18話 【ふたりのステラ】10
逃げる人々を先導してエントランスまで辿り着いたセリカは、外へと繋がる扉を勢いよく開いた所でその足を止める。
「マジですか……」
絶望するように呟くセリカの視線の先、街へと通じる道路があったはずのそこには何もなかった。
扉の先は一メートルほどの地面を残すだけで、歪み捻じ曲げられた夜空の下は真っ黒い虚空の断層が広がるのみ。
虚空の断層には魔脈であろう光の帯が一本走っており、切り取られた大地が光のコンベアに乗ってこの空間へと絶えず送り込まれている。
逃げ場などない絶望的な光景だった。
「なんということだ、ここまで来て万事休すか……」
セリカの異常に気付いた参加者達が足を止め、扉の先に広がっている風景を見て次々と絶望の言葉を漏らす。
「ここに居てはダメだ! 別の道を探さなければ!」
「祈りだ! 祈りの力を信じるんだ! セシリア様が言っていた通り、アルマ様に願いを届けねば脱出できんのだ!」
希望という理性の鎖がなくなったことで、混乱は伝染病のように伝播し、紳士淑女の仮面は剝がれかけ、人々の感情が暴発寸前になっていく。
「おお、皆も無事か。いやはや、大変なことになったな」
そんなパーティ参加者達の前、いけしゃあしゃあとした顔で仮面の一団がやって来る。セシリアに加担していたあの一団だ。
「どうした、覇気がないぞ。こんな状況だからこそ、立ち向かうのがアルマテニアの心意気だろう」
警戒と敵対の眼差しを向ける一同、だが仮面の一団はしれっと仲間面をして近づいてくる。
当然、神経を逆なでされた参加者達の怒りは全て仮面達へと向けられた。
「貴様等ッ! よく顔を出せたものだな!?」
「わ、我々はアルマ様のために戦う殉教者ではなく、ただ甘い汁を吸いたかっただけなのだ! 寄生虫は宿主が死んだら生きられない。だから我々がアルマテニアの害になる訳がない、わかるだろう!?」
胸倉を掴み上げられた仮面の男が、冷や汗をダラダラと流しながら必死に弁明する。
「悪びれもせず、この痴れ者が……! 国家の寄生虫は元々駆除されるべき存在だろうが!」
「わかりたくもないわ! 聞いている方が恥ずかしい台詞をよく口に出せますね!?」
激怒する参加者達が仮面の一団を取り囲み、もはや惨劇は不可避、誰もがそう思ったその時、
「あばばばばば!?」
仮面の一団が揃って奇声をあげはじめた。
「お、おっちゃん達! 様子がおかしいです、急いで距離取れです!」
セリカの言葉に全員が大慌てで距離を取り、
「あばばばばば、あばーっ!」
仮面の一団が次々と白く膨張し、混ざりあって白い塊に変貌した。
「な、なんだこれは、死んだのか……?」
「いいえ、違いますわ。彼等は元々アルマに取り込まれていましたの。人に擬態していただけで、それが本当の姿ですわ」
エントランスに凛とした声が響き、パニックになりかけた人々の視線が声の主に集まる。
そこにはメイド服姿のルシエラが居た。
「そして、あれは魔法少女でもあり、外で暴れまわっている触手そのものですの」
そう言うルシエラの前、白い塊が人の形に捏ね上げられ、それが魔法少女になる前にルシエラが漆黒剣を突き刺す。
白い塊はどろりと溶け、床に染みこんで消えていった。
「急ぎ避難をしてくださいまし。もはやこの次元の狭間はアルマの支配域、出てくる触手も魔法少女も無尽蔵ですわ」
「や、君は一体何者……。いや、それよりもどこに避難しろと言うのだね」
一同の視線を集める中、ルシエラは優雅に虚空と繋がる扉の前へと歩いていく。
「避難場所は既に用意してありますわ」
ルシエラは星空を閉じ込めたガラス玉のようなアクセサリを取り出すと、目の前の虚空へと放り投げる。
空中で停止したガラス玉の周りで二つのリングが交差するように回り始め、ガラス玉本体が青く輝きだす。
「ただし……!」
エントランスへと振り返るルシエラの後ろ、ガラス玉と入れ替わるように巨大な宮殿が姿を現し、一面の虚空を上書きする。
その荘厳な姿を見た人々が感嘆の声を漏らした。
「この場で貴方達は決めなければなりません。ここからこの事態に立ち向かうか、それとも全て一任して口を噤むかを」
ルシエラの言葉に、パーティの参加者達は顔を見合わせ、互いに頷きあう。
「そんなこと決まっていますとも」
「若人が毅然と立ち向かう姿を見て、まだ臆病風に吹かれる者などアルマテニアには相応しくない」
そして、全員が力強い足取りでルシエラの横を通り過ぎていく。
「あらま、思ったよりも皆さん冷静で元気ですの。喝を入れる必要などありませんでしたわね」
