イッキ読み 第2話 みんなの居場所(後編)
午前九時。静也は目を覚ました。
当然だが今日は一人だけの目覚めである。
ベッドから出ると、そこにはもう静也だけの匂いしかなかった。
一晩で能徒の残り香が消え、ばさりと掛け布団を整えてもほんの僅かすらも万能メイドの香りが舞うことはなかった。
カーテンが開かれると静也の目には快晴の空模様が映り、思わずため息が出た。
「唯と出かけるのか……」
これも先日、静也と能徒の間にきわどい出来事があり、それに謝罪を込めてというか流れ的に唯と月乃のそれぞれと出かけることになったのだ。
そして今日は唯と二人で出かける日である。
もちろん拒否権なんて与えられていない。
約束は十時。
一時間後には唯の家に迎えに行くことになっているので着々と準備を進めていく中でまたもやため息が漏れた。
このため息は他のセブンスターズの面々が不安の面持ちで二人を止めようとしていた様子を思い出したことと、そもそもが今日どこに行くことになるのかが分からないという不安によるものだった。
すると静也のスマホに通知が入った。それは愛枷からだった。
『気を付けて』
との一言だけだった。
それに一層不安を感じた静也は、深くは聞かずにありがとうとだけ返信したのだった。
それから準備が整ったので静也は不安の面持ちで唯の家に向けて出発した。
*
「ここか」
時間丁度の午前十時。
唯の家であるところのマンションの一室の前に到着した静也。
そこでインターホンを鳴らそうとした瞬間、静也は何ともいえない異様な気配を感じて指を引っ込めてしまった。だがそんな時、そのドアが開いた。
「やっぱり静也くんね。もう少し待っててね。すぐに終わるから」
「お、おぉ」
中から現れた唯はなんともラフなというか、ルームウェア用のショートパンツと胸元がざっくりと開いたキャミソールを着ていた。しかも若干汗ばんでいた。
元々スタイルがいい分その破壊力は凄まじく、静也は思わずその抜群のプロポーションに目を奪われた。それに気が付いたのか、唯は僅かに笑って扉を閉めた。
その際に部屋からもわっと香ってきた女の子の、いや、女の匂いが鼻腔をくすぐった。しかもやけに濃いように感じた静也は一瞬頭をくらっとさせた。
「おまたせ。それじゃ今日はよろしくねぇ」
少しして部屋から出てきた唯は、今度は明らかに外出用のオシャレな服を着ていた。
さっきとは違って肌の露出は少なく、体のラインもあまり出ないふわふわの白ニットにロングスカートを履いていた。さらにブーツを履いているので底の分だけ二人の身長差が縮まっていた。
今日も相変わらずの柔和な雰囲気を放つ唯が微笑むと、私服という新鮮な服装も相まって静也は少し緊張した。
それを察した唯は、まるでかわいいとでも言っているかのように半眼で再び微笑んだ。そしてその目には僅かに妖しい光が灯っていた。
「それで、今日はどこに行くんだ?」
「そうねぇ、朝ごはんは食べたの?」
「いや、何も」
「それならまずは何かを食べようかな。お姉さんも何も食べてないし、朝から汗をかいちゃったからまずは栄養が欲しいのよね」
「シャワーでも浴びていたのか。なんならもう少し遅れて到着すれば良かったな」
「ふふふ。まぁそういうことにしておこうかな」
「そういうこと?」
「なんでもないわよぁ。ほぉら。カフェにでも行こうねぇ」
そうして二人は少し歩いて駅前のカフェに辿り着いた。
唯はホットドックにウインナーコーヒー、静也はクラブハウスサンドとコーヒーを注文して朝食にありついた。
「ウインナーコーヒーって不思議よねぇ」
「ウインナーが無いからか?」
「それもだけど、どうしてウインナーなのかしらねぇ」
「なんかあれらしいぞ。そもそもウインナーってカフェ文化の歴史が深いオーストリアの首都、ウィーンが由来で、つまりはウィーン風のコーヒーって意味だそうだ」
「へぇ、そうなのねぇ。ならオーストリアにはクリームが乗ったコーヒーばかりなのかしら?」
と言いながらそのクリームをすくって食べる唯は疑問の表情を浮かべる。
「ばかりではなく、いくつかあるらしいぞ。でも実際むこうではウインナーコーヒーって名前のコーヒーは無くてな、代わりに別の名前をしたコーヒーがあるそうだ。もちろんクリームが乗っかっているらしい。で、日本ではウィーン風のコーヒーを象徴するためにコーヒーにクリームを乗せてウインナーコーヒーと呼ぶようにしたみたいなんだ」
「静也くんは物知りねぇ」
「俺もつい最近気になって調べたんだ。昔から知っていたわけじゃない」
「それでも、すごいわぁ。そういう知的な男の子は好きよぉ」
「たまたま調べたことをこのタイミングで話しただけだ。知的ってわけじゃないよ」
「ふーん、そう……」
唯はまた半眼で妖しい光が灯る目を向けると、なにやら不敵に微笑んだ。
静也は二度目のそれを特に気にすることなく、だがやはり少しだけ気にして残りのクラブハウスサンドを食べ終えた。
それから二人が店を出ると電車に乗った。
下車後は唯に案内されるままに歩き、やっと到着した。
「新宿まで来て、ここはなんだ?」
「ここはお姉さんが好きな画家が開いている個展よ。今日までだったから来れて良かったわぁ」
そこはビル街から少し離れた場所にあるクラシカルな雰囲気の漂う木製の一軒家だった。
そんな家の扉が開かれると、中には多くの絵画が展示されていてどこもかしこも作品だらけだった。
水彩画、油絵、墨画なんてものもあり、さらには漫画の生原稿だったりペン絵なんかもあった。
「幅広く活躍している人なんだな」
「そうね。この人は国内に留まらずに海外にも進出している人だから有名よ。この漫画は知らないかな?」
唯が展示されていた生原稿を指さして言った。
だが静也はやはり知らないようで首を傾げた。
それから唯が二階に上がろうと言うと、そのまま二人は上がっていった。するとそのフロアは一階よりもがらりと雰囲気が異なっていた。
「あの……唯? ここは今の俺達が入ったら駄目な所なんじゃないのか?」
「大丈夫よ。だって注意書きが無かったでしょ? R18って」
「確かに無かったけども」
そこはいわゆる春画や成人向けと呼ばれる作品のコーナーだった。
そこかしこにきわどいカットの作品が並び、扇情的で激情的な感情が揺さぶられるようなものばかりだった。
それを唯は真剣な目で見ていた。
対して静也は落ち着かない様子できょろきょろとしていた。
「静也くん。静也くんはこういう性的コンテンツってどう思う?」
「それは……子供に悪影響を及ぼす可能性があるから大人がしっかりと管理すべきものってことくらいしか」
「ふふ、そうね。それもあるわよね。でもね、神秘的だと思わない? だって人々はその絵やものの正体が分かっていなくても遺伝子に刻まれた本能によってそこから目を離すことが出来ない、なんなら無意識に興奮させることだって出来るのよ? お姉さんはそういう本能に訴えかけてくるものとか、無意識に心を掌握してしまうこういうコンテンツには神々しさを感じてしまうの。それにね、この感情を理解するには言語なんていらないのよ。世界中の人がこれを見て感じて、そういう気持ちになる。言葉や民族の壁を超えてそれ以上の説明なんていらないのよ。もちろん、それを理解していいのは善人に限るけどね。悪人は駄目よ」
饒舌でいつになく真剣な唯は静也の腕を引いてとある絵の前に連れて行った。
「お姉さんが見たかったのはこの絵よ。それに静也くんにも見てほしかったの。どう?」
「どうって……」
それは一組の男女が複雑に絡み合い、そしてお互いにお互いを求めるかのような情熱的な目を向けて行為をしている扇情的な絵だった。もちろんモザイクやそういう処理はされていない完全に見えてしまっているものだ。
静也は思わず恥ずかしくなって顔を背けようとした。だが唯はそんな静也の顔を固定してしっかりと見させた。
「どう?」
「その……すごいと思う」
「ふふ、そうねぇ。お姉さんはこれが一番好きよ。確かに刺激が強いわよね。でもこの二人をよく見てごらん。とても幸せそうよね」
「確かに」
「最近じゃ色々な事件や、それこそ私達が出動するようなGreedが絡んだ犯罪もある。そこでは場合によっては多くの命が失われたり、性犯罪なんかがあってその被害者達はそういう時に苦しい顔をしているに違いないの。だからこの絵みたいにお互いがお互いに幸せを感じながら新しい生命の誕生を望んでいるのは貴重で、人類の本当の繁栄には欠かせない瞬間なのよ。そんな瞬間を切り取った、そうね、愛を感じられると言うのかしら。そんなこの一枚がお姉さんは一番好きよ」
そう言われて静也はあらためてその絵を見た。それから最近の出来事や知らないだけでこの瞬間にも起きている人々の命のやりとりだったり、そんな犯罪のことを思い浮かべた。
そう思うほどにこの絵の中の二人はなんて幸せな瞬間に生き、種としての未来に命を繋げていこうとしているのかをしみじみと感じたのだった。
「……そうだな。そう言われてみると、見え方が違って見える。さっきまでの俺は変に見えていただけだったんだな」
「そうよぉ。その気持ちでこのフロアを見ると、全てが生命や本能の神秘だと思わない?」
確かにそうだった。
静也は表面上でしかそれらの作品を見ることが出来ていなかったのだ。
その奥に感じた本質を悟った時、静也はもうきょろきょろして落ち着かないなんてことはしなくなり唯とともに作品達をしっかりと見ていくことが出来ていた。
それから全ての作品を見終えた二人は満足した表情と気持ちでそこを出た。
「なんか気持ちが変わったな」
「そうでしょぉ? 人はいい芸術に触れた時に生まれ変わるのよ」
静也からは家を出発する前に感じていた不安が消えていた。
そして唯に芸術の趣味があったことを初めて知り、その大人びた印象をさらに大人に近づけていったのだった。
「次は、こっちよ」
そうしてまた静也が腕を引かれる。
その足取りは軽く、それに従って歩き続けるのだった。
時刻は十五時。
朝食を食べた時間が時間だったために空腹ではない二人は、そのまま特に何かを食べるでもなく次の場所に到着した。
「映画館?」
「そうよぉ。次は映画を観ようね。調度いいのがやってるのよぉ」
