リョウのキズ
3
「かわいー!」
若い夫婦が子猫たちと触れ合う。週に一回のふれあいの場に、ノア、ギン、クロも出るようになった。
「ノアたちもだいぶ人に慣れてきたから本格的に里親探そうか」
リョウさんが言った。
「どうやって探すんですか?」
リョウさんに聞く。
「ホームページに掲示したり、ひだまりのツイッターとかに呼びかけるんだ。そして、会ってみたい人の話を聞いて、初めて飼う人の場合は実際に家に行ってアドバイスしたりって感じだね」
「見つかるまでにどのくらいかかるんですか」
「スムーズに見つかるときは一カ月くらいいかかるけど、全然見つからない子もいる。見つからない子はひだまりの猫になってもらうんだ」
「ゴロちゃんもそうなんですか?」
ひだまりのアイドルを思い出す。
「そうだよ、でもゴロの場合はハルにすごく懐いてたってのもあるかな」
「ハルさんに?」
「そう、ゴロも当時は警戒心が強くてね、唯一心を許していたのがハルだったんだ、僕でもダメだったよ」
「リョウさんもですか!今じゃ全然考えられないです」
最初にゴロに会った時の懐きようを思い出す。
ゴロもひだまりのみんなの温かさを知って変わったんだと思うと、嬉しくなった。
「今日はよろしくね、アユムさん」
「よろしくお願いします!リョウさん」
今日からノア、ギン、クロの里親探しが始まった。
先日のふれあいの場で希望した1組と問い合わせの二組の家に訪問する。
「いい里親が見つかるといいですね」
「そうだね、どこにいっても幸せになってほしいね」
リョウさんと何気ない話をしながら歩く。辺りは住宅街で時折犬の鳴き声も聞こえた。しばらくすると、会川という表札の前に着いた。
チャイムを鳴らす。インターホンからは若い女性の声がした。
「この前は来てくださってありがとうございました」
目の前の会川夫婦に言った。
「こちらこそ、今日は来てくださってありがとうございます」
奥さんが言う。
「今まで、ペットは飼ったことあるんですか? 」
「いえ、初めてで、だから色々教わりたいですし、飼った後も相談できるところがいいと思ったんです」
嬉しそうな顔で言った。
「ごゆっくりどうぞ」
笑顔で店員さんが言った。
次の訪問まで時間があるためちょっと早めのランチを取ることにした。
人気のカフェ店でいつもは混んでいるが、今日は時間も早かったためかすんなり入れた。
「ここの店、気になってたんだよね」
リョウさんがそう言って、店内を見回す。内装は吹き抜けで開放感があり、自然の光が店内を照らす。
「すごくおしゃれですよね、こういう場所で勉強するとがんばろってなります」
「確かにね。それにしてもさっきの会川さん、すごくいい人たちでよかった」
店の名物のたまごサンドにかぶりつく。
「いいご夫婦でしたね、新婚さんで。あそこならノアたち幸せになれそうです 」
私はチーズ入りのたまごサンドを食べる。香ばしい全粒粉の香りと卵のふわふわ、チーズのとろとろがマッチして、美味しい。
最後まで真剣に話を聞いていた会川夫妻の様子を思い浮かべる。猫を飼うことに前向きなようであった。
「そうだね、あの人たちなら大丈夫そうかな」
リョウさんも美味しそうに頬張る。
僕も安心したと言ってリョウさんが続ける。
「今はなんでも簡単に買える時代だからね。買っていらなかったら返品すればいいし。でも、その感覚でペットを飼ったりする人もいるんだ」
「聞いたことあります、本当に嫌な話ですよね。もう少し自分の行動に責任持って欲しいです」
そう言いながら、二つ目のサンドイッチを手にする。
「アユムさんはしっかりしてるね」
リョウさんは三つ目のサンドイッチを手にした。
「私の場合は、お母さんやお父さんがしっかりしてたからですかね。昔はそれが鬱陶しく感じがこともあったんですけど、今ではよかったって思います。リョウさんの家族ってどんな人なんですか? 」
「僕の家族は、そうだな。みんな考えがそれぞれある感じかな」
ただね、と言って続ける。
「価値観って言うか、感じ方が僕とは合わないかなって思うかな」
複雑そうな顔していた。これ以上、聞いてはいけないような気がしたので、話題を変えて、ゴロが鏡で自分の姿を見て驚いた時の写真を見ながら笑った。
マンションの前まで着き、部屋番号とインターホンを押す。はい、という家主の声がする。
「…子猫の引き取りの件できました。ひだまりの元谷です」
落ち着いた声でリョウさんが言った。
自動ドアを解除してもらい、エレベーターまで進む。リョウさん、私の順で乗り込み、五階のボタンを押す。
「次はどんな方でしょうね」
