第十三話「誓った約束(下)」
緊急任務:攫われたマリエルの捜索及び救出、『海の魔女』アースラの討伐
遂行者:黒神大蛇、白神亜玲澄、カルマ、エイジ、トリトン、人魚4姉妹
犠牲者:0名
燃え尽きて崩れ落ちる炭と化した一帯の森。死闘が繰り広げられたここ周辺の木々が斬り落とされ、夕日が沈んでいくのがはっきりと見える。
夕日が照らすは焼け落ちた木々と血で染められた二刀の剣。それと地面に倒れた2人の青年を暖かく照らす。
そんな姿を見て泣き崩れたマリエルに、さっきまで拘束していた兵士が心配故に優しく慰めている。
「お、おい大丈夫か! ……俺はここでこの子を泣き止ますからお前は副総長にこの事を報告しろ」
「ですが、その隙に逃げ出すかもしれませんよ……!」
「これじゃもう逃げ出す気力も無いだろ。とにかく報告して来い」
「はっ!」
(もうひどいよ。あんまりだよ。ずっと、この世界――人間の世界に憧れていたのに。蓋を開ければ人間同士が殺し合っていたなんて……結局あの頃から何も変わってないじゃん)
マリエルがあれほど好きで、憧れていた人間がやっているから尚更ショックだ。
昔、人間は愚かだって言葉を聞いた事があるけど、この事なのかな……なんて思ったりしている。
(でも、それは私も同じだよね。ただの憧れと好奇心でお父様に逆らって、迷った果てに戦場に足を踏み込んで、殺されかけたところを大蛇君に助けられて……結果大蛇君をボロボロにしてしまった。ほんと、馬鹿だよね私……)
この気持ちを口から思い切り叫びたいけど、アースラとの契約で声が出せない。
「くっ……うぅっ……ぁぁああっっ!!」
体をふらつかせながら、正義は死にものぐるいで立ち上がり、こっちに向かって歩き出す。
(うそっ、あの人まだ生きてるの……!?)
右腕を斬られて、胸から頭まで真っ二つに斬られてるのにまだ生きてるのは最早奇跡なんてものでは無い。
本当に人間なのかと思ってしまう。むしろこの瞬間人間をやめたと思った方が納得がいく。
それに大蛇君が目覚めない今、あの人はこのまま私を殺す気なのだろう。でも今の私は戦う事が出来ない。抗う術は無い。
もうどうしようもないのだ。動いたらきっと私を捕まえている兵士が抑えるだろう。
何も出来ないまま、正義はよろめきながら段々私の方へと近づいていく。
「がっ……、ぁぁああっっ……!!」
(お父様、姉さん、大蛇君、亜玲澄君……センリ、ルイス、皆……。
ごめんなさい。私はもうここまでだわ。もしアースラに会ったら言って。私は人間に殺されたって……)
何度もこの場所で同じ思いをしただろう。もう慣れてしまった。絶望に慣れて感覚が麻痺している。
(さあ、剣士さん。私を殺すなら今のうちよ。左手に持つ剣で私を刺して。無茶な契約を交わしてまでこんな馬鹿な事をしてアースラなんかに殺されるくらいなら、今ここで死んだ方が良い)
だから、ほら……。私の心臓に、その剣を刺して……
そして、正義はマリエルの目の前で立ち止まった。時が来た。運命の終わりを告げる時が。
私は死ぬ覚悟を示すために、きつく目を閉じた。
(さよなら、皆。アースラを……、私の敵をとって……)
――ごめんね、大蛇君……私を助けるためにここまでボロボロになってまで戦ってくれたのに……台無しになっちゃうね。
またやり直しになっちゃうね……ごめんね。
………。
…………………。
………………………何で? 何で殺さないの?
しかし、いつまで待っても刺してくる気配がしない。
「………。」
ゆっくり瞼を開くと、目の前には左手で刀を地面に突き刺したまま立っている正義の姿があった。
「……。」
(何で……? 何で殺さないの……? 貴方は私を殺す為に大蛇君と戦ったんじゃないの……?)
