イッキ読み 第1話 始まりの日
―プロローグー
見られた。
彼は今まさに狂気の刃を標的の心臓へ突き立てようとしていた。
しかし、突如後ろから聞こえてきた声に意識を支配され、その刃は彼の頭上に留まった。
彼はここに来るまで、至るまで細心の注意を払った。
今回も、前回も、前々回も。
標的を仕留める時は周囲に人が絶対にいない事を確認してから行う。
場所もそうだ。もしも大きな音や標的が助けを呼ぶ声が響いたとしても、絶対に誰も来る事が出来ない場所を選んでいる。
誰も来ない、標的以外に気付かれない、尻尾を掴まれないという事の徹底。
それらは彼の絶対の掟なのだ。
にも関わらず、彼は今まさにその人に後ろから見られていた。
声をかけられるまでは全く気が付かなかった。
もちろん、そんなヘマをする人ではないのは自分がよく分かっていた。
しかしこうして見られてしまったからにはやるべきことはもう決まっている。
馬乗りにされた状態の標的は動揺している彼を見ると、この隙にどうにか逃げ出そうと必死に体を動かした。
「お前は後だ。少し待ってろ」
直後、彼は眼下の標的へ鋭い眼光を向け、逃げられないようにアキレス腱を切った。
「ああああああああああああッ!」
彼は激痛に悶え苦しむ標的を既に肉塊となってしまっているもう一人の隣へ蹴り転がした。
そして顔を見られないようにと、声をかけてきたその人に背中を向けたまま口を開いた。
「さて、誰だか知らないけど、いけないなぁ。こんな夜に出歩いてちゃ」
「あなたもいけないね。そんな人は私と一緒に来てもらうよ」
穏やかで物怖じしていない淡々とした声だった。しかもこの場所によく通る澄んだ声質だ。
「女か…… 女如きがこの俺を捕まえられるかよッ!」
次の瞬間、彼は身を翻して彼女に向けて勢いよく地面を蹴った。
「現実見ようぜェ! 女ァ! お前はここで死ぬ。俺は捕まらねぇ!」
見られちまった以上は殺すのが一番早い。
彼は体勢を低くし、彼女の足の位置を頼りにさらに加速する。
逃げようものなら予備動作として必ず足に動きが見られるからだ。
顔を見ずに飛び出した理由は単純だ。殺す奴の顔なんて見ても見なくても変わらないからだ。
どうせ死ぬ。死んだらただの肉だ。
首を掻っ切って一瞬で殺してやる。
それが一番早く、リスクも低い。
低姿勢のまま猛スピードで突っ込む彼を前に彼女は一切動く事が出来なかった。
はずだった。
「!?」
ところが彼が目と鼻の先の場所まで到達すると、なんと彼女は彼と目線が合うように急にしゃがんだのだ。
そして彼は彼女の顔を否応なしに視界に捉える事となった。
「―ッ!?」
直後時が止まったような感覚に襲われた。
彼の瞳にはここにいるはずのない人が映り、次の瞬間には嘘だと言わんばかりに目を逸らしてしまった。
それにより彼の動きも一瞬止まった。
「現実、見ようねぇ……」
冷静に放たれた言葉の直後、彼女の瞳の中に五芒星が煌めき、そこで彼の意識は途絶えた。
―第1話 始まりの日―
「静也。起きて」
少女がベッドで眠っている彼を揺り動かす。
声は大きいとも小さいとも言えない普通の声量である。
机に置かれた時計はまもなく午前八時を過ぎようとしていた。
「学校。遅れるよ」
その声に反応したわけではないが、彼、静也は彼女に背を向けるように寝返りを打った。
彼女は流石にまずいと思ったのか部屋のカーテンを開け放ち、窓も一気に開放した。
今日は不運な事に朝から強風が吹き荒れていた。
それが今まさに二箇所ある窓から入り、室内を蹂躙しながらそれぞれの窓へ吹き抜けていく。
「寒っ」
風下に位置するベッドからようやく静也が起き上がり、すぐさま窓を閉めた。
「おはよう。静也。いい朝だね」
「あぁ……月乃か。大自然の猛威を感じる素晴らしい目覚めだよ。何か用か?」
起床後直ぐに体を動かした。
いや、動かさざるを得なかった静也は完全に目を覚まし、目の前に佇む彼女、月乃に目を向けた。
「あぁ、学校か。やべやべ遅刻だ」
ブレザーにスカート、リボンを付けたその姿を見るやいなや状況を理解して大急ぎで準備を始めた。
「私もいるんだけど。脱ぐなら少しは遠慮を……」
「ん? いいんだよ。月乃だし。幼馴染みだし。昔は気にせず着替えてただろ?」
「あれはまだ幼稚園。今は高校生。そろそろ分別をね……」
「よし、準備出来た。行こうぜ。遅刻しちまう」
月乃が色々と物申している間に着替えと持ち物の準備を終えた静也は、揚々と月乃の手を引いて家を出た。
「風強いな。目が開けられないや」
「目無いでしょ?」
「細いけどあるからね? それを言ったら月乃だって目無いだろ?」
「あるよ? 前髪で隠れてるだけだよ。ほら」
月乃は両目を完全に隠すほどに長い前髪をすっと上げ、自分の目の存在を主張する。
その瞳はとても美しく、一切くすみの無い黒曜石のように澄んでいた。そしてその丸くて凛々しい両目は静也を見ていた。
「うん。可愛い」
「すぐそう言う。私この目はあまり好きじゃないんだよね。丸いし子供みたいで。もう高校生だから、そろそろキリッとした大人の女性になりたいの」
月乃は前髪を戻すが、風のせいですぐになびいてしまうので手で押さえた。
「お、今日も目無し地味コンビか。仲いいね」
二人の横を自転車で過ぎ去るクラスメイト。
「こうやってすぐからかわれるし。困ったものだよ。私がもっと大人らしくなれば静也も目無しの地味なんて言われないのに」
口元をむっとしつつ頬を少し膨らませて困っている様子の月乃。
「大人らしくってのは別として、俺は全然気にしないけどな。持って生まれたものは今更変えられないし、それに俺は月乃とコンビって認識でいられるのは悪い気はしないし。月乃がどうしても困るってんなら、どうにかするけど?」
「どうにもしなくていいよ。それに、校内での喧嘩は駄目だよ? 校則は守らなきゃ」
「流石は生徒会長」
「まぁ静也が気にしないならいいけど。あとね、この目は出したくないから仕方ないとして、地味って言われるのも複雑なんだよね」
月乃はそう言うが、第三者から見ても二人は確かに地味である。
いたって普通の、それこそ特徴が無ければ飾り気の無い黒髪と平均的な身長且つ平均的体型の男子、無波静也。
片やこちらも両目隠れの長い前髪に、黒髪ショートボブヘア以外に特徴の無い女子、星見月乃。
強いて他の特徴を言うならば、静也は制服のネクタイをしっかりと上まで締めてブレザーのボタンも全てきっちりと締めている。
月乃もまたスカートが校則に違反しないように膝が隠れるくらいでしっかりと穿き、リボンも緩みなく着けている。
高校二年生で制服を一切乱さずに着ているのはもはや珍しく、幸か不幸か特徴らしい特徴をどうにか得てしまっているのだ。
「そんなに嫌なら思いきってイメチェンをするのは?」
「それは嫌だよ。急に変わったらみんなびっくりするし、これでも生徒会長だし」
「それならそのままでいいんじゃないか? もし誰かが月乃を地味だと馬鹿にするなら俺がどうにかするからさ」
「だからどうにもしなくていいって」
そうこう話している間に校門をくぐり、授業が始まる前に席に着くことが出来たのだった。
***
「静也。一緒にご飯たべー…」
昼休み。
月乃はいつものようにお手製の弁当を持って静也の所へ行った。しかし、その目の前まで来たところで前のめりに豪快に転んでしまった。
「大丈夫か? 怪我は無いか?」
「うん、平気。ご飯もどうにか」
静也はすぐさまかけより、月乃に手を差し伸べた。
「あぁ。生徒会長。地味過ぎて見えなかったわ。目が無くてつい」
「おいおい。目が無いのはそいつらだろ?」
「そうだったわ。俺ってばつい」
同じクラスの不良二人、大川と堀が静也と月乃に突っかかる。
「お前ら。今月乃に何したか分かってんのか?」
「あぁ? 見えなかったんだよ。わざとじゃないからセーフだろ?」
「わざとじゃなきゃ何してもいいってのか? 怪我するところだったんだぞ」
「怪我してねぇじゃん。怪我したらそん時はそん時。つーか、毎回毎回お前はなんなんだよ。俺らが邪魔なのか? こいつら生徒会連中みてぇに俺のやる事にいちいち文句言いやがってよ」
掘の顔に怒りが浮かび始める。
二人は以前に校内で迷惑動画を撮って騒いでいたところ、生徒会に見つかり厳罰を与えられたのだ。
静也はそんなことを思い出しつつも、言うと面倒そうなのであえて言わなかった。
「俺は普通に過ごしたいだけなんだよ。普通に勉強して、普通に飯食って、普通に帰る。それだけなんだよ。もちろん、普通で地味で地味な月乃とな。だから普通じゃないお前らは邪魔なんだ」
「静也、少し酷い……」
月乃がぼそっと呟くも、静也の耳には届いていない。
「そうだったなぁ! お前は何もかも普通。平均の中の平均。何をやらしても人並。そんなつまらねぇ奴が楽しい事をしようとしてる俺らの邪魔すんじゃねぇよ。邪魔なのはお前だ。いい加減ぶち殺すぞ!」
掘の隣にいた大川も加勢し、二対一の状態になった。
しかし静也は一歩も引かず、恐れている様子も一切見せない。
「やれるもんならー…」
「ちょっと待った待った~!」
売り言葉に買い言葉。静也が言葉を返そうとした直前、どこからかとても元気の良い声が響き、両者の間に入った。
「なんだこのちっこいのは。ガキは引っ込んでろ!」
堀は目線をだいぶ下に下ろし、そこにいた女子生徒を睨みつけた。
「ちっこくないです! まだ成長途中なんです!」
恐らく身長は150、いや、もしかしたら140cmすらないかもしれない。
そんな超小柄な彼女はだぼだぼの制服を揺らしながら大川と堀、そして俺に物申す。
「校内での喧嘩はよくありません。守らないのでしたら、わち達生徒会が処罰を与えるです!」
「生徒会? こんなちんちくりんいたか?」
「いや、いねぇな」
「ガキ。ここは高校だ。とっとと小学校に戻れ」
「小学生じゃありません! この緑のリボンが見えますか? わちはここの生徒会書記の小牧悟利です!」
緑色のリボンは一年生の証拠だ。
月乃は青いリボン、静也は青い校章を付けているので、二人から見れば一つ後輩である。
ちなみに三年生は赤色だ。
「あぁ? さとり? 小五ロリでさとりか? ピッタリの名前じゃねぇか」
「ロリじゃないです!」
馬鹿にしたようにけらけらと笑い始める二人。
「あれ? 悟利ちゃん。こんな所にいたのね。そろそろ生徒会室に集まる時間よぉ?」
「あっ! 唯姉ぇ。この人達が喧嘩をするのを止めてたです」
「あらあら。大変ねぇ」
そう言って教室に入って来たのは、校内では有名な生徒会副会長の姉ヶ崎唯である。
程よく肉付きのあるスタイルは出るところは出ていて、締まるべきところは締まっている。柔らかい物腰に全身から溢れる色気と女性特有の柔和な雰囲気。さらには穏やかな口調と垂れた優しい瞳からは母性のようなものすらも感じる。そんな彼女は男子や男性職員からも大人気の生徒だ。
「それで、原因はなぁに? お姉さんが聞いてあげるね」
「唯。ここにいたのか」
「唯……ちゃん。きひひ……」
「姉ヶ崎様、小牧様。それに星見様までご一緒とは」
「あらら。全員集合しちゃったですね」
生徒会会計の金錠狩人、企画の深見愛枷、総務の能徒叶が順々にこの二年一組に集まってきた。
「……興ざめだ。行こうぜ」
ぞろぞろと入ってきた校内の有名人達を前に堀と大川は舌打ちをして教室を去っていった。
「月乃ちゃん。怪我はない?」
「うん。静也がいてくれたから」
「あらあら。あなたが静也くんね。副会長の姉ヶ崎です。初めましてだけど、今日は時間が無いからまた今度ねぇ」
「はぁ……」
朗らかに微笑む姉ヶ崎は面々を連れて教室から出て行ってしまった。
「ところで、姉ヶ崎が生徒会室に集まるとかなんとか言ってたけど、月乃は行かなくて大丈夫なのか?」
「あ……」
「生徒会長……」
「ごめんね。行ってくるね。さっきはありがとうね」
その事を完全に忘れていた様子の月乃は、弁当を持ったまま彼女達の後を追って行った。
それから午後の授業も何事も無く終わり、静也は月乃と一緒に帰路についていた。
「今日返ってきた確認テストどうだった?」
「あぁあれか。69点。平均点だな」
「やっぱり。本当は満点出せるのに、あえて平均点を出すなんて凄いのか凄くないのか」
「まぁいいんだよ。俺は普通で平均の男だから。波風立てず、可もなく不可も無く。これが俺のポリシーだよ」
「でも私の事になるとすぐに頭に血がのぼるよね」
「それは別」
事実、静也は中学生以来ずっとこうだ。
テストをやれば全教科平均点で順位も真ん中。運動やその他全てにおいてどれも人並の結果を出す。優劣に関わるものは何においても全て意図的に平均点を出しているのだ。