静也はその言葉に多少の違和感を抱きつつもチケットを買っていると、カウンターの人が二人に問いかけた。
「こちら、カップルの方でしたらカップル割というものがありますが、いかがしますか?」
「えっ…カップルでは―」
その時唯が静也の腕に自らの腕を絡ませてすり寄った。
「私達、カップルです。そのカップル割でお願いします」
「ゆ、唯…?」
「ん? なぁに?」
まるで当然でしょとでも言っているかのような目を向ける唯。
もちろん静也は動揺した。だがチケットが安くなるならとそのまま何も言わずに購入したのだった。
「唯。俺達はカップルなんかじゃ…」
「そういうこと言わないの。安くなったんだから良かったでしょ?」
「まぁ、それはそうだけども」
そんな会話をしながら席まで移動する間中、唯はずっと静也の腕を抱いていた。そしてその腕を豊満極まりない胸の中に深く沈めては決して離さなかった。
さらに着席してからは抱いていた腕を解放し、すぐさまその手に自分の手をするすると絡ませてしっかりと握ったのだった。
「そろそろ離してくれても?」
「だぁめ。このまま映画を観るのよ」
唯はなんとも楽しそうで嬉しそうだ。
そんな様子に観念した静也は、仕方なくそのまま映画を観ることにした。
上映が開始されると、静也は何の気なしにチケットを買ったことを後悔した。内容としてはさっきの絵画にも負けないような男女の刺激的な愛を表したものだった。
もちろんそういうシーンもあって静也は恥ずかしくなって目を逸らした。だが唯はしっかりと、それでいて恍惚とした目で観ていた。
それから約三時間。静也は恥ずかしい気持ちで映画を観たり観なかったりしたのだった。
「いい映画だったわねぇ」
「なんかこう、今日はすごく刺激的なことばかりな気がする」
「そう? でも色々と勉強になるでしょ?」
「色々とって言葉に意味深なものを感じるんだが。そもそも、なんでR18指定になってなかったんだよ」
「なってたよ? でもお姉さんが大人っぽい見た目だからスルー出来たのよ。まぁまぁよくあることだから平気よ」
「俺達が良くても、バレたらむこうの人は大変だぞ」
「ふふ。そうねぇ。そろそろ暗くなるわね。夕食でも食べようか」
日が落ち始めて辺りが暗くなっていった。
そこで二人はそれなりの空腹を感じてレストランに入った。そこはチーズフォンデュが有名な店だった。
「静也くん、何にする?」
「初めて来た店だからな、このお勧めの盛り合わせにしようかな」
「そう。ならお姉さんもそれにするわね。飲み物は……どうしようかしらね」
「まさか酒を飲む気じゃないだろうな? さすがに年齢確認をされるぞ?」
「それはしないわよ。でも、どうなってもいいなら、少しくらい飲んでみようかなぁ」
「駄目だからな。それは俺が止める」
「冗談よぉ。あと三年の辛抱よ」
それから二人が注文を終えてしばらくすると、テーブルの上には程よく熱せられ続けたチーズの入った鍋と、それを付けて食べる用の具材の盛り合わせが到着した。
フランスパンにソーセージ、ベーコンにキノコやブロッコリーなどの多種多様なものがあった。
「美味しそうだな」
「そうね。それじゃ何から食べようかしらぁ」
唯はブロッコリーを専用の串に刺してチーズにくぐらせた。完璧なまでに白くクリーム色のチーズにコーティングされたそれが唯の口に入ると、途端に唯の頬がほころんだ。
ということで静也も串を取ると、フランスパンにチーズを纏わせて食べた。そしてその顔が緩んだ。
「かなり濃厚で旨いな」
「そうねぇ。それじゃ今度は―」
ということで唯はキノコを刺してチーズの海に沈めた。そうして掬いだしたそれは、なんとも器用に笠の部分にだけチーズが付いていた。それはとろっとしてキノコの形状に沿うように流れていった。
「ふふふ……おいしそうねぇ……」
そうしてそのキノコが唯の口に入った。そして唯は恍惚とした表情を浮かべると、口から漏れだしてきたチーズをペロリと舐め取った。
「このキノコ、思ったよりも大きくてしっかりとしていたわぁ。口の中がいっぱいよ」
「そうか。それは良かったな」
静也はそんな光景の一部始終を見ており、絵画に映画とそういう刺激ばかりのせいで変に慣れてしまっていたので何も思うことはないという様子で言った。
「次は、ソーセージ。これも立派だわぁ」
「立派とか言うな。ただのソーセージだ。チーズフォンデュするやつの」
「そうよ? ただのソーセージよ? もしかして静也くん、別のことを考えていたのかなぁ?」
唯は意地悪な顔で静也を見た。そこで何も答えない静也に向けて、そのソーセージの先端にのみチーズを纏わせるとわざとその形状に沿って流れていくように持った。そして程よくねっとりと流れていったのを確認し、なんとも妙な声を出して頬張り始めたのだ。
「……んっ……おおきい……」
「普通に食べなさい」
一口を食べた時、唯の口がソーセージから離され、その間にはねっとりとした架け橋が出来ていた。
そんなこんなで時折静也が注意をしながらも食事は続き、最後の具材とチーズを食べ終えたのだった。
二人が店を出た時はもう外は暗くなっており、完全に夜になっていた。
「それじゃ時間も時間だし、今日はもう帰るのか?」
「そうねぇ。あ、でも最後に寄っておきたいところがあるから、いいかな?」
「まぁいいけど」
そうして歩くこと数分。
繁華街の賑わいとは別の意味で賑わっている場所に到着した。
「ここは?」
「最近問題になっている、新宿東宝ビルの横。通称トー横よ」
少し先には独特なファッションをした人だったり、見るからに二人よりも年下の子が騒いでいた。また、地面にはチューハイやエナジードリンクの空き缶が捨てられ、他には薬が包装されていたであろうパッケージなんかも散乱していた。
流石に深部までは行かずにそれらを遠目から見ている唯はなんだか悲しそうな目をしていた。そして真面目に語り始めた。
「ここにいる子達はみんな寂しい思いをしている子達なのよ。家庭に問題があったり、学校や友達、それに取り返しのつかないことに手を出して誰にも頼ることが出来なくてどうにもならなくなってしまった子。そんな子達が見ず知らずの人同士で騒ぐことでそんな辛い現実を忘れようとしている。言うなら、そうね。日本の子供達の闇とでもいうのかな。光があるなら闇があるなんて言うじゃない? お姉さんはこういう闇の部分を見る度に、こんな思いをしている子達をどうにかしてあげたいって思うのよ」
「なるほどな。確かに問題になっているとはいえ、世間は追い出したり問題視をするばかりだもんな。その子達にはその子達の問題があって、それが解決しないことには闇の部分は消えないのに、大人達は小手先でどうにかしようとしているばかりで根本的な解決をしているようには見えないよな。俺だって唯の言う通り、そういう思いをしている子達をどうにか出来たらいいなって思うし、そんな未来になってほしいって思うよ」
「静也くん……」
その言葉を聞いて唯は少し驚いた顔をして静也を見た。そしてさっきまで見せていた悲しそうな顔を嬉しそうな顔に変えた。
「まさかそう言ってくれるなんて思わなかったよ。お姉さんは嬉しいわ」
「俺もまさか唯はここをそんなふうに思っていたなんて思いもしなかったよ。というか、今日は唯の意外な一面ばかりを見ている気がするな」
「どれも新発見でいいでしょ?」
「それはまぁ、そうだな。どれもこれも唯だけど、今日は特に唯のことがよく分かる日だよ」
「こういうお姉さんは嫌?」
「別に嫌じゃないけど、少し驚くこともあるよ。でもみんな違ってみんないいって言葉があるだろ? だから唯はそういう自分の好きなものに正直でいるからいいと思うぞ」
その言葉に唯はまた少し驚いた。
それからお互いに何も言わずに少しすると、唯はまた静也の腕を抱いた。
この一日で慣れてしまった静也はもう何も驚くことなく唯に目を向けた。すると、唯の目がなんだかピンク色に光っていっているように見えた。
「次は……こっちよ」
「ここが最後じゃなかったのか?」
その問いに唯は答えなかった。そしてトー横をあとにした二人はなんとも異様な場所に出た。
そこは色とりどりのネオンや看板が立ち並んだやけに男女が多い路地だった。
「唯……ここって……」
「静也くん。ごめんね。お姉さんね、月乃ちゃんと約束していたんだけど、やっぱり駄目みたい。今日は静也くんにお姉さんの色々な一面を見てもらおうって思ってて、その反応を見るのが楽しみだったの。それだけの予定だったの。でもね、お姉さん、もう抑えられないの……だから」
すると唯が静也の腕を抱く力がさらに強くなった。
「……いいよね? 静也くんをお姉さんのものにしても、いいよね……?」
その瞳はもう完全にピンク色に発光していた。そして蕩けた表情と吐息がじわじわと静也の自制心を乱し始め、静也が次にその瞳を見た時、不思議な感覚のもとで頭がぼぅとしてきてしまった。
「……ゆ…い………」
「ここ、入ろう?」
唯は健康的で肉付きの良い太ももをもじもじさせて頬を朱に染めた。そして恍惚とした表情とピンク色の瞳が静也をとらえると、決して離すことはなかった。
それから絡めていた腕をさらに熱く強くホールドし、ぎゅっと自らの胸の中に埋めた。
静也はそんな唯から漂ってくる甘く淫靡な香りにますます意識が遠のいていき、ついには本能のままにその建物に歩き始めてしまった。
「静也くん……お姉さんのこと、好き?」
「俺は……唯が……」
「そこまでです!」
その時そんな声が響いた。
その人は颯爽と影から出てきて二人の行先を塞ぐようにして降り立った。
「なぁに? お姉さん達に何か用かしら? 今、とっても大事な時なのよぉ?」
「姉ヶ崎様。星見様とのお約束をお忘れですか? あなたといえど、ただでは済みませんよ?」
現れたのはセブンスターズの万能メイドこと、能徒叶だった。
彼女はいつも通りメイド服を着ており、凛とした表情で唯を見ていた。
「こんなことをしたあなたもただじゃ済まないんじゃなくて? 今日はお姉さんと静也くんが誰にも邪魔をされずに二人でお出かけをする日。それは月乃ちゃんと約束をしたのよ? お姉さん達の約束を邪魔するつもりなのかな?」
