3-8 押し寄せる影
帰りのホームルームを終えた唯は、体育の授業での忘れ物であるタオルを取りに体育館にやってきた。
幸い部活の人達はまだ来ていなかったので中はとても静かだった。
「あったあった。危ないわぁ」
唯はさっそくタオルを見つけた。
このタオルは放置しておくと大変なことになるのよ。
思春期真っただ中の男の子達にお姉さんの汗の匂いが嗅がれてしまうわ。嗅がれるだけならまだしも、それで事が起きたら大変よぉ。
そう思ってすぐに手に取ると、ほっと一安心した。
唯の欲である性欲は汗などの体液や、自身が放つ匂いにも影響を及ぼす。
その濃度が濃いほどにそれはさも媚薬のようになり、多感な男子高校生を否応なしに大いに刺激してしまうのだ。そして、もしその中で己の欲を暴発させてGreedになってしまった人が現れたとなれば一大事である。
「三大欲求は強力だけど、ものは使いようよね。それにしても―」
そこで唯はまたいまだに自分の魅力に落ちない無波静也のことを思い浮かべた。
前も、初めて会った時だってそれなりに体を密着させていたわ。だからお姉さんの匂いは絶対に分かったはず。それこそ二人で出かけた時なんて少し汗ばんでいたし、匂いの濃度は高かったはず。
なのにどうしてお姉さんに落ちないのかしら……
やっぱり月乃ちゃんがいいのかしら。
確かに月乃ちゃんと静也くんはお姉さんよりも長い時間を一緒にいる。でも、お姉さんの欲をもってして落ちない男の子がいるわけがない。
もしかして静也くんは男の子が好きなのかしら?
首を傾げて一瞬考えたが、すぐにふるふると首を横に振った。
いや、それはないわ。
前に能徒から聞いたけど、静也くんは能徒の全裸を見ては動揺し、不可抗力とはいえ匂いを嗅いだ時には男の顔になっていたそうよ。
それに、日々静也くんを見ていて気付いたことがあるわ。
月乃ちゃんと一緒にいる時は大体風下にいるのよ。それで風が吹く度に月乃ちゃんの匂いを嗅いでいるのよ。もちろんその直後は少し嬉しそうなのよね。月乃ちゃんも月乃ちゃんで気付いてはいるみたいだけど特に気にしている感じはしないし。
なるほど、静也くんは女の子の匂いフェチなんだわ。
なら、かくなる上はお姉さんが汗びっしょりになりながらシた時の服を直に嗅がせるしかないわ。もしくはこの際下着も……
そう思いながら恍惚とした表情を浮かべた唯だったが、その直後にはやはり恥ずかしくなったのか困惑の顔となった。
服ならまだしも、下着は駄目よ。絶対に駄目よ。
服だけでも毎回すごい匂いになるのに、下着ってなったらすごいなんてレベルじゃないわ。お姉さんの性欲が濃密に混ざっているんだから並の男の子ならみんな昏倒するわよ。
でも静也くんなら……
いやいや、そんなことをしたらお姉さんは本物の痴女になっちゃうわ。
葛藤したものの、最後には自制心が勝利し、唯は取り返しがつかない痴女にならずに済んだ。
そこでふと体育館の時計を見た唯はそろそろ生徒会室に行かなければいけない時間であることに気がついた。
長考と葛藤がまさかこんなに時間を使ってしまうだなんて思ってもいなかったのか、そんな唯の足は速かった。
そうして体育館の出入り口に差し掛かった時、外から数人の男子が入ってきた。
「あ……」
と言ったのも束の間。
その男子達はそのまま唯を中へ押し戻すかのようにどっと入った。それにより唯は結局体育館から出ることが出来なかった。
「部活の邪魔をしてごめんなさいね。すぐに出るからねぇ」
唯が再び体育館から出ようとした時だった。
その男子の一人が体育館に鍵をかけたのだ。その音は必然的に唯の耳に入り緊張感を抱かせた。
それでも内鍵なので開錠は出来る。だからそこに手を伸ばした。しかしその手は男子により弾かれ、危うく掴まれそうになってしまったのだった。
「あら? みんなでお姉さんをどうするのかしら? そんなに怖い顔をして」
そう。男達は一様に虚ろで、それでいてどことない殺気を放っていた。
それから彼らはその問いに答えることもなく突如として唯に襲いかかった。しかしそれを後方へ距離をとったことで容易く避けることに成功したのだった。
「ふーん。その様子だともうGreedになっちゃってるのね。なら死んでもらおうかな。でも、若い男の子を殺すのは忍びないから、猶予をあげる」
そこで唯がスマホを取り出して仲間達に向けてメッセージを打ちこみ始めた。だが男達は自分達から視線が外れたことを好機とみて再び襲いかかった。
