第百三十六話「再会」
――死んだ。俺は死んだ。負けた。運命に負けたのだ。悔しさなんて微塵もない。そもそもこうして生きている意味を失ったのだから。これで皆が平和に生きてくれるなら、それで…………
◇
「……やはり所詮人間だったか。あの伝説の八枚舌の竜とて人間となれば本来の2割も出せないといったところか」
右手の剣を消し、大蛇を吹き飛ばした海の方を向きながら呟く。しばらく眺めていても、戻って来る気配がない。ということはそういう事だ。
「受け入れたな、己に課せられた罪故の宿命を…………これで取引は成立だな、北条銀二」
心の奥底で笑みを浮かべたその時、澄みきった青空に一筋のヒビが入った。
「何……?」
次第にヒビは四方八方へと広がっていき、やがて無数の破片となって砕け散った。真っ白い空間から二つの人影が目に見えた。
「人間、だとっ……!?」
「Heh, je t'ai trouvé, ......, toi le félon qui a pris ma proie... !!!!(へっ、見つけたぜ……俺の獲物を奪った重罪人さんよぉぉぉっ!!!!)」
天高く振りかぶる大剣が光の反射で一段と輝きを増しながら、巨体の男はファウストめがけて強い勢いで大剣を振り下ろす。瞬間、 海と共に地が真っ二つに裂ける。ファウストは分断こそされなかったものの左肩から足先まで斬られ、思わず右膝を突く。
「くっ……貴様ら何者だ」
「そうだね……大蛇君の戦友と先輩、と言うべきかな」
男の背後から青髪の少女が姿を現し、槍の矛先をファウストに向ける。
「ほう……あの邪竜め、ついに人間と侍従関係まで作るとはな」
高らかに笑いながら再び右手に剣を召喚する。それに合わせて二人もそれぞれ神器を構える。
「あの腐敗人間との取引は済ませたが……ついでだ、お前達も海の底に沈ませてやろう」
「「っ――!!」」
三人は同時に強く地を蹴り、神器による3重の甲高い音を鳴り響かせた――
◇
……。
…………何も感じない。何も聞こえない。何も無い。強いて言うならあるのは喪失感だけだ。全てを失った事によって生まれる喪失感のみ。皮肉な話だ。人間……いや、生物というのは何も無い状態で死ぬ事など無いのだ。必ず何かを感じ、思いながら死ぬ。今の俺だとそれが喪失感なのだ。
『――……♪』
無音。鼻息の音すら感じない。だが不思議と誰かが歌っているような気がした。
『――君の瞳は〜……♪』
微かに、歌声が聞こえた。女性の声だろうか。とても高い音域で歌っているように感じる。遥か遠くで囁くかのように。
『――強く〜生きる限り〜……♪』
近くなってくる。天国、あるいは地獄への入口へと近づいているのだろうか。それともその狭間か。
『その輝きは〜消えない〜――♪』
―――その歌声がはっきりと聞こえた刹那、あらゆる感覚が一気に取り込まれる。左胸に響く痛みと共に。
「――ここは……」
神社……だろうか。今は夏だというのに至る所で桜が咲き誇る。草木は新緑に染まり、正面には堂々と赤い鳥居が俺を見下ろすかのように佇んでいた。
そしてその下には優しい風で薄桃の長髪を揺らしながら、女神のように優しく微笑みながら俺を見つめる巫女服の少女がいた。
「お前は……」
「ふふっ……お久しぶりです、大蛇さんっ」
見覚えがあると思ったら、やはりその通りだった。声といい口調といい、何もかもがあの子の面影と一致した。
「……アカネ」
俺がその名を呼ぶと、更に彼女はにっこりと微笑みながら俺に近づき、ぎゅっと抱きしめた。覚えてくれていた事がよほど嬉しかったのだろう。
アカネの抱く力が緩んだところでゆっくりと一歩後ろに下がり、距離を置く。
「――もう、そこまで嫌がらなくてもいいじゃないですか。久しぶりの再会なのですから少しくらいいいじゃないですか……」
「俺は今忙しいんだ。再会の味を堪能する暇もない」
そう吐き捨てつつ後ろを振り返って右足を踏み出したその時、時空が歪んだかのように視界が狂い出した。少し分かりやすく言うと一気に視界がぼやけ、目が回るような感覚に陥った。
「ぁ……がっ…………」
「あっ、ちょっと……大蛇さんっ!!」
アカネの声が聞こえるより速く視界が暗転した。しかし、それより速くあたたかい感触が身体を僅かに温めた――