それは全国模試や高校受験においても例外ではない。
「たまには一位を獲ってもいいんじゃない?」
「いや、俺はいいや。何かと面倒だし、俺にとって一位は不名誉な称号だし」
「理由、私にも教えてくれないよね? 昔に何かあったの?」
「……なんでもないよ。でもやらなきゃいけない時はしっかりやる。やらなくてもいい時は人並で。それで十分だから」
静也は遠い目をしていた。
まるで辛い過去を見ているかのような、そんな悲しい目だった。
もう少し歩くと分かれ道となり、一方は静也の家でもう一方は月乃の家の方に伸びている。
「それじゃ、今日はありがとうね。怒ってくれて」
「月乃のためなら当然だ。あの場でどうにかしても良かったんだけど、生徒会の人が来ちまったから何も出来なかったけどな」
「どうもしなくていいって。でもどうして私にはそこまでしてくれるの? 他の人に何かあっても何もしないのに」
「そりゃ月乃は俺がこっちに越してくる時に一緒に来てくれたからな。高校進学で地元を出るのは少し寂しかったんだ。他の人とはわけが違う」
静也と月乃は中学生までは地方にいた。
当時静也は都内の星条院高校に推薦入学が決まり、月乃は心配だからと別で推薦を取っていた私立高校を辞退して一般入試により同じ高校に進むことを決めたのだ。
だから今は二人とも親元を離れて一人暮らしである。
それでいて、月乃は今日みたいに毎朝静也の家に迎えに行って登下校を一緒にしている。特に付き合っているわけではないが、それが入学以降ずっと続いているのだ。
「そっか。目が無いのに私の事はよく見てくれているんだね」
「目は細いだけだ。月乃も目が無いのに俺の事をよく見ているだろ」
「それは私がしっかり見ていないと静也は何をしでかすか分からないし」
「俺は子供じゃねぇぞ」
日が大分陰り、街灯も点き始めた。
「そろそろ帰るか。それじゃまた明日な」
「うん。そう言えばここ最近変な事件が起きてるみたいだから気を付けてね」
「変な事件?」
「通り魔っていうのかな。人気の無い所で人が殺されているんだって。しかも活発気質の学生ばかりを狙ってるって。ウチの学校の人も狙われて殺されちゃったみたいで」
「活発か。なら俺は当てはまらないな。普通の人だし。でも月乃は生徒会長だから活発に見えて狙われるかもな」
「怖いよ?」
「冗談。月乃みたいな地味で普通の子は誰も狙わないって」
「それも酷いよ?」
「はは。でも大丈夫。大声を出してくれたら俺がすぐに駆けつけてやるからさ」
「ありがとう。それじゃまたね」
それから二人は手を振りお互いの家に帰宅した。
「通り魔…か………」
静也は帰宅後そう呟いた。
その声は真っ暗な空間の中に消えていくが、静也の心には残り続けた。
「―…ッ!? またか……」
静也は時々変な動悸を起こすことがある。
そしてその鼓動は心臓に留まらず、次第に全身へと広がっていき、最終的には全ての細胞が脈動しているような感覚に陥る。
医者に行ったりもしたが、健康状態に問題は見られず成長期特有のものとして結論付けられた。そしてこの状態になってしまった後に訪れるのは、とある衝動と何人かの人の顔。
「大川と……堀……か」
今回は昼間に月乃にちょっかいを出したあの二人の顔が浮かんだ。
衝動とは言っても自我を保てなくなる程ではない。だがそれでも何かしたい。そんな獣のような衝動が心に生まれるのだ。
「月乃。俺は通り魔に殺されない。殺される事はありえないんだ。俺も月乃も。絶対にな」
太陽が完全に沈み、月明かりが差し込む部屋で静也は大きく目を開いた。
赤き瞳が闇の中で妖しく発光する。
まもなくして全身黒の服に着替えを済ませると、身支度を整えて静かに家を出た。
*****
少し前。
昼休みの件の後、大川と堀は午後の授業をさぼって屋上の一角でタバコをふかしていた。
「あーーッ! クソ腹立つ! なんなんだアイツは!」
「まぁそう荒れんなって」
感情を露わに激しい怒りを見せる大川に堀は少し冷静に言った。
「お前はあれで何とも思わねぇのかよ? 生徒会だからって調子に乗りやがって。あの無波も気に入らねぇ。女の前だからってカッコつけやがってよ!」
「何とも思わねぇわけがねぇだろ。だからもう次の手を打ってあんだよ」
「ほう。手が早いじゃねぇか。どんなだ?」
堀は今吸っているタバコを地面に捨てて次の一本に火を点けた。
お前も吸うか?と堀にも渡し、二本分の煙が空へ消えていく。
「ここでやったから駄目だったんだ。学校から離れた人のいねぇ所でヤキを入れる」
「いいじゃねぇか。そういうの好きだぜ。でもよ、二人とも呼んだらまた面倒そうだぜ?」
「問題無い。星見だけ呼び出してある。アイツの下駄箱に無波の名前で一枚入れた。アイツもアイツで無波からの誘いなら断らねぇだろ」
「それもそうだな。来たら俺らで一気にシメて終わりか?」
「それじゃつまらねぇ。どうせなら一発ヤッて無波に送りつけてやる。大事な女が壊される様を見せてやんなきゃな」
「最高じゃねぇか。やっぱお前は天才だな」
堀は不敵な笑みを浮かべてタバコを踏み消した。
「そういう事だから、お前も手伝え。最高の舞台には最高の準備がいる」
「へへ。当たり前だ。こんな楽しそうなこと、お前一人でさせねぇよ」
二人は屋上を出るとそのまま学校から抜け出した。
午後の二つある授業の内の一つが終わった。
月乃が悪戯をされるのではないかと気を張っていた静也は、月乃が必ず触れるだろう箇所を確認していた。
昇降口に差し掛かると、月乃の下駄箱に入れられていた一枚の手紙を発見した。
―放課後二人で話したいことがあるから、誰にも言わずに二十時に河辺の空き家に来てほしい。無波静也―
「何かしてくると思ったが、この手できたか。まぁいい」
静也はその手紙をポケットにしまい、他に何も無いかを入念に調べてから教室に戻った。
そして放課後、静也は何事も無かったかのように今日も月乃と一緒に校門を出たのだった。
その夜。静也は人気の無い道を駆ける。
時刻は十九時過ぎ。
仕事帰りのサラリーマンだったり部活や塾帰りの学生が家路に着いている時間だ。
そんな中静也は誰にも見られないように裏路地を上手く使い、細心の注意を払って進み続ける。
足音も自分のものしかしない。そんな静かな道を選んではひたすらに走る。
ようやく目的地が見える位置に到着した。
それを目に捉えると、にやぁと不気味に口角を上げた。
これからやる事は他の人には決して見られてはいけない。
それゆえに何度も周囲を見渡して、あらためて誰もいないことを確認すると再び走りだした。
******
「準備出来た。あとは奴が来るのを待つだけだな」
「あぁそうだな」
空き家では大川と堀が報復の準備を終わらせていた。
凶器を持ち込み、元々置いてあったソファーが映るように自らのスマホをセットしていた。
「楽しみだぜ。この手で星見を汚せる。アイツにも報復が出来る。弱みも握れる。完璧だ」
恍惚とした表情を浮かべ高鳴る心臓の鼓動とともに全身が脈打っている大川。
それ対して堀はやはり少しだけ冷静だった。でも彼も似たように汚れた欲望をその顔に露わにしていた。
その時、少し離れた扉の方から足音が鳴った。
「来たようだな」
「あぁ。さぁ、入ってこい。思いきり可愛がってやるからよォ……」
呼吸が荒く、よだれを垂らしてそこを見る大川の獣のような顔は人間よりも犯罪者のそれに近かった。
ついに扉がぎぃぃと音を立てて開いた。
しかしそこにいたのは、彼らにとって予想外の人物だった。
「こんばんは。お二人さん。誘われたから来てみたよ」
「その声っ! 無波。どうしてここに?」
「星見はどうしたァ?」
「月乃? あぁ、月乃はここには来ないよ。この手紙、お前らだな? 俺の女にふざけた真似しやがって」
静也はいつもの雰囲気とはうって変わり絶対的な特徴であった糸目を完全に見開き、その獰猛な双眸で二人を捉えていた。
その瞳は赤く妖しく光り、全身からは殺気と妖気が混ざった禍々しいオーラが放たれていた。
それから周囲を見渡した静也は、二人がここで何をしようとしていたのかを理解した。
「……なるほど。とことんクズ野郎だな」
「うるせェ! アイツが来ないってんなら、お前をシメるだけだァ! さァ! 俺らの邪魔をした事、後悔させてやるぜェェ!」
「待て! 大川!」
堀は静也の尋常ならざる雰囲気を前に畏怖という冷たいものを感じていた。
そんな彼の言葉を無視して飛び出していく大川が静也のすぐ近くまでたどり着いた途端、静也から恐ろしいまでのさらなる殺気が放たれ、大川はおろかこの空間全てを一瞬にして支配した。
「………っ…?」
まるで重力が何倍にもなったかのような感覚が二人を襲った。
掘は言葉を失い、威勢が良かった大川の動きは完全に停止した。
そして
「後悔? 後悔するのはお前らだ。そうだろう?」
静也は持っていたナイフを抜き、静かに大川の腹に深く刺した。
そしてそれを根本まで入れると、グリンと刃の部分が上になるように抉りながら回転させて頭の方へ一気に切り上げた。
声を上げることもなく上半身を縦に切り開かれた大川は、鮮血を撒き散らしてぐしゃりとその場に崩れた。
その返り血が静也の全身に付着するが、黒い服を着ているので顔に付いた分しか分からない。だがそれはべっとりと顔を赤く染めていた。
にぃっと笑った静也は足元の物言わぬ肉塊となった大川をゴミのように蹴りどかし、堀の方へゆっくりと歩き始めた。
「せっかくカメラもあるんだしさ、そこのソファーの上でショーでもしようか。お前らがやろうとしてたみたいにね。そうだな、堀の解体ショーはどうだろう? バえるだろ?」
「ひっ……」
たった今目の前で人が壮絶に死んだ。
掘はそんな衝撃的な光景を目の当たりにして完全に怖気づいてしまった。しかしこの何もしなければ自分も同じ目に遭うと確信すると、震える体を強引に動かして静也の顔面を殴った。
堀はメリケンサックを握っていた。その鉄が静也の額に当たった直後、この場に鈍い音が響いた。
「おいおい。そんなんで俺をやるつもりだったのか? 堀ぃ?」
「ひっ……そんな……」
「そんな? その程度なんも感じねぇんだわ」
次の瞬間、静也はまだ自分の額にあった堀の手を掴むと曲がってはいけない方向へ一気に捻じ曲げた。
手首や肘関節からは鈍い音が鳴り、途端に堀は悲痛な叫び声をあげて強引に離れた。
「手がぁぁッ! 俺の手がぁぁぁッッ!」
他に誰もいない空き家に痛々しい声が響くも、もちろん周囲には人気すらも無いので誰も助けに来なかった。
堀は完全に戦意を喪失するとともに、さっきまでの威勢は完全に無くなっていた。そして今となっては逃げることしか考えていない様子だった。
静也はひたひたと一歩、また一歩とそんな堀に近付いていった。その途中で設置してあったスマホの録画モードをオンにした。
「ま、待て……待ってくれ。俺達の負けだ。もう二度とお前らにちょっかいを出さない。だから…だから……っ!」
「負け? 俺は競っているわけじゃないんだ。俺の普通を、月乃を傷つけたゴミを排除しようとしているだけだ。あぁ、お前ら風に言うなら人をわざと殺そうとしていない。ゴミを排除するだけだからセーフだ。怪我したらそん時はそん時。だったな」
「ひっ……!」
ついに堀は静也に背を向けて逃げ出した。だが踵を返した直後、地面に豪快に倒れてしまった。なぜなら膝の裏にナイフが突き刺さっていたのだ。
その激痛にのたうち回っていると、その顔の真横に静也の足が下された。次の瞬間には堀の顔が真っ青に変わった。
「さぁこっちだ。お前が月乃を撮れなかった分、俺がお前をしっかりと撮ってやるよ」
静也は堀の髪を鷲掴みにし、必死に暴れるのもいとわずにずるずると引きずっていった。
スマホの画面に映る位置まで到達すると、掘はソファーへ乱暴に投げられた。
「さぁ、楽しい楽しい動画撮影の始まりだ。しっかりと演じろよ」
「やめ……たのむ……やめてくれ…っ! お願いだから……」
静也は恐怖に満ちた表情を浮かべる堀の上に馬乗りになる。
膝から引き抜いたナイフを逆手に構え天高く振り上げると、その刃先からは血が滴り落ち、彼の頬に滴下した。
にぃ…と無言で不気味に嗤うと、赤き瞳で彼の体の中心に狙いを定めた。堀はそれに対してもはや無言で首を横に振ることしか出来なくなってしまっていた。
「さぁ、俺らの前から消えてく―…」
「なにしてるの?」
刃が振り下ろされるまさにその直前だった。
静也は自らの背後から聞こえてきたその声に意識を支配された。
誰だ……?
