2-47 地味っ娘と行く、あくまで普通のお出かけ(前編)
静也の部屋にけたたましい音が鳴り響いた。
アラームであるそれを止めようと、静也はいつもスマホを置いてある場所に手を伸ばした。そうしてスマホに手が触れた時、なぜかそれが逃げるようにして遠ざかった。
いまだに眠りに抵抗して目を開けていない静也は疑問を抱きつつも、その周辺を手探りで捜索した。その間もスマホのアラームが鳴り続けている。
結局いくら手を動かしても見つけ出すことが出来ずにいい加減鬱陶しく思えてきた静也は、諦めて瞼を開けて探すことにした。
だがそんな時、スマホのアラーム音が消えた。
「……ん?」
「おはよう。静也」
かなり近くから聞こえた静かで抑揚の無い声。もちろん静也はその声を知っていた。
直後そこに目を向けた静也は一気に頭を覚醒させた。
「なっ! なんで!?」
ベッドから飛び起きると、その目の前の驚くべき光景に目を丸くした。
「なんでって。起こしにきたんだよ? 最近は全然来ていなかったし」
「だからってなんで俺のベッドの中にいるんだよ?」
「興味があったんだよ」
「興味?」
その疑問に問いかける静也。
時刻は朝の九時を過ぎた頃だった。
本日の静也は、先日の約束通り月乃と出かけることになっている。その開始予定時刻は朝の十時で、その時間に静也が月乃の家に迎えに行くことになっていた。
しかしあろうことか、現時刻において月乃が静也のベッドにもぐりこんでいたのだ。
「うん。この前能徒と寝たんでしょ?」
「言い方に誤解が生まれそうなんだが。まぁ、寝たな。言っておくが何もしてないからな」
「それはこの前のお話で分かってるよ。でね、能徒はこのベッドの中でどんな気分だったんだろうって思ったの。だからやってみた」
両目を完全に覆い隠すほどに長く黒い前髪の奥で静也を見つめる月乃は、いまだにベッドで横になったままである。
そんな月乃は以前静也がその家を訪れた時に見た、あのしいたけのイラストが幾つも入った地味な寝巻を着ていた。
「で、どうだったんだ?」
「うーん、なるほどって感じ。可もなく不可もなく、静也の匂いがしたよ」
「どういう意味か全く分からないんだがな。というか、なんで寝巻なんだよ。出かけるなら私服はどうした?」
「あるよ? そこに」
月乃が指を差したところには鞄があった。外に服が出ていないのでその中に入っていることは間違いがないようだった。
そうなると、と静也は一つの疑問感じた。
「今さっき来たわけじゃないな? 本当はいつ来たんだ?」
そう。月乃があまりにもラフすぎており、なんならさっき静也が飛び起きた際に布団の中からは月乃の温かな匂いがその鼻腔をくすぐっていた。
服装からしても明らかに大分前からいたことは間違いないようだったのだ。
「えっとね、まだ暗かったけど日付は変わってたかな。多分一時か二時くらいだった思うよ?」
「俺が寝てからわりとすぐじゃねぇか。それで合鍵で家に入って着替えて寝たと?」
「お風呂も借りたよ」
「ちゃっかりしてるな」
「だって能徒だけがこんな経験をしていてずるいもん。私だってやってみたかったんだもん」
月乃の口元がむっと強張った。
「あれは不可抗力で、あの時はああするしかなかったから仕方がなかったんだ。能徒だって本当は我慢していたに違いないぞ?」
「え、なんだって?」
「急にラノベ主人公みたいに難聴になるな。というか、なんで俺は起きなかったんだ? 普通なら誰かがベッドに入ってきたら起きるはずなのに」
「それは私が起こさないように気を付けたからだよ」
「それにしたって流石に気が付くって。まさか、月乃の地味は寝ている相手にも有効なほどに極まったのか?」
「ひどいよ? いくら私でもそこまで地味じゃないもん」
また月乃の口元がむっとした。
声は抑揚が無く小さい。そして親の顔よりも見てきたお馴染みの長い前髪。もっさりとした黒髪ボブカットに、食事の趣味やその寝巻といい、誰が何と言っても月乃は地味だった。ついでに影も薄い。
