第二百五十話「争奏・第四番Ⅵ〜決戦 其の六 集結、開眼(中)〜」
任務:千夜聖戦の勝利、エレイナ・ヴィーナスの奪還、ファウストの討伐
遂行者:新生ネフティスメンバー総員、またそれに加担する者
犠牲者:0名
西暦2005年12月23日 東京都足立区――
大蛇が亜瑠栖と対峙させるべく、代わって優羽汰の前に立ち塞がった男――元ネフティス総長桐谷正嗣は藤色の羽織を身に纏った状態で正面にいる我が子を睨む。
「……優羽汰、今すぐにその剣を鞘に収めろ。┃日織《彼女》は┃蘇生《今のお前の望み》を望んでいない」
「親父に日織の何が分かるっ! 日織がどれだけこの世界に苦しみ、竜の身体を拒んできたか。どれほど┃人《本来》の身体を望んできたかなんて知らないくせにな!!」
「……そうだな。いくら我が子とはいえ、私はお前の彼女に対する思いなど知る由もない。だがこれだけは分かるさ――お前が今歩んではならない道を歩もうとしている事はな!」
正嗣が背中に差してある藤色の刀に手をかけた刹那、優羽汰との間合いが消えた。正確には正嗣が刀に手をかけてから一秒にも満たない速さで間合いを詰めたと云うべきか。
「――日織を人間として蘇らせるには、エレイナ君の『とある力』が必要。そのために邪魔者且つ過去に日織を殺した大蛇君を今まで狙っていた……と言ったところか」
「っ……!」
真の目的を読まれ、優羽汰は動揺を隠す事など出来ず、ただ歯を食いしばるだけだった。それでも剣を握る右手を強く握り、抵抗の一振りを実父に浴びせる。だがその一撃は虚しく躱される。
「あぁそうさ、最初から全部日織を蘇らせるためさ! ずっと大蛇の味方についてきたのも、日織を失ってからずっと親父に剣を学んで血が滲む日々を過ごしてきたのも!!」
「……」
今度は優羽汰が突進し、勢いのまま縦横無尽に剣を振るう。
「ずっと……日織だけを想って生きてきた! 日織がまた俺の前で笑ってくれるなら、他はもうどうでも良かったんだ!! この剣もこの戦いも……ただそれを実現させるための『手段』に過ぎないっ! たとえ他人の純愛を壊す事になろうともな!!」
「優羽汰……」
凄まじい剣戟を正嗣は左手の刀で全て弾いては避ける。刃同士が交わる度に橙色の火花が甲高い音と共に散る。
「親父……俺は親父みてぇに運命を受け入れる事なんか出来ねぇよ。当然迷ったさ、この現実を受け入れなきゃならないって思ったさ。痛いほどにな。でも諦めたくなかったんだ……この運命を、俺は否定したかった!!」
優羽汰が右から掬い上げるように斬り上げ、正嗣の剣を頭上高くまで弾き飛ばす。まるで正嗣の剣という運命を振り払うかのように。
「別に正義の味方になんかならなくたっていい……世界そのものから睨まれる悪人でも構わねぇ……日織とずっと一緒に笑い合える日々が訪れるならなっ――!!」
再び優羽汰が剣を正嗣の左肩目掛けて振り下ろし、難なく躱される。が、その先に待っていたのは優羽汰の空いた左手だった。その手は強く握られ、黒い閃光を散りばめる。
「うぁぁああああああ!!!」
「っ――!?」
黒く煌めく左拳が正嗣の右頬を思い切り殴りつける。その刹那、右頬を一直線に貫くように黒い閃光が劈く。
『黒壊』――本来魔力を持たない者が負の力を魔力に変換して物理攻撃に転用させる、今では明らかとなった大蛇の魔術『創核魔術』の一種。
いつの時代も今後使えるのは大蛇しかいないと思われていた技を、今この瞬間発動させた二人目が誕生した。
殴られた衝撃で正嗣は大きく後方に吹き飛ぶ。それでも体勢を崩す事無く、両足でしっかりと踏みとどまる。
「……成長したな、優羽汰」
