第二話「二度の死、巡る輪廻」
――その日の夜。偶然とはいえ無事に少女を救った俺は、吹雪に紛れながら一軒家の玄関に足を踏み込む。
ここは養父であるアズレーン・シューベル博士の家である。
彼――アズレーン・シューベル博士はネフティスと呼ばれる、数多の異常案件を解決する非政府組織の魔術研究者である。
俺はその組織から来る異常案件を博士の代わりに遂行するのを対価に住ませてもらっている。
「……今戻ったぞ」
ドアを開く音が俺を日常へと引きずり込む。閉める音が外界の吹雪を遮断する。仕事による束縛から解放される。お陰で肩が軽く感じた。
――すると。
「お、やっと帰ってきたか! 遅せぇぞ大蛇! もう風呂沸いてんぞ!」
騒がしい足音をたてながら、白髮の青年が廊下を駆けてくる。
「……アレス、いちいち出迎えするな。お前は新婚ほやほやの嫁か」
「あ、飯も出来てるから先そっちにするか?」
「だから新婚の嫁かお前は」
「病める時だろうと健やかなる時だろうと、俺らは生涯の相棒だろ? ならほぼ新婚みてぇなもんだろ」
「変な勘違いを招くからやめろっ! その言い方っ!!」
帰宅早々玄関で漫才のような会話を交わす――俺の親友、アレス。
彼も俺と同じ条件でこの家に住んでいる。性格は俺とは真逆で荒っぽい性格で、戦いになると自我を忘れて暴走する。
それでも本人曰く、住み始める前よりはマシになってるらしい。こうして出迎えてくれたり、他愛の無い話をしながらふざけたり。
確かに俺から見ても、昔のこいつなら見せる事のない人間らしい一面を見せるようになっただけ、マシにはなったと思う。
そんなアレスと玄関で軽口を交わしていると、リビングのドアが開く。
「おかえり、大蛇。相変わらず玄関でアレスとイチャイチャしてるな」
「はぁ……博士もいちいち出迎えてくるな。あとイチャイチャとか誤解を招く言い方するな」
「君とアレス君は僕から見てもお似合いだと思うけどね」
「だから勘違い招く言い方すんなっ! どいつもこいつも何なんだよ……」
「まぁ僕はそういう……いわゆるBLにも理解があるからね、決して止めはしないよ」
「誰がBLじゃっ! 少女漫画だけにしとけそういうのは! いい加減にしねぇとその首斬り刎ねるぞおっさんっ!!」
「今日も大蛇のツッコミはキレキレだなぁおい……」
今日もこうして他愛もない話を交わしながら食事を行い、ゆっくりお風呂に浸かって身体の芯を温め、ひんやり冷たい布団を体温で少しずつ温めながら夢に落ちては朝を迎える。この日々が俺の数少ない生きがいである。
――だからこそ、壊れるのは一瞬だった。
「ふぅ……」
お風呂から上がって、気づけばもう20時を過ぎていた。そろそろ夕食に入ろうとキッチンに移動する途中にふとテレビに目を移した時だった。
「ここで速報が入ってきました。今日午後7時15分頃、5歳の女の子が突如行方不明になったと警察に通報がありました。繰り返します――」
「……は?」
すっ頓狂な声が無意識に口から出る。今目の前のテレビに映っている行方不明の少女とは、先程助けたあの少女だったのだから。
(嘘だろ……さっき助けた時ちゃんと少女の家の前まで送ったはずだ。周囲には俺と少女以外誰もいなかった。まさか突然見失った時――俺が変な夢を見てた時に誰かが攫った……いや、まさかな)
「……大蛇? そんな驚いた顔してどうしたんだ? あのニュースがどうかしたのか?」
「悪いアレス、俺の夕飯そのまま冷蔵庫の中入れといてくれ」
「ちょ……おい、どこ行くつもりだ!」
家の玄関に右足を踏み出そうとしたその時、アレスが力強く俺の右腕を掴む。こんな暗い時間に外に出るのは危険だと言いたいのだろうか。
「……あの少女を助けに行く」
「少女って……まさか今ニュースでやってる行方不明のやつか!?
