6話 そのライバルは窓に張り付く5
一方その頃、ナスターシャは自らの母であり魔法総省長官でもあるローズを伴って歩いていた。
そこはアルマテニア陸軍基地の一角にある陸軍病院の廊下。本来部外者が入れる場所ではないのだが、元からローズも訪れるつもりだったらしく、トントン拍子に話が進んで昨日の今日で訪れることができた。
「いやぁ、ナスちゃんが母さんを頼ってくれるなんて嬉しいなぁ。ついでにちゃんとしたお洋服着てくれるともっと嬉しいんだけどなぁ」
ローズは愉快そうに笑いながら、ナスターシャの露出した背中をぺしぺしと叩く。
「ふん、後輩に頼まれた故、渋々じゃ。ちなみに服はちゃんと来ておるぞ、お主がそう言うことも織り込み済みで普段より厚着じゃが」
不満げにそう言うナスターシャの紐はよく見ると普段より本数が多かった。
「はいはい、認識ってのは人それぞれだけどさ、コモンセンスってのは必要だねぇ。んでさ、その後輩って誰? ルシちゃん?」
「別にそこは誰でも同じことじゃろ」
ずかずかと人の事情に踏み入って来るローズに対して不快感を露わにすると、ナスターシャは廊下を歩く足を速める。
「そだねぇ。でもさ、安心したよ。ナスちゃんもちゃんと成長してるんだねぇ」
一方、ローズはいつも通りの調子でナスターシャの紐を引っ張って、ナスターシャの歩調を無理やり自分に合わせさせた。
「面倒見は元から良いつもりじゃが。妾は生徒会長じゃからの、正当性のある頼みごとは出来得る限り聞いておるぞ」
ナスターシャは紐を引っ張る手を軽くはたくと、渋々元の歩調に戻ってローズと並び歩く。
二人きりで会うといつもこんな調子でローズのペースに巻き込まれしまう。だからナスターシャはローズに頼み事をしたり二人で出歩くことに気乗りしないのだ。
「でも、今までのナスちゃんなら私を呼ばずに勝手にここ来て、後で報告書を送りつけてくる形にしてたと思うんだよ」
「お主を頼った方が問題になりにくいのは事実じゃからの。いくらなんでもそこを否定するほど狭量ではないが」
「だから安心したってこと。昔のままならとびきり優秀で、でもとびきり偏屈な自己完結型大魔法使いになるんじゃないかって心配してたんだよ。そう、丁度魔法協会のご歴々みたいにね」
「ふん、妾が居るのは魔法使いとして浅瀬も浅瀬、そんな所で自己完結して何の意味があろうかよ」
「おー、ナスちゃんからそんな殊勝な言葉が聞けるなんてねぇ。いやぁ、これだけでもルシちゃんに入学して貰った甲斐があったってもんだよ」
ローズは驚いた顔で数回拍手をすると、露出したナスターシャの背中を更に容赦なく叩いた。
「さっきから止めぬか、妾の背中を叩くでない! 跡が残るじゃろ!」
「はっはっはっ、生意気盛りの愛娘に母の手形をプレゼントだ。母さんを心配させちゃってこのこのー」
「この愚物めが……!」
楽しそうに背中を叩く勢いを強めるローズ。
ナスターシャは叩くローズの手を払いのけながら本気で睨みつけ、丁度すれ違った看護師が「お静かに」と二人を睨みつけた。
「いや、確かにここ病院だもんね。まあ、ほら、ここ、ほぼイヴリン君の貸し切りだからギリギリセーフだよ。うん」
「言い訳は要らぬ故、しっかと反省せよ」
「はい、今のは確かに私が悪かった。うん、反省します」
ローズは子供のようにそう謝りながら目の前にある病室の扉を開く。
簡素な作りのベッドの上、目の下にクマのある女が退屈そうな顔で魔法書を読み漁っていた。
「けっ、こいつはすげぇや。魔法協会の下っ端相手に魔法総省のトップと若き天才魔法使い様が揃い踏みたぁ豪勢だねぇ」
二人の来訪に気がついたクマのある女はカーテンを開け、皮肉いっぱいに出迎える。
それはついぞ先日グリッターを飲んでネガティブビーストと化した女。イヴリン・ハミルトンだった。
「いやぁ、はじめまして。バド君から話は聞いてたけど元気になったようで何よりだねぇ。あ、これお見舞いの果物だから後で食べてよ」
