2-44 お姉さんと健康で文化的なお出かけ(前編)
午前九時。静也は目を覚ました。
当然だが今日は一人だけの目覚めである。
ベッドから出ると、そこにはもう静也だけの匂いしかなかった。
一晩で能徒の残り香が消え、ばさりと掛け布団を整えてもほんの僅かでも万能メイドの香りが舞うことは無かった。
カーテンが開かれると、静也の目には快晴の空模様が映り、思わずため息が出た。
「唯と出かけるのか……」
これも先日、静也と能徒の間にきわどい出来事があり、それに謝罪を込めてというか流れ的に唯と月乃のそれぞれと出かけることになったのだ。
そして今日は唯と二人で出かける日である。
もちろん拒否権なんて与えられていない。
約束は十時。
一時間後には唯の家に迎えに行くことになっているので着々と準備を進めていく中でまたもやため息が漏れた。
このため息は他のセブンスターズの面々が不安の面持ちで二人を止めようとしていた様子を思い出したことと、そもそもが今日どこに行くことになるのかが分からないという不安によるものだった。
すると静也のスマホに通知が入った。それは愛枷からだった。
『気を付けて』
との一言だけだった。
それに一層不安を感じた静也は、深くは聞かずにありがとうとだけ返信したのだった。
それから準備が整ったので静也は不安の面持ちで唯の家に向けて出発した。
***
「ここか」
時間丁度の午前十時。
唯の家であるところのマンションの一室の前に到着した静也。
そこでインターホンを鳴らそうとした瞬間、静也は何ともいえない異様な気配を感じて指を引っ込めてしまった。だがそんな時、そのドアが開いた。
「やっぱり静也くんね。もう少し待っててね。すぐに終わるから」
「お、おぉ」
中から現れた唯はなんともラフなというか、ルームウェア用のショートパンツと胸元がざっくりと開いたキャミソールを着ていた。しかも若干汗ばんでいた。
元々スタイルがいい分その破壊力は凄まじく、静也は思わずその抜群のプロポーションに目を奪われた。それに気が付いたのか、唯は僅かに笑って扉を閉めた。
その際に部屋からもわっと香ってきた女の子の、いや、女の匂いが鼻腔をくすぐった。しかもやけに濃いように感じた静也は一瞬頭をくらっとさせた。
「おまたせ。それじゃ今日はよろしくねぇ」
少しして部屋から出てきた唯は、今度は明らかに外出用のオシャレな服を着ていた。
さっきとは違って肌の露出は少なく、体のラインもあまり出ないふわふわの白ニットにロングスカートを履いていた。さらにブーツを履いているので底の分だけ二人の身長差が縮まっていた。
今日も相変わらずの柔和な雰囲気を放つ唯が微笑むと、私服という新鮮な服装も相まって静也は少し緊張した。
それを察した唯は、まるでかわいいとでも言っているかのように半眼で再び微笑んだ。そしてその目には僅かに妖しい光が灯っていた。
「それで、今日はどこに行くんだ?」
「そうねぇ、朝ごはんは食べたの?」
「いや、何も」
「それならまずは何かを食べようかな。お姉さんも何も食べてないし、朝から汗をかいちゃったからまずは栄養が欲しいのよね」
「シャワーでも浴びていたのか。なんならもう少し遅れて到着すれば良かったな」
「ふふふ。まぁそういうことにしておこうかな」
「そういうこと?」
「なんでもないわよぁ。ほぉら。カフェにでも行こうねぇ」
そうして二人は少し歩いて駅前のカフェに辿り着いた。
唯はホットドックにウインナーコーヒー、静也はクラブハウスサンドとコーヒーを注文して朝食にありついた。
「ウインナーコーヒーって不思議よねぇ」
「ウインナーが無いからか?」
「それもだけど、どうしてウインナーなのかしらねぇ」
「なんかあれらしいぞ。そもそもウインナーってカフェ文化の歴史が深いオーストリアの首都、ウィーンが由来で、つまりはウィーン風のコーヒーって意味だそうだ」
「へぇ、そうなのねぇ。ならオーストリアにはクリームが乗ったコーヒーばかりなのかしら?」
と言いながらそのクリームをすくって食べる唯は疑問の表情を浮かべる。
「ばかりではなく、いくつかあるらしいぞ。でも実際むこうではウインナーコーヒーって名前のコーヒーは無くてな、代わりに別の名前をしたコーヒーがあるそうだ。もちろんクリームが乗っかっているらしい。で、日本ではウィーン風のコーヒーを象徴するためにコーヒーにクリームを乗せてウインナーコーヒーと呼ぶようにしたみたいなんだ」
「静也くんは物知りねぇ」
「俺もつい最近気になって調べたんだ。昔から知っていたわけじゃない」
「それでも、すごいわぁ。そういう知的な男の子は好きよぉ」
「たまたま調べた事をこのタイミングで話しただけだ。知的ってわけじゃないよ」
「ふーん、そう……」
唯はまた半眼で妖しい光が灯る目を向けると、なにやら不敵に微笑んだ。
静也は二度目のそれを特に気にすることなく、だがやはり少しだけ気にして残りのクラブハウスサンドを食べきった。
それから二人が店を出ると電車に乗った。