唯は微笑んでいたが、その目には怒りが滲んでいた。
「無論、私としてもお二人が健全な外出をされているのでしたらこうして止めることはしませんでした。しかし、こうなってしまってはお話は別です。そもそもお二人は十七歳。このような場所に立ち入ることは法からもお約束から逸脱してしまいます」
「ふーん。それで、能徒がこんなことをしているのは月乃ちゃんは知っているの? まさか独断で止めに来たの? それこそ月乃ちゃんに怒られるわよ?」
「ご心配にはおよびません。私は一度信じた方を個人の意思で疑うことはしません。今回は全て星見様のご命令です。私の役目は姉ヶ崎様と無波様を遠くから護衛すること。そしてお二人の約束が破られるようであれば全力で止めるということです」
唯はそれを聞いて少し口角を上げた。
「そう。ちなみに、報告はしたの?」
「いえ、まだです。このまま何もせずにお帰りになるのでしたら何も見なかったことにします。そして星見様には問題が無かった旨を報告します」
「そう。でもお姉さんはね、やっぱり静也くんが欲しくなっちゃったの。だからこの際月乃ちゃんとやりあってもいいと思ってるのよ。ここで能徒を大人しくさせてから、静也くんと甘い夜を過ごしてからね。なんなら能徒も一緒にどうかしら? この前濡らしてたんだし、それに三人でってのも嫌いじゃないし」
「ご冗談を。私は皆様のメイドです。そして星見様が主です。それ以上でもそれ以下でもありません。星見様のご命令は絶対ですので、どうしても退かないというのでしたら私が力づくで姉ヶ崎様を止めます」
直後、能徒はメイド服のスカートの中に手を入れて二本のナイフを取り出した。そしてその群青色の瞳を水色に発光させ始めた。
だがそんな時だった。
「……ん? 能徒? どうしてここにいるんだ?」
「無波様。意識が戻られたのですね。実は―」
唯の瞳から逸らされていた時間が長かったために静也の意識が確かなものに戻ったのだ。それから能徒が事の経緯を説明した。
「―ということになります。無波様は姉ヶ崎様の能力、魅了にあてられていたのです。」
「なるほど。だからこんな所に入る寸前だったんだな」
「もう、こんな所なんてひどいよ? ここは愛を育む神秘的な場所なのよ? 今日一日で愛と命の素晴らしさはちゃんと理解したでしょぉ?」
「確かにそうだが、ここは同時に欲望と劣情が渦巻くところでもあるだろ。それに俺達はまだ高校生だ。今日は帰ろう?」
「そういうことです。どうかお帰りください。姉ヶ崎様」
帰宅を促す静也。能徒もそれに便乗した。
唯がそれに対して口を開こうとしたそんな時だった。
「いやあああああああああああああああああああ!!! 誰か! 誰か!!」
女の悲鳴が響いてきたのだ。
否応なしに三人の意識がそっちに向いた。
「さっきからなんなの? せっかくの静也くんとのデートが台無しよ」
と唯が不満を漏らして能徒を見た。
「……分かった。今日はもう帰ることにするわよ。もちろん静也くんと一緒にね。それは構わないでしょう?」
「はい。何もしなければ星見様も咎めることはないでしょう」
「そう。あーあ。興ざめね。静也くん、能徒。とりあえずあの悲鳴のところにいくわよ」
そうして三人はその出所へと急いだ。
入り組んだ路地を手当たり次第に進み続けていると、ついに発見した。
「いや……こないで……やめて……」
「姉ちゃん、可愛いなぁ……少しくらいいいだろ……? おじさん、我慢できないんだよぉぉ」
若い女性が中年の男性に怪しく迫られているところだった。そしてその男は異様な雰囲気を放出し、よだれを垂らしながら一歩また一歩と距離を詰めていっていた。
「あれはもう駄目ね。欲に支配されてもはやGreedよ。能徒、結界を張ってちょうだい」
「はい。姉ヶ崎様」
幸い周囲には他に誰もいなかったので、たちまち結界が張られるとその中には女性と男とセブンスターズの三人の計五人だけとなった。
「能徒は女の人を。静也くんは私と一緒に来て。とっとと終わらせるわよ」
「分かった」
「承知しました」
そして唯が瞳をピンク色に発光させながら男に向かって言い放った。
「おじさん。女の子をいじめちゃ駄目よ? そんなに酷いことをしたいなら、お姉さんと遊んでかない?」
「…あ? お前も…いい女だなぁ…… よぉし、今日はお前にするかぁ。それで、お前はいくらなんだ? いくら欲しいんだ?」
次の瞬間には男の視線が唯に固定された。
その隙に能徒がその女性のところに走って行って保護すると、結界の外に出して逃がしてやった。
男はそれにすらも気付かずに唯を見ている。そして唯に向けてよろよろと歩き始めて手が伸ばされると、唯はその手を取った。
「いくら? そうねぇ、お金はいらないわ。でも―」
直後、その手を捻って地面に転ばせた。
男はあっけなく仰向けに倒れると、その目に月光に照らされた巨大なハンマーを映した。
「おじさんの命が欲しいなぁ」
まもなくして唯はその男の頭にハンマーを振り下ろした。
声をあげることなく一瞬で絶命した男は地面で動かなくなった。
「俺、いらなかっただろ?」
「そんなことないわよぉ。万一さらに欲を暴走させていたら面倒だったもの。それに、この欲は厄介なのよ? ただでさえ強いうえに、獲物に対する執着が尋常じゃない。今回はお姉さんに標的を変えてくれたから暴走したら間違いなくお姉さんが襲われることになったはずだし、そうなったら静也くんに守ってもらおうと思ってたの」
「へぇ。で、ちなみにその男の欲はなんだったんだ?」
「性欲よ。人間の三大欲求の一つ。食欲と睡眠欲に並ぶ強力な欲よ」
セブンスターズでは悟利が食欲である。
先日、静也は悟利のフルパワーがどんなものかを月乃から聞いた。それはセブンスターズ最強の月乃ですらも強いと言わしめるものだった。
それに並ぶ欲求、性欲。
そんな強力なものをこんな男が持っていてGreedになったのだ。
静也はその万一という言葉の重さを痛感した。
「それじゃ、静也くん。今日は帰ろうか。やっぱり月乃ちゃんと争うのは避けたいし。これでいいでしょ? 能徒」
「はい。では今回は何も無かったということで星見様に報告いたします」
「それでよろしくね。あと、それ。いつも通りにお願い出来るかしら?」
「承知いたしました。では、気を付けてお帰りください」
一礼をした能徒を背に、唯と静也は二人で結界から出て帰路に着いた。
**
「今日は色んなことがあったわねぇ。静也くん」
「ほとんど唯のせいだろ」
「せいってひどいわぁ。お姉さん、泣いちゃうわよぉ」
電車を降りて唯を家まで送っている静也。そんな帰り道でも唯は静也の腕に抱き付いていた。
変わらずの甘い香りがその鼻腔をくすぐり続けているものの、あの時のような感覚にはなっていないので意識はしっかりとしていた。
「ところでさ、さっきの魅了の能力に今日行った所といい映画といい、いつも俺にべたべたしてくることといい、唯の欲が分かったぞ」
「ん~? 言ってごらん?」
「唯の欲は性欲だ。そうだろ?」
それを聞いた唯は柔和に微笑むと、少し複雑な顔になった。
「正解よぉ。さすが静也くんね。そう、お姉さんは性欲の欲祓師よ。最初の頃に静也くんがみんなの欲を聞こうとしたじゃない? お姉さんが言わなかったのは、この欲は変に勘違いされることが多いからよ」
「別に変じゃないだろ? それこそ人間の三大欲求の一つで誰にでもあるものなんだから」
「そうなんだけど、お姉さんのこの見た目と学校での評判がこの欲のお陰って思われたくなくて。あと、ふしだらだとか淫乱だなんてのもね。性欲って人をエネルギッシュに見せたり、女性であればより女らしく魅力的に見せる効果もあるの。お姉さんが学校の男の子達から異常に人気があるのはそういうのもあるのよ」
「それには自覚があるんだな。でも俺は淫乱だなんて思わないな。確かに唯は色々してくるけど、誰にでもそういうことをしているわけじゃないだろ? 淫乱やふしだらってのは見境なくやっている人のことだ。だから唯はそういうのじゃないよ」
静也は真剣な口調で言った。
ある種、唯は自分の欲に対してコンプレックスのようなものを持っていた。だがそれを否定してくれたことによって唯は安心とともに嬉しさを感じたのだった。
「静也くん……ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ。やっぱりお姉さんは静也くんをお姉さんのものにしたいわぁ」
唯はさらに強く腕に抱き付き、幸せそうな表情をした。
さらに少し歩くと唯の家、マンションの一室の前に到着した。
「それじゃあね。今日はとっても楽しかったわぁ。また二人で行こうね」
「機会があったらな」
「それはやんわり断る言い方よぉ。……ねぇ、静也くん。少し、あがってく?」
「いやいやいいって。明日もあるし、もう遅いし」
「冗談よ。本当に月乃ちゃんに怒られちゃうわ。あ、でもこれだけ」
すると唯は静也に顔を近づけた。そして
「えっ」
「月乃ちゃんもこれくらいなら許してくれるわよ」
頬にキスをしたのだ。
それに驚いている静也の顔を見て満足した唯は、またねと言うと家に帰っていった。
帰り道、静也はさっきの出来事を思い出してぼぅとしていた。
だがそれも悪戯でやったことだろうし、それこそその反応が見たかったからだろうと思って正気に戻った。
それから無事に帰宅をすると、直後には唯からLINEが届いた。その中には今日のお礼といつの間にか撮られていた写真が添付されていた。
「いつの間に…」
それに返信し終えると、その直後には月乃からもLINEが入った。
「明日も十時か。また月乃の家に迎えにいく感じだな」
明日は月乃と二人で出かける番だ。
幼馴染であるがゆえに唯ほど緊張はしていない静也は、分かったと返信をした。
それから寝る支度を済ませると、明日のために眠りについた。
***
静也の部屋にけたたましい音が鳴り響いた。
アラームであるそれを止めようと、静也はいつもスマホを置いてある場所に手を伸ばした。そうしてスマホに手が触れた時、なぜかそれが逃げるようにして遠ざかった。
いまだに眠りに抵抗して目を開けていない静也は疑問を抱きつつも、その周辺を手探りで捜索した。その間もスマホのアラームが鳴り続けている。
