2-46 お姉さんと健康で文化的なお出かけ(後編)
「静也くんをお姉さんのものにしても、いいよね……?」
桃色と色とりどりの妖しげなネオンが光る路地。そしてその一つの建物の前で唯の瞳がピンク色に発光する。
その蕩けた表情と吐息がじわじわと静也の自制心を乱していき、次に静也がその瞳を見た時、不思議な感覚のもとで頭がぼぅとしていった。
「……ゆ…い………」
「ここ、入ろう?」
唯は恍惚とした表情と目を静也に向けた。
それから絡めていた腕をさらに熱く強くホールドし、ぎゅっと自らの胸の中に埋めた。
静也はそんな唯から漂ってくる甘く淫靡な香りにますます意識が遠のいていき、ついには本能のままにその建物に歩き始めてしまった。
「静也くん……お姉さんのこと、好き?」
「俺は……唯が……」
「そこまでです!」
その時そんな声が響いた。
その人は颯爽と影から出てきて二人の行先を塞ぐようにして降り立った。
「なぁに? お姉さん達に何か用かしら? 今、とっても大事な時なのよぉ?」
「姉ヶ崎様。星見様とのお約束をお忘れですか? あなたといえど、ただでは済みませんよ?」
現れたのはセブンスターズの万能メイドこと、能徒叶だった。
彼女はいつも通りメイド服を着ており、凛とした表情で唯を見ていた。
「こんなことをしたあなたもただじゃ済まないんじゃなくて? 今日はお姉さんと静也くんが誰にも邪魔をされずに二人でお出かけをする日。それは月乃ちゃんと約束をしたのよ? お姉さん達の約束を邪魔するつもりなのかな?」
唯は微笑んでいたが、その目には怒りが滲んでいた。
「無論、私としてもお二人が健全な外出をされているのでしたらこうして止めることはしませんでした。しかし、こうなってしまってはお話は別です。そもそもお二人は十七歳。このような場所に立ち入ることは法からもお約束から逸脱してしまいます」
「ふーん。それで、能徒がこんなことをしているのは月乃ちゃんは知っているの? まさか独断で止めに来たの? それこそ月乃ちゃんに怒られるわよ?」
「ご心配にはおよびません。私は一度信じた方を個人の意思で疑うことはしません。今回は全て星見様のご命令です。私の役目は姉ヶ崎様と無波様を遠くから護衛すること。そしてお二人の約束が破られるようであれば全力で止めるということです」
唯はそれを聞いて少し口角を上げた。
「そう。ちなみに、報告はしたの?」
「いえ、まだです。このまま何もせずにお帰りになるのでしたら何も見なかったことにします。そして星見様には問題が無かった旨を報告します」
「そう。でもお姉さんはね、やっぱり静也くんが欲しくなっちゃったの。だからこの際月乃ちゃんとやりあってもいいと思ってるのよ。ここで能徒を大人しくさせてから、静也くんと甘い夜を過ごしてからね。なんなら能徒も一緒にどうかしら? この前濡らしてたんだし、それに三人でってのも嫌いじゃないし」
「ご冗談を。私は皆様のメイドです。そして星見様が主です。それ以上でもそれ以下でもありません。星見様のご命令は絶対ですので、どうしても退かないというのでしたら私が力づくで姉ヶ崎様を止めます」
直後、能徒はメイド服のスカートの中に手を入れて二本のナイフを取り出した。そしてその群青色の瞳を水色に発光させ始めた。
だがそんな時だった。
「……ん? 能徒? どうしてここにいるんだ?」
「無波様。意識が戻られたのですね。実は―」
唯の瞳から逸らされていた時間が長かったために静也の意識が確かなものに戻ったのだ。それから能徒が事の経緯を説明した。
「―ということになります。無波様は姉ヶ崎様の能力、魅了にあてられていたのです。」
「なるほど。だからこんな所に入る寸前だったんだな」
「もう、こんな所なんてひどいよ? ここは愛を育む神秘的な場所なのよ? 今日一日で愛と命の素晴らしさはちゃんと理解したでしょぉ?」