馬鹿かてめぇ! そういうのは警察に任しときゃいいんだよ! 万一任務依頼が出りゃ行けばいいんだよ! それにわざわざお前が行く必要ねぇ――」
「あの少女は、さっき俺が助けた迷子の子だ」
「は……? さっきって、まさかお前……」
「一度助けた人なんだ。死なせるわけにはいかねぇだろ」
アレスの掴む手を振り払い、ドアを開けてすぐに背から黒翼を広げ、白い夜空へ飛び立つ。
(くそっ……まだ死ぬんじゃねぇぞ)
身体が空を切る。風が頬を裂く。寒い。だがそれ以上に胸の奥が痛いほどに冷たい。
「これは『黒き英雄』としてじゃねぇ。あの少女の助けを求める手を掴んだ、一人の男としての任務だ」
何としてもあの少女を助ける。危ない目に遭った時は必ず助けると――さっき約束したばかりなんだ。こんなところでいとも簡単に破らせないでくれ。
◇
その誓いを胸に刻んでいるのも束の間、少女を探しながら上空を飛んでいる途中で空気が一瞬にして変わった。
「これは――」
息を呑む俺の視線の先にある現象――山頂にそびえ立つ、巨大な遊園地。そこは全体が濃く霧がかっていた。しかし今も吹雪いているからか、雪なのか霧なのかよく分からない。
だが、上空から見ると観覧車のようなものが微かに見える。
「は……? 何で山の頂上に遊園地がっ……!」
普段からは微塵も感じない、途轍もない違和感……もしかしたらあの少女の行方不明と関係があるかもしれない。
そう思って俺は中の様子を確認するべく下降する。徐々に霧の中から観覧車やジェットコースターのレールがはっきりと見えてきた。ほんの一瞬、世界の歪みを疑った。
「……嫌な予感がする。こんなのが元からあったなんて思えねぇしな」
間違いなく何かある……と、俺は警戒しつつ慎重に夜の遊園地の中に広がる霧を払いながら歩いていたその時――
「っ……!!?」
突然俺の全身に痺れが生じ、あまりの痛さに全身がうずくまる。
「なっ……! 体が急にっ……、痺れて……っ!!」
思わず膝をつく。呼吸が無意識に乱れる。
その時――桐の奥から三つの人影が現れた。左右には二人の子供。きっと俺と同じように気になって入ってきたんだ。
「おい、あんたら早く逃げろ! 霧を吸ったら死ぬぞ……って――」
しかし三人は逃げる様子もなく、何故か俺の方へ近づいてくる。左右の少女の空いた手にそれぞれ見覚えのある少女の分断された身体を引きずりながら。
「っ……!!」
その遺体からは痛々しい程に大量の血が地面を一直線に塗りつぶしていた。腹から横に真っ二つにされており、全身に多くの痣が出来ていた。
その遺体があの行方不明の少女であった事に気づいた瞬間、俺はとっくに正気を失っていた。脳が理解を拒絶する。だが、そこに在る視界だけは残酷なほど鮮明だった。
「うっふふふ。辛そうな顔をしてお可愛いこと。遅かったねって言いたいとこだけど、まさかここまで来たとは思わなかったわ」
「そうだね、ピコ! おまけにこっちの心配までしてくれて……ほんとに優しすぎるよね〜、英雄って。 いや〜それにしても、まさか君が助けたはずの少女の家がここに繋がってるなんて普通思わないよね〜」
「は…………??」
「こら、マコ! 勝手に私の名前とせっかく考えた仕組みを言ってはいけないわよ! あのお方から機密事項だって言われてるでしょ!」
「は〜い、ごめんね〜」
少女たちが嗤う。軽薄に。無邪気に。まるで玩具を壊した子供のように。
もう俺の脳内は誓ったばかりの約束を早速果たせなかった罪悪感と己への無力さと憎悪で満ちていた。
「ごめんね、『黒き英雄』さん。彼女はあのお方の命令でどんな手を使ってでも殺せって言われたのよ。