結局いくら手を動かしても見つけ出すことが出来ずにいい加減鬱陶しく思えてきた静也は、諦めて瞼を開けて探すことにした。
だがそんな時、スマホのアラーム音が消えた。
「……ん?」
「おはよう。静也」
かなり近くから聞こえた静かで抑揚の無い声。もちろん静也はその声を知っていた。
直後そこに目を向けた静也は一気に頭を覚醒させた。
「なっ! なんで!?」
ベッドから飛び起きると、その目の前の驚くべき光景に目を丸くした。
「なんでって。起こしにきたんだよ? 最近は全然来ていなかったし」
「だからってなんで俺のベッドの中にいるんだよ?」
「興味があったんだよ」
「興味?」
その疑問に問いかける静也。
時刻は朝の九時を過ぎた頃だった。
本日の静也は、先日の約束通り月乃と出かけることになっている。その開始予定時刻は朝の十時で、その時間に静也が月乃の家に迎えに行くことになっていた。
しかしあろうことか、現時刻において月乃が静也のベッドにもぐりこんでいたのだ。
「うん。この前能徒と寝たんでしょ?」
「言い方に誤解が生まれそうなんだが。まぁ、寝たな。言っておくが何もしてないからな」
「それはこの前のお話で分かってるよ。でね、能徒はこのベッドの中でどんな気分だったんだろうって思ったの。だからやってみた」
両目を完全に覆い隠すほどに長く黒い前髪の奥で静也を見つめる月乃は、いまだにベッドで横になったままである。
そんな月乃は以前静也がその家を訪れた時に見た、あのしいたけのイラストが幾つも入った地味な寝巻を着ていた。
「で、どうだったんだ?」
「うーん、なるほどって感じ。可もなく不可もなく、静也の匂いがしたよ」
「どういう意味か全く分からないんだがな。というか、なんで寝巻なんだよ。出かけるなら私服はどうした?」
「あるよ? そこに」
月乃が指を差したところには鞄があった。外に服が出ていないのでその中に入っていることは間違いがないようだった。
そうなると、と静也は一つの疑問感じた。
「今さっき来たわけじゃないな? 本当はいつ来たんだ?」
そう。月乃があまりにもラフすぎており、なんならさっき静也が飛び起きた際に布団の中からは月乃の温かな匂いがその鼻腔をくすぐっていた。
服装からしても明らかに大分前からいたことは間違いないようだったのだ。
「えっとね、まだ暗かったけど日付は変わってたかな。多分一時か二時くらいだった思うよ?」
「俺が寝てからわりとすぐじゃねぇか。それで合鍵で家に入って着替えて寝たと?」
「お風呂も借りたよ」
「ちゃっかりしてるな」
「だって能徒だけがこんな経験をしていてずるいもん。私だってやってみたかったんだもん」
月乃の口元がむっと強張った。
「あれは不可抗力で、あの時はああするしかなかったから仕方がなかったんだ。能徒だって本当は我慢していたに違いないぞ?」
「え、なんだって?」
「急にラノベ主人公みたいに難聴になるな。というか、なんで俺は起きなかったんだ? 普通なら誰かがベッドに入ってきたら起きるはずなのに」
「それは私が起こさないように気を付けたからだよ」
「それにしたって流石に気が付くって。まさか、月乃の地味は寝ている相手にも有効なほどに極まったのか?」
「ひどいよ? いくら私でもそこまで地味じゃないもん」
また月乃の口元がむっとした。
声は抑揚が無く小さい。そして親の顔よりも見てきたお馴染みの長い前髪。もっさりとした黒髪ボブカットに、食事の趣味やその寝巻といい、誰が何と言っても月乃は地味だった。ついでに影も薄い。
そんな月乃はむくっと起き上がった。
「地味かどうかはさておき、そろそろ準備をしなきゃね」
なんやかんやで時刻は九時半を過ぎた。
十時開始なので月乃は何かを言いたげに静也を見ていた。
「どうした?」
「準備するの。だから着替えるの」
「うん、そうだな」
「そうだなじゃなくて、着替えるから外にいて? 恥ずかしいよ」
「ここは俺の部屋なんだが。まぁそういうことなら分かった」
そうして部屋から出た静也は先に顔を洗ったりと他の準備を整えた。
案外早く終わってしまった静也は、もう着替え終わっただろうと自室の扉を開けた。すると中では
「あ……」
「何してんだ?」
「えっとね、枕がね、固いなぁって」
月乃は着替え終わっていたものの、その格好で再びベッドに入って静也の枕に顔を埋めていたのだ。
「俺の匂いは可もなく不可もなかったんじゃないのか?」
「うん。でもやっぱり可だったみたい」
「自分では分からないんだけど、絶対に男臭いだろ」
「そんなことないんだよね。なんかこう、人って誰でも不思議な匂いがするんだよね」
「へぇ……」
すると静也が不敵な表情になった。
それに対して月乃は何かを察したようだ。だがもう遅かった。
「なら、月乃も不思議な匂いがするんだよな」
「あ……それは…」
静也は床に落ちていた月乃の寝巻を手に取っていた。
そしてそれに顔を埋めて嗅ぎ始めたのだ。
「静也……多分臭いと思うよ……?」
「いや、臭くないぞ? あの時もだったけどいい匂いだ。これが不思議な匂いってやつなのか?」
すると静也の鼻が調度脇の辺りにさしかかろうとした。
そこは先日、絶対に駄目と言われて止められた箇所だった。
「静也、そっちは…」
月乃はまた止めた。だがそれは間に合わず、静也はそこを嗅いだ。だが
「臭くないぞ」
「絶対に嘘だよ。脇とかそういうところは蒸れるから変な臭いがするんだよ?」
「いや本当に。なんだろうな」
さらに静也はズボンにも鼻を向けた。だがそっちだけは本当に駄目だったようで強引に取り返されてしまったのだった。
「むぅ。どうして静也はそんなに臭いを嗅ぐのが好きなの?」
「好きってわけじゃないぞ。でも月乃は普段香水とかそういうのを使わないのにいい匂いがするんだ。唯と能徒は別で匂いがするけど、月乃にはそういうのが無くて素の匂いって感じがして新鮮なんだよ。雑味が無いっていうのかなぁ」
「なんかすごく変態みたいに聞こえるよ?」
「月乃だってさっき俺の枕に顔を埋めてたり、それこそ深夜にベッドに入ってきたじゃないか。人のこと言えないぞ」
「それは……私はいいんだもん。生徒会長だしセブンスターズのリーダーなんだもん」
「何も言い返せなくなったんだな」
また月乃の口元がむっとしたので、静也はそのへんにしておいた。
それから二人そろってキッチンにいくと、何か食べるものはと探した。
「朝飯はどうする? って言っても今は家に何も無いんだよな」
「それなら途中でコンビニに寄ろうか。駅前にあったはずだし」
「そういうことならそうしようか」
ということで食事に関しては決まったので出発の準備を整える二人。
「ところで、今日はどこに行くんだ?」
「あぁ、そうか。まだ言ってなかったね。今日は動物園に行くよ。カピパラを見るの」
「また何ともいえないチョイスだな」
「それで深海生物も見られる場所があるから、ダイオウグソクムシも見るよ」
「またまた全く動かないものを」
やはり地味だな。なんて静也は思ったが、それはもうこの先何回も言いそうな気がしていたのでここでは言わなかった。
「着替えを入れてきた鞄は持って行かないのか?」
「うん。また帰りに寄るから置いておくよ。今はこれで平気」
そう言った月乃はシンプルな鞄を背負っていた。
ロゴやブランドも全くの無名で、逆にどこで売っていたのかが気になるような地味さがあった。だからといって別にダサいわけでもなかったので静也は何も気にしなかった。
「それじゃ行こうか」
そうして二人は玄関を開けて出発した。
そこから少し歩いて駅前のコンビニで朝食を買うと、電車を待っている間に食べた。
ホーム内アナウンスの直後に到着した電車に二人が乗り、それからは他愛もない話をしながら揺られていた。
「ところで、なんでまた動物園なんだ? 俺達はもう高校生だぞ? 象とかキリンを見て騒ぐ年齢でもないだろ?」
「うん。でもカピパラとダイオウグソクムシが見たくて。それに、動物園はいいんだよ。まるで社会の縮図みたいで感慨深いの」
「そんなふうに思っている人を始めて見たわ。というか、月乃は見たい動物のセンスまで地味だな」
「地味じゃないもん。本当は今日はしいたけ狩りにしようか迷ったけど、動物園にしたからその分地味じゃないもん」
月乃の感情の物差しでもある口元がまたむっとなった。でもすぐににこっとしたので怒ってはいないようだった。
それを見た静也はもっと地味についていじってみようかとも思ったが、今回はやめたのだった。
そんな時、電車内に男の怒鳴り声が響いた。
「ここは優先席だ! 年寄りに席を譲れ!」
そこにいたのは、優先席に座っている女性にいちゃもんを付けている中年の男だった。
その光景を同じ車両に乗ってる全ての人が見ているものの、誰一人として助けに行こうとしなかった。
「いるんだよね。ああいうの。女性の方をよく見てみ? 妊婦さんだよ」
「本当だ。妊婦さんのキーホルダーを付けてるな」
「もう……仕方ないね。Greedになられても面倒だし、ちょっと行ってくるね」
そうして月乃が向かって行った。
「こんにちは。お腹大きいですね。大丈夫ですか」
「は、はい……」
「なんだガキ。オレが目の前にいるだろ。そこをどけよ!」
「おじさん。見るからに元気そうですね。優先されるような老人ではないんじゃないですか? 老人じゃないなら老害っていうのかな」
「な…に……?」
男はそれを聞いてイラついた表情を月乃に向けた。そして男は殴りかかるような素振りは見せずに罵声を浴びせ続けた。だがそれに対して一切無反応の月乃を前についにキレたのか拳を振り上げた。だが
「あぎゃ…っ!」
直後にはそんな短い声をあげて車両の壁面に突き飛ばされてしまった。
「おっと、よく見えなかった。何かの害虫を蹴っちまったようだ。大丈夫か? 月乃、お姉さん」
「は、はい」
「うん。私もなんともないよ。あれくらい私がやれたのに」
「駄目だ。あいつは月乃を殴ろうとした。それに罵声も浴びせたんだ。ここで排除する」
静也がそんな会話をしていると、突き飛ばされた男が体勢を整えて静也を睨んだ。それから色々と文句やら罵声を浴びせてきた。だが静也はそんなことに構わずに男の目の前まで行くと