後ろを振り返ると、リョウさんが考え事をしていた。
「そうだね、子猫と相性がいい人だといいね」
リョウさんが顔を上げて答える。
玄関の前まで行き、インターホンを押す。ロビーで鍵を解除してくれた人と同じ声がした。ドアが開く。顔立ちの整ったきれいな女性だった。
「今日は—」
ありがとうございます、というリョウさんの声の後に、自分の名前を言おうと思ったが、リョウさんの声が聞こえない。
見ると、女性の方を見てかたまっていた。
「…何してるの、姉さん」
今までに聞いたことのない声だった。
女性の方もリョウさんを見ていた。
「それはこっちのセリフよ、リョウ。家を出ていったかと思ったら猫の保護活動なんて」
突き放したような声だった。
「姉さんには関係ないだろ」
「大ありよ。一体誰のせいで肩身狭い思いをしてきたと思ってんのよ」
「そんなこと言うためにわざわざ嘘の応募してきたのかよ」
「そんなわけないでしょ。猫は本当に飼いたいのよ。まさかあなたがいるとは思わなかったわ」
「どうだか」
リョウさんはそう言って、踵を返す。私も後を追う。
「ちょっと」
小声でお姉さんに話しかけられ、振り返る。
「はい」
「これ持っといて」
そう言って、紙きれをコートのポケットに入れられた。
「来てくれてありがとね」
そう言ってブレンドコーヒーを一口飲む。お姉さんの名前はリカさんと言う。
玄関先で渡された紙きれには、日付と時間と近くのファミレスの場所が書かれていた。
「いえ、私も気になってしまって」
「それもそうよね、あんな喧嘩みるとそうなっちゃうよね」
くすっと笑うリカさんを見て、初めて会った時よりも親しみを感じた。
「リョウと私はね、昔は仲良かったんだよ」
「オレ、高校卒業したら専門学校行きたい」
いつもの夕ご飯を家族で食べ終わった後、リョウが両親に言った。
「どういうこと?」
お母さんが尋ねる。
「卒業したら大学じゃなくて、動物の専門学校に行きたい」
「この家は誰が継ぐんだ、今の高校だってこの家のために通っているもんだろう」
お父さんが苛立ちを募らせる。
「ずっと前から思ってた。動物に関わる仕事がしたいって。でも、家のこともあるしなかなか言いだせなくて。でも、やっぱり諦められなくて」
「だめだ。リョウは跡継ぎになってもらう必要がある。代々受け継いだものを我儘で途絶えさせてはだめだ」
「どうしても、やってみたいんだ。動物ってすごいんだよ。人には持ってない強さがあって。人を元気にしてくれたり。ミリもそうだよ。最初はよくわかんないと思っていたけど」一緒に過ごしていくうちに、動物にも性格ってあるんだな、とか、毎日生きていくのも嫌だったのに、ミリがいてくれたから楽しくなった。だから—」
「その後はどうするんだ。専門学校いって、動物のことを学んで、就職は動物園とかにするのか。動物園は賃金が低いことで有名じゃないか。それに、」
「もういい。父さんはどうしても否定したいんだな」
リョウは自室に戻った。
「リョウは高校卒業後、家を出てそれっきり。でも本当に動物関係の仕事に就くなんて。夢をかなえて凄いね」
コーヒーカップの中身は空になっていた。
「どうしたんだ、リョウ、大丈夫か?」
朝から、子猫に大人用のエサをあげそうになったり、水をこぼしたりするリョウさんを見てハルさんが言った。
「うん、ごめん大丈夫」
「体調悪いなら無理しなくていいからな」
「大丈夫、ありがとう」
リョウさんは再び猫たちの世話に取り掛かる。猫のエサを片していると、だいぶ少なくなっていた。
「ハルさん、エサが少なくなってきていますがどこで買ってます?」
「近くに動物の日用品専門のお店があるからそこで買ってるよ。アユムさん、そのお店でこの子達のタオルとかもだいぶくたびれてきたから一緒に買ってきてくれない?場所もわからないだろうし荷物も多いだろうからリョウも一緒にお願いしてもいい?」
「この前はごめんね」
二人で歩いていると、一言目にリョウさんが言った。
「お姉さんとはうまくいってないんですか?」
「姉さんというか、家族と、かな。僕の家は代々続く和菓子の老舗店なんだ。だから、小さい頃は僕も家を継ぐんだろうなって、漠然と思ってた。そんな時、うちにミリが来たんだ。」
「ミリって、リョウさん家の猫ですよね?」
以前、リョウさん家に黒猫がいると聞いたことがある。