いや、見られた。
その声によりナイフが頭上で静止した。
彼は全てにおいて細心の注意を払った。
今回も、前回も、前々回も。
標的を仕留める時は周囲に人が絶対にいないことを確認してから行う。
場所もそうだ。もしも大きな音や標的が助けを呼ぶ声が響いたとしても、絶対に誰も来ることが出来ない場所を選ぶ。
誰も来ない、標的以外に気付かれない、尻尾を掴まれないということの徹底。
それらは彼の絶対の掟なのだ。にも関わらず、彼は今まさにその人に背後から見られていた。
声をかけられるまでは全く気が付かなかった。
もちろん、そんなヘマをする人ではないのは自分がよく分かっていた。
しかしこうして見られてしまったからにはやるべきことはもう決まっていた。
馬乗りにされた状態の堀は動揺している静也を見ると、この隙にどうにか逃げ出そうと必死に体を動かした。
「お前は後だ。少し待ってろ」
直後、静也は眼下の堀へ鋭い眼光を向け、逃げられないようにアキレス腱を切った。
「ああああああああああああッ!」
激痛に悶え苦しむ堀を既に肉塊となってしまっているもう一人の隣へ蹴り転がした。
そして顔を見られないようにと、声をかけてきたその人に背中を向けたまま口を開いた。
「さて、誰だか知らないけど、いけないなぁ。こんな夜に出歩いてちゃ」
「あなたもいけないね。そんな人は私と一緒に来てもらうよ」
穏やかで物怖じしていない淡々とした声だった。しかもこの場所によく通る澄んだ声質だ。
「女か…… 女如きにこの俺が捕まるかよッ!」
次の瞬間、静也は身を翻し彼女に向けて勢いよく地面を蹴った。
「現実見ようぜェ! 女ァ! お前はここで死ぬ。俺は捕まらねぇ!」
見られちまった以上は殺すのが一番早い。
静也は体勢を低くし、彼女の足の位置を頼りにさらに加速した。
逃げようものなら予備動作として必ず足に初動が現れるからだ。
顔を見ずに飛び出した理由は単純だ。殺す奴の顔なんて見ても見なくても変わらないからだ。
どうせ死ぬ。死んだらただの肉だ。
首を掻っ切って一瞬で殺してやる。
それが一番早い。
低姿勢のまま猛スピードで突っ込む静也を前に彼女は一切動く事が出来なかった。
はずだった。
「…ッ!?」
ところが、目と鼻の先の場所まで到達すると、彼女は静也と目線が合うように急にしゃがんだのだ。
そして静也は彼女の顔を否応なしに視界に捉えることとなった。
「―…っ!」
静也は時が止まったかのような感覚に襲われた。
その瞳にはここにいるはずのない人が映り、次の瞬間には嘘だと言わんばかりに目を逸らしてしまった。
そして静也の動きが一瞬止まった。
「現実、見ようねぇ……」
冷静に放たれた言葉の直後、彼女の瞳の中に五芒星が煌めき、そこで静也の意識は途絶えた。
*****
「うっ…うっ……」
「どうした? 月乃」
公園のブランコで月乃が泣いていた。
「静也。みんなが私のことを邪魔な子だって……どっか行けって…私は何もしてないのに……」
「そっか。分かった。そんな奴らは俺がやっつけてきてやる。ここで待ってろよ」
「うっ……うっ……うぇぇ…」
月乃は顔をぐしゃぐしゃにして大粒の涙を流し続けていた。
これは……小学生の時……?
静也は過去の記憶を見ていた。
そういえば月乃はいじめられっ子だったなぁ。その度に俺が守ってやったんだっけ。
「月乃。どうだ。悪い奴らはみんな俺がやっつけてやったぞ。これでもう心配いらないぞ」
「静也…… 汚れてる…怪我してる……」
「ん? あぁ、平気だよ。ほら、これでもう月乃が嫌な思いをすることはないんだよ。だから笑って? 笑えなくなったらまた俺が助けてあげるから。だからいつもみたいに笑って俺と遊ぼう」
月乃は静也に手を引かれて夕陽に照らされた道を歩く。
「ほら。これ食べて元気出そうぜ。美味しいよ?」
「たい焼き?」
「うん。ここのは美味しいんだ。いつか月乃にも食べさせたいって思ってたんだよね」
差し出されたたい焼きを一口頬張った月乃は、その瞬間また大粒の涙を流した。
「月乃は泣いてばかりだな。もしかして美味しくなかった?」
「ううん……違うの。その……熱くて、温かくて…美味しいの」
「そっか。でも熱いうちが一番だから、ふぅふぅして食べてね」
「うん。でもこのままが好き」
「本当にやけどしちゃうよ?」
「うん。大丈夫。ありがとう。ありがとうね。静也」
月乃は静也の最初の本当の友達だった。
静也は家に帰れば人の優劣に非常に厳しい両親に勉強の事や運動の事を詰められ、能力の低い奴とは接するなと言われて育った。
最初は親の言う事は全て正しいと思って頭の良い子や運動が出来る子、人望のある子だけを友達にしていた。
しかしある日の月乃の一言で全てが変わった。
―頭のいい人と悪い人の代わりはたくさんいるけど、本当の友達に代わりはいないよねー
優劣で作った友達だと結局はその人ではなく、その優れたものが目当てとなってしまい心のどこかで自分を彩るためのものと思うようになってしまう。
いわばアクセサリーにも似た存在にしてしまうのだ。
でもそんなものにとらわれずに本来の人そのものを見て本当の友達を作ることが出来たら、それはきっと優劣以上の価値がある。
それに気が付いてから静也は人を優劣で判断したり、友達に変な制限をしなくなった。
小学生ながらに親の言う事に疑問を抱き始め、口では従っているふりをしていても内心では背いていた。
そしてそれからは月乃のおかげで友達が増え、月乃以外とも遊ぶことが増えたのだった。
しかし、静也が月乃も一緒にと連れて行こうとすると彼らはみな離れていった。
小学生であれば女子と遊ぶのは恥ずかしいと思う年頃に入る。でも静也にはそんな思いはなかった。その時には静也にとって月乃は既に親友だったからだ。
そんな事が何回か続いた日、静也は月乃が数人のクラスメイトにいじめられて泣かされている様子を目撃した。
しかも、その人達は静也が友達と思っていた人達だった。
「男子と遊んで恥ずかしくないのかよ」
「そうだそうだ。お前は女子と遊んでろよ」
「無波は俺達と遊ぶんだ。お前はどっか行け」
どっか行け。
その言葉と月乃の泣き顔が静也の心に深く突き刺さり、気が付くとその男の子達を一人残らず殴り飛ばしていた。
「月乃を悪く言うんじゃねぇ! 月乃は俺の友達だ! お前らがどっか行け!」
「なんだと? 俺達はお前と遊びたくて」
「うるさい!」
三人の男の子達は各々で理由を述べるが、静也は彼ら以上に大切な友達である月乃を傷つけられたことで全て右から左だった。
そんな中怒髪天を迎えて言い返していると、彼らが殴りかかってきたのだ。だから一切の容赦もなく叩き潰した。
「お前達! 何してるんだ!」
騒ぎを聞いて駆けつけてきた教師によりその場は収められたが、三人と静也との友情は元に戻らなかった。
その騒動は後に学校中に広まり、双方の親にまで話が行き届くこととなった。
そして静也は三人の男子達により完全に避けられ、次第にクラス全体からも孤立するようになった。それでも静也は彼らに謝ったりはしなかったし、むしろ何食わぬ顔で日々を過ごしたのだった。
「静也。ごめんね。私のせいで友達がいなくなっちゃって」
二人は前に見た夕焼け空の下でブランコに揺られていた。
「いいんだ。それに俺は平気だよ。今回のことで分かったよ。俺にとってあの三人とクラスの人達はみんな不要な人達で、友達は月乃だけでいいってことをさ。だから気にしないでよ」
少しして静也が立ち上がる。
「たい焼きを食べに行こうよ。疲れたらお腹空いちゃった」
「うん。そうだね。私もお腹空いちゃった」
静也と月乃は仲良く並んで歩いてたい焼き屋を目指す。
そんな中、静也は内心では不安だった。
あの騒動を起こして月乃までいなくなってしまうのではないか。
やっと出来た大切な友達までも失ってしまうんじゃないか。
友達と思っていたのは、もしかして俺だけだったのではないか。
あの三人みたいに汚い言葉で罵ってくるのではないか。
とても不安だった。
しかし今も隣には笑って一緒に歩いてくれる月乃がいた。
「はいよ。熱いから気を付けてね」
「ありがとう。おじさん」
月乃はおじさんから出来たてのたい焼きを受け取ると、一つを静也に渡した。
「やっぱり美味しいね」
「うん。そうだね。月乃、ありがとうな」
「なに? 急に」
「いや。やっぱり何でもない」
「そっか。変なの。冷めちゃうから早く食べよ?」
「冷めるのは嫌だな」
俺はあの日月乃がたい焼きを食べて言った、熱くて、温かくて美味しい。
その味が分かった気がした。
俺は月乃を。
この笑顔を。
一緒にいる時間を。
全てを守りたい。
たとえ俺が傷付くことになっても月乃だけは絶対に守りたい。
そう強く思った。
********
「痛っ!」
静也は目を覚ますと、直後に訪れた後頭部の痛みによりすぐに意識が覚醒した。
その痛みのせいで上げようとしていた頭が重力に従って力なく横に倒れた。それから周囲を見ていると視線がやけに低いことに気がついた。
床……?
