18話 【ふたりのステラ】8
白い空間に飛び込んだルシエラの目の前、起こっていたのは最低の光景だった。
アルマと対峙しているクロエはユーリアに胸を刺し貫かれ、アルマであろうこの空間と同化し始めていた。あの様子では、クロエは程なくしてアルマに吸収されてしまうだろう。
だと言うのに、クロエは満足げな顔をしているではないか。
「ふざけないでくださいまし!」
思わずルシエラが心の内を吐き出し、驚く一同の視線がルシエラへと注がれる。
──なんですの、なんですの! どうして笑っていますの、クロエさん! わたくしに女王の座を渡してそれで満足なんですの? そんなの絶対に認めませんの!
ルシエラは周囲を素早く再確認し、この気に食わない状況をいかにして打破するかを考える。
時間はない、求められるのは即決。されど、選択ミスは許されない。一気に状況が転がりかねない緊迫した状況だ。
ルシエラは二本の漆黒剣でユーリアに斬りかかり、それを受けとめたユーリアを力任せにぶつけた魔力で吹き飛ばす。
更に牽制のため、右手の漆黒剣をアルマに投擲する。
アルマがそれを躱す挙動に入ったのを確認し、左手の漆黒剣をクロエへと向ける。
「ルシエラ、何を……」
「そんな自己満足、望んでいないと言うことですのっ!」
既にクロエはアルマと混ざり合っている。元々同一存在である二人に境界など存在せず、元通りに引き剥がすことは不可能。
故に斬る。切り取る。まだクロエであるとわかる部分だけを一閃で。
──クロエさんは両断されたぐらいで死なない。前回戦ってそれは確認済み、ですのっ!
クロエの体を斬り飛ばしながら、ルシエラは即座に漆黒剣を手放す。
「これでっ!」
次いでペンダントに魔力を通し、残存しているクロエをプリズムストーンの原石に封印する。
既に同化し、力の大半を奪われていたクロエは実にあっさりと封印され、ルシエラの持つ原石が漆黒に染まった。
「ここからが……」
クロエの切り離しと封印が成功し、ルシエラは一先ず安堵する。ここまでは完璧だ。
そして、ここからは撤退戦、ある意味本番の始まりだ。
残されたクロエの体は瞬く間に黒い闇となって溶け、闇は白い世界に吸収されてしまった。それはつまり、アルマがクロエの力を取り込んだと言うことに他ならない。
吹きとばしたユーリアも既に体勢を立て直し、クロエを貫いていた純白の剣を手にしている。
ルシエラは手にした黒石に視線を移す。アルマであり、クロエであり、自らの母親である封印石。絶対に死守して逃げおおせなければならない。
「本当に意味不明で愚かな娘だね。おかげで楽に力を取り戻せたのだよ。だから……残りの私も寄こしてもらおうか」
だが、そんなことは許さないと、力を取り戻したアルマが魔力の嵐を吹き荒らす。
ルシエラは黒薔薇のような魔法障壁を展開してそれを防ぐと、アルマの一部である空間を突き破って外へと駆けだした。
「私の体を軽々と突き破った!? ユーリア!」
「御意に」
驚くアルマの命を受け、ユーリアが逃げるルシエラを追いかける。
白い空間が掻き消え、ルシエラが元居た庭園に戻ると、停止していた白い触手は再び動き出しており、再び空間ごと周囲を食い散らかし始めていた。
「そうだろうとは思っていましたけれど、既にこの一帯は元の世界にありませんのね!」
既に幾本もの白い触手によって周囲の大地は剥がされ、洞のような虚空が露出している。既にこの一帯まるごとアルマが封印されていた次元の狭間に呑みこまれているはずだ。
触手がうねる度、ゴゴゴと地鳴りが起こり、光る魔脈の線に引っ張られた大地が空間ごと触手へと引き寄せられていく。
──最悪の予想が見事に的中していますわ!