「……。」
あれだけ激しい口調で話してた正義が今では無口だ。頭が真っ二つに斬られてるので話せないのは当然だろうけど。
だけど、マリエルはそんな正義を見て突如涙をポロポロと零した。
「 。」
「…………!!!」
今、心の中で私に何か言った気がする。
「『黒坊を連れてここから逃げろ。もう嬢ちゃんを殺す理由は無くなった』」って。
感じ取ったのが分かったのか、正義は私に微かに微笑み、左手に刀の柄を握ったまま目を瞑った。
(何でだろう。私を殺そうとしていた人なのに。何でこんな悲しい気持ちになるんだろう……)
ポロポロと大粒の涙を乾いた地面に零しながら考える。でも、もう分かってる。
敵とか味方とか関係無く、『一つの命が無意味な事で消える』のが嫌なんだ。今が正にそうだ。
皆、自分の正しさを……意思を貫いて生きている。故にその対極に至る者を敵視し、反抗し、殺し合う。ここまでとは行かなかったけど、私もそれで人魚の身をアースラに捨ててもらった。
……でも、元はといえば私のせいだ。結局原因は私なんだ。アースラとこんな契約をしなければこんな事になんかなってなかった。
(私は……っ、私はどうすればいいのっ……)
己の無力さで胸が締め付けられる。無意識に両拳をぎゅっと握る。望みも祈りも通じない事なんて、とっくに分かりきってるのに。
『お姉さん……大丈夫? 身体震えてるよ?』
刹那、優しい声が聞こえた。私に似てるようで違う、優しくて暖かくて……癒やされる声。彼女が喋るとこんな感じの声なのだろうかと思わせてくれる。
『ふふっ、私とそっくりだね。……いや、そっくりじゃないね。同じだね』
(え……?)
ふと、幻覚が見えた気がした。正面に純白のスカートをなびかせる金髪の少女が立っていた。
(き、君はっ……!?)
『もう忘れちゃったの? この前も貴方に乗り移ったんだけどなー?』
この前……一体いつの話をしているのか。
……いやそれより、貴方の名前を知りたい。
心の中で呟いた言葉を読み取ったのか、或いは聞こえているのか、少女はニコリと微笑みながら頷く。
『私はエレイナ。彼――大蛇君を最期まで愛し続け、同時に呪った全ての元凶。そして、今のお姉さんの前世の姿だよ』
(エレイナ……私の前世……)
知っている。前に何度か聞いたことがある名前だ。遥か遠くの、いつだか分からない日の記憶で。
『ふふっ、ごめんね。いきなり言われてもよく分からないよね。でも安心して。私はただ、お姉さんを助けてあげたいだけだよ』
(何で……だって私はもう、3日もしたら死ぬのに……)
『分かるよ。だってお姉さんは未来の私だもん。それに、私なんて3日どころかある時ぽっこり死んじゃってたし。理由も分からずに、ね』
(エレイナ……ちゃん)
『じゃ、時間も無いしそろそろ始めるね。――神は現天に舞い降り、汝は天元に遡る……』
瞬間、マリエルから無数の光が真っ赤に染まった森を白く塗り替える。
(これは……!?)
『血に塗れた身体も、絶望に凍てつかれた心も、全は励ましの陽光に焼き付かれ――』
青緑のスカートが神々しい白いスカートに変化し、髪も赤から淡い栗色になる。両腕には黄金の腕輪がつけられてある。
(私の身体が、勝手に動いてっ……!)
『┃汚れは地に流れ、光は全てを優しく包み、癒しの風は万物を撫でる――』
自分の今の状態に理解が出来無いマリエルだったが、エレイナは私の身体を使って正義の方に歩いた。その後ろには首の左半分を斬られて倒れている大蛇の姿もあった。
「今正に、黒君の天女は再臨し、癒雨を降らす――『干天之慈雨』」
(……!!)
エレイナが両手を翳した途端、優しい雨が血で濡れた地面を優しく潤す。夕日とはまた違う、雨上がりの太陽のような優しい光が水星を照らす。
傷ついた二人の剣士を優しい雨と光が癒やす。あれだけボロボロだった二人の身体が雨の雫に当たる度に癒えていく。斬られた頭も、首も、腕も元に戻っていく。流れていた血も雨と共に地面に流れていく。
二人の周りにはそれぞれ水溜りが出来た。白い光が雨に濡れた二人を暖める。血で濡れていた正義の赤髪と大蛇の黒髪が輝きを取り戻す。
そして、血が付いた鬼丸と反命剣もそれぞれ輝きを取り戻した。二人の髪と同じように――
(何……この力は……)
『――これは私の、女神の力。天光を操り、聖なる力を得た神の血を引く力だよ。驚いた?』
(見た事ないよ……何が起きたか今も分からないし!)
『まぁそうだよね。今は本来神の力なんてものは目に出来ないからね。でもね、どうしても代償を払わなきゃいけないのも事実だよ。お姉さんが人間になる代わりに声を奪われたのと同じように、ね』
(その……対価って?)
『――この身体をしばらく私に預ける事。でも安心して、お姉さんの意識は消えないよ。ただ身体の主導権が私に変わるだけ。
それに、3日経ったら死ぬ……ってのも、私が主導権握ってる限りは無効でしょ? 大蛇君達も治癒出来るし、お姉さんは3日経とうと死なない。一石二鳥でしょ?』
(そ、そんなのありなの……!?)