静也は今自分は横向きに寝転がされている状態だということを理解した。
すぐさま起き上がろうと試みるも両手両足が縛られていて、ほんの僅かしか動かすことが出来なかった。
「あら? 起きたみたいね」
聞き覚えのある声が耳に入った。
背後から聞こえたその声の方へ強引に寝返りをうった。
すると目線の先には数人の足があり、それに従って上方へ目を向けていくと、そこには驚くべき光景があった。
「月乃……?」
立っている五人の奥に静也がよく知る幼馴染み、月乃が悠然と椅子に座っていたのだ。
「うん。おはよう。静也」
その声も目隠れも、間違えようの無い程に地味な姿も間違いなく月乃本人だった。
「何してんだよそんなところで。そいつらは……」
「あぁ、お昼に教室に来た生徒会のメンバーだよ」
「生徒会?」
そういえばと思い出して彼女らに目を向けると、顔や出で立ちが記憶と合致した。
「あらあら。まだ少し具合が悪いのかしら? お姉さんが膝枕をしてあげようか?」
「いらないよ、唯」
と窘められる生徒会副会長の姉ヶ崎唯。
「そうだ。奴にそんなものは必要無い。そのまま床に転がしておけばいい」
「そ…それも…どうか…な…? でも…まだどうなるかも…分からないし…へへへ」
静かではあるが高圧的な印象を与える会計の金錠狩人。
それをどこか自信なさげに制止しようとしつつ怪しく笑う企画の深見愛枷。
「でもきっとお腹が空いてるはずです! ご飯をあげるべきです!」
とパンを食べながら元気に話す小牧悟利。
彼女らに意識をとられていると、急に視線が半円を描くように上がった。
「まずはお座りにならせるのが先かと」
気配無く静也の背後に現れ、体を起こしてくれた総務の能徒叶。
他はみんな制服なのに彼女だけはメイド服を着ていた。
「どうせならこれも解いてくれよ」
静也は両手両足の紐を揺らす。
「それは出来かねます。全ては星見様のご意思なので、私にそのような権限はございません」
「月乃の?」
きっぱりと断った彼女は静かに全員の方へ歩いていく。
「で? 月乃。幼馴染みにこんな事を言いたくないが、これはどういうつもりだ? 俺は生徒会に何かしたのか?」
静也は糸目ながらも険しい表情を向けた。
「何もしていないよ。少なくとも私達にはね」
「なら解いてくれよ。それで一緒に帰ろうぜ?」
「まだ駄目だよ。確かに私達には何もしていないけど、他の人達には何かしたよね? ううん。ずっとしていたんだよね?」
「何の事か分からないな」
静也はあの時の事を思い出すも、どうせ知らないとシラをきった。
「それは自分がよく分かってるんじゃないかな?」
「……」
「大丈夫。私は、私達はずっと知ってた。でもずっと静也と一緒にいたでしょ? 今更離れたりしないよ?」
ただでさえ見えない月乃の目が確認出来ない分、今どんな顔をしているのか静也には分からなかった。
ただ、口調はいつも通りなので怒ってはいなさそうだ。
同じくして他の生徒会メンバーも一切表情を変えない。ある者は微笑み、またある者は鋭く睨んでいた。また、長い前髪の間から怪しい目を向ける者、無邪気な者、無表情と各々が違った顔で静也を見ていた。
「……俺をどうするつもりだ?」
「よく聞いてくれたね。静也には私達の仲間になってもらうよ」
「は? 俺が生徒会に?」
「生徒会だけど、生徒会じゃないよ。陰陽院の欲祓師。私達、セブンスターズのね」
と月乃が不敵に微笑んだ。
「欲祓師? 陰陽院? セブンスターズ? 何かの冗談か。いくらなんでも信じられないぞ」
「冗談なんかじゃないよ。私達、星条院高校の生徒会は皆この世の欲に支配された人を救い、保護し、時には抹殺してきたの。それで、その為にはその人達よりも強い能力を持つ人の協力が必要なの。それで静也。あなたには私達の力になってほしいの」
「俺にそんな力は無い。何かの勘違いじゃないのか?」
静也はやはり何も知らない風を通す。
それも、さっき抹殺という言葉を聞いたからでもある。
「愛枷」
「きひひ。これ……」
そう呼ばれた深見愛枷は月乃の頭上の壁にとある映像を再生し始めた。
それはさっき静也が大川と堀を粛清している光景だった。
「この時の静也は紛れもなく能力を使っていたし、欲祓師には必要なスキルも備わっていたことが分かるよ」
「なんだそれは」
「自力で欲を制御する力と、その人固有の能力よ」
「何回も言うけど、俺は知らないしそんなものは持ってない」
「ちなみに、欲を自分で制御出来ない人はこうなるの。ほとんどの人はこれね」
続いて流された映像には、決して人とは思えない程に暴れ狂い、例えるならば動物とでも言えるくらいに完全に理性を無くしてしまっているヒトの姿が映っていた。
「欲は人間を良くする事もあれば悪くする事もある。静也は世の為人の為に自分の欲の力を使うことが出来る選ばれた人なの。だから、その力を私達に貸してくれないかな?」
「俺は……」
「いい加減まどろっこしい。星見、この無波という男が組織に必要なんだろう? 単刀直入に言ったらどうだ?」
「そうだけど、それは……」
「そうよぉ? 狩人くんの言い分も分かるけど、貴重な種類の欲と能力なんだし、もう少しゆっくりでもいいかなってお姉さんも思うよ?」
「そうです。まずはご飯を食べながらゆっくりお話をするです」
まぁまぁと宥める月乃は、少し雰囲気を変えて
「静也。それじゃ少し本当のことを言うけど、静也の欲の力と能力はとても強力なの。それゆえに、もしも私達の仲間になってくれないなら上の方針に従って静也を専用の施設で監禁、もしくはこの場で処分しなきゃいけないの。私としてはそんなことをしたくないし、だからといって静也をこのまま世間に野放しにしておくわけにもいかないの。だから、大人しく協力して?」
「……監禁も処分されるのも嫌だな。せめて、俺のその欲の力と能力ってのを教えてくれないとどうとも」
「ごめんね。それは欲祓師になってくれないと教えちゃいけない事になってるの」
「そうか……」
静也はいくら月乃の頼みだからとはいえ悩んでいた。
開示されている、してくれる情報がいくらなんでも少なすぎるのだ。
仲間にならなければ処分か監禁なんて、そう言ってくる組織は普通じゃないに決まっている。
普通を好み、人並に生きることを是とする静也にとってそれらは怪しさこの上無しといった雰囲気に満ちていた。
「無波。星見はお前が必要だと言っている。……そう、必要だ。必要……欲しいのだ。欲しいと言っているのだ」
金錠が話を始めた途端、急にこの場の空気感が一変した。
彼を中心に空間が揺れ、静也の全身に重圧がかかる。
「あーあ。始まっちゃったです」
「ふひひ…こうなったら…何が何でも手に入れたい性分…だもんね……」
彼の雰囲気はもちろんのこと、その外見にも変化が生まれた。
しかし静也はそんな彼を見ても驚かない。なぜなら、今まで静也自身がなってきた様子と似ていたからだ。
「お前の目は緑なんだな」
「あぁ。そうだ。僕は獲得の欲求を持っている。僕達はお前を欲しているんだ。欲しいんだ。欲しい…欲しくてたまらないんだ。だが僕も欲祓師。理性を欠いて一方的に何かを手に入れるのは動物のやる事だ。だからこうしよう。僕に勝てたらこのまま帰るがいい。負けたら分かるな?」
「金錠様。勝手に決められては星見様が―」
「能徒。いいよ」
金錠が勝手に決めた事とはいえ、月乃は特に気にしていない様子だった。
そして
「静也。狩人が言った通り、もし静也が狩人に勝ったら今回の事、過去の事は知らなかった事にしてあげるから帰っていいよ。でも負けたら、今日から仲間になってもらうからね? それでいい?」
「分かった。ならまずはコイツを解いてくれよ」
間もなくして静也の手足が解放されて自由に動けるようになった。
静也は冷静に目の前の彼に目を向けると静かに分析を始めた。
緑色に発光している両目はおそらく本物だろう。ということは、間違いなくあの時の俺と同じようなことが出来るに違いない。武器は無いように見える。でも制服の中に何かを仕込んでいるのかもしれない。
今の俺はというと、もちろんいつもの俺だ。
あの状態になるには、あの目になるにはあの衝動が必要だ。
運良くどっかで出てきてくれればいいんだが、この状況じゃ難しそうだな。
「無波。今お前はこの僕に勝つためにあの時の力のことを考えているな?」
「……」
「隠さなくても分かる。強い力は安心するもんな。使いたいか? あの力が欲しいか? 欲しいんだろう? 僕だってそんな普通のお前をいたぶる趣味は無い。今回は特別に対等にやってやるよ」
金錠は月乃へ目を向けると
「いいよ」
とその声を聞くやいなや月乃の前まで行く。そして次の瞬間
「うぐッッ!」
「なっ!」
一切の躊躇もなく月乃の顔面を殴り、続けて溝内へ手がめり込むくらいに拳を深く入れた。
「げほっげほっ……はぁはぁ…」
「ははは! やっぱ殴りがいがあるなァ。この女は!」
月乃は椅子から崩れ落ち、殴られた腹を押さえて地面でもがき苦しんでいた。
呼吸も不規則で危険な状態であることは明らかだった。それでも金錠は暴力を続けた。
「せい……や……助け……」
そんな弱弱しい声を上げてもなお金錠の手は止まらず、月乃は見る見るうちに衰弱していった。
その光景を目の当たりにした途端、静也は
「おい……お前…俺の前で何してんの……?」
静也の身にあの激しい衝動が宿り、脈動が全身を支配した。
その後はまさに一瞬の出来事だった。
静也の瞳は赤く発光し、この空間に重圧と凶悪な殺気を与えた。
「おぉなったか。星見からせっかく許しが出たんだ。どうせなら本気でやりたいだろう?」
「あ? 本気だと? 本気を出す前にお前は死ぬ。この俺がお前を排除する」
禍々しい殺気を放ち、殺しの感情以外を完全に排除した灼眼が金錠を捉えていた。
一歩進む度に重苦しい圧力が波状になって全ての人に襲い掛かる。
「す…凄いです。こんなになるんですか?」
「はい。ですが危険指定種としてはまだ序の口です。その証拠に瞳が発光しているだけでしょう?」
「本当です。もし完全覚醒したら…どうなるです?」
「……星見様以外では止めることが出来ないでしょう」
そんな会話すらも静也の耳に届いていなかった。
もう静也には金錠以外見えていないのだ。
「それじゃ始めよ―」
と金錠が言い終えるのを待たず、静也は既に彼の懐に入っていた。
「ふっ。全く見えなかったよ。流石は危険種。こうでなくてはな!」
金錠は静也の拳を避けて少し距離をとるも、また一瞬で距離を詰められて正確かつ強力な連撃が金錠を襲った。だがそれらは紙一重で避けられ、拳や蹴りで反撃していった。
「殺す…殺す…絶対に殺す…」
「そうなってもなお自分の意識は失わないか。おっと、そこががら空きだ!」
静也が攻撃を放った直後、その脇腹に金錠のカウンターがめり込んだ。
「入った。決まりです」
「ううん。そうでもないみたい」
静也はにぃ…と不気味に笑い、金錠の溝内に強烈な一撃を入れた。
「がはっ… これが例の…能力か…… 反則だろう」
「反則? 月乃を殴った奴に言われたくないな。さぁ、あとは顔面だ。お前が月乃にやったのと同じ所に何倍にもして返してやる。完全排除はその後だ」
この状態の静也は痛みを全く感じない。
いくら攻撃を与えても痛みで動きが止まることはありえないのだ。