引き寄せられている大地の上を走りながら、ルシエラは歯噛みする。
触手がここで大地を引き寄せる度、次元の狭間との境界にあるアルマテニアの大地は引き寄せられ、次元の狭間へと飲み込まれているはずだ。
だが、ルシエラがこの場でそれを止める手立てはなく、ナスターシャ達が手を打ってくれていると信じるしかない。
──やはり、わたくしが向こう側に行くべきだったのですかしら。
しかし、ルシエラがここに居なければクロエはアルマに吸収されていた。ルシエラはこの場に居なかったことを間違いなく後悔しただろう。結局、この選択が最良であったと信じるしかない。
ルシエラはクロエの封印された魔石を握りしめ、次々浮き上がる地面を跳び渡りながら切り取られた世界の果てを目指す。
「ルシエラ様、お待ちなさい」
「やはり追って来ましたわね!」
虚空に浮かんだ地面の切れ端に着地したルシエラは、背後にユーリアの気配を感じて振り返る。
追走してくるユーリアの後ろでは、魔脈の魔力が吸いあげられ、白い触手の周りで大地共々螺旋を描いて巻き上がっていた。
「っ! 後ろもとんでもないことになっていますわね!」
今自らが立つ地面も触手へと引き寄せられている真っ只中、足を止めれば瞬く間に後ろへと戻ってしまう。
自分一人ならば空間転移を使えば済む話。だが、自らが持つこの黒石が難物なのだ。
何しろ、この黒石は封印されたクロエそのものであり、今やこの空間そのものと呼べるアルマと同一存在であり、人外の理そのものなのだ。その境界は不明瞭であり、空間転移で黒石だけを選び運ぶのは難しい。
「空間転移は使えませんよ。お覚悟を」
追いかけてくるユーリアもそれを承知しているようで、ここでルシエラを捕まえるべく白い剣を投擲する。
だが、それは身の丈程もある大剣によって防がれた。
「カミナさん、いいタイミングですわ」
「当然よ、流石にこんな状況で悠長にはしていられないわ。それに……あの女の姿がどこにも見えないのだもの、警戒もするでしょう?」
ユーリアへと殺気立った視線を向けながら、カミナは大剣を持ち上げて臨戦態勢を取る。
「ここは私が引き受けるわ。私はこの女と話があるの」
「ええ、お任せいたしますわ!」
ルシエラが頷き、カミナの横を通り過ぎる。
「それと、途中でミアを回収しておきなさい。あの子、大分消耗していたわよ」
その言葉を聞くや否や、ルシエラは走る足を一気に早めた。
「うふふ、お熱いのね。焼いてしまいそう」
その様子を横目で見てカミナがくすりと笑う。
それを追ってユーリアもカミナの横を走り去ろうとするが、
「……誰が貴方まで通っていいと言ったのかしら」
カミナがその眼前に大剣を突きつけて遮った。
「邪魔です」
行く手を阻まれたユーリアは再び白い剣を顕現させ、カミナへ向けて薙ぎ払う。
大剣を引き裂かれたカミナは、ひらりと宙を舞って白い剣閃を回避すると、取り出した日傘に魔力をまとわせながらユーリアへと振りかぶって反撃する。
「うふふ、本気の一撃をありがとう。娘が会いに来たというのにご挨拶ね。私が無能であったのなら死んでいた所よ」
「私を縛るのはグリュンベルデの使命、即ちアルマの巫女たる使命のみ。そこに親子の情が介在する余地はありません」
ユーリアは飛び退いて日傘を躱し、剥がされ浮き上がる大地の上で白い剣を構えなおす。
「ええ、そうでしょうね。娘を神降ろしの生贄に使うぐらいですもの」
それをカミナが大剣と日傘の歪な二刀流で迎え撃つ。
「それがグリュンベルデの宿業、矜持なれば」
白い剣と大剣が交差し、ユーリアが放つ攻撃魔法をカミナが日傘で受け止める。
「……そう、グリュンベルデの矜持、ね。ガッカリするような模範解答をありがとう。おかげで踏ん切りがついたわ」
ユーリアは鋭く重い剣戟を次々と繰り出し、冷たい目をしたカミナがそれをことごとく捌いていく。
虚空を流れる大地に金属の乾いた音が響き渡る。
その攻防に親子の情など存在せず、二人の周囲には他者を寄せ付けない剣戟の嵐が吹き荒れるのみだった。