だ・か・ら、もう何しても意味がないよ〜。だって、死んでるもん」
ショックと麻痺で身体の感覚が無くなった後から急激に眠気が襲ってきた。きっと俺もここで同じように殺すのだろう。
全身が石のように動かない。いや、俺の身体が動くのを拒否しているのだろうか。もう、分からない。
「――あぁ」
理解する。この気持ちが、絶望なのだと。怒りも悲しみも、何も感じない。涙の味も熱も、全く分からない。それはただの水滴となって頬を伝っていた。
「でもぉ……君がこれまでしてきた事に比べたら、まだ可愛い方だよ。これは私達人間が君に与えた罰。君の不条理で死んでいった者達の怨念。受け入れ、苦しんで、絶望に堕ちたまま死んで」
「ぁ…………ぁ……」
『黒き英雄』たる俺が、たった一人の少女の死で罰を簡単に受け入れようとしたのが無様に見えたのか、三人は高笑いをしながら霧の中へと消えていく。
「……」
不条理だ。この世界は不条理で満ち溢れている。小さな女の子を助けたというのに、殺されてるのだから。絶対守ると誓った約束すら、呆気なく散り果てる世界なんだ。
俺がさっき助けた少女は死んだ。誓った約束諸共全部、あいつらに殺されたんだ。
「……す」
あいつらは俺の全てを殺した。約束も、その先の未来も。そして……俺自身をも。
――だから。
「……殺す」
運命。これが俺に降りかかった人生の終着点なのだろうか。否、それを降り注がせたのはあいつらであり、同時に俺自身だ。決して神や仏では無い。
「お前らだけはっ……!」
もうそれを変えられないなら、その運命が約束されてしまったのなら、それでいい。だったらその元凶を殺すまで。
「……跡形も無く葬ってやる」
もういい。これでいい。理性も正義も、感情もいらない。『黒き英雄』だなんて二つ名も捨ててやる。
今の俺は、ただの殺人鬼。絶望を教えてくれたこいつらに終焉をプレゼントする、人の形をした殺戮者だ。
――ごめん、アレス、博士。こうなった以上、俺はもう引き返せない。この憎悪に、憤怒に耐えられなくなった以上は。
「っ……!!」
全身の痺れに歯を食いしばりながら、右手から召喚した黒剣の柄を握る。そしてゆっくりと両足を地面につけて立ち上がる。
「あ、生きてっ――」
ピコが後ろを向いたその時――
「眼は殺した。次は心臓だ」
一閃が両目を走り後を追うように鮮血が舞い上がる。
「ピコっ……! よくも……ピコをっ……!」
マコの鋭く冷たい視線が俺を睨む。しかし俺にはその怒りなど全く感じなかった。
「……何、お前らが俺にした事を真似ただけだ。生きてるだけ軽い方だろ」
続けて俺は地面を蹴り、凄まじい速さでマコの懐へ踏み込む。
「今更戻れねぇよ。俺もお前らも……人に血を流させた以上は皆人殺しだ。殺した数や手法も関係ねぇ」
「っ……!!」
瞬きする間に目に見えない速さで斬撃を繰り出す。視認すら許さない速度で肉を裂いては爆発するように鮮血が飛び散る。
その速度――僅か0.3秒。
「ぐっ……マコっ……!」
「安心しろよ。仲良く地獄行きだ」
剣を左手に持ち替え、空いた右手でマコの左胸を貫く。
「がっ……ぁあああ!!」
中で大きく脈を打つピコの心臓を掴み、引き千切っては思い切り握り潰す。
「あああああああっ!!!!」
「ピコっ……!」
先程斬撃を喰らったにも関わらず、地面に落ちたピコの元へと行くマコに目掛けて俺は剣を逆手に持って頭部目掛けて投げつける。
「うぐぁっ……!」
ドスッ、と鈍い音と共にマコの後頭部を刃が貫く。それと同時にマコの懐まで回り込み、殴打と蹴りの連撃を喰らわせる。