金錠は軽く呼吸困難を起こしているようだが、どうにか立ち続けていた。
「狩人くん。本当に勝てるの? お姉さんが助けてあげようか?」
「いらん。少し油断しただけだ。もう食らわん」
「無理をするな。それにお前が死んだら次はそいつらだ。月乃以外は皆排除だ」
助け船を出そうとした姉ヶ崎、他の生徒会メンバーへ順々に鋭い眼光を向ける静也。
「あらあら。元気ねぇ。どうする? 月乃ちゃん」
「うーん。大丈夫だよ。そう簡単に狩人は負けないし、だからこそ許可したんだから。もしやばくなったら私が行くよ。その時はもう私以外に止められる人はいなくなるだろうし」
そう話す月乃は、さっきの痛みなんてまるで無かったかのように既に悠然と椅子に座っていた。
そして小牧から菓子パンを貰って食べていた。
前髪で表情こそ分からないが、その様子からして二人を心配していないようだ。
月乃が今はこうして回復していても静也の中から怒りが消えることは無い。
それこそ、この戦いが決着するまでは。
「狩人。まだ?」
「大丈夫だ。次で終わりだ。安心しろ」
スマホを一度確認した月乃が言うと、金錠の雰囲気がまた変わった。
異様で荒々しい殺気だったのが、静かで鋭い殺気へ変化したのである。
「ぬかすな。お前じゃ俺には勝てねぇよ。顔面を殴って終わりにしてやる」
「お前こそぬかすな。お前にはこの僕を殺せない。次で終わりだ」
ほう…と禍々しい赤い眼を向ける静也。
「それじゃ、見せてもらおうか。その終わりとやらを」
「あぁ。お前が這いつくばる未来を見せてやる」
静也は地面を蹴って一気に距離を詰めた。
だがそこで金錠がぼそっと呟く。
「その四肢…欲しいな……」
静也は金錠の顔面を殴るべくさらに加速した。
対して金錠は、その場から動かずにただただ鋭い目を静也の全身に向けて佇んだ。
「動かねぇのか! ならこれで終わりだぜ?」
「あぁ。お前がな」
「なに……?」
静也が次の一歩を踏み出し金錠に手が届く範囲まで到達した時、その勢いのまま地面に豪快に倒れてしまった。
そこからすぐさま起き上がろうとするも、両腕両脚に一切の力が入らなくなっていた。
「何をした……?」
「簡単な事だ。お前の四肢関節を外したんだ。これでもう起き上がれない」
「く…そ……」
いくら痛みを感じないとはいえ、完全に動けなくならないわけではない。
力点やそれに関係する箇所に不具合を生じさせてしまえば止まるのだ。
金錠は静也が迫ってきた時、一瞬にして四肢関節の僅かな隙間へ的確に手を突っ込んで外してみせたのである。
獲得の欲求を持つ金錠がそれを欲しいと言った時には既にこうなる未来は決まっていたのだ。
「で、これがお前の終わりなんだが、どうだ? いい未来が見れただろう?」
うつ伏せに倒れて体を左右に揺らすことしか出来ない静也を見下ろす金錠。それをいまだに失わない殺気のこもった目で睨み上げる静也。
完全に勝負ありと判断した金錠の目からは緑色の光は消えた。
「許さねぇ……月乃を殴ったお前を、俺は絶対に許さねぇ…… この程度、俺にかかればなぁ…ッ!」
「やめておけ。今強引に動いたら関節が戻らなくなるぞ?」
「かまわねぇ。お前を排除出来るなら関節の一つや二つ、たとえ全部ででもくれてやらぁ!」
静也は歯を食いしばり、動かない四肢を周辺の筋肉で繋ぎ合わせようとしていた。
それはもはや普通の人間に出来る技ではなかった。それでも静也は各箇所に意識を集中させた。
すると見開かれた静也の目がさらに赤く発光し、その瞳の中に何かの模様が浮かびあがってきた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!」
直後雄たけびを上げると、それに呼応して空間が激しく振動し全員に立っていられないほどの強烈な圧を与えた。そして四肢が一ヶ所ずつ奇妙に波打ち、次第にゴキっという嫌な音を立てて元の部分にくっつき始めたのだ。
「やばい…やばいです! これは……どうすれば…」
「くっ……かくなるうえは…」
その様子に小牧は慌てふためき、それを安心させようとする能徒にも焦りの色が見える。
「ふひひ……まずいね…もうこれは……仕方ない…よね…?」
「お姉さんもそう思うわ……」
深見と姉ヶ崎は緊張の面持ちでどこかに隠し持っていた武器を抜いた。
地割れが発生し、巻き上がる砂煙とともに豪快な音を立てて揺れ続ける建物。そして次第に静也と金錠のいる場所が全員から見えなくなっていった。
それが治まった時、一同の視線は砂塵の向こうのあの二人へ向けられる。
「………」
ようやく見えたそこに立っていたのは静也のみだった。
金錠はその足元に倒れてしまっており、動く気配が全くなかった。
その顔面には、月乃がさっき殴られたところと同じ箇所である頬に甚大なダメージと思われる大きな痕があった。
「……」
静也の赤い瞳が周囲を見渡すと、それに見られた人は強烈な震えと死の恐怖でその場に崩れ落ちた。
自分達が束でかかってもこの男には勝てない。
近付けばもうそこには死しかない。
そう確信するには十分過ぎるくらいに静也からは禍々しい殺気が滲み出していた。
さらにその瞳にはさっきまで無かった独特な模様、髑髏と大鎌が顕現していた。
「星見様! 皆様! どうかお逃げください! ここは私が!」
どうにか立ち上がることが出来た能徒が全員に喚起した。
しかし次の瞬間にはもう静也が能徒の目の前にいた。
「ひっ……」
その目をすぐ近くで直視した彼女は一瞬にして怖気づいて武器を地面に落としてしまった。
そのままたまらず地面にへたりこんでしまっうと、今度ばかりは立ち上がることが出来ずに言いようの無い震えが全身を襲った。そして終いには失禁までしてしまっていた。
逃れられない絶対的な死。
それが今、能徒の目の前にあった。
「………月乃…殴ッタ……ユルサナイ……見テイタ奴……ユルサナイ」
静也はもはや完全に自我を失ってしまっていた。
そして金錠の血がべっとりと付いた手が能徒へゆっくりと伸ばされる。
目を見開き、助けてと言わんばかりにがくがくと震えて首を横に振る能徒。
その光景を見ていることしか出来ない他の人達はもはや声を出すことすら出来なかった。
能徒の目はまるで殺さないでと命乞いをしているかのように必死で、他の人の目は次は自分になるかもしれないという恐怖に染まっていた。
静也の手が能徒の喉笛に到達するまさに直前だった。
その手がどこかからか飛んできた何かによって大きく弾かれたのだ。
「…!?」
「静也! こっちだよ」
その声の主は月乃だった。
彼女は銃を握っており、その銃口からは煙が出ていた。
「月…乃…… 俺は……」
その姿を確認し月乃の声が頭に響くと、静也の瞳の模様が揺らぎ始めた。次の瞬間には頭を抱えてもがき苦しみだしたのだ。
「静也。今楽にしてあげるから、待ってて」
月乃は地面を蹴った。
そしてその瞳に紅い光と星の模様を浮かべて静也の首を思いきり殴った。
「がはっ……!」
直後静也は糸が切れた人形のようにその場に倒れた。
意識を失う直前、静也は月乃を見た。
あぁ……あの時の目……
やっぱり月乃だったんだ……
月乃じゃなきゃいいなって思ったのにな……
月乃の長い前髪の隙間から見える瞳を確認すると、静也はそのまま意識を失った。
********
「あ、起きたね」
畳の上に布団が敷かれており、檜の香りの中で静也は寝ていた。
そして目を覚ますと、その聞こえた声の先では月乃が座っていた。
「月乃…… 俺は何で……」
「うーん。どこまで覚えてるかな?」
「どこまで……?」
静也が体を起こすと、自身の記憶を遡って全てを思い出した。
「月乃! 顔は? 腹は? 大丈夫なのか?」
「そこ聞く?」
「当然だろ。俺にとって月乃はなぁ―…」
「なんだ。目が覚めたのか。騒々しい」
焦る静也が月乃の体の具合を確かめようと布団から出た時、背後の襖が開いた。
そしてそこから眼鏡をかけた同年代の男が入ってきた。
「お前だ! お前が月乃を殴ったんだ! どうしてくれるんだ! クソ眼鏡!」
「クソ眼鏡だと? お前は普段は普通普通とそんな言葉を並べているようだが、今は血気盛んな異常な動物みたいだな」
「んだと!」
まぁまぁと二人を宥める月乃。
静也は現れた金錠を今にも掴みかかりそうな勢いで立ち上がると、それに呼応するように金錠は静也に鋭い目を向ける。
「あ、目が覚めたですね。お腹空いたです? 二人ともこれを食べるといいです!」
もう一人部屋に入ってきた。一見小学生にしか見えないその少女は小牧悟利である。
その腕には多くの菓子パンが抱えられており、小牧がそれらを二人に渡そうとするもその視界に小さな彼女は入っていないようだ。
「静也! 狩人! 落ち着いて!」
そんな二人を見かねたのか、月乃が珍しく大声を出した。
「星見。すまない」
「静也も!」
「……分かったよ。で、何で俺はまだここにいさせられてるんだ? もうそろそろ帰りたいんだが?」
金錠と静也がその声により強制的に鎮静化されると畳に座った。
そこでやっと視界に入った小牧からパンを受け取り、一口頬張った。
「思い出したんでしょ? それならそういうことだよ?」
「なるほど。俺は危険だからここで処分されると?」
「そうだ。曲者」
「んだと、クソ眼鏡」
「飲み物ですね? 飲み物もあげるです!」
「だから! すぐに喧嘩しない!」
再び鎮められる二人。
静也と金錠は今のでお互いに察した。これが俗にいう犬猿の仲であると。
そしてそんな二人を気遣ってか、変な勘違いすらしている小牧はどこからか甘い飲み物を出して二人に持たせた。
「誰も静也を処分しようなんて思ってないよ? 約束通り私達の仲間になってもらう。それだけだよ?」
「仲間? 正気か? 星見。こんな野蛮で危険な奴を僕達の仲間にだなんて。あり得ないだろう」
「ううん。強い力を求める私達には絶対に必要な存在だよ。それに、もう一人男子がいた方が狩人も寂しくないでしょ?」
「僕は別に。このまま男一人でも寂しくないさ」
「生徒会以外に友達いないのに?」
「それは……」
そこで静也が不敵な笑みを浮かべた。
「金錠っていったね? 俺が悪かったよ。今日から俺達は友達だ。だから俺には何でも相談していいんだからね?」
「やめろ! そんな可哀そうなものを見る目で僕を見るな!」
「強がるなって。大丈夫大丈夫。俺はお前の味方だから。これからはボッチじゃないよ」
「だからやめろ! 僕はボッチじゃない!」
「仲良くなってくれて良かった。それじゃこれで決まりだね」
「仲良くない!」
それに対しては静也も同じ意見だった。
「そうだ仲良くない。俺の恩情で構ってあげてるだけだ」
「んだと!」
「あらあらぁ、どうしたの? そんなに騒いで」
「唯姉ぇ! 狩人兄ぃと静也兄ぃが喧嘩してるです。 月乃姉ぇじゃ収まらないです」
部屋を訪れてきた姉ヶ崎に抱き付いて助けを求める小牧。
静也はさっき小牧により兄呼びされたことには気付いていない様子である。
「そっかぁ。そういうことなら、お姉さんの出番だねぇ」
すると姉ヶ崎はおもむろに静也を抱きしめたかと思いきや、自らの巨大な双丘へ誘った。
その柔らかくも弾力のある胸はもはや凶器だった。
