18話 【ふたりのステラ】2
控え室を後にしたルシエラは、パーティ会場となっている広間には極力近づかぬようにしつつ、仕事に勤しむメイドを装ってクロエを探す。
途中、パーティ参加者と何度かすれ違ったが、堂々とした態度のおかげで怪しまれることはなかった。
──クロエさんを見つけられたとして、なんて言えばいいのですかしら。
クロエを見つけた後に待ち受ける難関を想像し、ルシエラは頭の中で予行演習を繰り返す。
心配してきた。第二王女達が狙っているから自分が守る。危険だから同行する。
頭の中では難なく言えるその台詞達。だが実際クロエを前にした時、果たしてそのどれか一つでも素直に言えるのだろうか。
「むむむ……情けないにもほどがありますわね、わたくし」
と、考えながら歩く廊下の先、セシリア達が物陰からルシエラを凝視していることに気づく。
「くくく、メイドの裾にこのソースをかけて、見苦しいといびってやる」
「止めて帰りましょう、セシリア様。計画に支障が出ますよ~」
──あら、あれはセシリア第二王女。やはり、わたくしを怪しんでいるのですかしら。
だが、ここで踵を返し転進すれば、怪しいですと自分で認めてしまうようなもの。
ルシエラは凛と背筋を伸ばし、そのまま堂々と廊下の壁際を歩いていく。
「さあ、通り過ぎろ。その背中にシェフ特性のソースをぶちまけてやる……」
「セシリア様、白いドレスの裾が汚れておりますわよ。お気を付けくださいまし」
途中、余所行きの微笑みで会釈し、さりげなくドレスの汚れを指摘しながらその横を通り過ぎる。
メイドの対応としては怪しく不自然だが、ルシエラはそこまでメイドになりきっている時間はないし、セシリアが恥をかくのを黙って見過ごすのも申し訳ない。ここが自分の中の妥協点だ。
「ヴアッ──!」
その後ろ、指摘されたセシリアが素っ頓狂な声をあげて飛び上がった。
「落ち着いてください、セシリア様! 持っているソースまで付着しちゃってますぞ! 大惨事ですな!」
「ギギギ! こんなの予定と違うっ、ぐやじいっ! ぐやじいいいいっ!」
背後で駄々っ子のように悔しがるセシリアに気づかず、ルシエラは探索を続けていく。
だが、クロエの姿は一向に見つからない。
「ミアさん、そちらの様子はどうですの?」
『クロエさん、居ないよ』
ブローチに偽装した通信魔石でミアに会場の様子を確認し、クロエの不在を確認して首を傾げる。
「どこに行ったのですかしら。先程、会場でアルマの話題が出ておりましたから、来る予定があるのは確かだと思うのですけれど」
『えと、ここには来てもパーティに参加するつもりはないのかも』
「一理ありますわ。アルマと雌雄を決するつもりなら、一般人の存在は枷にしかなりませんものね」
と、そこで目の前にまたセシリア一行が居ることに気づき、
「ミアさん、人が居ますわ。また後で」
『ん』
ルシエラは会話を切り上げる。
見れば、セシリア一行は荷物の箱を大量に抱えて誰かを待ち構えていた。
──流石に偶然、ではないですわよね。パーティ会場を放置してもいいのですかしら?