「そうだよ。ミリは僕が拾ってきたんだ。最初は弱っていたけど、絶対死なせるもんかって思って育てたよ。当時は両親には動物を飼うこと自体反対されていたけどね、うちって和菓子屋だったから。でも、何とか説得したんだ。だんだん良くなっていくミリを見て嬉しくなったし、家族もミリがいるところに自然と集まるようになって、前よりも家族の会話が増えた気がした。そういう変化をみて、動物に魅力を感じたし、もっと多くに人にその魅力を知ってほしいって思ったんだ。ただ、うちは老舗店だから跡継ぎが必要なんだ。だから、両親は僕が全く別の道に進むことに反対した。そこで衝突しちゃってそのままかな」
「そんな風に考えていたんだ。リョウは」
リカさんが言う。今日はレモンティーを飲んでいた。あの話の後、リカさんも読書好きということが分かり、趣味の話で盛り上がって意気投合し、今度また語り合おうと約束した。
「知らなかったんですか?」
「ぜんっぜん。あの子、自分の気持ちとか話さないからね」
そうならそうと言ってくれればよかったのに、と呟きレモンティーを口に含む。
「そうだ!アユムちゃん、お願いがあるんだけど」
「今日は誘ってくれてありがとう。ここのお店気になってたんだけど、男一人じゃ入りにくくて」
リョウさんは恥ずかしそうに言った。
「私も気になっていたので来れてよかったです」
「やっぱり名物のクロワッサンサンドですかね」
メニュー表にも目立つ位置に写真があり、周囲を見渡してもほとんどの人が注文している。
「お待たせいたしました。シーザーサラダサンドとクリームチーズサンドです。ごゆっくりどうぞ」
「リョウさんのサラダサンドもおいしそうですね」
白いプレートにクロワッサンが二つのっていた。
「よかったら一個あげるよ。この前のお詫びもかねて」
「じゃあ私のと一個交換しませんか?三個は食べきれないです」
「そうしよっか」
そう言ってお互いのサンドを差し出した。
「お詫びって、この前のことですか?」
「そうそう。勝手に帰っちゃったし」
リョウさんが恥ずかしそうに言った。
「もう大丈夫ですよ。この前謝ってくださったじゃないですか」
「そうだけどさー」
そう言いながらサラダサンドを一口かじる。
「家族とはうまくいってないんですか?」
私もクリームチーズサンドを一口かじる。さっぱりとしたクリームチーズとバターの濃厚な香りがするクロワッサンがサクサクして美味しい。
「まあね。僕が一方的に出てきちゃったから、なんか帰りにくくて」
そう言って寂しそうな顔をした。
意を決してリョウさんに聞く。
「もし、仲直りできたらしたいですか?」
「それは…」
後ろに座っていた女性が立ち上がる。
「いや、いいかな」
「「えっ」」
予想外の答えに私ともう一人の女性の声が重なり、リョウさんが声のする方を振り向く。
「…ね、姉さん…?」
二人の間に沈黙が流れる。
「そういうことだったのね」
沈黙を先に破ったのはリカさんだった。
「どうりで。連絡も何もないから心配だったのに、リョウは家族(私たち)のことどうでもよかったんだ」
言葉の節々から怒りが伝わってくる。
「そんなわけない。違うよ。ただ、会う資格がないって思ったんだ」
リョウさんが伏し目がちに呟いた。
「ほんとうは家を継がないといけないのに。家族もみんなそう思って育ててくれたのに。なのに俺は(・)みんなの期待を裏切った。自分のこと優先して、周りに迷惑かけた。今まで先祖代々受け継がれてきた家を潰したんだ。だから—」
「ばっかじゃないの」
リョウさんが驚いた顔でみる。
「あんたね、うちの親なめんじゃないわよ」
「はぁ?別になめてなんか」
「自分のしたいこと優先したからって見限る人だと思ってんの?家業を継がせるだけのために育てたと思ってんの?違うでしょ?その証拠にあんたに一言でも家を継げっていった?」
「…」
「それにね、家、潰れてないわよ」
「え?」
リョウさんが目を見開く。
「だって私が継ぐんだから。あんたはなんでも背負いこみすぎなのよ。たまにでいいから顔見せにきいなさい。うちの親リョウは元気飼ってうるさいんだから」
リョウさんは小さく分かったと呟いた。
「はいこれ」
机の上に小さな紙袋が置かれた。
「この前はありがとう」
紙袋の中身はかわいい和菓子の詰め合わせだった。
「ありがとうございます。ご家族と仲直り出
来てよかったです」
それにしても、とリョウさんが明るい声で言った。
「アユムちゃんが姉さんと仲良かったなんて知らなかったよ」
…目が笑ってない。
「それは…あの後たまたま別の場所であって話したら意気投合して―」
「フーン」
「あはは…、す、すみません。だますような感じになってしまって」
「まさか、アユムちゃんがそんな人だったなんてねー。へー」
「だからすみませんって!」
「アハハ!冗談だよ、冗談。そのおかげで家族と仲直り出来たし」
ひだまりにいつもの日常が戻ってきた。