エピローグ2
エピローグ
アルマテニア王都から高速列車で三時間、近隣では一番大きな地方都市のその郊外、あまり広くない森へ少しだけ踏み入った場所にポツンと一軒家が建っている。
古くは貴族の隠れ家であった豪奢な作りのそこには一人の隠者が住んでいる。
ハンチング帽を目深に被ったローズは慣れた足取りでその一軒家を訪れていた。
閉ざされている門を魔法で飛び越え、鍵の掛かっていない玄関扉を遠慮なく開ける。
「ししょー! 弟子が来ましたよー!」
そのまま家に踏み入って挨拶代わりにそう叫ぶが反応はない。
それがいつも通りのことであると知っているローズは、遠慮なくずかずかと家の中を歩いていく。
独り者の家とは思えないほど手入れの行き届いた廊下を抜け、最奥の部屋の扉を開ける。
予想通りこの家の主、正確にはこの家の持ち主はローズなのだが、とにかく彼女はそこに居た。
「なんだね、ローズ。見ての通り私は読書中なのだがね」
机で読書をしていたその少女は、赤い髪を揺らして気だるげな視線をローズに向ける。
彼女は見た目は自分の娘達よりも更に幼く、十に満たないようにすら見えるが、実際の年齢は自分よりも年上であることをローズは知っていた。
「いやぁ、今日はエズメ師匠にお願いがあって来たんですよ。あ、これ手土産のドーナツです」
ローズは机の上に山積みされた本をかきわけてスペースと作ると、手土産の袋を机にどさりと置いて、自らも来客用のソファに腰かけた。
エズメは小さくため息をついて本を閉じ、脇の止まり木に居た使い魔のフクロウが器用にお茶を淹れ始める。
「仕方あるまい。察しはついているが要件を聞こう」
「最近、魔法協会の幹部連中が派手に悪さしたんですよ。んで、流石に捨て置けない規模だったんで一掃しちゃって、今若い子達が代行で回そうと必死なんですけど……師匠聞いてます?」
紅茶が淹れられると同時、ドーナツ片手に読書を再開してしまったエズメを見て、ローズが不安気に確認する。
「聞いているとも、君と違って私は素面なのでね」
言いながら、エズメは魔力で角砂糖を浮かび上がらせ、紅茶に山ほど投げ込んでいく。
「いやいや、私だって素面ですって。立場上、お酒なんてフィールドワークに行った時ぐらいしか飲めませんからね」
「わかっているとも。厄介事を持ち込む不肖の弟子に対する嫌味と言う奴だよ」
エズメが大きくドーナツを頬張り右手をあげる。
バサバサと羽音を立て、フクロウの使い魔が手の汚れを綺麗に拭き取っていく。
「はいはい、左様ですか。師匠は皮肉屋ですもんね」
ローズは困ったような顔をして、エズメの顔色を窺いながら話を切り出していく。
いつもは相手を自分のペースに巻き込んでいくローズだが、唯一頭があがらないエズメ相手の時だけは話が違う。今回のように頼みごとがある時は特に、だ。
「それで頑張ってはいるんですけど、どう考えてもあの子達だけじゃ魔法総省の対抗組織にはなれないんですよ。だから師匠に魔法協会特別顧問とかそんな感じの役職に就いてもらおうかと……」
顔を本に向けたまま、エズメがちらりとローズを一瞥する。
「いや、師匠がそう言うの好きじゃないのは知ってるんですけど、師匠レベルが与してくれないとどう足掻いても釣り合わないと言うか……」
「構わんよ」
「……あれ、いいんですか?」
想像以上にあっさりと承諾したエズメに拍子抜けし、思わずローズが聞き返す。
「何が起こったかはおおよそ知っている。気乗りはしないが引き受けざるを得ない。何しろ姪っ子が起こした不始末、更に言えばその遠因は私にあるのでね」
気だるそうにそう言って、エズメは砂糖たっぷりの紅茶をすすった。
「姪っ子……」