「あぎゃ…っ!!」
「おっと、また見えなかった。やはり害虫、いや老害は目に余る。いや、目に入らないな」
「お、おま……」
「おい、おっさん。あの人は妊婦だ。見えねぇのか? それにお前は俺の連れを殴ろうとした。その手を潰して目玉をくりぬいてやろうか?」
と瞳を赤く輝かせてじっとりと詰め寄った。そして冗談で言っているのではないとして、男の手を掴んで潰れるぎりぎりの力で握った。
「いっ……やめ……」
「それかここで死ぬか? 俺の連れに手を出そうとした罪は重い」
「静也。もうそのへんにしてあげてね。そろそろ着くよ?」
月乃のその言葉によって瞳を元に戻して手から力を抜いた静也は静かに男から離れた。そして電車の扉が開くと、その男は逃げるようにして外に去って行った。
「排除しなくて良かったのか?」
「いいんだよ。そんなことしたらお出かけの時間が減っちゃうし。次に見つけたら消せばいいよ」
「そうか。まぁ、月乃がそう言うならいいか」
そうして電車の扉が閉まって発車した。
「ほら、次の駅だよ。それじゃお姉さん。お元気でね」
「あ、ありがとうございました」
月乃は口元で笑うと静也の所へ戻った。
それから数分後、目的地の駅に到着した二人は電車から降りて少し歩いた。
「やっと着いたね」
静也の家から約一時間。二人は目的地である動物園に到着した。
「思えばいつぶりだ? 覚えてないくらい前に行ったきりだったから、来たのはもう何年も前だな」
「そうなんだ。私はたまに来るよ」
「一人でか?」
「うん。それか悟利と能徒と一緒にかな」
その時静也の頭には動物園ではしゃぐ悟利の姿が浮かんだ。それからそれを見守る月乃と能徒の様子もだ。そして否応なく思ってしまうのだった。
「完全に子守りじゃねぇか」
と。
「まぁ、悟利は体が小さいからね。前に試しに小学生料金で入れるかをやってみたことがあったんだけど、疑われることなく入れたしね」
「それは駄目だろ」
「最後までバレなかったからセーフだよ。白だよ」
「絶対的に黒だ。悟利も悟利で小学生に見えてしまうのはそれもまた問題だけどな。というか、唯もだったけど、どうして二人はそんなぎりぎりのことをするんだ」
「だって安く入れた方が得でしょ?」
「まぁ確かにそうだけども……」
「ならいいよね。それにもう済んだことだし。ほら、チケット買って入ろう」
そうして二人は動物園に入場したのだった。
順路通りに進んでいくと、二人はフクロウの前で止まった。それをじっと見ている月乃に対してフクロウは、見る見るうちに体を小さく細くしていってしまった。
「なんか怯えられてるぞ?」
「これって怯えてるの?」
「あぁ。フクロウの中には自分よりも強い奴の前だと怯えて木に擬態しようと小さくなる個体がいるんだ。逆に弱いと判断した奴の前だとやけに体を大きくして威嚇したりするらしい」
「へぇ。どおりで静也の近くにいるフクロウは大きくなっているわけだね」
「えっ?」
小さくなっている方に完全に気を取られていた静也は、今になって自分の近くにいたフクロウを見つけた。すると確かにやけに大きくなっていた。
「俺と月乃だったら見た目的に逆だろ。なんで俺にはこうなんだ」
「本能なのかもね」
「まぁ、月乃の方が強いけども。フクロウにはそれが見抜けるのか?」
「どうなんだろうね。でもこうして大きなフクロウは初めて見れたよ。静也のお陰だね」
「なんか複雑な気分だなぁ」
再び歩き出し、次に立ち止まったのはサル山だった。
「いっぱいいるね」
「そうだな。あの一番上にいるのがボスかな」
「うーん。あっちじゃない?」
そうして月乃が指差したのは多くのサルに囲まれては毛づくろいをされている一匹だった。
「真ん中にいるのがボスだよ。それで周りにいるのは全部メスじゃないかな。ハーレムってやつなのかもね。まるで静也みたいだね」
「待て。俺はそんなんじゃない」
「だって能徒とは寝て、唯とは寝そうになったんでしょ?」
「何もかも寝たらそうだとか、寝るという行為を変なものに結び付けようとするな。そうだ、昨日の能徒は月乃が遣わしたんだろ? 良かったのか?」
先日、静也は唯に某所に連れ込まれそうになったところをやってきた能徒によって止めてもらったのだ。しかもその差し金は月乃だった。
「いいんだよ。そもそも唯がちゃんと約束を守るなんて最初から信じてなかったし」
「それもそれでどうなんだ? というか、その二人で交わしたっていう約束ってどんな約束だったんだ?」
「それは……なんでもないもん」
月乃は一瞬だけしまったという焦りの雰囲気を見せた。だがすぐに立て直して平静を装った。だがそれを静也は見逃さなかった。
「あの日俺がいない間に他のセブンスターズの面々がいる時に約束をしたんだろ? なら俺以外は知っているんだよな? 俺にも教えてくれって」
「駄目だもん。静也には教えてあげないもん」
そう言った月乃は、絶対に答えないと言っているかのようにぷいっとそっぽを向いた。その顔の方向に静也が移動すると、月乃はまた別の方向を向いたのだった。
「まぁ…いいか。変なのじゃないんだろ?」
「当然だよ。私と唯で取り決めた公平かつ安全なものだよ」
「なんかいまいち信憑性が無いような気がするんだが……」
「きっと気のせいだよ。ほら、次はカピバラだよ。そろそろ餌の時間だからその様子を見るのが楽しみだったの」
そうして月乃が会話を終了させると、静也の手を引いて移動を開始した。
やってきたカピバラの檻の前で月乃は食い入るようにしてその食事風景を眺めた。一見するともさもさと草を食べているようにしか見えないその口の動きが月乃は好きなのだ。
それからその草が無くなるまで月乃が見終えたので、満足した様子で静也の方に振り向いた。
「満足したか?」
「うん。すごく良かった」
「そうか」
やはり静也には何が良かったのか分からないままそこを離れた。
「そういえば、そろそろ何か食べる? 園内レストランがあるよ?」
「そうだな。腹も減ったし、中に入るか」
時刻は十三時。
園内の動物への餌やりの時間が終えたようなので、今度はと二人も食事をすることにした。
店内は少し混んでいたものの席が取れないというわけでもなかったので、二人は順番に買いにいくことなく一緒に買って席に座ることが出来た。
「ねぇ、静也」
「ん?」
月乃がきつね蕎麦を食べながら話しかけた。ちなみに静也はチキンバーガーを食べている。
「窓の向こうにはフラミンゴが見えるね」
「そうだな」
「鳥が、見えるね」
「……ん? 何が言いたいんだ?」
すると月乃がおもむろに、そして純粋な疑問を投げかけた。
「フラミンゴっていう鳥を見ながらチキンバーガーを食べるのってどういう気持ち?」
「言っておくが、このチキンはフラミンゴじゃないからな? 動物園でその動物の肉を売るなんてことは絶対にないからな?」
「でも鳥なのには変わりないでしょ?」
「まぁ、確かに」
「で、どういう気持ち?」
月乃は興味深々の様子だった。
「それを言ったら月乃だってきつね蕎麦じゃねぇか。きつねを見ながら食べたら分かるんじゃないか?」
「きつね蕎麦のきつねは油揚げだからね?」
「もちろん知ってるさ。冗談だよ」
「それで、どうなの?」
やはり気になる様子の月乃。その後も静也は何度か話を逸らそうとしたものの全て失敗に終わったのだった。
そうして観念した静也は口を開いた。
「そう考えて食べると変な感じがするな。なんかこう、実際は違うのにフラミンゴを食べているような気がしてくるよ」
「そっか。それなら、熊の前で熊肉カレーを食べたらより一層熊を食べている気がするのかな?」
「……やらないからな? 絶対にやらないからな?」
「残念」
「というか、動物園に熊肉カレーなんて置いてないだろ。もしあったら少し可哀そうな気持ちになるわ」
「そうだよね。なんともいたたまれなくなるよね」
そんな会話により残りのチキンバーガーを何とも言えない気持ちで完食した静也と、自分で聞いておきながらもそんな静也を特に気にもせずにきつね蕎麦を完食した月乃。
それからもう少し休んでいると、月乃があるものを発見した。
「あのフラミンゴ、頭を突かれて血が出てるよ」
「えっ? あぁ、あれは大丈夫だ。あの流れていっている赤い液体が落ちるところに小さいフラミンゴがいるだろ?」
「うん」
「あれは他の動物でいうところの母乳をあげている様子なんだ。それがフラミンゴの場合はああやって頭を突かないと出ないらしくてあんなショッキングなことになるんだ。そうそう見られないからラッキーだな」
「へぇ、そうなんだ」
月乃は初めて見たその様子に釘付けになってしばらく見ていると、
「そろそろ行こうか。次は深海生物の所だよ。ダイオウグソクムシだよ」
と満足したようで席を立った。
静也もそれに続いて立ち上がると、二人はトレーや皿を返却口に置いてレストランを出たのだった。
「癒されるねぇ…… ね? 静也」
「そ、そうだな」
それから二人は深海生物を見ることが出来るエリアにやってきた。
その一角で月乃が大本命である生物を見つけると、それを釘付けで見てはなんとも幸せそうな雰囲気を放出させていた。
「あ、今少し動いたよ」
「いや、気のせいだと思うが。そもそもダイオウグソクムシって動くのか?」
深海の掃除屋ことダイオウグソクムシ。
大きな水槽の角に固まるようにして密集している数匹の巨大なダイオウグソクムシは、今もなお一切動くことなくその場に留まり続けていた。その顔や雰囲気からして日々何を考えて生きているのかが全く分からない謎の生物だ。
それを月乃はじっと見つめていた。
「一匹くらい生徒会室に置いておけないかな。みんなで育てるの」
「一般水槽じゃ多分無理だろ。海水の温度とか管理が大変そうだし」
「そっか。でもそれはそれで、ここでしか見られないっていう特別感があっていいね」
一切動かないダイオウグソクムシと、両目を黒い前髪で隠した地味な女子の月乃。両者が並ぶとなんかこう、不思議な親近感のようなものを感じざるを得ない。と思う静也。
「静也、静也。これ見て」
「どうした?」
「餌を食べてるよ。これは貴重だよ」