あまり友好的とは言えない態度の女に対し、ローズはいつも通り飄々とした笑顔を向ける。
「けっ、こんな手土産持って来たって魔法総省には話す事なんで何もないぜ」
女は果物の入った籠を押し付けられつつ、そう毒づく。
ナスターシャは先日ルシエラに魔法協会と魔法総省には確執があると語った。しかし、まだ学生の身分であるナスターシャがそれを実際に見るのは初めてのことだ。
もっとも、敵視しているのは女だけでローズは至っていつも通りに馴れ馴れしいほど友好的なのだが。
「あっはっはっ、それだとグリッターをどこに持ってこうとしてたのか謎になるねぇ。魔法協会上層部の意思に反してるのに、魔法協会のどっかってことはないよね」
「……ふん、俺の取引材料は全部お前さん所に押収されちまったからな。だから話すことなんてない」
「なら君の情報を取引材料にしてくれればいいじゃない」
「いいのか、俺が嘘教え込む可能性もあるぜ」
「大丈夫、大丈夫。これでも目がいいのが売りでねぇ、簡単に騙されるようならとっくの昔に魔法総省長官の看板を降ろしてるよ」
「チッ……。平の魔法使いと魔法総省長官様じゃ役者が違うわな」
ローズが真剣な眼差しで女を見据え、女が先程より弱い調子で毒づく。
「それで要求は?」
「確かに俺は魔法協会上層部の意思に反した。だが仲間の魔法使い達は裏切れねぇ。今回の件に関係ない会員の安全と権利を今まで通りに保証しろ。そうすれば全部話す」
「ほう、意外と殊勝じゃな。まだ仲間に義理立てするか」
女の気骨のある反応にナスターシャが驚きの声を洩らす。
「そりゃそうさ。魔法協会ってのは元々孤立しがちな魔法使い同士が横の繋がりを持てるよう作られたものだからね。だから義理堅く簡単には仲間を裏切らない」
「じゃから魔法協会を出て魔法総省を立ち上げた我が家は嫌われとるんじゃな」
だとすれば、同じブランヴァイス一門でありながら魔法協会に残ったシルミィ達はさぞ肩身の狭い思いをしたのだろう。そう考えればナスターシャ達を目の敵にしてくるのも当然のことなのかもしれない。
「そうだよ。それが魔法協会の立場を奪って、今や国の魔法関連を統括してるんだから余計にだよねぇ。あっはっはっ」
ローズは至って普通にそれを肯定し、いつも通りあっけらかんと笑う。
その様子にナスターシャと女が揃って顔をしかめた。
「で、長官さんよ。保証するのかしないのか、お前さんの回答はどうなんだ」
相手にしていられないと苛立ち交じりに女が急かす。
「うん、いいよ、保証する。アルマテニア発展のためにはさ、魔法協会にも魔法総省に危機感を抱かせる程度に頑張ってもらわないと困るんだよ。だから魔法協会を潰さざるを得ない事態ってのは私も避けたい。君達の利益云々の前に国益にならないんだよ、これは」
ローズは苛立つ女をするりと躱し、逆に真剣な視線を返してそう言った。
「……くそっいいや、理由だろ。嫌気がさしたんだよ。本来の魔法協会はお前さんが言った通りの組織だった。だが、今の幹部連中は魔法協会を都合のいい道具程度にしか考えてねぇ」
ローズのペースに巻き込まれた女が、これ以上付き合っていられないと話し出す。
「だろうね、予想はついてたよ。だから私の婆様達は魔法協会を割って魔法総省なんてものを作ったんだから」
「しまいにゃ、俺の研究を止めろとまで言い出す始末。んで、代わりに怪しいフクロウ野郎が持って来たグリッターなんてのをありがたがってるんだぜ? そりゃあ俺だって愛想が尽きるってもんさ」
「えーと……イヴリン君の研究って大地を走る魔脈の経路とその魔力量だっけ?」
「ああ、よく調べて来たな」
「いやいや、元々知ってたんだよ。私の研究テーマである魔物の生態と分布と被る箇所があるからねぇ。うんうん、なるほど、あれを止めてくるか」
ローズはそう笑ってみせた後、真剣な顔で何かを考え始める。どうやら女の研究が止められたのが引っかかるらしい。
そして癪ではあるのだが、彼女の勘が大体の場合において正しいことをナスターシャは知っている。
