11話 痴女を止めるな8
フローレンスとセリカの二人は抜き足差し足、警戒しながら校舎の中を進んでいく。
ルシエラ達の陽動が上手く行っているらしく、今の所バニーや怪異の姿は見当たらない。
「生徒指導室まで後少し、順調みたいね……」
警戒を怠らず、きょろきょろと周囲を見回しながらフローレンスが言う。
「本番はその後ですからね。辿り着くぐらいは順調じゃねーと困るです」
「本当にね。私にできるかしら……いや、やるしかないんだけど」
フローレンスは受け取った魔石を握りしめる。
ミアは意志の強さだけでウサミミを外せたらしいが、意志の弱い自分には到底無理な芸当だろう。
だが、それでもウサミミを着けて魔法少女に変身しなければならない。尊大な姉を助けるため、魔石の補助を受けてでもやるしかないのだ。
『ア…ア……』
と、不穏な声が聞こえ、二人は跳ね飛ぶように周囲を見回した。
「せ、セリカ、聞こえた?」
「お、おめーもですか?」
二人は小声で確認し合い、背中合わせになって再度周囲を見回す。
だが、夕刻の校舎は外の喧騒とは隔絶されたように静かで、居ると思った怪異の姿はなかった。
「良かった、外だったのね……」
フローレンスが安堵しかけたその時、
『ア…ア……カラダサイコウ。モット、モット……ア……ア』
天井裏から染み出すように黒い影が落ち、廊下に溜まったそれが影の怪異へと変貌した。
「ひっ!? でたっ!」
「フローレンス、横ですっ! 教室!」
セリカは恐怖で動きの止まったフローレンスの手を引き、大急ぎで教室に逃げ込んで扉を閉める。
影の怪異が教室の扉に張り付き、ガシャンと大きな音を立てた。
「セリカ、向こうの扉もっ!」
「お、おうっ!」
怪異が揺する扉を押さえ、フローレンスは必死の思いで鍵をかける。
その隙にセリカはもう一つの出入り口に急ぎ、ほうほうの体で扉を閉めた。
「き、危機一髪ですよ」
閉めた扉を怪異がガタガタと揺らし続ける中、二人は取り合えずの無事を喜ぶ。
「けど、どうするのよ。あいつしっかり張り付いてるわよ」
だが、問題は何も解決していない。
フローレンス達に狙いを定めた怪異は扉にみっちりと張り付いたままだ。
そして問題なのは、怪異が張り付いた扉の位置。怪異は二か所ある出入り口のうち生徒指導室側に張りついている。フローレンス達の進路は完全に塞がれていた。
一応、ルシエラ手製の武器を持って来てはいるのだが、魔法の効果を発揮するあれは音と光で目立つ。外のバニーと怪異が殺到しかねない。
「しゃーねーです。遠回りですけど、一度窓から出てから……」
言って、セリカは窓に近づくが、慌てて廊下側へと戻って身を屈めた。
「フローレンス、隠れるです! 外にも別のあっあっあが居やがったです! 探してるです!」
「騒ぎを聞きつけて来たのね! 本当にマズいわ。ずっと引き籠ってなんてられないわよ!」
フローレンス達が自由に動けている分、ルシエラ達の負担は大きい。
怪異やバニー如きに負けない二人ではあるが、それでも防戦一方ではいずれ追い詰められてしまう。
「……仕方ねーです。セリカが囮になって逃げるから、おめーは生徒指導室でウサミミ着けとけです」
「ば、バカ! 私もアンタもハイリスクになるじゃない! 後ろの扉開けて、アイツをそっちに貼り付けて、その隙に生徒指導室入りましょ!」
「それこそもう一匹出て来て挟み撃ちになったら終わりじゃねーですか。生徒指導室に鍵かかってても終わりです。会長助けるって決めたんなら覚悟決めろです」
「……っ! わかったわ。セリカ、頼んだわよ」
セリカの言葉にフローレンスの表情が引き締まる。
「任せとけです!」
セリカは震える足を動かし、扉を開けて廊下に飛び出す。
途端、扉に張り付いていた怪異がセリカ目掛けて走っていく。
それと入れ替わりでフローレンスが部屋を抜け出し、生徒指導室まで一気に走る。幸いにも生徒指導室に鍵は掛かっていなかった。
「あった……!」
部屋に入って早々、探すまでもなくウサミミは有った。
ウサミミは机の上に堂々と山積みされていた。
「姉さん、ルシエラ……私、やるわ」
フローレンスは自らを奮い立たせるために口に出して宣言すると、神妙な面持ちで自らの頭にウサミミを着けた。
瞬間、フローレンスの全身を凄まじい多幸感が駆け巡る。
電流のような激しいそれが終わると、次はふわふわと思考がとろけるような感覚がフローレンスを襲う。
それを与えてくれるウサミミに愛おしさすら感じる中、フローレンスは自らの意志を刈り取るような誘惑を払い除け、正気を保とうと自らの目的を再確認する。
これは罠だ。自らのしなければならないことを思い出せ。
──そうだよ。私がしなければならないことは……姉さんを助けることだもの!