女の子特有の甘い匂いと頭部全体で感じる感触は静也の思考を一気に停止させた。
あぁ……俺は一体何をしていたんだろう。
母なる大地。無限の大空。遥か彼方の地平線。
あぁ……俺は一体何をそんなに怒っていたんだろう。
もう……どうでもいいや。
「よしよーし。お姉さんに全部任せてねぇ」
姉ヶ崎は自らの胸に埋まってすっかり大人しくなった静也の頭を優しく撫で続ける。
その目は慈愛に満ちており、まさに聖母のようだった。
「どうだ無波! 欲に抗えない動物めが!」
「こぉらっ。狩人くんもそういうこと言わないのっ」
すっかり大人しくなった静也を離した姉ヶ崎は、次に金錠も同じように包みこんだ。
そして彼も同じように静かになったので離した。
「唯姉ぇ流石です!」
「ありがとう、唯」
「いいのよ。お姉さん、こういうの好きだから」
姉ヶ崎もその場に座る。
小牧はそんな彼女に膝枕を要求し、そのむっちりとした肉付きの良い健康的な太ももに頭を乗せた。
「そろそろ本題に戻るね。静也、約束通り私達の仲間になってもらうからね?」
「……」
静也は覚えていた。
あの時金錠に四肢関節を全て外されて地面に倒れてしまったことを。そしてその後は月乃がどうにか止めてくれたことを。
金錠に負け、月乃に救われた。
今の静也に断ることなど出来るわけがなかった。しかし静也にはどうしても納得の出来ていない事があった。
「仲間になるのは分かった。でもどうしてコイツは月乃を殴ったんだ? 俺はそれが許せない」
「……そうだね。それは私がそうするように言っておいたの。静也の中の欲の力をみんなにもちゃんと見てもらうためにね」
「欲の力?」
「うん。今まで静也が誰かを襲った時の力とか、あの時の力は全て静也自身の欲の力の影響なの」
静也はあの時金錠が言っていた『獲得の欲求』というものに近いものだろうかと考えてみるが、もちろん全く分からなかった。
「欲ってね、当然だけど誰にでもあるんだよ。でもそれについてはまた今度教えてあげる。それで、静也が許せないなら、どうすれば許してくれる?」
「コイツを殴らせてほしい」
「だって。狩人」
「嫌に決まっているだろう。それにこれは作戦の一部だ。昔からその責任は長にあると決まっている」
「なら私だね。静也。いいよ。私を殴って?」
「絶対にやらない」
「だよね」
そうなると思って言った金錠に静也は鋭い目を向けるが、彼は澄ました顔をしていた。
「でも静也は許せないんでしょ? ならどうするの?」
「……いいよ。分かった、今はいい。ただし金錠。いつか必ずその顔面を殴ってやるからな?」
「ふん。出来るものならやってみろ。楽しみに待っていてやる」
静也はあの時金錠の頬を思いきり殴ったことだけは覚えていないようだった。
「それじゃ決まりだね。静也は今日から私達、セブンスターズの仲間だよ」
「不本意だけどな」
一息つこうとした丁度その時だった。
「星見様。近くでGreedの存在を複数確認しました。皆様全員で討つのが効率的かと」
「ありがとう。能徒。それじゃ早速だけど、静也も一緒に行くよ」
「俺も?」
「うん。これから仲間になるんだからさ。あ、今日は見てるだけでいいよ」
「そういうことですので、無波様もご一緒に」
知らせに来た能徒叶に案内されてその後をついて行く静也。
そして建物を出ると、既にそこには他の生徒会メンバーが集まっていた。
「それじゃ、みんな。生徒会活動の時間だね」
月乃の一声により全員に覇気が宿った。
「みんなで出るの久しぶりねぇ」
「ふへへ……みんなで行く…嬉し……ふふへへ」
姉ヶ崎は相変わらずおっとりとした様子で微笑む。
隣にいる深見は長い黒髪の隙間から怪しい目を覗かせると、にやぁと白い歯を少しだけ見せて不気味に笑っている。
その対象的な様子を前に、活動の難易度が分からなくなる静也。
「能徒。Greedの情報は?」
「はい。ここから北へ3kmほど行った廃工場にいるようです。数はおよそ五十から百。その中に司令塔の男が一人いると聞いております」
「ありがとう。それじゃ今回の作戦だけど」
「ちょっと待って。Greedってなんだ?」
月乃が続きを話そうとした時、静也は会話について行くために一旦話を止めた。
「そんな事も知らんのか、新人」
「こっちはさっき入ったばかりなんだよ」
「まぁまぁ」
また静也につっかかる金錠を宥める月乃。
「あぁそうだね。Greedは私達みたいに自分の欲を制御出来ずに狂ってしまったヒトの総称だよ。それを私達生徒会、セブンスターズが殲滅するの」
「つまり殺すのか?」
「今回はね。数が多いし、中には危険な欲の持ち主もいるみたいだし。国として今後の脅威になるのは間違いないよ」
「星見様。一部は生かして捕らえるようにとのことです」
能徒が静かに補足する。
「みたいだよ」
「なるほど」
本来の静也は厄介なのは殺した方が早い精神を持っているのでその決定に異を唱えなかった。
「みんな。分かってると思うけど、今日から静也が加わるからね。とりあえず今回は見ててもらうだけにするから。能徒。静也の護衛は任せるよ?」
「承知しました」
能徒はスマートに軽くお辞儀をすると、静也をその目に映した。
青髪ショートヘアの無表情のその顔に静也も軽く会釈をする。
「それじゃそろそろ行こうか。早く終わらせて帰ろうね」
月乃の口調はどこにでもいる物静かな女子といった様子だ。それこそ生徒会長、同時にセブンスターズの長としてこれから戦おうとしているだなんて決して見えないほどにいつも通りだ。
そして全員は目的地に向けて移動を開始した。
「走るのかよ」
「当然です。私達はあくまで高校生です。車なんて持っていません」
「自転車は?」
「目立ちますし、格好が悪いです」
「確かに」
静也は能徒と話ながらも前を走るみんなを最後尾から見ていると、能徒以外の服装が一様に学校指定の制服なので本当に生徒会活動みたいだと思ってしまう。
「本当は移動手段に特化した能力者がいてくれれば良いのですが……」
「そんなのもいるのか?」
「もちろんです。ちなみにセブンスターズは全員能力を持っています。恐らく今回見ることが出来るかもしれませんので、しっかりと見ておくといいでしょう」
先頭を行く月乃は運動とは無縁なその見た目に反して一向にスピードを落とさずに走り続ける。
その様は寧ろ慣れているようにも見える。
「そろそろみたいねぇ。あの辺から男の子の匂いがするわぁ」
「その通りでございます。姉ヶ崎様。あそこに見える廃工場が今回の目的地でございます」
全員の目にその建物が映ると、一同の雰囲気が変わった。
スイッチが入った。
その言葉が最もしっくりとくる様子である。
「みんな。終わったら明日はパンケーキを食べようね」
ピリッとした空気の中、月乃のそんな無邪気な声が響いた。
それから周囲を捜索していると、中に入れる場所を発見した。
「ごめんくださーい。誰かいますか? たくさんいますね」
と言って何の躊躇も警戒もせずに月乃が廃工場に入った。
それを先頭に全員が侵入すると、そこには情報通りの人達がわらわらといた。
そんな彼らの様子はどこか変だった。入ってきたセブンスターズに対して背中を向けて立っている状態で、なおかつぶつぶつと何かを呟き宙を見上げながら体を左右に揺らしていた。
「おやおや。あなた方も入会希望ですか?」
物陰から出てきた男は張り付けたような笑顔で問いかける。
大勢の人達とは異なり、悠然と立つ彼は先の情報にあった司令塔なのだとみんなが理解した。
「入会?」
「はい。私達は社会に疲れ、家庭に疲れ、人生にも疲れた方達をお迎えし神から安心と祝福を授かろうとする者達です。まさに今はその最中なのです。ほら、皆が天に手を伸ばしてお祈りを始めたでしょう? もうすぐ皆に幸福が訪れる。神から祝福が授けられようとしているのです」
彼らが祈るように両手を頭上で組み、螺旋を描くように激しく体を揺れ動かしたかと思えば、次の瞬間には時が止まったかのように全員の動きが停止した。
そして、全身の力が抜けたかのように一斉にその場で両膝を付き、それでも顔だけは天を仰いでいた。
「さぁ。神がおいでになる……」
司令塔である彼がそう言うと、直後その集団の前に行って語り始めた。
「神は降臨された。全ての痛み、悲しみ、憎しみ、それらは今神により報われた。我らは神に感謝を示さなければならない。尽くさねばならない。命をもって。さすれば皆にさらなる幸福が訪れるであろう」
まるで教祖である。
こんな胡散臭いものを誰が信じるのだろうかと一同は思い、早く仕事を終わらせたいという気持ちが昂る。しかし月乃がそんな怪しい彼らの様子を静観していたので、誰一人としてその気持ちを行動に移そうとしなかった。
そして、教祖然とした彼は次に恐ろしい事を口にしたのである。
「あぁ……聞こえる…… 神の言葉が。……殺せ。我を崇拝せぬものは皆殺せ。神は今おっしゃった。その者達は神の敵だ。一人残さず殺すのだ」
「なっ……」
直後、停止していた彼らはゆらりと立ち上がり、まるで亡者のような虚ろな目でセブンスターズを見た。
「お前、何を」
「ふふふ。あなた達のことは知っていますよ。私達本来の欲望を抑制し飼い慣らす不当な輩なのでしょう? 神の下で人間は生まれながらに皆平等です。自らの欲に忠実に生き幸福を得る。その幸福を奪う権利は誰にもありません。それを奪うあなた達には罰が必要なのです。神罰という罰をね」
不敵に笑う彼に対して月乃は冷静に言う。
「神罰ね。そっか。あなたは神になりたかったんだね。あなたのその洗脳の欲求はおあつらえ向きって事か。でもね、神なんてこの世界にはどこにもいないんだよ」
「なんだと? 何も分かっていない小娘が。神を疑うのか? 神は―」
「神は、人間のもつ弱さが生んだ空想の産物にすぎないの。この世界にあるのは、ただの人間の弱さとそれを認めずに神という都合の良い偶像に縋る哀れな人の魂だけなんだよ」
「こっ……このっ…」
男の顔が苛立ちに歪み、次の瞬間その身には人間とは思えない禍々しい邪気が宿った。
「来たね」
月乃がそう言うと、皆に臨戦態勢を布いた。
「娘ェ! そんなに神を否定するか! ならば教えてやる。神の偉大さと絶大な力というものをなァ!」
「なら、私達はそんな神を、あなた達狂信者を潰してあげるね」
「やれるものならやってみろォォォ!」
まるで血を零したような禍々しい目をした彼が獣のような咆哮を上げると、まもなくして亡者と化した人々が一斉に敵意を示した。
そして、それとほぼ同時に月乃も行動を開始した。
「能徒!」
「はい。星見様」
能徒は自身を中心に廃工場を覆うほどの結界を展開した。
「結界の展開しました。これよりこの区域一帯を私、能徒叶の管理下におきます」
「ありがとう。皆、これで好きなように出来るよ! 静也に自己紹介を兼ねて思う存分にやっちゃっていいからね! あ、でも、殺しちゃいけないのもいるからそれだけは悟利。お願いね?」
「はいです!」
「それじゃ、みんな。武器を構えて、行動開始だよ!」
その言葉を聞いて全員が行動を開始した。
そんな中で静也は今まで誰一人として武器らしい武器を持っていなかったので大丈夫なのかと不安の表情を浮かべる。
すると各々がポケットなりそれぞれの収納場所から何かを取り出すと、次の瞬間にはそれらは武器に変化した。
