフィットしていた。


「このままが…いい……」

「んっ……」


 完全に落ち着いている様子の静也は意図とせずに月乃の耳元で囁いた。

 するとあの時にも出た甘い声が聞こえた。そして一瞬だけビクリと体を震わせた月乃は、そんな静也の方に顔を向けた。

 もちろんその頬は赤くなっていたが、口元はむっとしていた。


「そろそろ出来るよ? だからお皿を準備して?」

「もう少しだけ」

「後でね」

「……分かった」


 さらに月乃がむっとしたので静也はしぶしぶ離れた。

 それから皿の準備をする静也に目を向けていた月乃は、さっき静也に抱きしめられたところに手を当てて口元をほころばせていた。


 まもなくして準備が終わるとそれぞれがカレーを盛りつけた。そして向かい合って座ったテーブルで食べ始めた。


「うん、美味い」

「そう。良かった。まだお代わりがあるからね」


 安心した様子の月乃と、それに構わず夢中で食べていく静也。

 そんな様子を見ている月乃は満足そうに微笑み、また頬を赤くした。


****


「それじゃお風呂に入ってくるね」

「分かった。洗い物はするからゆっくり入ってこいよ」

「うん。あ、覗いたら駄目だからね?」

「覗かないって」

「脱いだ服を嗅ぎに来るのも駄目だからね?」

「月乃は俺を何だと思ってるんだ?」

「匂いフェチの変態さん」

「それには語弊がある。俺が自分から嗅ぐのは月乃だけだ」

「それもそれで変態さんなんだよね」

「でも今回は行かないから、気にせずに入ってこいって」

「うん、分かった」


 それから月乃は持ってきたキャリーケースから下着を取り出すと、静也に見られないように静也から借りた部屋着にくるんで持って行った。


 部屋に一人となった静也は、遠くから聞こえるシャワーの音を聞いて何とも言えない気分になった。

 しかし目の前の洗い物に集中すると、案外気にならなくなったのだった。それでも終わった時にはまた気になりだしてリビングで落ち着かない様子となった。


「出たよ」


 それから少しして月乃が戻ってきた。

 着ているのは静也の服のはずなのに、どうして月乃が着ると地味という言葉が心に出てくるのだろうと不思議に思った静也。

 しかしそんな地味な姿からはほかほかとした湯気が上がり、頬もほんのりと赤みを帯びていた。


「いいなぁ…」


 静也は無意識にそう呟いていた。


「今日の静也は変だね」


 月乃はいつもの抑揚のない声音で返すも、その口角は僅かに上がっていた。

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