月乃はそう言ってスマホを取り出すと、その光景をムービーで撮り始めた。それを終えるまでは音声が入ってはいけないと思った静也は静かにしていた。そしてそれが終了すると
「餌を食べているのはそんなに珍しいものなのか?」
と聞いてみることにしたのだった。
「うん。ダイオウグソクムシってね、基本的に飢餓に強くて場合によっては五年も何も食べないことがあるんだよ。自然界では生き物の死骸を食べているんだけど、そういつもそんなものがあるとは限らないから餌を食べるというのがそもそも珍しいの。それを見られたのは貴重だよ」
「さっきのフラミンゴといい今といい、今日は珍しいことだらけだな」
「うん。今日はすごく楽しいよ」
そう言った月乃の口元はにっと笑っていた。普段から表情が分からない月乃にとって口元の動きはその感情を知るのに欠かせないものだ。その物差したるそれが微笑んでいるので今は心底楽しいようだ。
「それにしたってさ、そんなに小食ならなんでこんなに大きくなれるんだ?」
「実はね、それは未だに解明されていないらしいよ。ある場所で飼育されていたダイオウグソクムシはそれこそ五年間も何も食べなかったんだけど生命維持には問題がなかったみたいだし、なんなら少し大きくなっていたとかなんとか。それから数ヶ月後には寿命で死んじゃって、それを解剖したらね、びっくりするものが出てきたんだって」
「それは?」
「未消化の小魚だよ。しかも結構な量」
「……ん? そのダイオウグソクムシは五年間何も食べていなくて、その後に仮に少し食べたとしても数か月間も残っているのはおかしくないか? それこそ、その時に食べたものがその結構な量とやらよりも少なかった場合は、五年前のものも胃に残っていたってことだろ? いったいどうなってんだ?」
「それが分からないんだよ。まさに謎に満ちた生き物なんだよね」
そんな奇妙な生物は今も同じ場所に留まり続けている。もちろん何かをしようという様子はみられず、とにかくじっとしていた。それを見ている静也は頭の中にハテナマークを浮かべながらそれを眺めていた。
「あ、歩いてる」
「えっ」
月乃が指を差した。そこではゆっくりではあるものの確かにダイオウグソクムシが歩いていた。そして動きを止めると、またそこで動かなくなった。もちろんその様子も月乃は動画に収めていた。
「これであとは泳いでいるところが見られればいいんだけど、そう簡単には見られないよね」
「泳ぐのか?」
「うん。その時は背面泳ぎをするんだけど、実は意外とすいすい泳ぐの。ネットの動画でしか見たことがないから実際に見てみたいんだよね」
「そっか。なんか知れば知るほど謎の生き物だな」
それから月乃はその場所にしばらくい続けて観察していたものの、結局その泳ぐ姿を確認することは出来なかった。
「今日はここまでかな。次に来た時に泳いでいるところを見られたらいいな」
「そうだな。そう言われたら俺も見てみたくなったよ」
「だったら次も一緒にこようね」
そう言った月乃は静也を見てにこっと笑った。
その後は閉園時間となったので二人はお土産を買って動物園を出た。
月乃はもちろんダイオウグソクムシのグッズを購入したのである。
「この後はどうするんだ?」
「動物園は終わりだけど、併設されている遊園地があるの。だからそっちに行くよ」
ということで遊園地の方に移動を開始した。
****
「夕陽が綺麗だな」
「そうだね。これだけは最後に乗りたかったんだ」
二人はそれから少し歩いたところにある遊園地の方に到着したものの、そこもまもなく閉園時間だったので一つだけアトラクションに乗ることにした。それは観覧車だった。
今日最後の客となった二人を乗せた観覧車が動き始めると、まもなく二人を頂上に連れていった。そこから眺める動物園や遊園地、そして地平線に見える夕陽が二人の瞳に美しく映っていた。
すると、静也と向き合って座っていた月乃が立ち上がって静也の隣に座った。
「どうした?」
「ううん。静也の隣に行きたかっただけだよ」
それから月乃は少しだけ躊躇を見せたものの、静也の手に自分の手を乗せた。
「月乃?」
「唯だって静也と腕を組んだりしたんだから、私もこれくらいはいいでしょ?」
「まぁいいけど。普段はこんなことをしてこないのに珍しいな。疲れたのか?」
「そんなんじゃないよ。ただ、今日はすごく楽しかったなって思って」
それから月乃はそのままこつんと静也の肩に自分の頭を倒し、その手を握る力が少し強くなった。
「ねぇ、静也。ヘッジス・スカルのこと、ありがとうね。私のために動くって言ってくれてすごく嬉しかったよ」
「あれはいいんだよ。俺がそうしたいって思ったんだから。むしろ俺のせいで他のみんなや、それこそ月乃を危険に晒すかもしれないから悪いかなって今頃になって思ってきているんだよ」
「そんなことないよ。確かに私の頭の中にあるヘッジス・スカルは強大で私の能力の根源でもあるよ? でもいつかはそんなものを取り去って普通の人として生きていきたいって思ってるの。だから、静也が助けてくれるって言ってくれて本当に嬉しかったの」
その時観覧車がゆっくりと下降し始め、その視線が少しずつ低くなっていった。
それを感じ取った月乃は少し残念そうな雰囲気を出した。
「前にも聞いたかもしれないけど、静也はさ、その……もしもこの先唯とか、それこそ能徒にあの時みたいに迫られたらどうするつもりなの?」
「どうするって?」
「えっと……それを受け入れるの?ってこと。この前は能徒にあんなことをしたけど、仮に何かあったとしても結局は静也が決めたことだっていうなら私も唯も何も言わないよ。むしろ静也の意思が本物なら尊重するつもりなの。だから、もしも今後誰かしらが静也に迫ったら、その時静也はどうするの?」
「そうだな……」
心無しか静也の手を握る月乃の手にはさらに力がこもっていた。そして静也には見えないものの、その長い前髪の奥には不安を孕んだ瞳があって、緊張とともに真っ直ぐと静也を見つめていた。
「もしあの二人が今後俺に迫ってきたとしても、それには答えられないかな。だって、今の俺には月乃の中にあるヘッジス・スカルをどうにかしたいって思いが強いし、それこそまた千取からの刺客が来るかもしれないだろ? それにも備えて強くならないといけないから、たとえ誰かからでもそれに応えてあげられないと思う」
それを聞いた月乃は少し安心したというか、ほっとしたように口元を緩めた。そしてその隠れた目も緊張を解いた。だがそれとともに少しだけ残念そうな雰囲気を出した。
「そっか。それが聞けたなら今日は満足だよ。最後に、静也はこれから先も私の隣にいてくれるよね?」
「それはもちろんだ。これからも一緒に遊んで、セブンスターズとして頑張っていこうな」
月乃は僅かに微笑んだ。
そうして観覧車が一周を終えると、二人だけの空間に終わりが訪れた。だが月乃は静也の手を握ったままだった。
「それじゃ、完全に日が落ちたしこっちも閉園だから今日は帰ろうか」
ということで二人は出口に向かって歩き始めた。
すると、その出口である光景を見つけてしまった。
「いってぇな! 怪我しちまったじゃねぇか。どうしてくれるんだよ!」
怒鳴る男とそれに困っている子供連れの女性だった。
その女性は怯え、子供はその影に隠れて震えてしまっていた。
「あのおっさん。あいつじゃねぇか? 来る時に電車で見たあの迷惑男」
「あぁ、そうだね。中年のおじさんがこんな所に一人で何しに来たんだろうね」
その男は電車で妊婦にいちゃもんを付けていた中年の男だった。彼はあの時の静也の忠告があったのにもかかわらず同じようなこと繰り返していたのだ。
「なぁ月乃。さっきは、また見つけた時に消せばいいよって言ってたよな?」
「うん、言ったね」
「なら、消すか?」
「うん。そうだね。多分あの人はもう半分くらいGreedになっているから、これ以上被害を出さないためにもここで消しておいた方がいいね」
「分かった」
そして静也がその男のところへ行くと、両者の間に入った。
「よぉ、おっさん。数時間ぶりだな。さっきの俺の言葉、聞いてなかったみたいだな?」
「お、おま……」
静也が赤い眼光を向けて言うと、その男の表情が引きつった。
その隙に月乃が子供連れの女性を逃がしてやった。
「さっきは逃がしてやったが、俺は忘れたわけじゃねぇからな。ということで、今回は駄目だ。ここで死のう」
「ふ、ふざけるな! ガキが、このオレに喧嘩を売る気か? オレは年長者だ。ガキが年長者にたてつくんじゃねぇよ!」
その時、男が静也に殴りかかった。だが、無論それを容易くかわした静也はカウンターとして男の顔面に拳を叩き込んだ。
直後、情けない声をあげて倒れた男はそれでも立ち上がった。その一発で鼻は折れて変な方向に向いていたが、男の目には怒りとほんのりとした邪悪な光が灯り始めていた。
「あーあ。やっぱりもう駄目みたいだね。様子を見て警察でもいいかなって思ったんだけど、手遅れみたいだ」
月乃がそう言うと、静也が男の始末しにかかった。だがそれを月乃が止めた。
「消すんだろ?」
「うん。でもこの状態じゃ衆目があってまずいよ。だから―…能徒」
と今はいないはずのその名前を呼んだ。するとどこからかその万能メイドが二人の横に降り立った。
「なんで能徒がこんなところに」
「まぁそれは後でね。能徒、見ていたなら分かるよね?」
「はい、結界を展開します」
いつものように抑揚の無い声で言ったメイドは、直後には周囲に他に誰も入れない結界を展開した。
「お待たせいたしました。では、無波様。続きをどうぞ」
「分かった。ありがとうな」
そして静也が瞳を真っ赤に発光させて男に一気に接近した。直後、その男は反撃をしようと拳を振り上げる。だが静也はその拳を腕ごと粉砕し、首に蹴りを入れると一瞬にしてその骨を折った。
鈍い音が響くとまもなくしてその男は地面に倒れて動かなくなった。
「終了だ」
「うん。やっぱり私が出るまでもなかったね」
「それで、どうして能徒がここにいるんだ?」
「はい。それは―……」
少し言いにくそうな能徒。だがそれを月乃がまるで知っていたかのように言った。
「唯から言われて来たんでしょ? どうせ私と同じで監視しておくようにとかそんな感じだよね?」