右拳で殴り、反動で回転しながら左の裏拳、更に軽く跳んで空中で一回転してからの左足で踵蹴りを繰り出す。
「ぐっ……げほっ」
口から血を吐き出しながら吹っ飛ぶマコに容赦なく連撃を繰り出す。トドメに背後へ回り込んでは先程後頭部に当てた剣を持ち、斬り上げる。マコの顔面上部が綺麗に縦に裂く。
「ぁ…………」
マコは至る所から鮮血を噴き出しながら地面に転がって倒れた。そんなマコを殺した俺の目の前には、さっきまでずっと二人の間にいた、謎の黒フードの人物が姿を現していた。
「次はお前――」
黒フードの人物を殺そうと地面を蹴ったその時、突如俺の四肢が切断された。
「……!」
黒フードの人物がゆっくりと近づく度に俺の身体が更に斬り刻まれる。音を立てるたびに、無数の見えない斬撃が俺を襲いかかる。
「――300……この数字が何を表すか、君は分かるだろう?」
「がっ……」
「遥か昔、君が焼き尽くした日本で焼き払われた子供の数……そして、私が今君に放った斬撃の数だよ」
見えない。何も見えなかった。痛みより速く、理解不能が俺を襲う。
たった3歩しか歩いてないのにも関わらず、この人物は300もの斬撃を俺に全て命中させ、斬り裂いたのだ。
「この罪は永遠に消えない。何度生まれ変わろうと、それは君の運命の歯車に深く錆び付くように消えないだろう。たとえ人類がその伝説を忘れようとも、私だけは決して忘れまい……君を絶望の深淵に陥れ、地獄の輪廻が永遠と続き、朽ち果てるその日までは――」
四肢を斬られ、全身をマコと同じように斬り刻まれた今の俺に意識などとうに無かった。既に死を目前としていた俺に、黒フードの人物は右手を下から上に振り上げる。
「『断』」
囁くように静かな一文字は、俺の身体ごと、世界を縦に両断した。
そこからは意識が途絶えた。痛みも何も無かった。ただ虚無なだけだった。ショックから解放され、いつもの日常から……明るい未来から突き放されたような感覚だった。
「………………」
俺――八岐大蛇の運命はここで終わった。
――そう思っていた。
…………。
………………………。
…………あぁ、まただ。あの時と同じだ。俺は死んだんだ。
何も見えない。誰もいない。どこも動かせない。まだ霧による麻痺が効いているのか。
「――チ」
アレスは今どこで何をしているのだろうか。勝手に家を出た俺を憎んでいるのだろうか。遊園地で会った三人組もきっと、こんな俺を見て『ざまぁみろ』って言いながら嘲笑っているだろう。
「――ロチ」
アレス、博士、ごめん……きっと今も俺の帰りを待っているだろうな。そう考えると余計に罪悪感が湧いてくる。
「――オロチ」
名前も知らない、あの時助けた少女よ。もし最初からお前を助けなければ、お前が死ぬ事も、こうして不条理から逃げ続ける人生を送る事も絶対に無かったのかもしれない。
でも。仮にそうだとしても。君をこの手で一度救った己を憎む事はない。
「――オロチ!!」
「はっ――」
刹那、誰かに起こされたような気がして俺はふと目を覚ました。いや、覚まさせられた。
「ここはどこだ……」
仰向けのまま辺りを見回す。視界に入るは四方八方真っ白な風景。地獄にしてはあまりにも静かで、天国にしてはとても味気ない。
指が動くのを感じる。少なくとも身体の感覚がある。意識は確かに此処にある事を理解する。
「――ふふっ」
不意に笑い声が聞こえる。鈴のように軽やかで、高い音色を白の世界に奏でる。
「大蛇さん、ようやく目を覚ましたのね」
「っ――」
今度は右から声をかけられる。振り返ると、一人の少女と目が合う。そよ風になびく桜色の長髪に巫女服を纏う姿を合わせた、柔らかな笑顔が微かに世界を彩り始めた。