下車後は唯に案内されるままに歩き、やっと到着した。
「新宿まで来て、ここはなんだ?」
「ここはお姉さんが好きな画家が開いている個展よ。今日までだったから来れて良かったわぁ」
そこはビル街から少し離れた場所にあるクラシカルな雰囲気の漂う木製の一軒家だった。
そんな家の扉が開かれると、中には多くの絵画が展示されていてどこもかしこも作品だらけだった。
水彩画、油絵、墨画までもあり、さらには漫画の生原稿だったりペン絵なんかもあった。
「幅広く活躍している人なんだな」
「そうね。この人は国内に留まらずに海外にも進出している人だから有名よ。この漫画は知らないかな?」
唯が展示されていた生原稿を指さして言った。
だが静也はやはり知らないようで首を傾げた。
それから唯が二階に上がろうと言うと、そのまま二人は上がっていった。するとそのフロアは一階よりもがらりと雰囲気が異なっていた。
「あの……唯? ここは今の俺達が入ったら駄目な所なんじゃないのか?」
「大丈夫よ。だって注意書きが無かったでしょ? R18って」
「確かに無かったけども」
そこはいわゆる春画や成人向けと呼ばれる作品のコーナーだった。
そこかしこにきわどいカットの作品が並び、扇情的で激情的な感情が揺さぶられるようなものばかりだった。
それを唯は真剣な目で見ていた。
対して静也は落ち着かない様子できょろきょろとしていた。
「静也くん。静也くんはこういう性的コンテンツってどう思う?」
「それは……子供に悪影響を及ぼす可能性があるから大人がしっかりと管理すべきものってことくらいしか」
「ふふ、そうね。それもあるわよね。でもね、神秘的だと思わない? だって人々はその絵やものの正体が分かっていなくても遺伝子に刻まれた本能によってそこから目を離す事が出来ない、なんなら無意識に興奮させることだって出来るのよ? お姉さんはそういう本能に訴えかけてくるものとか、無意識に心を掌握してしまうこういうコンテンツには神々しさを感じてしまうの。それにね、この感情を理解するには言語なんていらないのよ。世界中の人がこれを見て感じて、そういう気持ちになる。言葉や民族の壁を超えてそれ以上の説明なんていらないのよ。もちろんそれを理解していいのは善人に限るけどね。悪人は駄目よ」
饒舌でいつになく真剣な唯は静也の腕を引いてとある絵の前に連れて行った。
「お姉さんが見たかったのはこの絵よ。それに静也くんにも見てほしかったの。どう?」
「どうって……」
それは一組の男女が複雑に絡み合い、そしてお互いにお互いを求めるかのような情熱的な目を向けて行為をしている扇情的な絵だった。もちろんモザイクやそういう処理はされていない完全に見えてしまっているものだ。
静也は思わず恥ずかしくなって顔を背けようとした。だが唯はそんな静也の顔を固定してしっかりと見させた。
「どう?」
「その……すごいと思う」
「ふふ、そうねぇ。お姉さんはこれが一番好きよ。確かに刺激が強いわよね。でもこの二人をよく見てごらん。とても幸せそうよね」
「確かに」
「最近じゃ色々な事件や、それこそ私達が出動するようなGreedが絡んだ犯罪もある。そこでは場合によっては多くの命が失われたり、性犯罪なんかがあってその被害者達はそういう時に苦しい顔をしているに違いないの。だからこの絵みたいにお互いがお互いに幸せを感じながら新しい生命の誕生を望んでいるのは貴重で、人類の本当の繁栄には欠かせない瞬間なのよ。そんな瞬間を切り取った、そうね、愛を感じられると言うのかしら。そんなこの一枚がお姉さんは一番好きよ」
そう言われて静也はあらためてその絵を見た。それから最近の出来事や知らないだけでこの瞬間にも起きている人々の命のやりとりだったり、そんな犯罪のことを思い浮かべた。
そう思うほどにこの絵の中の二人はなんて幸せな瞬間に生き、種としての未来に命を繋げていこうとしているのかをしみじみと感じたのだった。
「……そうだな。そう言われてみると、見え方が違って見える。さっきまでの俺は変に見えていただけだったんだな」
「そうよぉ。その気持ちでこのフロアを見ると、全てが生命や本能の神秘だと思わない?」
確かにそうだった。
静也は表面上でしかそれらの作品を見る事が出来ていなかったのだ。
その奥に感じた本質を悟った時、静也はもうきょろきょろして落ち着かないなんてことはしなくなり唯とともに作品達をしっかりと見ていくことが出来ていた。
それから全ての作品を見終えた二人は満足した表情と気持ちでそこを出た。
「なんか気持ちが変わったな」
「そうでしょぉ? 人はいい芸術に触れた時に生まれ変わるのよ」
静也からは家を出発する前に感じていた不安が消えていた。
そして唯に芸術の趣味があったことを初めて知り、その大人びた印象をさらに大人に近づけていったのだった。
「次は、こっちよ」
そうしてまた静也は腕を引かれる。
その足取りは軽く、それに従って歩き続けるのだった。
次回は12/5の予定です。