「……はい。主を疑うような命令を容認してしまい申し訳ございません」
「まぁいいよ。最初から気付いてたし」
「え、いつからいたんだ?」
「静也の家を出た時からだよ。あの時からもう監視されてたんだよ」
「よく気付いたな」
「まぁね。能徒とは長い付き合いだし、近くにいたら気配で分かるんだよ」
「もうなんか、それを聞くと月乃が俺の知っているただの地味な月乃じゃないみたいだな」
「むぅ。私をなんだと思ってるの?」
と月乃の口元がまたむっと強張った。そしてその後には様子を変えて能徒に言った。
「それじゃ、私達は帰るから今回もそれをお願いね。まさかとは思うけど、もうつけて来ないでしょ?」
「それはもちろんです。星見様は約束をお守りになりました。そう姉ヶ崎様には報告いたします」
「そう。まったく、唯も私を疑うなんてひどいことするね」
「月乃がそれを言ったらいけないと思うぞ」
「私はいいんだもん。セブンスターズのリーダーだもん。リーダー権限だもん」
そうしていまだに張られていた結界から二人だけが出て行くと、その後ろ姿を能徒が見送った。
*****
「今日は楽しかったね」
「そうだな。月乃があそこまでダイオウグソクムシが好きだったなんて知らなかったよ」
二人が自宅のある最寄り駅まで戻ってくると、その道中で月乃が満足そうに言った。その口元はほころんでいたので本当に楽しかったようだ。
「あ、私の荷物は静也の家に置いてあるんだったね」
「そうだぞ。だから一回俺の家に寄ってもらわないとな」
「だったら、今日はこのまま泊まっていこうかな」
「え?」
「明日からまた学校だし、朝また静也の家に起こしに行くのが面倒なの。だからこの際泊まったら楽なんだよね。パジャマもあるし」
「まぁそうだけど、知っての通りベッドは一つしかないから今朝みたいに一緒に入ったら絶対狭いからな?」
「うん。別に問題無いよ? それに一緒に寝たら温かいし静也も私の匂いを嗅ぎ放題だよ?」
「誤解を生むようなことを言うな」
月乃は、それがどうしたの?とでも言っているかのように首を傾げて言っていた。
それを見た静也は、これは何を言っても泊まることになるだろうと察してしぶしぶ了承したのだった。
もう少し歩いて静也の家に到着すると、中に入ってから静也はふと思ったことを聞いてみた。
「まさかとは思うが、あの時能徒に『もうつけて来ないでしょ』って聞いたのはこのためだったのか?」
そこで月乃の口角がにっと笑った。
「あれは、遊園地までの監視で私が約束を守っているって思ってくれたか確認したんだよ。それで案の定問題が無いって確信してくれたみたいだから、そこからはもう追ってこなくなったよ」
「あれ? でも観覧者で月乃が俺の隣に座った件は?」
「観覧車って個室だし、仮に私達の所から見える範囲にいたらバレちゃうよね? もちろん能徒はバレるわけにはいかなかったから乗らなかったんだよ」
「まさかそのために観覧車に乗ったのか」
また月乃の口角がにっと笑った。
そこで静也は思った。唯よりも月乃の方が何枚も上手であると。
「もう能徒の気配は無いよ。だから、これで本当に二人だけだね。―って言っても特にどうとかいうわけじゃないんだけどね」
「まぁそうだろうな。そもそも俺がセブンスターズに入る前からこうして二人でよくいたもんな」
それから二人は普通に夕食を食べて普通に過ごした。だが、寝る前になってずっと先送りしていた問題を考えることになったのだった。
「結局同じベッドで寝るのか?」
「もちろんだよ。どっちかが布団で寝るのは無しだからね?」
「どうしてそんなにそれにこだわるんだ?」
「だって、能徒が主の私よりも先に静也と寝たから。だから私もそれを体験する義務があるんだよ」
「今朝は既に俺のベッドにいただろ。それで体験出来ただろ?」
「それはそれ。これはこれだよ。ほら、明日は学校だからもう寝よう?」
そうして静也は月乃に押し込まれるようにしてベッドの壁側に行かされると、出口を塞がれるようにして月乃が外側に寝転がった。
布団が掛けられると、しばらくしてその中の熱気に月乃の香りが混ざり始めて静也の鼻腔をくすぐった。
静也はふと月乃の方を見た。するとそれに気が付いたのか、月乃の顔も静也に向けられた。
「ねぇ、静也」
「ん?」
「……寒い」
「ベッドが狭いせいで体が少し外に出てるんじゃないのか?」
「出てはないけど……あ、そうだ」
すると月乃は静也の方に寝返りをうったかと思うと、
「なにしてんだ?」
「こうすれば温かいよ」
腕を回し、脚も絡めて完全に密着したのだ。さも抱き枕のようになってしまった静也は、突然の出来事によって動けなくなってしまった。いや、もう既に動こうとしても動けなくなっていた。
月乃の華奢ではあるものの女の子らしく柔らかい体と、より距離が近くなったことでその甘い香りが一層静也の鼻腔、いや理性すらも刺激し始めた。
だが静也は特に何かをするでもなく、その落ち着きすらも感じる香りに包まれて次第に眠気が強くなっていった。
「……静也?」
少しして月乃がその名前を呼んだ。だがそれに反応は無かった。
「寝ちゃったね。今日はありがとうね、静也。これからも一緒にいてね」
それから月乃は、引き続き静也を抱きしめながらもその寝息を聞いているうちに自分も眠りに落ちていったのだった。
「おはよう、静也」
「……月乃」
静也が目を覚ますと、既に月乃が目を覚ましていた。そしてその寝起きの顔を黒く長い前髪の奥から見て口元をにこっとしていた。
「二回目の朝だね」
「そうだな。これで満足か?」
「うん。今回はね。静也と一緒に寝ると眠りが深くて目覚めもいいし、安眠効果があるって分かったよ。久しぶりに良く寝れてすっきりしたの」
「そうか」
「それにね、静也は寝ている時に私に抱き付いてきて体の色んなところをまさぐってたよ」
「……まじ?」
「多分嘘だよ。でも私も寝てたから本当のことは分からないね」
と月乃がいじらしく口角を上げた。
それから静也が起き上がろうとした時、月乃がその手を引いてベッドから出るのを阻止した。
「学校に遅れるぞ?」
「大丈夫だよ。まだ六時だから」
「そっか。大分早く目が覚めたんだな」
そうして静也が再びベッドの中に収まると、月乃が昨夜と同じように抱き付いてはしっかりとホールドした。
「あったかい、あったかい」
穏やかに言う月乃と、そんな月乃から香ってくる匂い。それを静也は感じとると何とも言えない落ち着きと、再びやってきた眠気によって二度寝に入ったのだった。
それはもちろん月乃も同じで、そのまま二人は再び寝息を立てたのだった。
******
「兄ぃ。静也兄ぃです」
あれからいつも通りのアラームで再び目を覚ました二人は、出発の準備を整えて登校を済ませた。そして週初めの授業を終えて放課後に生徒会室にやってきたのだった。
静也がその扉を開けた時、中にいた悟利が二人を見た。そして真っ先に静也のところにやってきた。
「どうした? そんなに心配そうな顔をして」
「わちだけじゃないです。愛枷も狩人兄ぃも心配してたです」
「別に僕は心配していない。生徒会の雰囲気が荒れるのが嫌なだけだ」
悟利の言葉に狩人が反応し、そこに静也が目を向けると自分のパソコンの画面に視線を戻した。
「狩人兄ぃは相変わらず素直じゃないです。静也兄ぃ、昨日と一昨日は大丈夫でしたですか?」
「悟利ちゃん。当事者のお姉さんと月乃ちゃんもいるのよぉ?」
と唯がその奥から言った。
だが悟利の目は静也から離れなかった。
「大丈夫だよ。私も唯も何もしていないよ。普通にお出かけをしただけだよ。ね? 能徒」
静也が何かを答える前に月乃が答えた。そしてその信憑性を示すように能徒に答えを託した。その時、唯は先日自分の命令で能徒を動かしたということが既に月乃にバレていると悟った。だからといって月乃も唯を監視するように言っていたので、それに関して二人がお互いに何かを言うでもなかった。
もちろんそれを察したのは能徒も同じだった。
「はい。星見様も姉ヶ崎様も普通に外出をされ、問題無くご帰宅されました。何もやましいことはありませんでした」
「そうなのですね。分かったです。良かったです。変なことを聞いてごめんなさいです」
直後、悟利がいつもの無邪気な笑顔に戻った。そしてもはや定位置でもある唯の隣に行くと、唯からお菓子を貰ったのだった。
そんな光景の中でいつもの自分の席に座っている愛枷もふと静也を見て、なにやら安心したのかのそっと視線を前に戻した。
「みんなひどいよ? 私と唯をなんだと思ってるの?」
「そうよぉ? お姉さんと月乃ちゃんはいたって普通に静也くんとおでかけしただけよぉ?」
と二人が膨れた。
「そりゃ、能徒にあんなことをしたんだ。それにあんな約束までしておいて今さら普通とは信じられないな」
「まぁ実際色々とあったけど、外出は普通だったんだ。ところで、その約束ってなんだったんだ? 俺は最後の最後まで知らされなかったんだが?」
「無波。お前はとぼけているのか? 二人の様子を見ていたら察しがつくだろう」
「いや、分からないから聞いているんだって」
そこで狩人が深いため息をついた。それとともに能徒も少し呆れているようなそんな雰囲気を発した。
「いいか? そもそも女子はな、男子と二人で出かけるなんてことはしないんだ。それこそ―」
「狩人」
その続きを言おうとした狩人に対して月乃が言葉を挟んだ。
「また、この前みたいになる?」
「そうよぉ? これ以上言うのは、お姉さんでも見過ごせないなぁ」
「……分かった。僕はもう何も言わない」
「それでいいよ。みんなも、もう何も言わないよね?」
その言葉に悟利も能徒も愛枷もみんな頷いた。
どうやらその約束は誰も聞かなかったものとして葬ることになったようだ。
「それじゃ、今日の生徒会活動を始めるよ。とりあえずみんなは自分の席に着こうか」
そうして月乃が最奥の生徒会長の席に座ると、全員が各々の席に座った。
どうやら本当にこれ以上の言及は受け付けない様子だ。
「週初めだし、校内での不審な行動とか、それこそ才木くんみたいにGreedになりそうな人はいた?」
「そのような人は生徒と教師含めいませんでした。それにそのような報告も受けておりません」