こんな所で遊んでいる暇はない。一刻も早くナスターシャを助けに駆けつけなければならない。
今この瞬間にも姉はウサミミとバニーガールを否定する奴等と戦っている。早くバニー魔法少女に変身して一緒に戦わなければならない。
二人でバニーガールを否定するルシエラ達を捕まえ、ウサミミを着けてやるのだ。
大丈夫だ、誘惑に打ち勝った。自分は正気だ。
すっかりバニーガールの格好になったフローレンスは、迷いなく胸にかかったペンダントに手を当て……
「ふざけんじゃねえぞ、おめーっ!」
そこにセリカが扉を開いて駆けこみ、フローレンスの平らな胸にダイブするように頭突きした。
セリカはフローレンスの手にした魔石を奪おうとするが、フローレンスが反射的に手を引っ込めてそれを阻止する。
「てめー! そこまで根性なしですか!」
怪異が扉をガタガタ揺らす前、セリカが魔石に手を伸ばそうとしながら勇ましく吼える。
フローレンスはそれを無視して、再びペンダントに手を当て、
「お前の持ってるペンダントはルシエラが信じて渡したものですよ! それで姉ちゃんやルシエラに顔向けできるですか!?」
その言葉に変身しようとしていた手が止まる。
おかしい、何かがおかしい。
なぜ、自分はルシエラのペンダントを持っている。
なぜ、自分はこの魔石を大事に握りしめている。
なぜ、自分はウサミミを自分でつけた。
「いい加減にしやがれ! ねーちゃん任せにしちまったお前の悔しさはその程度だったですか!?」
その言葉に魔石を握りしめる手の力が強くなる。
ナスターシャを助けたかったのは多分、バニーガールとしてではない。多分ではない、絶対だ。
フローレンスは辛うじて取り戻した正気で、僅かな理性を働かせて魔石に魔力を通す。
普段の自分からは想像できないほど無駄のない魔力は、瞬く間に魔石の効力を発揮させる。
思考が急速にクリアになり、フローレンスを支配していた多幸感が掻き消える。
「セリカ、もう大丈夫よ。アンタのおかげで正気に戻れたわ」
バニーガールの格好から制服に戻った自らの姿を確認し、フローレンスが言う。
「手間かけさせんなですよ」
「本当にね。遅れた分、あの扉に張り付いてるの倒してさっさと行きましょ」
惨憺たる体たらくに自己嫌悪したくなるがそれは後回しだ。
今は変身して一目散に駆け付けなければならない。勿論、バニー魔法少女ではなく、普通の魔法少女として。
いや、きっと普通の魔法少女では足りない。必要なのはこの混迷全てを吹き飛ばすあの輝き、夕焼け後の夜空に咲き誇る一番星の煌めきだ。
「ルシエラ、アンタのペンダント借りるわよ……。変身っ!」
フローレンスは胸のペンダントに手を当ててそう呟く。
その魔力が銀色の翼となり、制服が天使の意匠が施されたものへと変わる。
それは──