『ある程度の対価なら私が決められるのよ。だって、神様だもん……って、ほらお姉さん。二人が起きるよ』
(こんなの願ったり叶ったりだけど、いきなり姿変わった私を見てマリエルだって気づいてくれるわけないよね……)
マリエルが不安を抱える中、身体の主導権を握ったエレイナはゆっくり歩み寄り、倒れる二人の頭をそれぞれ優しく叩いて起こす。
「こんなとこで寝てたら、風邪ひいちゃうよぉ……?」
「くっ……!」
「うぅっ……」
エレイナが甘やかすように二人に囁くと、それを狙っていたかと思う程同じタイミングで二人は起き上がった。後に二人は互いの顔を見合うと、同時に驚いた。
「はぁっ……!? ど、どういうことだ! 何で俺達は生きているんだ!?」
「腕も回復しているし、何なら傷一つも無い……。一体誰の魔法だ?」
「あ、起きたぁ? 良かった〜」
「「っ……!?」」
あれは、マリエル……なのか? 顔つきはかなり似ている。でも、明らかに姿が違う。
「お、おい……そこの可愛い嬢ちゃん、一体何もんだ?」
「マリエル……だよな?」
「今はマリエルじゃないよ。私はエレイナ。訳あって彼女は今私の中で眠ってるよ」
「「……!?」」
眠っている……マリエルが、エレイナと名乗る少女の中で。もしかしたら、マリエルが人間になっていたのはこれの予兆なのか?
この姿こそ、マリエルの真の姿なのかもしれない。
そんな憶測を脳裏に浮かべている中、エレイナは笑顔から一変頬をぷっくり膨らませて両手に腰を当てて怒り顔を浮かばせた。
「さて、無事を確認したところで……、今からあなた達にお説教をしますっ!」
「……は? 説教?」
「はぁ……」
「口答え禁止っ!」
「「は、はい……」」
完全にお母さんに怒られる子供のように二人は大人しくエレイナの説教を喰らう。
「私だけの為にこんな戦いをするのはもう止めてっ! 私は聖杯でも何でも無いのよ。何の目的で私を……マリエルを狙ったのかは分からないけど、それで命を賭けあっても何も残らないんだよ!
争って失うだけなら助け合おうよ。敵同士だって関係無いよっ! だって昨日の敵は今日の友って言うでしょ? だから今は敵同士でも、明日からは笑い合えるよ。だから……もう傷つけるためだけに戦わないでっ!」
「「……!!」」
エレイナのその言葉一つ一つから意志の強さを感じる。まるで過去に一度自分も経験したかのように。
正直説教と言うよりは、あの死闘の最中にマリエルが思ってた事を直接俺達にぶつけたという感じがした。
「なんか、ガキの頃を思い出すぜ……」
「怒られまくったのか?」
「あぁ。それもそうだが、ふと思い出したんだ。親父からこの『鬼丸』を託された時の事をよ。
……特別サービスだ。俺の過去を話してやる。敵とはいえ、この俺と互角に戦ったお前にな! 滅多に聞く奴はいねぇからある意味貴重だぜ?」
「ちょっと、私の言う事聞いてるの〜っ!?」
それは、俺がまだ小学生だった時の事――
◇
京都府 京都市 武刀家――
剣の道を歩き始めたばかりの頃。俺は木刀を持って道場で素振りしていた時に、師匠が突然俺を庭へと呼んで話してくれた。
「すまぬな、正義。儂が死ぬ前にお前さんに言っておかないといけない話があってな」
「な……何でしょう、師匠」
「今は師匠と呼ぶな。これから言う話はお前の祖父『武刀正也』としてお前に話すつもりだ」
「……!」
俺は驚いた。生まれてから師匠は師匠だったから、一人の家族として俺に話すのは今回が生まれて初めてだ。
「正義。刀というのはな、本来人を殺すために生まれたものだ。今はまだ握った事が無いかもしれんが、お前が真剣の柄を握った時、その重さを感じるだろう。その一振りが、命を殺めるという恐怖の重さを、な。振って人肌を刃が通った時点で、一瞬で人殺しを背負う事になる。付着した血は永遠に消えない」
当時の俺は親父から毎回このような言葉を聞かされ、刀を握る事の恐怖を覚えさせられた。おかげで木刀でさえも握るのが怖くて、親父みたいに力強く振るなんて出来なかった。
「師匠……いや、親父。やっぱり俺、刀を握るのが怖い。やっぱり俺は……人を殺せない」
この時、剣士を辞めようと思っていた。その覚悟がほぼ出来ていた。これを機に新たな人生を踏み出すってのも、ありだと思っていた。
しかし、親父は笑っていた。
「はははっ! 相変わらず正義はビビ助じゃのぉ」
「う、うるせぇな! 毎回こんな話するからまともに刀振れねぇんだよ!」
「――だが、それでいい」