「確かにそうだが、ここは同時に欲望と劣情が渦巻くところでもあるだろ。それに俺達はまだ高校生だ。今日は帰ろう?」
「そういうことです。どうかお帰りください。姉ヶ崎様」
帰宅を促す静也。能徒もそれに便乗した。
唯がそれに対して口を開こうとしたそんな時だった。
「いやあああああああああああああああああああ!!! 誰か! 誰か!!」
女の悲鳴が響いてきたのだ。
否応なしに三人の意識がそっちに向いた。
「さっきからなんなの? せっかくの静也くんとのデートが台無しよ」
と唯が不満を漏らして能徒を見た。
「……分かった。今日はもう帰ることにするわよ。もちろん静也くんと一緒にね。それは構わないでしょう?」
「はい。何もしなければ星見様も咎めることはないでしょう」
「そう。あーあ。興ざめね。静也くん、能徒。とりあえずあの悲鳴のところにいくわよ」
そうして三人はその出所へと急いだ。
入り組んだ路地を手当たり次第に進み続けていると、ついに発見した。
「いや……こないで……やめて……」
「姉ちゃん、可愛いなぁ……少しくらいいいだろ……? おじさん、我慢できないんだよぉぉ」
若い女性が中年の男性に怪しく迫られているところだった。そしてその男は異様な雰囲気を放出し、よだれを垂らしながら一歩また一歩と距離を詰めていっていた。
「あれはもう駄目ね。欲に支配されてもはやGreedよ。能徒、結界を張ってちょうだい」
「はい。姉ヶ崎様」
幸い周囲には他に誰もいなかったので、たちまち結界が張られるとその中には女性と男とセブンスターズの三人の計五人だけとなった。
「能徒は女の人を。静也くんは私と一緒に来て。とっとと終わらせるわよ」
「分かった」
「承知しました」
そして唯が瞳をピンク色に発光させながら男に向かって言い放った。
「おじさん。女の子をいじめちゃ駄目よ? そんなに酷いことをしたいなら、お姉さんと遊んでかない?」
「…あ? お前も…いい女だなぁ…… よぉし、今日はお前にするかぁ。それで、お前はいくらなんだ? いくら欲しいんだ?」
次の瞬間には男の視線が唯に固定された。
その隙に能徒がその女性のところに走って行って保護すると、結界の外に出して逃がしてやった。
男はそれにすらも気付かずに唯を見ている。そして唯に向けてよろよろと歩き始めて手が伸ばされると、唯はその手を取った。
「いくら? そうねぇ、お金はいらないわ。でも―」
直後、その手を捻って地面に転ばせた。
男はあっけなく仰向けに倒れると、その目に月光に照らされた巨大なハンマーを映した。
「おじさんの命が欲しいなぁ」
まもなくして唯はその男の頭にハンマーを振り下ろした。
声をあげることなく一瞬で絶命した男は地面で動かなくなった。
「俺、いらなかっただろ?」
「そんなことないわよぉ。万一さらに欲を暴走させていたら面倒だったもの。それに、この欲は厄介なのよ? ただでさえ強いうえに、獲物に対する執着が尋常じゃない。今回はお姉さんに標的を変えてくれたから暴走したら間違いなくお姉さんが襲われることになったはずだし、そうなったら静也くんに守ってもらおうと思ってたの」
「へぇ。で、ちなみにその男の欲はなんだったんだ?」
「性欲よ。人間の三大欲求の一つ。食欲と睡眠欲に並ぶ強力な欲よ」
セブンスターズでは悟利が食欲である。
先日、静也は悟利のフルパワーがどんなものかを月乃から聞いた。それはセブンスターズ最強の月乃ですらも強いと言わしめるものだった。
それに並ぶ欲求、性欲。
そんな強力なものをこんな男が持っていてGreedになったのだ。
静也はその万一という言葉の重さを痛感した。
「それじゃ、静也くん。今日は帰ろうか。やっぱり月乃ちゃんと争うのは避けたいし。これでいいでしょ? 能徒」