その姿にルシエラは若干面食らいながらも安堵する。
恐慌状態になっているかと思って啖呵を切ってみたが、別にそんなことをする必要はなかったようだ。
「さ、フローレンスさんとセリカさんも急いでくださいまし」
ルシエラがそう声を掛け、残っていたフローレンス達も大宮殿へと急ぐ。
「アンタ、本当に場を掌握するオーラみたいなのあるわね! こんな場面だと頼もしいわ!」
「色々とナイスタイミングだったですよ。お前とあのデカい城のおかげで皆がパニックにならずに済んだです!」
興奮しながらそう言って駆けていく二人に、ルシエラが大きく首を傾げる。
「お城、ですの?」
「えと、ルシエラさん。どうしたの?」
殿として残っていたミアがルシエラへと駆け寄り、首を傾げているルシエラの姿に首を傾げる。
「ミアさん、お城ってなんですの?」
「え、ルシエラさんの後ろにある奴だけど」
ミアがそう言ったことで、ようやくルシエラも振り返る。
単純に陸地があるだけだと思っていたそこには、見事に整備された広大な庭を有する、巨大な宮殿があった。
緑の庭園から宮殿へと伸びる石畳には魔法が施され、動く歩道となってフローレンス達を宮殿へと運んでいる。
「なんですの、あれ? わたくし、あんな浮遊島知りませんの」
目を点にして浮遊島を見つめるルシエラ。
想定していたのはよくて一面芝生の浮遊島だ。こんな天空城クラスの大要塞が登場するとは想像もしていなかった。
「え……もしかして、知らなかったの?」
「知らなかったですの。アンゼリカさん、あんなの持って来ていいんですの? とってもお高い奴な気がしますの。壊した場合ちょっと弁償できる気がしませんの」
「え、えと……」
急に尻込みし始めたルシエラと、目前に迫るエントランスの崩壊を見比べ、ミアはルシエラの手を引っ張る。
「とりあえず行こう。後、他の人の前でその顔はやっちゃダメだから。混乱巻き起こしかねないから気を付けて、ね」
ミアとルシエラが飛び移ると同時、エントランスが崩壊し、その残骸を突き破るようにして無数の白い触手が吹き上がる。
白い触手は周囲の残骸をかき集めるように取り込むと、ルシエラ達が居る浮遊島も取り込もうと襲い掛かる。
だが、白い触手は幾層にも展開された巨大な魔法障壁によって防がれた。
「この浮遊島、防衛設備までついていますの……?」
「はい、最新鋭の多層型重障壁ですよ」
大宮殿の庭で触手を見上げるルシエラの後ろ、半透明の本を手にしたアンゼリカが、自らの周囲にホログラムの計器を展開しながら姿を現す。
「お待たせしました、ルシエラさん。ご要望の浮遊島、最高性能の奴を持ってきましたよ」
「アンゼリカさん、この浮遊島はまさか天空城ですの?」
「惜しいです。これは大宮殿、天空城に代ってグランマギア女王の居城となるべく新造されたものです。つ・ま・りルシエラさんと私の愛の巣です! 行きますか? 事態が収拾したらそのままハネムーンへ!」
ぐふふとだらしない笑みを浮かべるアンゼリカ。
その横でツッコミを入れるように白い触手が魔法障壁を殴打する。
白い触手は多層障壁の何層かを破壊するが、自動再生する障壁全てを叩き壊すことはできず、ただ魔法障壁を叩き続けるだけだった。
──流石は最新鋭ですわね。この耐久力ならいけますかしら。
ルシエラは離宮の大地と建物を吸収し終えて白い塊となった触手達と、そこからアルマテニアの大地へと伸びている魔脈であろう魔力線を確認する。
このままではアルマである白い塊が次元の狭間を越えてアルマテニアへと出現するか、魔脈に引っ張られたアルマテニアの大地が離宮のように呑みこまれるかの二択だ。
「アンゼリカさん、この浮遊島は次元転移しなくても動かせますわよね?」
「はい、勿論です。宮殿って名前ですけど単なる住居じゃありません。なにしろ、天空城の後継ですからね。防衛機能山盛りの大要塞です」
「それはよかったですの。……なら、ぶつけましょう。あの白い塊に」
「ん、アルマテニアに行かないよう、蓋をするんだね」
ルシエラが首肯する。
「ええ、大宮殿の耐久力なら暫く時間を稼げるはずですわ」
この大宮殿をアルマテニアへと通じる経路上に置けばあの白い塊は通れない。
そのうちに次の一手を打つための時間を稼ぐ。
「そのためには、あの塊と紐づいている魔脈を大地から切り離す必要がありますね」
「そちらは安心せよ。その準備は既にできておる」
大宮殿上空の空間に亀裂が入り、箒に乗ったナスターシャが飛び出てくる。
「ナスターシャさん! いつの間に次元転移を覚えましたの!?」