そう言うと親父は、腰に差していた刀を鞘ごと抜き、俺に差し出した。
「親父……それは」
「紛うことなき儂の刀にして、武刀家に代々受け継がれる名刀『鬼丸』じゃ。これをお前に授ける」
「は……!? あんた何言ってるか分かってんのか!? まだ俺真剣すら握ってねぇんだぞ!」
「その上でお前に託すと言ったんじゃ。儂ももう身体がまともに動かせん。もう、刀を振るえない……」
「そんな……」
「正義、その恐怖を大切にしろ。刀はいわば凶器。一度握れば豹変して殺人という行為に依存する愚か者もいる。お前は絶対にそうなるな……げほっ、げほっ!!」
「親父……!」
親父が咳き込んだ途端、口から大量の血を吐き出す。もう長くない……と確信した俺は親父、と呼ぶばかりで身体を一ミリも動かせなかった。
「正義……ずっと秘密にしておいた話をしてやろう。実はな、武刀家の祖先は『沖田総司』なんじゃ……儂も、そしてお前も」
「……!」
「だからこそ、儂は刀を人殺しの武器としてではなく、大切なものを守るための武器として扱っている。正義にも、そう思っていてほしいのじゃ。何より新選組たる沖田の血を汚すわけにはいかぬからな」
正義の肩に両手をポンッと置き、頼んだぞと言わんばかりの表情をした後、親父は突如体をふらつかせていた。
「お、親父! 大丈夫か!!」
最初は酒の飲み過ぎで酔っ払ってるのかと思っていた。そうだと信じたかった。だが親父の顔を見た途端、親父はもう死にそうだった。
「おい、嘘だろっ……親父ぃっ!!」
「正義、お前は……武刀家の最後の要じゃからな。頼んだぞ、正義……。
酒のつまみに……なるような土産話……たくさん持ってから、こっちに来い……」
「おい親父っ! 親父ぃっ!! 返事しろよっ……このクソ親父ぃぃぃぃっっっ!!!!!!」
――その一言を残して俺の親父 武刀正也は静かに息を引き取った。しばらく泣き叫び、右手を握っては畳の床を何度も何度も殴りつけて、親父をひたすら呼んでいた。
あれから月日が経ち、中学生になってようやく一人前の剣士として旅立つ事になった。
旅立つに俺は親父の墓石に花を添え、手を合わせると同時に、天国の親父に誓った。
「天国で見ててくれ、親父。俺が必ずその約束……果たしてやるから」
その報告を持ってからそっちに行ってやるから、それまで待っててくれ。
「――俺は守るために刀を振るう。親父がしてきたように」
その誓いは涙として形に現れた――
◇
「それがきっかけでその鬼丸を受け継いでいると言う事か」
「御名答だぜ、黒坊。ま、こんなんじゃ親父に顔面ボコボコにされるだろうな。」
エレイナの説教を無視して勝手に話をして楽しんでいる大蛇と正義を見て、思わず溜め息と笑みが溢れる。
「もう、全く男というのは……。でも良かった、友達になれそうで」
「「ん? 友達?」」
2人は、揃ってきょとんとした顔をしてエレイナを見る。あれだけ戦ってた2人が、何故か可愛らしく見えてしまう。
「な〜に言ってんだ! 俺達はあの戦いからこうなる運命なんだぜ? なっ黒坊!」
「その割には本気で殺そうとしてただろ」
「あれは流石に申し訳ねぇって思ってるぜ……。本当はk」
「本当に怖かったんだからね! 今の貴方とは段違いにっ!!」
「ほ、本当にすみませんでした……」
「というかいつまでその格好なんだ――」
「ほら大蛇君、『魔女』を倒すんでしょっ! 早く行くよ〜っ!!」
「おい、待てっ……」
俺は先に行くエレイナを引き止めようとするが、声をかけることすら出来なかった。
「……正義殿」
「お前ら、全兵に伝えろ。『黒神大蛇と同盟を組み、新生第二次新選組として奴をぶっ潰しに行く』ってな」
「そ、それって……」
「――へっ、予定変更だ。『海の魔女』を裏切りに行くぞ」
一通り伝えた後、エレイナを捕らえていた二人の兵士は他の兵士に伝えるべく森の奥へと走っていった。
「ふぅ……そんじゃ、同盟仲間っつう事で改めて名乗らせて貰うぜ。俺は第二次新選組総長の武刀正義。これからよろしく頼むぜ、黒坊!」
「黒神大蛇だ。しばらくの間だが共に戦おう」
「『しばらく』なんて言ってんじゃねぇぞ! 俺がお前を超えるまでだからな!」
互いに名乗った後、死闘を繰り広げた2人は共に手を取り合う。
こうして俺は、共に戦う仲間となった武刀正義と共にエレイナの後を追った。
(やっぱり、強いんだね。流石は私を助けてくれた……)
一方その前を歩く少女は、二人に見えないようにふと微笑んで――