「あぁ、そういうやつね。それで、俺は何をすればいいんだ?」
「無波様はここで見ていてください。皆様の、私達の活動を」
静也の隣で静かに答える能徒。
「ひひひひ……それじゃ…やっちゃうよ…ひひひ……」
長い黒髪を靡かせ、迫りくる亡者達へ一直線に突っ込んでいく深見。
彼女の手には死神が持つような大鎌が握られていた。
「危ないっ!」
「ご心配にはおよびません。あの方に普通の人の攻撃は当たりませんので。なぜなら―」
深見に大勢の亡者の魔手が迫り、それらが彼女を捉えたかと思いきや大きく空を切った。
そして目の前に彼女が立っているのにも関わらず、彼らは周囲をきょろきょろとしていた。
「きひひ……能力……非認知……」
直後、深見の瞳が紫色に発光し、手に持った大鎌で亡者達の体を一振りに引き裂いた。
そして迸る鮮血をその身に浴び、一層スイッチが入ったのか奇声を上げながら敵陣へ駆けて行った。
「深見様は対象の視界から自分の存在を消すことが出来るのです。普通の人では破る事は出来ません」
「へ、へぇ……」
「あらあら、愛枷ちゃん。元気ねぇ。それじゃお姉さんも、やっちゃおうかしら」
そう言った姉ヶ崎の手には巨大なハンマーが握られていた。
静也は彼女のそのおっとりとした性格ゆえにてっきり小型の武器を使うのだろうと思っていたので、まさかこんなゴツイ物を出してくるとは思ってもいなかった。
そんな姉ヶ崎にも複数の亡者が迫る。
「そんなにみんなで来られたら、お姉さん、悶えちゃうわぁ」
直後、姉ヶ崎の瞳がピンク色に発光する。
それにあてられた亡者達は一斉に動きを止めて息を荒らげ始めた。
その様子はもはや敵意を示したものではなく、まるで生物的欲求を露わにしているようでゆっくりと彼女に近付き始めた。
「お姉さんの魅力。分かってくれたのねぇ。でも、美味しくなさそうだから食べてあげなぁい」
手に持った巨大なハンマーを天高く振り上げ、えいっという女の子らしい声をあげると一気に地面に振り下ろした。
すると巨大な地割れが発生し、それらの隙間に亡者達が落ちては身動きが出来なくなってしまった。
「悟利ちゃん!」
「はいです! いただきますです!」
そこへ小牧が駆けつけると、そんな亡者達の頭なり体の一部に嚙みついた。
すると、亡者達から邪悪な気配が消え、気を失っては地面に項垂れていった。
「姉ヶ崎様の魅了の能力と物理的な一撃で動きを止め、小牧様の食欲であの者達の欲を食べたのです。あぁ、カニバリズムはしないのでご安心を」
「説明ありがとう。能徒さんは行かなくていいの?」
「はい。私の今日の役目は無波様をお守りすることですので。それに、私のことは能徒とお呼びください。敬称は不要です」
能徒は淡々と答えつつも、時折迫る飛び道具や石を全て払いのけて静也に一切当たらないようにしている。
「欲しい……欲しい欲しい…その心臓が欲しい」
その声は金錠だった。
例の如く、彼も瞳を緑色に輝かせて持っている長槍で次々と亡者達の心臓を貫いていく。
一人を屠った直後、彼の背後には数人の亡者が迫り凶悪な手が伸ばされていた。
しかしそれも一度見ただけで、
「見切った。そんなもの、この僕には通じない。その頭も貰うぞ」
全ての手をかいくぐり、一瞬で全員の首を刎ね飛ばした。
「狩人はね、優れた観察眼と分析の能力で相手の動きとか次の行動を予測出来るの。ちなみに的中率はほぼ100%だよ」
「月乃」
悠然とした様子で月乃が静也の隣にやってきた。
「みんなが頑張ってくれてるから私は大丈夫かなって。それにもう少しで終わるみたいだし」
戦場を見ると敵の数はもう半分を切っていた。
しかし静也はそこで一つの違和感を抱いた。
「あの教祖はどこに行ったんだ?」
「大丈夫。あの人なら―」
月乃がその次を言おうとした丁度その時だった。
一発の銃声が響き、月乃が地面に倒れてしまったのだ。
「月……乃……?」
「あぁ…殺してやったぜェェェ! 鬱陶しいんだよお前ら! 全員ここで死ね!」
その声の方には例の教祖が立っていた。
手に持っている拳銃からは硝煙が立ち上り、今まさに標的を捉えたばかりといった様子だ。
彼は続けて静也と能徒に向けて発砲する。
だが能徒も武器を顕現し弾丸を弾き続けて静也を守る。
静也は地面に倒れて動かなくなってしまった月乃に歩み寄る。
一瞬の出来事で思考が追い付かない。
そんな様子だったが、彼女の頭部からの出血を確認すると全てを理解した。
「月乃! 月乃! 目を開けろ! 月乃!」
「無波様。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられるか! 早く救急車を!」
焦りと不安に満ちた様子で言う静也は直後、あの時のような衝動を全身に感じた。
そして赤く発光する瞳が開眼し、教祖を睨みつけた。
「月乃……待ってろ。あのゲスは俺が排除してやるからよ」
「無波様。今回はあなたが手を下す必要はありません」
「俺の邪魔をするのか? 能徒。いくら仲間になったばかりでも容赦しねぇぞ?」
「そうだよ? 今日の静也は何もしなくていいんだってば」
「えっ……」
静也はすぐ近くから聞こえたなじみのある声に全ての思考が停止した。
「いたた。やっぱり弾は痛いね。でもこれで私も仕事をしなきゃいけないって分かったよ」
「月乃? どうして……?」
「私ね、死なないの。ほら。大丈夫でしょ?」
月乃はそんな信じがたいことを言うと、さっき撃たれた場所を静也に見せる。
側頭部だったみたいだが、そこには弾痕はおろか傷一つ付いていなかった。
「死なないって……血が……」
「うーん、そうだね。また今度教えてあげるね。そろそろ能徒もみんなも疲れてきちゃうと思うし」
月乃は立ち上がると全員に告げた。
「みんな、ありがとう。これから一気にいくから下がっていいよ。ううん、下がらないと、絶対に死ぬからね?」
「まずい。星見の奴アレをやる気だ」
「あらあら」
「まずいです!」
「きひひ……撤退……」
直後全員がすぐに戦闘を中止した。
そして焦ってその場から撤収し月乃の周囲に集まった。
「能徒」
「はい。二重結界展開。これより私達は時間と空間から独立します。皆様。絶対にその場を動かないでください。動いてしまった場合は確実に死にますので」
まもなくしてキィィィという金属音にも似た音と激しい地鳴りが発生した。
そんな中でも亡者達と教祖は一ヶ所に集まったセブンスターズを一網打尽にしようと迫りくる。
「馬鹿め! これでおしまいだァァ!」
「うん。あなた達がね」
そして月乃の瞳が紅に発光し、その目線の先に小さな黒い球体を発生させた。
それは見る見るうちに大きくなっていき、ついに数メートルの大きさにまで達した。
「ばいばい」
能徒が展開した結界の中では特に何も起きていないが、外側では強風が吹き荒れているのか、その暗黒の球体に次々と亡者達や周囲に転がる廃材等が吸い込まれては消えていった。
「なんなんだあれは」
「我々セブンスターズが誇る最強戦力、星見様の能力です。回復操作。星見様が定めた地点においてあらゆる回復作用がもたらされます。人体、建物、もちろん空間や時間も例外ではありません」
球体が亡者達を飲みこみ終えると、ついに教祖だけとなる。
だが彼はしぶとく柱にしがみついていた。
「死んでたまるかよォ…!」
「ううん。死ぬんだよ。絶対に殺すから」
月乃が彼の方を見ると、それに呼応したように球体も移動を始める。
「空間の一部に強烈な回復作用がもたらされると、そこには時空の歪みが発生します。周囲の元の空間はそれを元通りに戻そうとするので、そこには強力な引力が発生します。つまりあの球体は小型なブラックホールとでもいいましょうか。ちなみに星見様が止めるまで治まることはないので対象はあれに吸い込まれて確実に死ぬのです」
「なんて恐ろしい」
「恐ろしいなんてものじゃない。敵味方関係なく吸い込んじまうんだから、予告無しにやられたらたまったものじゃない」
静也は全員の顔色から金錠が言った言葉がいかに本質を突いているのかを理解した。
「うわああああああああああああああああああああああァァァァ! おのれおのれおのれェェェッッ!」
まもなくして教祖を覆うように球体がそこを通り過ぎると、もうそこに彼の姿は無くなっていた。
「はい、おしまい」
対象の完全消失を確認すると、月乃は球体を消滅させた。
少しして能徒の結界も解除された。
一ヶ所に集まったセブンスターズの周囲の地面には円形の跡が残り、廃工場においては綺麗に無くなってしまっていた。
それでももちろん、最初に言っていた殺してはいけない人だけはその周囲に同じような円状の跡を残してその場に放置されていた。
「みんな。お疲れ様。これにて本日の生徒会活動は終わりだよ。あ、そうそう。言い忘れてたことがあったんだった」
月乃はそう言うと、静也の前に立つ。
それに合わせるように他の皆も彼を見た。
「ようこそ。セブンスターズに。そして生徒会に」
月乃の、生徒会のメンバーは皆月光に照らされ、各々で妖しく光る瞳をもって静也を歓迎した。
*********
「ハチミツとって」
「月乃姉ぇかけすぎです」
次の日、平日の昼間に全員は揃ってファミレスに来ていた。
みんなは高校生。普通なら今頃学校で勉強の真っただ中のはずなのだが。
「で、何でこんなことになってんだ?」
「何でって、昨日言ったよ? 終わったらパンケーキ食べようねって。はい、チョコソース」
「ありがとうです! 美味しいですぅっ!」
「あらあら、悟利ちゃんたら口にホイップクリーム付いてるわよ」
「いや、そうじゃなくて」
昨夜、一行は戦闘の疲労もあってそのまま解散となった。
静也も月乃と一緒に帰ったわけで、静也にいたっては帰宅後はそのままベッドでぐっすりだった。
そして今朝、月乃がいつものように静也の家へ迎えに行くと風呂に入るよう言い、制服ではなく私服に着替えるようにとも言うと、手を引いてこのファミレスに連れて来たのである。
「生徒会ともあろう者達がこんな時間に、しかもこんな場所でわいわいやってていいのか?」
「大丈夫だよ。今日は課外活動ってことで通してあるから一日学校に行かなくていいんだよ」
「都合いいな」
静也の隣では長い前髪で両目を覆ったいつもの地味な月乃がパンケーキにハチミツとつぶあんをたっぷりとかけて頬張っている。
もちろん私服も地味である。
周りも周りでチョコソースやら、ホイップクリームやらアイスやらと思い思いの食べ方でパンケーキを堪能している。
だが一人だけ妙な食べ方をする人がいた。
「何だ?」
「別に。ツナをかけるなんて珍しい人もいるんだなと思って」
金錠狩人である。
彼は静也とは対角の位置に座っており、ツナとマヨネーズ、ハムを二枚のパンケーキで挟み、まるでサンドイッチのようにして食べていた。
「最初からサンドイッチを頼めばいいのに」
「仕方ないだろう。今日は星見の希望でパンケーキの日なんだから」
「確かにパンケーキを食べたいって言ったけど、食べたかったらサンドイッチでもいいんじゃないかな」
「だとさ。勘違いだったみたいだな」
「くっ…まぁたまにはいいだろう」
こうして見ると昨日の戦闘がまるで嘘のようである。
皆が皆一様に普通の高校生で……普通の高校生…で…?