「ナスちゃん、一つ確認だけどルシちゃんは何か言ってた?」
「魔脈に関しては何も、じゃが魔法協会の裏に居る魔法使いは相当な力量であると言っておった。この世界の規格から外れるほどにの」
『わ、高評価。少し照れちゃうねっ☆』
突如聞こえた底抜けに明るい声、三人が揃って窓の方へと視線を向ける。
開いた窓の縁に居たのはフクロウのぬいぐるみ。そのぬいぐるみは本物のフクロウが枝に止まっているかのように至って自然にそこに居た。魔力感知に長けたナスターシャですら今の今までその魔力を感じ取れないほどに自然にだ。
「ナスちゃん、これが件の相手? 魔法協会の幹部連中が好きな使い魔に似てるけど精度が段違いだね。うちのおししょーぐらい使いこなしてるかも……うん、ヤバいわ」
女が転げ落ちる様にベッドから跳ね起き、ローズが珍しく警戒感を露わにして身構える。
彼女がここまで余裕のない表情をしているのはナスターシャの記憶にない。
『わーお、なんか皆の視線が痛いね! でも私はただの協力者だよ、そこの人達に敵対する気なんて何もないよっ。ただ魔法協会のおじさん達に言われてお届け物を置きに来ただけだから、デリバリーですっ☆』
そう言い終わると同時、フクロウのぬいぐるみがふわりと浮き上がり、ぬいぐるみを食い破る様に中から異形の闇が蠢き現れる。
「おいおい、マズいぞ長官様よぉ! ありゃグリッターを飲むとなる奴だ、実際飲んでそうなった俺が言うんだから間違いねぇ!」
「ナスちゃん」
「うむ、間違いない。ネガティブビーストの類じゃ」
ナスターシャは光剣を作り出し、先制攻撃で異形へと撃ち出す。
一本、二本、三本と連続して打ち込んだ所で異形が動きを止め、六本目を打ち込んだ所で異形の影が散って霧散し、残されたぬいぐるみが床に転がった。
「流石ナスちゃんお見事お見事。でもどう考えてもさぁ、これで終わりじゃあないよね?」
「じゃろうな。フクロウの中身、どうせ見ておるのじゃろ、出し惜しみせず次の手を見せてみればどうじゃ」
ナスターシャは床に転がったぬいぐるみを見下ろして言う。
『お届け物を確認する前に出し惜しみとか言っちゃう? ぴぴーっ、注意です。ちゃんと中身を確認してからにしてください』
「確認前じゃと?」
『そうだよ、じゃあ開封しちゃうねっ☆』
フクロウのぬいぐるみが宣言すると同時、建物の屋根がメリメリと音を立てて剥がされていく。
「開封とはそちらかよ!」
慌てて周囲に魔法障壁を展開するナスターシャ。
『じゃ、ちゃんと届けたから後はよろしくねっ』
フクロウのぬいぐるみは敬礼のポーズをすると、紅い魔法陣を展開して消え去っていく。
「小賢しい。好き放題やって帰りおったわ」
『あ、そうだ。これはおまけだよっ☆』
と、そこに再びフクロウのぬいぐるみが姿を現し、ナスターシャの顔に茶色い紙袋を投げつけた。
「ぐむっ!」
顔面に紙袋が命中したナスターシャは、何事かと紙袋を受け止め、恐る恐るその中身を確認する。
そこに入っていたのは甘い香りを漂わせる茶色い輪っか。つまるところ、チョコリングドーナツだった。
「…………なんじゃ、これ」
意図を図りかね怪訝そうな顔でドーナツを見つめるナスターシャに、
『食べていいよ、美味しいよっ☆』
フクロウのぬいぐるみが底抜けに明るい調子でそう言った。
「要らんが!」
怒りに任せてドーナツを投げ返すナスターシャ。
『わわっ、食べ物で遊んじゃだめーっ!』
フクロウのぬいぐるみは器用にそれを受け止め、今度こそ姿を消した。
「なんじゃ、あ奴。妾を小馬鹿にしておったのかの」
「ナスちゃん、それよりもさ……アレはヤバいよ」
「同感だぜ。幹部連中、ついに悪魔に魔法協会を売り渡しやがった」
不愉快そうな顔をしていたナスターシャは、見上げる二人が愕然としていることに気がつき、自らも屋根が無くなった天井をようやく見上げる。
「……なんじゃあれ!?」
そして、本来青空しか見えないはずのそこに鎮座する"それ"に絶句した。