セリカの言っていた通りなら、今夜のパーティはセシリアがアルマのために企画したものであるはず。
そして、それを承知でクロエが参加予定なのだとしたら、裏で何らかの企みが動いているのも確かなはずだ。
なのに、その首謀者はこうやって自由に会場の外を出歩いている。
やはりパーティ会場自体に役割がある訳ではないのだろう。それならばクロエが会場に姿を現さないのも頷ける。
ルシエラはそう結論付けながら、お澄まし顔で再びセシリアの横を通り過ぎようとする。
「おおーっと! 手が滑った!」
そこにセシリア達がわざとらしく飛び出し、手にした荷物をルシエラ目掛けて次々と投げつけた。
ルシエラは荷物を片手で華麗にキャッチすると、そのまま次々と積み重ねるように受け止めていく。
「な、なんなのだ!? そのバランス感覚は!?」
「落としましたわよ」
ルシエラは曲芸のように全ての荷物を縦に積み重ねると、目を丸くしているセシリアに手渡しで返却する。
そのまま脇を通り過ぎ、セシリアの手の上で積み重なった荷物が雪崩のように倒壊した。
「ぎゃああああ!」
──本当に奇矯な方達ですわね。
後ろから聞こえる賑やかな声に苦笑いするルシエラ。
彼女達がこんな様子で戯れているのなら、あちらもまだクロエと接触していないのだろう。
そろそろ、クロエがパーティ会場に現れない前提で探した方がよさそうだ。そう考えたルシエラは探す範囲を広げることにする。
階段を下り、渡り廊下を渡り、また階段を上る。離宮を効率よく、くまなく探索していくルシエラ。
そして、ついにその足を止める。
広大な庭園を見下ろすバルコニー、仮面の宰相が一人佇んでいた。
──クロエさん、こんな所におりましたのね。
ルシエラは周囲を見回して他に誰も居ないことを確認し、大きく息を吐いて気持ちを落ち着ける。
そしして、先程した予行演習を思い出しながら、ゆっくりとバルコニーに近づいていく。
危ないから一緒に行動しようと言うべきか、まずは話し合って協力しようと言うべきか、売り言葉に買い言葉にならないよう気をつけなければ、ルシエラは頭の中でぐるぐると思考を巡らせる。
だが、バルコニーへと歩いていくうち、佇んでいる仮面宰相に違和感を持ちはじめる。
やがて、その違和感はやがて確信に変わった。
「……貴方、クロエさんではありませんわね。ユーリアさんですかしら」
「これはルシエラ様……よくおわかりになりました。認識阻害の魔法が効いているはずなのですが」
ルシエラがユーリアの横に立ち、ユーリアが庭園からルシエラへと視線を移す。
正体を看破したことでユーリアの認識阻害が解け、ルシエラと同じ黒髪に見えていたその髪色が、カミナと同じ薄緑へと正しく再認識されていく。
「だからこそですわ。わたくしはクロエさんの正体も、認識阻害を効かせた仮面の状態も知っている。故に認識阻害は効かないはずですの」
「これは盲点でした。これでは影武者失格ですね」
「ユーリアさん、クロエさんはどこへ行きましたの?」
湧きあがる焦燥を押さえつけてルシエラが問う。
わざわざユーリアに影武者をさせているのだ、クロエは明確な目的をもって暗躍している。間違いなく、秘密裏にもう一人の自分と雌雄を決するつもりだ。
「……その前に一つ、ご確認をば。ルシエラ様はクロエ様に女王の座を譲られた。この話に相違ありませんか」
「そのようですわ」
カミナの忠告を思い出し、ルシエラはどう返答すべきか一瞬迷うが、ユーリアがしているのはあくまで"確認"だ。ならば知らないと偽る方がリスクが大きい。
ルシエラはそう結論付け、隠して身に着けていたペンダントと、それに取り付けられたプリズムストーンの原石を見せる。
「……私が王座を追い落とし、五年。それでも貴方は王座に返り咲いた。これは如何なる宿命か、星の導きか、貴方は正しく神の子なのでしょう」
それを見たユーリアは暫し無言になった後、静かに息を吐いてそう呟く。
「されど私は愚かな人の子なれば。ルシエラ様、貴方が王座に戻るのならば今度こそは認めねば、祝福せねばと常々思うておりました。しかし、その御姿をこのまなこで見た今思うのです。私が仕えるはアルマ様のみ、やはり認めたくはないと」
そして、怨念めいた感情の籠る言葉を続けた。
「わたくし自身も戸惑っていますもの、貴方が認められないのも無理はありませんわ」
「ルシエラ様はお優しいですね。……ですがお気をつけあそばせ、その輝きはある種の人間には眩し過ぎるのもまた事実」
「どういう意味ですの?」
「貴方が女王に相応しければ相応しいほど、貴方を女王の座から追い落とした我が身の浅はかさを悔い、苦しく思い、嫉妬するのです。ああ、己が選択は間違いだったのだろうか。もしも別の答えを選んでいたのならば、と」