今の攻撃で折れた歯を血と共に吐き出すと、正嗣は立ち上がり、背中に差してあるもう一本の刀を右手で掴む。
「これ程強くなったんだ……身体も、剣の腕も心も……これなら私も遠慮なく斬れる」
金で作られた模様が刻まれた藤色の鞘からゆっくりと刀身が姿を現す。切っ先から柄に至るまで凄まじい魔力の覇気が優羽汰に襲いかかる。
「っ……!」
「さぁ、私を斬ってみろ。君の一途で歪んだ純愛で……これまで苦しみ、積み上げ、抗ってきた全てを私にぶつけてみろ。君の強さを、私に証明してみろ」
――それが、今の君が出来るせめてもの親孝行だ。
「――行こう、日織。俺達を呪う運命を、終わらせにいこう」
薬指に嵌められた指輪に呟く。それに呼応するように純白の光が一瞬煌めいた。直後、日織の幼くも優しい声が優羽汰の脳内に響く。
『ユータ、私はもう……』
「君を助けられなかった、竜剣という形にさせてしまった俺のけじめだよ。一人寂しく苦しみ続けるこの運命から君を解放したい。……最初で最後の我儘、聞いてくれる?」
『――うん。ユータがそう言うなら、聞いてあげる』
「大好きだよ、日織――」
『うん、私も……大好きだよっ!』
その時、優羽汰の背後から地面を突き破って金色の竜――日織が現れた。だが先程の姿とは違い、翼が左右に三枚ずつ生えており、首元にひし形の魔法陣のようなものが四重にも重なっている。
「――ならば私も我が子の歪んだ理想を止めてみせよう。『電光石火』に相応しい、未だ一度も明かしていない秘奥義で君を迎え入れよう、鴛淵日織」
正嗣が両足に体重を乗せ、右手の刀を引いて左手を刀身を添える。その先に見えるは天地を焼き尽くすのではという程の巨大なエネルギーを収束させる日織と、その下で剣の切っ先を向ける息子の姿だった。
「俺は俺の形で呪いを絶ち、愛を育む――『限愛壊躇天輪晄』」
そして、日織が溜め込んだ光のエネルギーが一気に一直線に放出される。今でさえ破壊されている北千住駅周辺を再び抉り、建物やら何もかもを面影すら残さず消し飛ばす。その光は正嗣に向かって徐々に、確実に周囲に在る概念を葬っていく。
それでも、正嗣は動きを止めず、ただこの一瞬に全てを研ぎ澄ます。限界を超えろと、自身の心臓が叫ぶように鼓動を響かせる。
「優羽汰……いつかお前に、この技を伝授したかった。こんな形では無く、あの頃のまま家族として。今はせめてその愛に堕ちた目に焼き付けろ――『純火之刀・唯義・一靂焉闢』!!」
正嗣は残像さえも見えない程の速さで地を蹴り、目の前まで迫る日織のビームを斬る勢いで正面から突っ込んだ。
「日織っ……!!」
『ユータアアア!!』
「うおおおおおお!!!!」
両者の奥義は地を焼き、空を斬る。愛に満ちた光に呑まれるのも、歪んだ愛が断ち斬られるのも、ただ時間の問題と化した。
血が宙を舞う事もなく、親子は己の意志を奥義に乗せる。たとえ全てを捨てる事になろうとも。
爆発と剣閃が同時に発生し、北千住駅周辺は渋谷の二の舞と化した――
◇
建造物は土台も無く、瓦礫が所々で崩れ落ちる。空は徐々に赤みを帯びており、死闘に暮れた一日に幕を下ろそうとしていた。
その下に立ち尽くすは二人の男。片方は黒く焦げてしまい、もう片方は腹部を真っ二つに切断されていた。
「……強くなったな、優羽汰」
「親……父……」
『ユータ……?』
上半身と下半身が分断された優羽汰の断面からは大量の血が地に小さな池を作り出していた。呼吸も浅くなっている。暫くすれば死ぬだろう。
「はは……やっぱり、敵わないな……」
「……ここまで傷をつけられたのは生まれて初めてだ、優羽汰。大した者だ」
黒く焦げた顔でふと正嗣は優羽汰に微笑む。それにつられて優羽汰もふと口元を緩める。