そんな月乃はむくっと起き上がった。
「地味かどうかはさておき、そろそろ準備をしなきゃね」
なんやかんやで時刻は九時半を過ぎた。
十時開始なので月乃は何かを言いたげに静也を見ていた。
「どうした?」
「準備するの。だから着替えるの」
「うん、そうだな」
「そうだなじゃなくて、着替えるから外にいて? 恥ずかしいよ」
「ここは俺の部屋なんだが。まぁそういうことなら分かった」
そうして部屋から出た静也は先に顔を洗ったりと他の準備を整えた。
案外早く終わってしまった静也は、もう着替え終わっただろうと自室の扉を開けた。すると中では
「あ……」
「何してんだ?」
「えっとね、枕がね、固いなぁって」
月乃は着替え終わっていたものの、その格好で再びベッドに入って静也の枕に顔を埋めていたのだ。
「俺の匂いは可もなく不可もなかったんじゃないのか?」
「うん。でもやっぱり可だったみたい」
「自分では分からないんだけど、絶対に男臭いだろ」
「そんなことないんだよね。なんかこう、人って誰でも不思議な匂いがするんだよね」
「へぇ……」
すると静也が不敵な表情になった。
それに対して月乃は何かを察したようだ。だがもう遅かった。
「なら、月乃も不思議な匂いがするんだよな」
「あ……それは…」
静也は床に落ちていた月乃の寝巻を手に取っていた。
そしてそれに顔を埋めて嗅ぎ始めたのだ。
「静也……多分臭いと思うよ……?」
「いや、臭くないぞ? あの時もだったけどいい匂いだ。これが不思議な匂いってやつなのか?」
すると静也の鼻が調度脇の辺りにさしかかろうとした。
そこは先日、絶対に駄目と言われて止められた箇所だった。
「静也、そっちは…」
月乃はまた止めた。だがそれは間に合わず、静也はそこを嗅いだ。だが
「臭くないぞ」
「絶対に嘘だよ。脇とかそういうところは蒸れるから変な臭いがするんだよ?」
「いや本当に。なんだろうな」
さらに静也はズボンにも鼻を向けた。だがそっちだけは本当に駄目だったようで強引に取り返されてしまったのだった。
「むぅ。どうして静也はそんなに臭いを嗅ぐのが好きなの?」
「好きってわけじゃないぞ。でも月乃は普段香水とかそういうのを使わないのにいい匂いがするんだ。唯と能徒は別で匂いがするけど、月乃にはそういうのが無くて素の匂いって感じがして新鮮なんだよ。雑味が無いっていうのかなぁ」
「なんかすごく変態みたいに聞こえるよ?」
「月乃だってさっき俺の枕に顔を埋めてたり、それこそ深夜にベッドに入ってきたじゃないか。人のこと言えないぞ」
「それは……私はいいんだもん。生徒会長だしセブンスターズのリーダーなんだもん」
「何も言い返せなくなったんだな」
また月乃の口元がむっとしたので、静也はそのへんにしておいた。
それから二人そろってキッチンにいくと、何か食べるものはと探した。
「朝飯はどうする? って言っても今は家に何も無いんだよな」
「それなら途中でコンビニに寄ろうか。駅前にあったはずだし」
「そういうことならそうしようか」
ということで食事に関しては決まったので出発の準備を整える二人。
「ところで、今日はどこに行くんだ?」
「あぁ、そうか。まだ言ってなかったね。今日は動物園に行くよ。カピパラを見るの」
「また何ともいえないチョイスだな」
「それで深海生物も見られる場所があるから、ダイオウグソクムシも見るよ」
「またまた全く動かないものを」
やはり地味だな。なんて静也は思ったが、それはもうこの先何回も言いそうな気がしていたのでここでは言わなかった。
「着替えを入れてきた鞄は持って行かないのか?」
「うん。また帰りに寄るから置いておくよ。今はこれで平気」
そう言った月乃はシンプルな鞄を背負っていた。
ロゴやブランドも全くの無名で、逆にどこで売っていたのかが気になるような地味さがあった。だからといって別にダサいわけでもなかったので静也は何も気にしなかった。
「それじゃ行こうか」
そうして二人は玄関を開けて出発した。