静也はあらためて席を見渡した時、異様な雰囲気を放つその存在のところで目が止まった。
「なぁ月乃。怨霊がいるんだが」
「ん? あぁ、愛伽だよ。愛伽の私服は白のワンピースだからどうしてもどっかの映画の井戸から出てくるアレを想像しちゃうんだけど、ちゃんと人間だよ」
月乃以上に長い前髪、後ろも腰の位置を裕に超えて伸びている真っ黒の超ロングである。
それで下を向いていると口元も完全に隠れてしまうので表情なんて一切分からなくなってしまう。
今は運ばれてきたパンケーキを食べている様子はなく、ただ無言でぼぅと座っている。
「深見…さん? パンケーキ食べてる?」
「…せ…静也君……ふふふ。大丈夫……私ね、スプーンじゃ食べられないだけだから……その……ふふふ」
深見の皿にはナイフとフォークではなく、スプーンとナイフが置かれていた。
どうやら店員の人が間違えたようだ。
「そうだったんだね。それじゃ、これ。こっちに余ってたから」
「あ、ありがとう。優しいのね…静也君……ふふ。あと、私のことは…愛伽か……マナちゃんって呼んでくれると……嬉しいな…ふふふ……ふふ……」
「う、うん。分かったよ。愛伽」
「ふふふ……静也君がくれたパンケーキ……美味し……」
「俺があげたのはフォークだよ?」
「ふふふ……」
変わった人だなと思う静也。
パンケーキを口に運んだ時に一瞬見えた深見の肌は、着ているワンピースと同じくらいに真っ白だった。
その時、不意に静也の膝に誰かの手が乗った。
「あ、姉ヶ崎さん」
「みんなと同じく、唯でいいのよ。それとも、お姉ちゃん、がいい?」
「お姉ちゃんはちょっと」
「冗談よぉ」
姉ヶ崎は相変わらずおっとりとした目で静也を見ては優しく微笑む。
さながら、自分で言っていたお姉ちゃんを思わせる和やかさを宿して。
「ねぇ、静也くん。お姉さんね、静也くんが入ってくれて嬉しいの。だって、月乃ちゃんを傷付けられた時のあの感じ。あの目。ぞくぞくしちゃったの…… 静也くんって強いのね」
「あの……唯…?」
「だからね、もっと静也くんを知りたくなっちゃった。ねぇ、今度は二人でお話しない?」
姉ヶ崎の目は僅かだがピンク色に光り始めていた。
そしてその豊満な胸で静也の腕を柔らかく包み、膝にあった手は今まさにゆっくりと脚の付け根の方へさわさわと動き始める。
「だめ……? いいでしょ……?」
「ちょっ……」
静也の耳にその甘い吐息が触れ、鼻腔は女の子特有の甘い香りに支配される。
蠱惑的な眼差しにより静也の頭は次第にぼーっとし、今自分がファミレスにいる事さえも分からなくなっていった。
「唯。その辺にしとこうね」
突如聞こえた月乃の声で静也は我に返り、周りを見渡した。
相変わらず表情が分からない月乃だが、前髪の奥から静也をじっと見ているように思えた。
金錠は気まずそうに眼鏡を拭き、深見は顔を上げてなにやらにやぁと口角を上げている。
これに対して最も著しい反応を示したのは小牧だった。
「えっ……えっちです……」
小牧はまるで見てはいけないものを見てしまったかのように、それでいて隠れて見ているかのように顔を覆った指の隙間から静也と姉ヶ崎を見ていた。
「ふふふ。まだ悟利ちゃんには早かったみたいね」
「早かったも何も、こんなところでしようとしちゃ駄目でしょ?」
「だってぇ、昨日はすぐ寝ちゃったし、朝だって時間無かったしで出来なかったんだもん」
「それでもせめて場所と人は選ばなきゃだよ?」
「うーん。分かった。お姉さんはこういうのも嫌いじゃないけど、月乃ちゃんが言うなら今日は我慢する」
そして名残惜しそうな視線を静也に向けて腕を離す姉ヶ崎。
その頃にはもう瞳の発光は止んでいたが、なぜか姉ヶ崎の体は少しほてっていた。
ちなみに、何が出来なかったのかについては誰も言及しなかった。
「申し訳ございません。私がいながら小牧様の目を塞ぐ事が出来ず。やはりまだ少々早かったようで」
「むぅ。わちは子供じゃないです! れっきとした大人の女ですぅっ! こういうのも余裕ですぅっ!」
小牧は口元にホイップクリームを付けたまま、無い胸を張って堂々と言い放つ。
もちろん全員の視線が幼いそれらに向いたのは言うまでもない。
「そうねぇ。悟利ちゃんは高校一年生だもんねぇ」
「そうです! 大人なんですぅっ!」
姉ヶ崎はまるで母のように小牧の頭を撫でて皿に残っていたパンケーキを食べさせてあげた。
両手にフォークとナイフを持ち、おいしいと無邪気に満面の笑みを浮かべるその様子はやはりどう見ても子供のそれだった。
「小牧様。お次のパンケーキでございます」
「わーい! いっぱい食べるですぅっ!」
「というか、食べすぎじゃないか? 今何枚目?」
一切衰えないその食欲に素直な疑問をぶつける静也。
「多分八枚目くらいです! いっぱい食べると大きくなれるです!」
「いえ、二十枚目になります」
大皿に乗ったパンケーキに小牧が好みそうなトッピングをする能徒が訂正する。
そして飲み物が無くなりそうなので、そのコップには牛乳をついであげていた。
「まぁ、悟利の欲は食欲だからこれでもまだ少ない方だよね」
月乃がそう言うと、静也はずっと疑問に思っていたことを聞くことにした。
「金錠は獲得欲求と分析の能力を持ってて、小牧は―」
「悟利でいいです! わちも名前でいいです!」
「そうか。悟利は食欲を持ってるけど能力は分からない。唯と愛伽と月乃の欲は分からないけど、それぞれ魅了と非認知と不死。能徒はバリアみたいな能力を持ってるけど、欲は分からないな。良ければでいいんだけど、これから一緒にやっていくわけだからみんなの欲とか能力を知りたいな。もちろん俺自身のも。どうなんだ? 月乃」
「そうだね……うーん……」
と言って月乃は一度全員を見渡すと、何かを察したように続けて口を開く。
「まぁ、おいおいってところかな。でも静也の欲と能力は教えてあげるね。欲は排除欲求で、能力は感覚選択だよ」
「排除? 感覚選択?」
「うん。簡単に言うと、自分が消したいと思ったものは徹底的に排除したくなるっていう欲求だよ。その証拠に、静也は気に入らない人を今まで何人も消してきたでしょ?」
「言い方はともかくとして、確かにそうだ。で、感覚選択ってのは?」
「それはね、五感と痛覚の内どれを敏感にするか、逆に感じなくさせるかを選ぶことが出来るの。あと、少し練習すればその感覚を研ぎ澄ませて他の人の感覚を自分と共有させることも出来るんだよ。あえて言うなら共感ってやつかな」
「話だけ聞いてると凄そうだな」
「凄いってものじゃないよ。痛みを感じなくなるってことは確かにデメリットもあるけど、戦闘で怯まなくなって隙が減る分優位に立てるんだよ。あと他の感覚だって上手く使えば十分に強力なんだよ」
静也は我ながらその能力に驚くが、欲に関してはそこまで驚きを示さなかった。むしろ、納得といった様子である。
「それにしても、どうして月乃は俺の欲だけじゃなくて能力まで知ってるんだ?」
「何年一緒にいると思ってるの? っていうのは冗談。私達の方で時間をかけて観察して調べてたの。すごいでしょ」
「そうだな。流石は月乃だ」
長い前髪によって表情は分からなかったが、なぜか月乃が頭を撫でられたがっているように感じたので、そのまま撫でてやる静也。
「ちなみに今静也が私を撫でたのは無意識に私と感覚の共有をしたんだよ? 今は無意識でも、練習すればいつかは意識的に出来るようになるからね」
「そっか」
話が一旦途切れる、
すると能徒が月乃に何やら耳打ちをすると、月乃は口元をむっとこわばらせた。
「えっと。それじゃ、みんな。楽しいパンケーキ……じゃない、静也の歓迎会兼親睦会はそろそろお開きになるよ」
「俺の歓迎会も込みだったの?」
「うん。先に言っちゃうと静也のことだから遠慮しちゃうかなって思って」
静也はあらためて周りを見ると、一人を除いて歓迎してくれているように笑顔を向けてくれていた。
一人というのは無論金錠である。
しかし、月乃曰く照れ隠しなのだという。
「みんな。ありがとう。何て言ったらいいか分からないけど、俺、凄く嬉しいよ。これからはみんなの為に頑張るよ」
「そうですぅっ! わち達は同じ釜の飯を食った仲なのですぅっ!」
「ふへへ……仲間…みんな……仲間…」
「お姉さんも嬉しいわぁ」
「ふん。勝手しろ。僕は何でもいい」
「狩人も本当は嬉しいくせに」
「う、うるさい。僕は別に嬉しくはない。勘違いするな」
「歓迎します。無波様」
各々が静也を歓迎した。
これにて今日から無波静也は欲に支配された人々を狩るセブンスターズであり、星条院高校の生徒会の一員となった。
―Interlude.1―
星見月乃は窓から身を乗り出して夜空を見上げていた。
そこは雲一つ無い満点の星空だった。満月が煌めき、月光が月乃の部屋を明るく照らす。
今日の月乃はとても上機嫌だった。
なぜならかねてより目を付けていた幼馴染の彼、無波静也を私立星条院高校で自らが会長を務める生徒会に加入させ、欲に支配された人である通称Greedと戦う組織のセブンスターズに引き入れることが出来たからだ。
窓を閉めた時、そのガラスには口角を上げた自分の顔が映っていた。
生徒会兼、セブンスターズ。
副会長の姉ヶ崎唯、会計の金錠狩人、企画の深見愛伽、書記の小牧悟利、総務の能徒叶。そして庶務の無波静也。
「七人でセブンスターズ。六人だったらシックススターズになって怒られちゃうよ。だから静也が入ってきてくれて本当に良かった」
それから月乃は机に置いてある写真を見た。
小さい頃に静也と撮ったものだった。その横にはまだ静也が入る前に生徒会で撮った写真もあった。しかしそこには唯と悟利と愛伽を入れた四人しか映っていなかった。ちなみに撮ったのは能徒である。
「ここまで増やしたんだもん。セブンスターズを、私の楽園を壊させるなんてさせない…… Greedなんかには絶対に負けないんだから」
それから視界にもう一つの写真が入る。
それは両親と撮った一枚だった。だがそれは酷くボロボロで、写真立てで固定されていなければゴミと間違えてしまうほどに汚れていた。
「……」
月乃はそれを一瞥しただけで、次の瞬間には何も言わずに自分の部屋を出た。
廊下や他の部屋には電気が点いておらず、歩く度に床が軋む音が聞こえる。
そんな中で月乃はキッチンに立った。
「はい、ご飯だよ」
缶詰を開けてやると飼っている猫がすり寄る。
美味しそうに食べているその様子につい表情がほころぶ。
「そうだ。そろそろご飯の準備をしなきゃね」
今度は自らの食事の準備と、もう一つの食事の準備を始めた。
月乃が食べる分と、別室で飼っているペットにあげる用だ。
そして出来上がると三つのトレーに食器を並べて盛り付けた。
「これでいいかな。今日はちゃんと食べてくれるかな」
そのうちの二つのトレーを持って廊下を歩き、地下への階段をおりる。
地上よりはひんやりとし、簡素で無機質な廊下を進むとその先に一部屋だけあった。その部屋には別で扉が付いていた。
「ご飯だよ。今日はお肉にしたよ」
扉を開けて床にトレーを二つ置くも、そのペット達は食べようとしない。
むしろ月乃に対して怯えた目を向け、震えたまま奥から近寄ってこようとしなかった。
「ほら、ちゃんと食べないと死んじゃうよ? ねぇ、お父さん、お母さん」
そう呼ばれた二人はビクリとして恐る恐るトレーに近付いて、月乃の表情を窺うようにして震える唇で食事にありついた。
完食まで見届けた月乃は満足そうにトレーを持って部屋を出ようと二人に背を向けた。
「……私を殺すつもり?」
直後その背に殺気を感じた月乃はぐるりと顔だけ振り返って獰猛な白い歯を見せた。
「出来るものならやってみなよ。逆に殺されてもいいならね」
月乃はトレーにより両手が塞がっている。にも関わらず二人はその異様ともいえる圧によりそれ以上前に出ることが出来なくなってしまった。
「それじゃ、また明日もご飯持ってくるから、大人しくしてるんだよ?」
長い前髪の奥で妖しく光る瞳を向けると、その部屋の扉を施錠した。
それから地上階に戻ると、一階と地下とを繋ぐ扉を施錠した。
「あ、そうだ。静也に生徒会の事をLINEしないと」
それからスマホを打つ月乃。
その顔はもういつもの物静かで地味な表情に戻っていた。
「これでよし。明日からの生徒会楽しみだなぁ。セブンスターズの方も忙しくなるぞぉ」
期待を胸に鼻歌を歌いながら今日も夜が更けていった。