「お前は……」
知っている。その笑顔を、俺は知っている。だが思い出せない。名前も出会った場所も、記憶の片隅で引っ掛かったまま取り出せない。
「ふふっ、一度見た顔だって表情してる。その感じだとずっと思い出させなさそうだから教えてあげる。
私はアカネ。ここで全ての命を護る者……現世を見守り、死者を迎え、人生を振り返り、それに見合う世界へ送る。そっちでいう閻魔大王みたいな事をしているの。
あ、この巫女服はただ私が気に入って着てるだけなんだけどね……えへへっ」
「全ての命を護る者……か」
言葉にすると軽い。けれど、彼女のそれは不思議と嘘には思えなかった。俺が口にした時には感じなかった重みがあった。
「……よく言ったものだ」
そんな存在がいるなら、何故あの少女は殺された。何故彼女は死ななければならなかったのだ。
もう訴えても無駄なのは分かっている。だけどどうしてもこの事実を拒絶したかった。それだけ最後まで助けられなかった自分が情けなくて、途中で目を離した己を恨んでいるのだなら。
「不服そうな顔、してるね」
「……お前も俺を観てるなら、その理由くらい分かるだろ」
冷めきった声を吐き捨てながら、視線を逸らす。ゆっくりと深呼吸してから、再度呟く。
「俺は果たせなかった。あの子を守るって約束を……破ってしまった」
「……!」
吹雪の夜――震えながら温かいコーンスープを包むように握る、少女の手。
『じゃあ、約束ね。ずっと私の英雄でいてね』
脳に過る、約束を交わした時。その度に苦しくなる。苦しくて、辛くて、気づけば唇を無意識に噛んでいた。
「……そう理解した時には、全てが壊された」
原型を失った身体から零れ落ちる赤。交わしたばかりの約束を無理矢理引き裂かれた絶望。
もうあの光景は、未来永劫忘れる事はない。
「だから俺は殺した。負の感情に身を任せながら、約束を壊したその元凶を殺すために。でも駄目だった。唯一残ったものなんて、過去と同じ過ちを繰り返した事実くらいだった」
「……そうだね」
ただ、少女は頷いた。否定も慰めも無い。だけど、その肯定は真っ直ぐ胸に届いた。それが不思議と心地よかった。
「……俺は二度も命を奪った。数なんていくら指があっても足りないくらいだ。そんな取り返しのつかない過ちを、この手で犯した。この先の未来なんてとっくに見えている。早く俺を地獄に落とせ」
それくらいしか、俺が願っていいものなんて無い。それで俺が奪ってしまった命の無念が、少しでも報われるなら。
「もう俺には守るものも、護られる価値も無い――」
「……」
地獄に行く前に、心に溜まった全てを吐き出した――その時。
「えいっ」
「は……?」
こつん、と額に柔らかい感触が触れた。少女の人差し指だった。
「却下」
にっこりと笑いながら、少女は俺の望みを拒絶した。瞬間、どこからともなく桜が螺旋状に空へ舞った。
白の世界が彩られる。まるで春が訪れたかのように、桜色が空に宿る。
「私がそんなお願い、叶えてあげると思った――?」
パチンッ、とアカネが指を鳴らす。その音を堺に世界が塗り替わった。気づけば俺は神社の境内に立っていた。
足元から先へ敷かれた石畳に、正面には俺を待ち構えるかのような存在感を与える鳥居。そして風と共に空を流れる無数の桜。
「……っ」
思わず息を呑む。いきなり世界が変わったのだ。無理もない。それも幻想なんてものではない。もはやここは――
「ねぇ、大蛇さん」
アカネが静かに俺の目をじっと見つめる。不思議なくらい真っ直ぐに、逃げ場なんて与えないとはっきり伝わるほどに。