結局唯はそれを最後まで打つことは出来ずに中途半端な状態で送信してしまったのだった。
「せっかちね。でも猶予は出来たわ。もし悟利ちゃんやみんなが来るまで生きていたら、そのまま殺さないでおいてあげる。死んだら死んだで仕方ないと思ってちょうだいね」
そうして唯は自らの武器であるところの巨大なハンマーをその手に顕現させた。
月乃のブラックホールや回復操作のように、唯にも魅了以外にもう一つの能力がある。
重力操作だ。
自らが触れた物体における重力を操ることが出来る。
それにより自分よりもはるかに大きなハンマーでさえも容易く扱うことが出来るのだ。さらに
「いくわよぉ。そぉれっ!」
いつもの柔和な顔とそんな無邪気さも孕んだ声でハンマーを一気に振り下ろすと、その地面は大きく陥没し周囲を揺らした。
それにより男達はバランスを崩して尻もちをついたり派手に倒れてしまった。
重力の操作が適用されているのはあくまで自分や、自分が触れている物体に対してのみ。そこから繰り出される重量級の技はその物体本来の質量とそれにともなった重力で放出されるのだ。もしくは、唯がその物体に触れたままであれば、インパクトの瞬間に過剰なまでの重力を課すことで一撃の威力を増幅させるなんてことも出来てしまうのである。
今回の一撃は本来のハンマーの重量と威力にほんの少しだけ加重させたものだった。それでも、そもそもの重量が異常なために体育館の床すらも簡単に砕く結果となったのだ。
「あらあら、早く起き上がらないと―」
ハンマーをひょいと振り上げた唯は途端に前方へ向けて加速した。そして
「ぺしゃんこになっちゃうわよ?」
その言葉の直後にはもう鉄槌が下っていた。もちろんそこにいた男は原型も無く薄くなっては破裂したように周囲に鮮血をまき散らせて絶命した。
唯はハンマーを構えなおすと、その打撃面からはさっきの男の血液や肉片が滴り落ちた。だがそんなものは意に介さずに再び地面を蹴って一気に加速した。それを前に男達は特に怯むこともなく唯を迎え撃った。
ある者は拳で、またある者はどこからか刃物を取り出した。その時、男達が偶然にも横一列に並んだ形となった。波状攻撃で仕留める気だったのだろう、その様子を見た唯は口角を上げた。
「並んじゃ駄目よ? お姉さんのハンマーは振り下ろすだけじゃないんだから」
直後唯は腰を低くしてハンマーをまるで野球のバッターのように構えた。そしてその瞬間を見定めると、轟音とともに一気に振り回した。
「―グッッ!」
男達は全員まとめて巻き込まれ、僅かに響いた断末魔と骨が軋み砕けた音が唯の耳に入った。
ハンマーが振り抜かれると、遠くの壁にはまるで卵を叩き付けた跡のように男達が付着していた。無論生きているとは思えない有様だった。
「みんな死んじゃったのね。……あら?」
そこで僅かに動いた一人を見つけた。どうやら彼は自身よりも先に数人の男達を挟んでいたおかげで、その身に受けた威力が僅かに軽減したようだった。それでも全身のいたるところの骨が折れ、とてもではないが自力で立ち上がることは不可能の状態だった。
そんな彼のところに唯が向かうと、かがんで男を見下ろした。
「どうにかって感じね。話せる?」
「…ぅ……ぁ………」
「駄目みたいね。でも約束はしたから、良かったわね。あなたは今ここで死なずに済みそうよ」
唯は遠くからの足音に気が付いた。そしてそれが体育館の前で止まると
「唯!」
「唯姉ぇ!」
鍵がかかっていた扉を強引に破壊した静也に続いて悟利が体育館に入ってきた。そこからはセブンスターズの残りが入った。
「怪我はないか? 敵は?」
「お姉さんは大丈夫よ。敵の男の子達はほら、あんな感じだから終わったわ」
戦闘の跡と無事の唯を見た静也は安心した。それとともに大分派手にやったんだなと思った。
「あ、でもこの子は生かしてあげて。この子達に何があったのかの情報が得られるかもしれないから」
「うん、分かった。悟利、お願いね」
「はいです」
月乃も状況を把握し、その言葉をもって悟利が男の回復にまわった。
「それにしても、どうしようかな…… 壁も床も、死体もみんなぐちゃぐちゃだよ」
「それはごめんなさいね。敵も多かったから手加減出来なくて」
「まぁ仕方ないといえば仕方ないけど、これは校長に言ってしばらく体育館を使用禁止にしてもらおう。修理も依頼してもらわないとね」
いつも通り抑揚の無い声で話す月乃ではあるが、月乃もまた唯が無事なようで安心した様子だった。