ローズは小首を傾げつつ、止まり木の使い魔、そしてエズメの羽織っているカーディガンに施された金糸の刺繍のフクロウを順々に見やる。
ナスターシャから聞いたところだと、魔法協会の野心に火をつけたのは魔法の国次期女王の座を争う名門の少女。その紋章はフクロウだと聞いている。
「ええと、赤のヴェルトロン、でしたっけ? まさか師匠も?」
エズメが小さく頷く。
「一時期当主をしていた。今や家どころか国を追われた身だがね」
「あー、だからプリズムストーンを探す時も珍しく協力的だったんですね。納得、納得」
「プリズムストーンが砕けたと聞いた時は流石に肝が冷えたがね。若人の成長を見誤った己の愚かさだ。無論、我が親友システィナの娘が立派に育っているのは喜ばしいことではあるがね」
エズメは皮肉っぽく笑うと、ドーナツを咥えたまま出発の支度をはじめていく。
「……ちなみに師匠、国を追われたって何をしでかしたんですか? 魔法の国的にはここって発展遅れたド辺境らしいじゃないですか、絶対悪さですよね」
「我が親友と画策して王座の簒奪をしようとしたのだがね、失敗してこの有様と言う奴だ。姪っ子が強引な手段に出たのも、それでヴェルトロンの立ち位置が悪くなったことに起因しているのだろう」
エズメはふんとつまらなそうに鼻を鳴らす。
「げぇ、またどうしてそんなことしたんですか。師匠、権力とかに興味ない人じゃないですか」
「親友との友情が半分、もう半分はそうだな……神が自らは人の心を解さない、そう思い込んでいるのが気に入らなかった。ヴェルトロン家を巻き込んだのは心苦しいが後悔はないよ」
エズメは空間を圧縮してトランクに本棚を丸々詰め込むと、トランクをローズに投げ渡す。
「そうだったんですか。あー、だとすると失敗したなぁ」
「ふむ、そちらに不都合でもあったかね?」
部屋を出ようとしていたエズメは足を止め、ソファで悔しそうに伸びをするローズを見て首を傾げる。
「いやぁ、もっと吹っ掛けとけばよかったなぁって。師匠の弱みなんて滅多に握れるもんじゃないですからね。師匠が出張れば解決できるあれやこれやが山ほどあるんですから、もっと早く言ってくださいよー」
残念がるローズに、エズメは小さく首を振ってため息をつくと、
「セバス、懲らしめてあげなさい」
自らの肩に乗って侍るフクロウに指示を出し、
「不敬者が! 不敬者が!」
それに従ったフクロウの使い魔がローズを突きに突いた。
「うあ! セバさん、マズい! 人間に猛禽類のくちばしはマズいって! 穴空く! 穴空くから!」
「いいかねローズ、勘違いをしてはいけないよ。正直者が美徳であるのは他者に対して誠実であろうとするからであって、己が欲望を明け透けにするのは厳然として恥じるべきことだと理解したまえ」
「しました! して速攻反省しましたからセバさんにつつかせるの止めさせてください! いや、本当に痛いんですってコレ!」
エズメのトランクを盾代わりにしながら、ローズは必死に攻撃の停止を懇願する。
「セバス、そこでよしとしてあげなさい。この無精者も多少は肝が冷えただろう」
停止の指示を受けたフクロウは再びエズメの肩に侍り、解放されたローズが安堵の吐息を漏らす。
「それと……ローズ、物事は俯瞰で考えたまえ。魔法の国から落ち延びた私がここに居て、同じようにプリズムストーンがここに在って、我が親友の娘たる少女もまたここに居る。連なる偶然は必然であり、必然とは波紋、水面に投げ入れられた原初の一石から繋がる因果だよ」
「師匠、それは……?」
「魔法の国グランマギア建国の祖であるアルマ、このアルマテニアの由来である神託を与えた古き神アルマ、両者は同一の存在。そして、魔法の国の王座とは永遠の神代を意味する……本来ならばね」