「私、知ってるよ。君は誰かを守る事が出来る人。助けるために戦う事が出来る人。
確かに拭えないくらい、罪は犯したかもしれない。奪った命は、もう返ってこない。多くの者から恨まれる事をしたかもしれない。
でも、君に助けられた人だっているんだよ。少なくともその人達は、君に生きてて欲しいって思ってる。幸せになってほしいって、きっと願ってる。
だから……過ちだけで自分の価値を決めないで。助けられた人達の事も、ちゃんと考えて」
一歩、一歩と少女が近づく。視界は彼女の笑顔で埋め尽くされた。
「……っ」
その笑顔を見る度に、胸が痛む。忘れたはずだった。忘れようとしたはずだった。
それなのに。どうしても脳裏に既視感が過ってしまう。あの吹雪の中で一度助けた少女の姿を。
そんな俺の既視感を読み取ったのか、少女は柔らかく微笑む。
「君が守るもの、あるよ。ここにずっと、いるよ」
「――!」
ふわりと微笑む姿が、約束を交わした瞬間に見た巫女服の少女と重なる。既視感が確信へと近づいている気がした。
「護られる価値なんて、私がいくらでも君に与えてあげる。約束が壊されたなら、私が作り直してあげる」
その声が、心からの願いだとすぐに分かった。その覚悟が、決して揺るがない誓いだと理解した。
「大蛇さん……もう一度、私の英雄になってくれないかな」
「アカネ……」
その約束はもう呪いになったはずだった。同時に今の俺が生きるための唯一の理由だった。
時に忘れようとしていたもの。無かったことにしようとしたもの。
その一言で、その呪いは再び約束として息を吹き返す。
そして消えていた俺の覚悟が、再び心に火柱を立てようとしていた。
「――分かった。もう一度だけ賭けてみる。今度こそ約束を果たすため、俺自身の罪を償うため、そしてそれを阻む運命を変えるために……俺は戦う」
「大蛇さん……」
俺の全てが込められた強い意思に、今度はアカネが目を見開き、ふにゃりと顔を綻ばせた。驚きと、嬉しさと、少しだけ涙を混ぜ合わせたような顔で微笑んだ。
「ありがとう。今度は私もずっと応援するし、一緒にいるから。だから頑張ってね、大蛇さん」
「……言われるまでも無い」
この輪廻は、絶望に呑まれた己との決別。諦めきれなかった自分への、最後のチャンス。
そして真の意味で、3度目の生まれ変わりである。
「……よし! じゃあ大蛇さん、再びここに仰向けに倒れて」
アカネの言われる通り、先程目覚めた所に再び仰向けに倒れる。
「じゃあ、そのまま目を瞑って……」
突如ベッドのような柔らかい物体が出現する。布団も敷かれていない、ただの白い長方形に身体を預ける。
「――!!!」
刹那、身体の感覚が一気に持っていかれる感触に陥った。まるで幽霊にでもなったかのようだ。
「……いってらっしゃい、大蛇さん。今度会う時が最期になる事を願ってるよ」
「――もうここに来るのは勘弁だからな」
「ふふっ――」
アカネの最後になるであろう笑顔を見ている内にあらゆる感覚が再び無くなる。全身がまた花吹雪に囲まれ、光に溶けていくように感じる。
贖罪、運命への復讐、そして再度交わした約束。数ある使命を果たすための物語が、俺の魂に眠る時計の針を動かし始めた――
「……行っちゃったな。ここまで言っちゃったら、流石に大蛇さんも分かっちゃったかな」
少し寂しそうに、だけど少し嬉しそうにアカネは呟いた。また会いたいなという希望を抱きながら、少女は鳥居を潜る。
刹那、世界は再び白に染まる。鳥居の真下に置いたコーンスープの缶を、舞い散る桜と共に残して――