「わちもパトロールをしていましたが、上級生含めて問題がなかったです! 購買のおばちゃんも大丈夫だったです!」
と能徒と悟利が報告した。
そこからさらに議題が進んでいき、校内の備品やら今後の行事なんかも話し合っていった。そしてそれらの把握や、今後の予定を確認すると生徒会としての話し合いは終了した。
「それじゃ、次はセブンスターズとしてだね。能徒」
「はい、星見様」
まもなくして空気感が変わった月乃を前に、能徒が生徒会室に結界を張った。それが安定したのを確認すると、月乃が狩人に目を向けた。
「狩人。お願いしていたアレは出来た?」
「あぁ、どうにかな。今はその設定を終えて少しずつ流していっている状況だ」
「そう。ありがとう」
「アレってなんだ?」
と静也が質問した。
「前に話した、私の中にあるヘッジス・スカルが持つらしい固有の電波のことだよ。一昨日に静也と唯がお出かけをしている間に色々とデータを取ってくれたの」
「ほう」
「それでね、普通の人の脳波と比べて異なる点があってね、それを専門の機関に送ってくれたんだ」
「そうだ。星見の言うとおりお前が出かけている間に色々と調べを進めていたんだ。それで、ついさっきその結果が来たからそれを元に似た特徴を持つ電波を作って公共の電波に混ぜて流しているんだ」
セブンスターズは千取が全十三個あるクリスタルスカルを全て集め終える前に自分達でもそれらを探すことにした。その在処の手がかりとして現在も月乃の頭の中にあるヘッジス・スカルが放つ固有の電波を利用し、その共鳴や異変を察知した所へ赴いて捜索をするという手段をとることにしたのだ。
だが実際に月乃本人に各地をねり歩いてもらうわけにはいかないので、そのサンプルとなる電波を調べて作りだし、公共の電波に混ぜて各地に流す手段をとった。ちなみに、その電波により各種電気機器に異変をもたらすかというのは、現在も月乃がこの場所で普通に生活をし、周囲に問題を生じさせていないという点から否定されている。
「そうか。ちなみに、月乃に変なことはしていないだろうな? それこそ頭を割ったりとか」
静也が多少の威圧を込めて狩人に問いかけた。
「もちろんだ。僕はあの時の約束を破っていない。証拠として、お前が星見と出かけた時にはその採取は終わっていたわけだが、いつも通りの地味さ加減だっただろう?」
「確かに。それはそうだ。でも一部その地味さに拍車がかかっていたような気がしないでもないが、それはいいだろう。地味であるなら許す」
「やっぱり二人ともひどいよ?」
月乃がむっと頬を膨らませた。
「それで、収穫はあったのか?」
「さっき流したばかりだ。そう簡単に結果が出るものではない」
狩人の机に置いてあるパソコンの画面には、なにやら深海のソナーのような画面が表示されていた。そしてそれは定期的に更新されて異変の有無を知らせていた。
もちろん今は何も異常は無かった。
「狩人くん。お姉さん思ったんだけど、これで千取さんが持っているクリスタルスカルの在処を特定出来るんじゃない? そうすれば私達で逆に取りに行けば優位に立てるわよ?」
「唯姉ぇの言う通りです。形勢逆転というやつです!」
「まぁ、そうだな。千取がそんな機密性の低い場所に保管していれば、これで特定出来るだろう。だが、もしも僕が千取なら万一のことを考えて秘匿性の高い、それこそどんな電波からでも影響を受けない場所に保管する。アイツも馬鹿じゃない。間違いなくそんなことをしているだろう」
「そうねぇ。確かにお姉さんでもそうするわねぇ」
唯と悟利は少し残念そうな顔になった。
そこで月乃が純粋な疑問を投げかけた。
「ちなみにその電波って、日本各地を巡るのにどれくらいかかるの?」
「すぐにとはいかないな。前に話したとおり、この手のことは法としては黒に近いグレーなんだ。だから特別な許可を取ってやっているわけだが、それでも主な電波を邪魔しないように可能な限りのスピードで流してはいる。そうだな。一都六県の範囲までなら二十四時間くらいだと思う。日本全国ともなると早く見積もっても大体一週間くらいかかるかもしれないな」
「そっか」
「もしその範囲で反応があれば音を出してくれるように設定しておいたし、その記録は残るようにしてある。だから万が一にでも見逃すなんてことはないだろう。それに、何かが分かれば先にそっちを探しつつも継続して電波を流し続けていられる。だからここからは現地と電波での捜索との同時進行でいけるはずだ」
誰もがこの結果については早く欲しい。だが現状としてこれが精一杯のようなので今は耐えるしかないようだ。
「まぁ、こればかりは仕方ないね。反応があるまでは私達はいつも通りGreedからみんなを守りつつ、やれることをやって待つしかないね」
「そうだな。そもそもセブンスターズはGreedの殲滅とみんなの平和を守ることが目的だしな。万一また千取とか、その刺客が来たら月乃を守りつつ追い返してやるからさ」
「静也…」
月乃の口元がにこっとほころんだ。
「静也くん。お姉さんは? お姉さんのことは守ってくれないの?」
「もちろん唯もだ。みんなは俺が守ってみせるから」
唯も嬉しそうに微笑んだ。そして静也の腕を取ろうとした時、その間に月乃が入って阻止した。
「僕はいい。自分の身は自分で守る」
「そうか。それじゃ金錠が死にそうになっても他のみんなは撤退するからな」
「それは助けろ」
「狩人兄ぃは相変わらず素直じゃないです。わちも守ってくれて嬉しいです!」
複雑な顔をする狩人とは対照的に悟利と能徒もどこか嬉しそうにしていた。
愛枷はというと、前髪の奥から僅かに見せた蒼い瞳を静也に向けて少しだけ微笑んでいた。
「愛枷が微笑んだです。珍しいことです!」
「そうなのか?」
「はいです。狂気的に笑うことはあっても微笑むことはそうそうないのです!」
「あ………これは……」
すると愛枷は目線を逸らして下を向くと、長い前髪で顔を隠してしまった。それから恥ずかしいのかもじもじとしていた。
その時、静也がいじらしい顔になって愛枷に近付いた。だがそうする前に
「どうした? 月乃?」
「愛枷に悪戯しちゃ駄目だよ?」
と月乃が静也の腕を引いて止めたのだ。
なぜバレたんだろうと不思議に思った静也は、しぶしぶ諦めることにしたのだった。
その時、校内に今日最後のチャイムが鳴って最終下校時刻を知らせた。
「それじゃ、今日は帰ろうか」
月乃の一声によってその日は解散となった。
それから全員で帰路を歩いていると、最後はやはり月乃と静也と能徒が残った。
「能徒。静也の家に預けてたものがあって、私はそれを取ってから帰るから今日は先に帰ってていいよ」
「承知しました。では、私はこれにて失礼いたします。お二人もどうかお気をつけて」
そうして能徒が綺麗に一礼をすると二人と別れて帰っていった。
「そういえば荷物が置いたままだったな」
「うん。だから取りに行くよ。それでまた泊まっていくよ」
「取って帰るんじゃないのか?」
「そうだよ? でもすぐに帰るなんて言ってないよ?」
あぁ、能徒もこの言葉の綾で騙されて帰ったんだな。
そう思った静也に対して月乃はにこっと笑っていた。
「でもまた同じしいたけパジャマを着るんだよな? 着てくれるんだよな?」
「着てほしいの? 二回着たからさすがに変な臭いがすると思うよ?」
「前は一週間も同じしいたけパジャマだっただろ? 大丈夫だ、問題ない」
「そう言ってまた嗅ぐ気でしょ?」
「なら、泊めてやらないぞ?」
「むぅ……」
月乃が少し考える素振りを見せると
「仕方ないね。本当は静也のパジャマを借りようと思ったんだけど、背に腹は代えられないってやつだね。でも今回は本当に変な臭いがするかもよ?」
「大丈夫だ、問題ない」
「何を言ってもそれで返すつもりなんだね」
そうして二人が静也の家に到着すると、家にあるもので適当に食事を済ませた。そしてシャワーを終えた月乃の姿はほかほかして温かそうだった。それでも両目は前髪で隠されたままだった。
「時間も時間だし、今日もこのまま寝ようか」
「そうだな。やっぱり同じベッドで寝るんだな?」
「うん」
月乃が、何か問題でも?という様子だったので、静也はこれ以上の追求はやめた。そして位置は昨日と同じく静也が奥で月乃が手前である。
ベッドに入った時、昨日よりも濃い月乃の香りが静也の鼻腔をくすぐった。
「静也」
「ん?」
「静也がセブンスターズに入ってからそれなりに経つけど、どう? 慣れた?」
「まぁな。色々なことがあったけど安心して過ごせる場所だって思ってるよ」
「良かった。これからもね、もちろん何も気にしなくていいし、それこそテスト前の時みたいに自分の実力を変に隠したり、わざと普通を装わなくていいんだからね。生徒会は、セブンスターズはみんなの居場所だし、そこで軽蔑したり、静也から離れていったりしないんだから」
「そっか。ありがとうな。月乃」
静也は少しだけ過去のことを思い出した。だが次の瞬間には、せめて仲間達をといる時くらいは自分に正直でいようと決心したのだった。
みんなの居場所。
いままでの静也には月乃くらいしか友人はいなかったし、それこそセブンスターズの一員になってからはそこが自分の居場所だと思えるくらいに友人が一気に増えた。
だからこそ静也は思った。
何があってもみんなを守ってやりたいと。
「静也」
「ん?」
「やっぱり着替えていい? やっぱり変な臭いがするかもって思ったら落ち着かなくて」
「大丈夫だ、問題ない。いい匂いだ」
静也が同じように返すと、月乃はいい加減呆れたのか諦めたのかそのままでいることにした。そして昨日と同じように静也を抱き枕のようにして抱きついた。静也もまたその落ち着きのある匂いを間近に感じて眠りに落ちていった。
「静也? ……もう寝ちゃった。私の匂いがそんなに落ち着くのかなぁ…」
そうして月乃もそのまま眠りについたのだった。
******
誰もいない真夜中の生徒会室。
そこで狩人のパソコンが突如音を発した。
それは件のヘッジス・スカルの電波による反応だった。そしてそれがデータとして記録されると、再び電波を発して捜索を再開したのだった。