「すみません、師匠。まるでわからないんですが」
「当然だろう。わからないよう、私はわざわざ迂遠な言い回しをしているのだから」
エズメはくっくと喉を鳴らし、フクロウの紋章がついた上着を羽織る。
「では行くとしよう。プリズムストーンが砕けた今、彼女を取り巻く運命は止まらない。親友の娘がそれを乗り越えられるか否か、確かめるのも私が果たすべき責務だ」
エズメは独り言のようにそう呟いて屋敷を後にするのだった。
***
それから程なくしてのこと、ルシエラ達は魔法協会の支部に呼び出されていた。
「おい、ローズ! 私を魔法協会の会長代行にするのは問題があるだろ!?」
そこでは魔法使い用の儀礼服に身を包んだシルミィが、同じく儀礼服姿のローズに食ってかかっていた。
「支部長さんが代行はまあ有りだと思うがなぁ、俺が補佐ってのは無しだろ。目がいいのがウリである長官殿の評価がひっくり返るぜぇ?」
必死に主張するシルミィの横で、目の下にクマのある女が同意する。他の二人と同じように儀礼服を着た女の服は普段と違って小綺麗になっていた。
「いやいや、もうここまで段取りが進んじゃってるんだからさぁ、二人とも諦めが肝心だと思うよ」
文句を言う二人の背中をローズが押し、一行は馬車の待つ玄関へと歩いていく。
ルシエラが聞く所によると、魔法協会を私物化していた幹部達は一掃され、魔法協会は混乱の真っ只中なのだと言う。
当然、度の過ぎた幹部達の悪行に魔法協会解体の声も上がったが、ローズやナスターシャ、魔法総省がそれに反対して無事存続できる運びとなったらしい。
そして、次の会長選までの暫定措置として、事件解決の功労者であるシルミィが会長代行に就くと決まった。
正装をした彼女達はこれからアルマテニア王宮に向かい、女王への報告を兼ねた式典に参加する予定なのだ。
「とは言ってもだな。魔法総省長官と同門の私がなるんじゃ良からぬ噂の一つも建てられるだろ」
「あっはっはっ、甘いなぁ。一つで済む訳ないじゃん。私だって世襲だって誹謗中傷山ほどされたし、今もされてるよ」
シルミィの不安をローズはそう言って笑い飛ばす。
「でも魔法協会を守りたいんならやらなきゃ、汚名を受けようが罵られようがそれを黙らせて進むしかないんだよ。大丈夫、流石にそこは私達もフォローするからさ」
──耳が痛い言葉ですわ。
三人の会話を聞いていたルシエラは僅かに顔をしかめながら考える。
今も魔法の国で起こっている次期女王を決める争い。先日ナスターシャに言われた通り、汚名と罵りを覚悟して参戦すると言う選択肢もあったのではないだろうか。
──いいえ、それはわたくしの驕りに他なりませんわ。
ルシエラは迷いを払うように首を横に振る。それはアンゼリカ達に託したはずだ、別れ際に見た彼女ならばきっと正しい形で努力してくれる。ルシエラはそれを遠くから見守ればいい。
「呼び出されてわざわざ来たのに、わたくし達が居てはお邪魔になりそうですわね」
これ以上余計な迷いを抱かぬよう、ルシエラは気持ちを切り替えようとナスターシャに小声で話しかける。
「ほ、何を他人事のように言っておる。本来はお主達がいの一番に呼び出される予定じゃったが、表立ちたくない立場だと思って妾が参加せずとも済むよう計らったのじゃぞ」
「あら、そうでしたの。それは助かりますわ」
ルシエラはナスターシャの心遣いに感謝する。
魔法の国の女王が決まらない限り、ルシエラが今後も争いに巻き込まれる可能性は高い。ならば、この世界で公の場に立つのは出来る限り避けたい。