そこから少し歩いて駅前のコンビニで朝食を買うと、電車を待っている間に食べた。
ホーム内アナウンスの直後に到着した電車に二人が乗り、それからは他愛もない話をしながら揺られていた。
「ところで、なんでまた動物園なんだ? 俺達はもう高校生だぞ? 象とかキリンを見て騒ぐ年齢でもないだろ?」
「うん。でもカピパラとダイオウグソクムシが見たくて。それに、動物園はいいんだよ。まるで社会の縮図みたいで感慨深いの」
「そんなふうに思っている人を始めて見たわ。というか、月乃は見たい動物のセンスまで地味だな」
「地味じゃないもん。本当は今日はしいたけ狩りにしようか迷ったけど、動物園にしたからその分地味じゃないもん」
月乃の感情の物差しでもある口元がまたむっとなった。でもすぐににこっとしたので怒ってはいないようだった。
それを見た静也はもっと地味についていじってみようかとも思ったが、今回はやめたのだった。
そんな時、電車内に男の怒鳴り声が響いた。
「ここは優先席だ! 年寄りに席を譲れ!」
そこにいたのは、優先席に座っている女性にいちゃもんを付けている中年の男だった。
その光景を同じ車両に乗ってる全ての人が見ているものの、誰一人として助けに行こうとしなかった。
「いるんだよね。ああいうの。女性の方をよく見てみ? 妊婦さんだよ」
「本当だ。妊婦さんのキーホルダーを付けてるな」
「もう……仕方ないね。Greedになられても面倒だし、ちょっと行ってくるね」
そうして月乃がそっちに向かって行った。
「こんにちは。お腹大きいですね。大丈夫ですか」
「は、はい……」
「なんだガキ。オレが目の前にいるだろ。そこをどけよ!」
「おじさん。見るからに元気そうですね。優先されるような老人ではないんじゃないですか? 老人じゃないなら老害っていうのかな」
「な…に……?」
男はそれを聞いてイラついた表情を月乃に向けた。そして男は殴りかかるような素振りは見せずに罵声を浴びせ続けた。だがそれに対して一切無反応の月乃を前についにキレたのか拳を振り上げた。だが
「あぎゃ…っ!」
直後にはそんな短い声をあげて車両の壁面に突き飛ばされてしまった。
「おっと、よく見えなかった。何かの害虫を蹴っちまったようだ。大丈夫か? 月乃、お姉さん」
「は、はい」
「うん。私もなんともないよ。あれくらい私がやれたのに」
「駄目だ。あいつは月乃を殴ろうとした。それに罵声も浴びせたんだ。ここで排除する」
静也がそんな会話をしていると、突き飛ばされた男が体勢を整えて静也を睨んだ。それから色々と文句やら罵声を浴びせてきた。だが静也はそんなことに構わずに男の目の前まで行くと
「あぎゃ…っ!!」
「おっと、また見えなかった。やはり害虫、いや老害は目に余る。いや、目に入らないな」
「お、おま……」
「おい、おっさん。あの人は妊婦だ。見えねぇのか? それにお前は俺の連れを殴ろうとした。その手を潰して目玉をくりぬいてやろうか?」
と瞳を赤く輝かせてじっとりと詰め寄った。そして冗談で言っているのではないとして、男の手を掴んで潰れるぎりぎりの力で握った。
「いっ……やめ……」
「それかここで死ぬか? 俺の連れに手を出そうとした罪は重い」
「静也。もうそのへんにしてあげてね。そろそろ着くよ?」
月乃のその言葉によって瞳を元に戻して手から力を抜いた静也は静かに男から離れた。そして電車の扉が開くと、その男は逃げるようにして外に去って行った。
「排除しなくて良かったのか?」
「いいんだよ。そんなことしたらお出かけの時間が減っちゃうし。次に見つけたら消せばいいよ」
「そうか。まぁ、月乃がそう言うならいいか」
そうして電車の扉が閉まって発車した。
「ほら、次の駅だよ。それじゃお姉さん。お元気でね」
「あ、ありがとうございました」
月乃は口元で笑うと静也の所へ戻った。
それから数分後、目的地の駅に到着した二人は電車から降りて駅から少し歩いた。
次回は12/13の予定です。