『ユータ……ユータ!!』
すると、今度は日織が優羽汰の前まで駆け寄り、顔を優羽汰に近づける。
「日織……ごめん。俺の運命は……君を解放する物語はここで終わるんだ。でもこれで、君の元へ逝けるよ……」
『ヤダ……行かないでユータ!! 一人に……しないでっ……!』
「何、言ってんのさ……これから一緒に暮らせるんだよ。何不自由無い世界で、二人きりで……幸せな日々を永遠に……」
『私はここにいる……姿は違うけど、私は今も生きてるんだよ! それでもユータのこと、ずっと好きでいたのに……ユータが先に逝っちゃ、ずっと一人になっちゃうよ……!』
「日織……」
ポロポロと大粒の涙が地面に落ち、優羽汰の血と混ざり合う。
「……ごめんね、日織。俺はもう、行かなきゃ……今まで犯してきた過ちを償う旅に行かなきゃ…………」
『ユータッ……やだよ……死なないでっ!!』
日織が嫌だと叫ぶ。その後ろで、正嗣はじっと二人を見つめる。だが暫くするとその場にどさりと後ろに倒れ込む。もう身体が保たない。熱さと痛みが全身を焼き尽くす。
「……私も、ここまでか」
倒れる優羽汰と泣き崩れる日織から少し離れた場所で、正嗣は静かに目を瞑り、死を悟る。
「……やっと、君の元へ帰れるよ……茉莉。一人、生き別れの子を遺す事になったけどね」
正嗣の亡き妻である茉莉に独り言のように呟きながら、胸ポケットに入れてあるたった一本の煙草とライターを取り出し、火を灯して口に咥える。
「あぁそうだ、優羽汰もここに遺すよ。だから逝くのは私だけだ……そうだろ、ミスリア君」
ふとその名を呼んだ刹那、右から風がほんの一瞬吹いたと同時にミスリアが正嗣の前に現れた。
「ふふっ……分かってたんだ。私がずっとここにいた事」
「私の数少ない同期だからな。皆死んでいく中、ついに私もその中に入る時が来たんだ。せめて同期の一人と一度くらい最期に話しておきたくてな」
少し照れくさそうにそっぽを向きながら煙草の煙を吐く。そんな正嗣の姿にミスリアはくすりと微笑む。
「もう、ほんとに君って人は……でも、ほんとにいいの? 君は身体も全部置いてく事になるけど」
「優羽汰は私を超えた。自分の意志で親である私に刃を向けた。これだけの覚悟があれば、これ以上私が彼にどうこう言う筋合いは無い。私にはそれが出来なかったからね。
だから今度は父親として、我が子の背中を最期まで押してやらねばならない。私のような人生を、歩ませないために……」
酸素が薄くなってきた。いや、もうまともに呼吸すら出来なくなっていた。私の死はもう近い。
「……もう、喋らなくていいよ。じゃあ始めちゃうね。胸糞悪いけど、これで君の息子さんと彼女さんの未来が紡がれるなら――」
そう言ってミスリアが右手から取り出したのは二つのアメジスト色のキューブ状にされた結界。そう、あの北条銀二が使っていた『結界魔術』だ。
「ミスリア……いや、天音。ネフティスを……私の、大事な部下をどうか…………」
「うん……任されたよ、正嗣。君の遺した思いは、私が必ず繋げるから――今は、ゆっくり休んでね」
空いた左手で煙草を咥えながらピタリと動きを止めた正嗣を永遠の夢へ誘った。心臓の鼓動も無く、ただ煙草の煙だけが正嗣の最後の生命線かのように感じられた。
「ぐすっ……今までよく頑張ったね……ゆっくりおやすみ、正嗣君」
涙をポロポロと零しながら、ゆっくりと正嗣の右頬に顔を近づけ、温度すら感じない肌にそっと唇を添える。
「――届いてると、いいな」
夕焼けの遥か高くにいるであろう正嗣に密かに抱いていたありったけの気持ちを乗せ、そっと呟いた。
そして一呼吸して心を落ち着かせ、ミスリアは優羽汰と日織の元へ向かった――