「代わりにフローレンスが出席することになっておる。お主達に揉まれて多少度胸がついたかと思ったのじゃが、まだまだ未熟なようじゃの」
「あ、さっきからフローレンスさん固まってるの、それが理由だったんだ」
ミアの言葉にルシエラが視線を横に移す。そこには先程から終始無言で直立不動なフローレンスの姿があった。
柱と同化したような彼女の姿はルシエラが来た時からあった。一体どれだけの時間こうしていたのだろうか。
「フローレンスさん、生きてますの?」
「…………」
無言のまま僅かに頷くフローレンス。
──式典前にこれでは先が思いやられますわね。
「ん、ナスターシャさんは?」
「……妾は出ぬよ。不思議なことに出禁らしいのじゃ」
「まあ……その恰好をされてはフォーマルな場にお出しできませんわよね」
「ね」
いつも通りほぼ裸なナスターシャの格好を見て、ルシエラとミアは顔を見合わせて苦笑いした。
「んんー? もうルシエラ来てるじゃないか、来てるんならさっさと言えー!」
そうこうしているうちに、ルシエラの存在に気がついたシルミィが駆け戻ってくる。
「いえいえ、とても声を掛けられるような雰囲気ではありませんでしたし……」
「こっちがわざわざ呼んだんだから雰囲気ぐらい無視しろー。ナスターシャから聞いたが、お前街灯を作りたくてテストの時に盗掘未遂してたらしいじゃないか」
「そ、そこ掘り返すのは止めてくださいまし、知らなかったんですの! 盗掘なんてしようとしてませんでしたの!」
「まあそこはこの際スルーしてやる、今回の事でお前に借りができたからな。だから少ない支部の予算と私のお賃金、それと政府の補助金でお前の田舎に街灯を建ててやる」
「なんじゃ、お主も殊勝な所があるではないか」
「ふん、勘違いするなよナスターシャ。そんな甘い顔しても少ししか認めてやらないんだからな、少しだけだぞ!」
シルミィは顔を逸らしながら照れくさそうに目録を押し付けると、外に待たせている馬車へと飛び乗っていく。
「全く、シルミィの奴も律儀じゃのう。そこの所は妾も見習うべきじゃろうな」
「そうだね、二人もいいライバルだね」
「でも目録を頂いてしまったのは困りましたわ。トラブルがあれほど大規模になったのはわたくしの因縁が原因、これを受け取る権利はないと思いますの」
満足げに馬車を見送る二人の横、返しそびれた目録を手にしたままルシエラが困った顔をする。
「えと、受け取っていいと思うよ。それでもこの結果になったのはルシエラさんのおかげだから」
「そうですかしら?」
「うむ、お主が褒章を得て文句を言う者は居るまい。追いかけて返す方が余程迷惑じゃろ」
「そ、そう仰ってもらえるのなら。我が村の発展のため、遠慮なく頂戴しますわ」
ルシエラは少し照れくさそうにしながら受け取ることを決める。
常々村へ恩返しをしたいと思っていたのだ、こんなチャンスはそうそう無い。
どこに設置して貰おうか、やはり宿屋の前、村の入り口がいいだろうか、などとあれこれ妄想しながら目録の内容を確認し、硬直した。
「なんじゃ、ルシエラ。急にフローレンスのようになってどうした?」
「いえ、何だか想像より桁が多かったですの」
シルミィがくれた目録には大通り一つ分はありそうな数の魔石街灯が記されていた。
──シルミィさん、わたくしの村の規模を過大評価していますわね。
田舎の山村には不釣り合いな数の街灯が設置され、夜景目当てに近所の村から見物が来ると自慢の手紙が届いたのはそれから少し後の出来事だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます
今回で二章は完結となります
三章は週二回ペースでの更新を予定しています