「はい。では今回は何も無かったということで星見様に報告いたします」
「それでよろしくね。あと、それ。いつも通りにお願い出来るかしら?」
「承知いたしました。では、気を付けてお帰りください」
一礼をした能徒を背に、唯と静也は二人で結界から出て帰路に着いた。
***
「今日は色んなことがあったわねぇ。静也くん」
「ほとんど唯のせいだろ」
「せいってひどいわぁ。お姉さん、泣いちゃうわよぉ」
電車を降りて唯を家まで送っている静也。そんな帰り道でも唯は静也の腕に抱き付いていた。
変わらずの甘い香りがその鼻腔をくすぐり続けているものの、あの時のような感覚にはなっていないので意識はしっかりとしていた。
「ところでさ、さっきの魅了の能力に今日行った所といい映画といい、いつも俺にべたべたしてくることといい唯の欲が分かったぞ」
「ん~? 言ってごらん?」
「唯の欲は性欲だ。そうだろ?」
それを聞いた唯は柔和に微笑むと、少し複雑な顔になった。
「正解よぉ。さすが静也くんね。そう、お姉さんは性欲の欲祓師よ。最初の頃に静也くんがみんなの欲を聞こうとしたじゃない? お姉さんが言わなかったのは、この欲は変に勘違いされることが多いからよ」
「別に変じゃないだろ? それこそ人間の三大欲求の一つで誰にでもあるものなんだから」
「そうなんだけど、お姉さんのこの見た目と学校での評判がこの欲のお陰って思われたくなくて。あと、ふしだらだとか淫乱だなんてのもね。性欲って人をエネルギッシュに見せたり、女性であれば女らしくより魅力的に見せる効果もあるの。お姉さんが学校の男の子達から異常に人気があるのはそういうのもあるのよ」
「それには自覚があるんだな。でも俺は淫乱だなんて思わないな。確かに唯は色々してくるけど、誰にでもそういうことをしているわけじゃないだろ? 淫乱やふしだらってのは見境なくやっている人のことだ。だから唯はそういうのじゃないよ」
静也は真剣な口調で言った。
ある種、唯は自分の欲に対してコンプレックスのようなものを持っていた。だがそれを否定してくれたことによって唯は安心とともに嬉しさを感じたのだった。
「静也くん……ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ。やっぱりお姉さんは静也くんをお姉さんのものにしたいわぁ」
唯はさらに強く腕に抱き付き、幸せそうな表情をした。
さらに少し歩くと唯の家、マンションの一室の前に到着した。
「それじゃあね。今日はとっても楽しかったわぁ。また二人で行こうね」
「機会があったらな」
「それはやんわり断る言い方よぉ。……ねぇ、静也くん。少し、あがってく?」
「いやいやいいって。明日もあるし、もう遅いし」
「冗談よ。本当に月乃ちゃんに怒られちゃうわ。あ、でもこれだけ」
すると唯は静也に顔を近づけた。そして
「えっ」
「月乃ちゃんもこれくらいなら許してくれるわよ」
頬にキスをしたのだ。
それに驚いている静也の顔を見て満足した唯は、またねと言うと家に帰っていった。
****
帰り道、静也はさっきの出来事を思い出してぼぅとしていた。
だがそれも悪戯でやったことだろうし、それこそその反応が見たかったからだろうと思って正気に戻った。
それから無事に帰宅をすると、直後には唯からLINEが届いた。その中には今日のお礼といつの間にか撮られていた写真が添付されていた。
「いつの間に…」
それに返信し終えると、その直後には月乃からもLINEが入った。
「明日も十時か。また月乃の家に迎えにいく感じだな」
明日は月乃と二人で出かける番だ。
幼馴染であるがゆえに唯ほど緊張はしていない静也は、分かったと返信をした。
それから寝る支度を済ませると、明日のために眠りについた。
次回は12/11の予定です。