懺悔するように己の胸の内を吐き出していくユーリア。
「そして、クロエ様とアルマ様の関係もそれと同じなのでしょう。いいえ、同一の存在であるが故に、より」
──自分が選ばなかった"もしも"の可能性。それが隣で輝いていたのなら……確かに心中穏やかでは居られませんわよね。
人を見限るか、それでも導くか、エズメの話ではその二択によってアルマは白黒に分かたれたと言う。
片や封じられ、片や魔法の国で永久の支配者として君臨し続ける。同じ存在だった者がたった一つ違っただけで生まれてしまったその差はあまりに大きい。
「……きっと、クロエ様とシスティナの関係も」
「え……」
思わぬ言葉で現実に引き戻され、ルシエラは驚きの表情でユーリアを見る。
クロエの仮面を着けたユーリアは、ルシエラの視線から逃げるように背を向けた。
「ルシエラ様、クロエ様をお探しならば急ぎ庭園にお向かいなさいませ。それが私が女王に捧げる一度限りの忠義でございます」
バルコニーに少し肌寒い夜風が吹き、ユーリアは静かに回廊の果てへと歩き去っていく。
「悔恨の海の中では誰もが孤独。故に寄り添う錨を求め、たゆたう」
途中、歌うようにそう呟いて。
「待ってくださいまし、ユーリアさん! もう少しちゃんと話を聞かせてくださいましっ!」
ルシエラは慌ててユーリアを追いかけようとするが、そこに体当たりしてくる影が一つ。
「ハーッ! 誰だ! 誰なのだ!? 第二王女の進路を塞ぐ、ボンクラで不躾なメイドは!?」
それは、ドレスを変えたセシリアだった。
「申し訳……」
「んん~、ダメイドが居たぞぉ。いけない奴なのだなぁ、高貴なお方の進路を塞ぐとは」
してやったりと言った顔で進路を塞ぐセシリア。
──なんですの。もしやこの方、ただ変な方なんですの?
ユーリアに言葉の真意を聞きたかったルシエラは、行く手を遮るセシリアをムッと睨みつける。
最初は自らを怪しんでいたのだと考えていたが、この様子だと知らずのうちに目の敵にされるようなことをしていたのかもしれない。
「くっくっく、今更そんな顔をしても遅いのだぞ。メイド目立ち過ぎ罪は重罪なのだからな」
案の定、セシリアに行く手を遮られている間に、既にユーリアは何処かへと消えてしまっていた。
──急いでいるのに面倒な方に捕まってしまいましたわ。
面倒な展開になってしまったとルシエラは大きく息を吐く。
どうせこうなってはパーティに紛れて探すこともできまい。ならば強行突破するしかない、こちらは時間がないのだ。
「誠に申し訳ございませんの。お仕事がまだ残っておりますので失礼しますわ」
ユーリアの脇をすり抜け、足早に逃げ出すルシエラ。
「逃がすな、追え! 生きて捕まえて拷問にかけろ!」
「え、ですが、アルマ様がもうお待ちで!」
「追え! 追えーっ!」
狼狽する宮廷魔術師達に檄を飛ばし、セシリアはルシエラを逃がすまいと追いかける。
──本当に厄介な方に目をつけられましたわ。
まさか全力で追いかけてくるとは思わず、後ろを振り返ったルシエラは面食らいながら逃げる足を速める。
ユーリアは庭園へ急げと言っていた。だからと言って、アルマの味方であろう彼女達を引き連れて行っていいものだろうか。逆効果ではないだろうか。
廊下を走り、階段を上り下り、なおもしつこく追いかけてくるセシリア達。何しろ地の利は向こうにある、易々とは振り切れない。
「ミアさん、ミアさん!」
途中、通信魔石に声をかけてみるが、ミアからの返答がない。
──状況が動きましたわね。
もはや予断を許さない状況だと判断し、痺れを切らせたルシエラはそのまま庭園へと直行する。
迷路のようになった生垣の間を抜け、ルシエラはクロエを探す。
だがクロエは見つからず、代わりに一つの人影を見つけてルシエラは足を止めた。
それはせせらぐ噴水の前、外灯に照らされたベンチに独り腰掛ける白い髪の少女。
十歳ぐらいに見える彼女の姿は異質な空気をまとい、女王時代の自分、そしてなによりルシエラの母であるシスティナによく似ていた。
──まさか……クロエさんよりも先にこちらと出会ってしまうなんて!
その正体に感づいたルシエラは、頬に一筋の冷や汗を流しつつ相手の動向を窺う。
自らの母に似ているのも当然、いや似ているのではなく全く同じなのだ。彼女こそがクロエと同一の存在、もう一人のアルマなのだから。
「そうかい。お前がルシエラ……"私"の娘なのだね。知っている姿とは形態が違ったから、すぐにわからなかったのだよ」
対する相手も同じ結論に至ったらしく、真紅の瞳だけを向けて観察していたアルマが、ルシエラの方へと向き直った。