「ふん、これはしいたけまなこのお膳立てじゃ。残念ながら妾ではまだ使えぬ」
箒から飛び降り、ナスターシャが不満げに鼻を鳴らす。
「えと、ナスターシャさん。準備できてるの?」
「うむ、魔脈の方はマジカルペットが溶けこみ既に制御不能じゃ。故に線路の魔法陣を再利用して、魔脈の汚染箇所を大地から切り離す準備をしておる」
「……想定していた中で最悪のパターンですわね」
それは原初に分かたれた二人のアルマが統合され、失われたプリズムストーンの力まで取り込む。
その力は間違いなく神の名に相応しいほど絶大となるだろう。果たしてルシエラに止められるだろうか。
「そこで尻込みをする必要はあるまい、あくまで想定内の最悪じゃ。最悪の中から最良を掴むのがお主の流儀じゃろ、遠慮せずにやればよい」
「……ナスターシャさん。そうですわね、決行しましょう」
「うむ、お主はそう言うとわかっておる。見事収め、これが最善じゃったと後で胸を張るとしよう」
そう決断するルシエラを見て、ナスターシャが自慢げに胸を張る。
彼女のマイペースさが今は心強い。
「ん、それでこそだね。ルシエラさんは難しくても全部取り狙いだよね」
「ええ、宿命のライバルがそれを押し通してしまうのですもの、わたくしも負けていられませんわ。ナスターシャさん、魔脈を切り離し終える時間は?」
「この時計で九時丁度、程なくじゃ」
言って、ナスターシャが紐からぶら下げていた懐中時計を投げ渡す。
「アンゼリカさん、移動の準備をお願いしますわ。切り離しと同時にぶつけます」
「わかりました。ただし次元の境界部は移動に大量の魔力を消費します。移動中は一時的に魔法障壁の強度が低下し、触手達に破られることが予測されます。その間の防衛はお願いできますね」
ルシエラが頷き、アンゼリカが半透明の本を滑らせ大宮殿の移動を開始する。
「さあ、ナスターシャさん、カウントダウンをお願いしますわ!」
時刻を確認したルシエラがナスターシャに懐中時計を投げ返し、ミアと共に魔法障壁の前に立つ。
同時、白い触手が大宮殿の魔法障壁を乱打し、幾層かの障壁を打ち破った。
「残り四十五秒じゃ!」
魔法障壁の薄くなった箇所を一転集中で狙って触手が突き刺さり、そこから白い泥が漏れる。
流入した白い泥が捏ね上げられ、大宮殿の庭で魔法少女の姿を形作っていく。
「ミアさん、あの突き刺さった邪魔な触手を魔法障壁から引き剥がしますわ!」
「ん、任せて」
裏拳一閃、仮面魔法少女を白い泥へと戻しながらミアが頷く。
「残り三十秒!」
ナスターシャが言いながら、光の剣で仮面魔法少女を針山にする。
だが、魔法障壁に突き刺さった触手は、次々と白い泥を障壁内部へと注ぎこみ、減った分の仮面魔法少女を即座に補充してくる。
「ルシエラ! 連中、すり抜けて建物の方へ行くつもりじゃぞ!」
「問題ありませんわ!」
自らの横をすり抜けて建物に向かおうとする二人の仮面魔法少女。
ルシエラは両手に漆黒剣を構え、すれ違いざまにその胴体を両断する。
「後十五秒!」
大宮殿がアルマである白い塊に肉薄し、幾本もの白い触手が交差してそれを受け止める。
「ん、押し返すつもりみたい」
「大丈夫です、今の所は力負けはしていません!」
押し込もうとする大宮殿、それを押し返そうとする白い触手。
魔法障壁と白い触手が衝突し、白い燐光と魔力の火花を散らしてぶつかり合う。
「ゼロじゃ! ルシエラ、切り離されたアルマが流れ込むぞ!」
ゴゴゴと地鳴りのような音が聞こえ、白い塊に莫大な力が流れ込む。
それによって大宮殿を受け止める触手の力が強まり、大宮殿は触手の大本である白い塊にぶつかる直前で停止してしまう。
「ルシエラ、ギリギリ届いておらぬぞ!」
「想定以上に力を取り戻すのが早いですね!? ルシエラさん、ちょっと斬り落として貰えませんか!」
「大丈夫ですの。丁度、最後の乗客が戻ってきましたわ」
そう言うルシエラの前、白い触手が切り裂かれ、ボロボロになったドレスを着たカミナが大宮殿へと帰還する。
「うふふ、豪勢なお出迎えをありがとう。あの女の相手を長々としていた甲斐があったわね」
カミナは穴の開いた日傘を差すと、くるりと向き直って戦列に加わる。
「今から突撃させますよ! 全員、対衝撃態勢を取ってください!」
左手に半透明の本を浮かせたアンゼリカが、右手で猫飾りの杖を振るって大宮殿の出力を上げる。
本体を守る触手がなくなったことで、大宮殿の体当たりが白い塊に直撃する。
大きな衝撃と共に大宮殿を守る魔法障壁が盛大に火花を散らし、白い塊を次元の狭間の奥深くへと押し戻した。
 




