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カミサマ

望むことは、ただ――

作者: トウリン

 降りしきる霧雨が、黒衣にしんしんと浸み込んでくる。

 濡れた衣服が身体にまとわりつく不快さも、深夜を回った晩秋の寒さも、どうでもいいことだった。

 誰もいない公園のベンチで、俺は傍らに置いたレジ袋の中からワンカップを取り出した。棚の上から数えもせずに抱え込んだから、幾つ買ってきたのか、自分でも判らない。ただ、空き瓶が三つ四つ反対側にあっても、袋の中身がまだまだあるのは確かだ。

 こんなものをいくら胃の中に流し込んでも何も変わらないのは――変えられないのは、判っている。だが、手が止まらない。蓋を開け、一息に煽る。

 食道を流れ落ちていく焼けつくような感覚を押し返すように腹の底から込み上げてくるものは、胃液よりも苦い後悔の念だ。

 この後悔を拭い去るには、どこまで時間を遡ればいいのだろう。

 大学の夏休み、帰省した家の前で彼女とすれ違い、細い二の腕にどす黒い痣を見たときだろうか。

 幼馴染の少女よりも部活の友達と過ごす時が増え、教室の片隅で独りうつむいていた彼女を見て見ぬふりをしていた頃だろうか。

 あるいは、まだ、想いをうまく言葉にできなくて、陽が沈む中、冬の公園で彼女の小さな手をただ握り締めていた頃だろうか。

 そんな、考えても意味がないことをグルグルと頭の中で巡らせながら、俺はまた袋に手を伸ばした。


 と、その時。


「ねぇねぇ、ちょっと。ウチにも一個くれないかい?」

 俺はぎくりと手を止めて、辺りを見回した。が、誰もいない。

 ゾッとし思わず腰を浮かせたところに、また声が届く。

「あ、ごめんごめん、驚かせたね。ここ、ここだよ。下」

 声に導かれて視線を下ろすと、そこにいたのは。

「猫……トカゲ……?」

 呟きが漏れたが、そのどちらでもないのは確かだ。シルエットはトカゲのようだが、パーツが猫だ。一見トカゲ、そこに猫の目と、猫の耳。それだけでも異様だが、加えて、背中にトンボのような翅がある。

 凝視する俺に、ソレは笑った――様な気がする。

「それってお酒だよね? ウチもちょっと飲ませて欲しいんだけど」

 トカゲモドキが、まごうことなき人語を吐いた。

 俺は手探りで袋の中から酒を取り、蓋を開け、地面に置く。

「ありがと。うん、やっぱこの国のが一番旨いね」

 ワンカップの中身をひと舐めふた舐めしたソレが、満足そうに息をついた。そして、俺を見る。

「ありがとね。なんか、無性に飲みたくなっちゃってさ。で、お礼は何がいいかな?」

「……は?」

「お礼だよ、お酒の。ウチ、こう見えてカミサマなんよ。だいたいのことは叶えてあげるよ?」

「……は?」

「だから、願い事をさ、叶えてあげるってば。お金かい? 不老長寿? それとも、モッテモテになれる見てくれかい? ああ、大丈夫大丈夫、ウチはサービス万全だから、突然大金持ちになろうがイケメンになろうが変に思われないようにしてあげるから」

 そう言って、自称カミサマのトカゲモドキは猫目をクルリと回した。

 きっとこれは、酒のせいだ。酔って寝落ちてバカげた夢を見ているのだ。

 そんな、理性の声。

 だが、俺の口はその声を無視した台詞を紡ぎ出す。

「何でも、叶えられるのか?」

「ん? まあ、たいていのことはね」

 こんなことは、有り得ない。

 絶対に、現実じゃない。


 けれども、もしも、もしも叶うのならば――



『俺は五年後のお前だ』

 大学生活初の前期試験も終え、あとは野となれ花となれという心境となっていたオレの前に突然現れたくたびれたオッサンは、ふわふわと宙に浮きながらそう言った。

「……は?」

 思わず声を出してしまってから、慌てて周囲を見回す。

 明らかに他の人にはこのオッサンの姿は見えていないようだし、多分、声も聞こえていない。となれば、オレはデカい声で独りごとを言う変な奴、になってしまう。

 幸い、まばらな通行人には聞かれていなかったようで、オレはホッと胸を撫で下ろした。そうして、まじまじとそのオッサンを見る。

 確かに、オレによく似ているが、今のオレの姿じゃない。幻覚にしては妙だし、そもそも、こんなリアルな幻覚を見るようなら速攻病院に行かなければならないだろう。多分、その必要はない――はずだ。

 オレはこそこそと建物の陰に移動する。

 そうしている間にオッサンも消えてくれれば、と期待したが、それは叶わなかった。

 くっついてきたオッサンにため息をつきつつ、声を潜めて問いかける。

「で、オレの五年後って、どういうことだよ?」

『言葉通りだ。五年後から、お前に会いに来た』

 会話が成り立つあたり、やっぱり現実なのか。しかし、五年後というと二十二、三歳のはずだが、それにしてはえらくくたびれた感じだ。

 何があってこんなに老けちまうんだ、と首を傾げながらも、オレは言う。

「えぇっとさ、そう言われても、ちょっと信じられないんだけど。百歩譲ってあんたがオレの幻覚じゃないとしても、未来からっていうのはさぁ」

『お前、ドイツ語落とすぞ』

「……は?」

『前期試験。ドイツ語を落とした』

「や、確かにめっちゃ難かったけどまだ結果出てないし」

『落としたんだ』

 オッサンはきっぱりと断言した。

 オレは眉をしかめてオッサンを見上げる。

 もしもその『予言』が当たれば、確かに未来から来たというのもホラではないのかもしれないが――



 未来から来たというそのオッサンの登場から十日後、オレは予言通り落ちていたドイツ語の追試を終え、無事単位をキープし、実家にいた。

 大学入学後は家を出て独り暮らしをいるが、如何せん、家事がめんどくさい。実家なら、ゴロゴロしていても飯が出てくるのだ。

 ドイツ語を落とすという予言の後も、オッサンはチョコチョコと『これから起こること』を教えてくれた。

 ――どれもこれも、役に立たないことばかりだったが。

 確かに、このオッサンはオレの未来を知っている。それはもう疑ってはいない。

 解せないのは、その理由だ。

「なあ、オッサン、それで、何でオレのところに来たわけ?」

 相変わらずふわふわと浮いているオッサンを見上げてオレは訊いた。この問いはもう十回以上投げかけていたが、未だに答えはもらえていない。

 きっと、今日も無視されるのだろうと思っていたが。


『お前、今、サヤがどうしているか知っているか?』


 突然問われて、オレの肩が強張った。

 サヤは、隣の家に住む、オレの幼馴染だ。

 幼稚園の頃から一緒にいる――一緒に、いた。

 サヤの父親は彼女が小学校一年生になったときに事故で亡くなり、それから母親は仕事に追われて留守がちになった。

 独りきりで家にいるのが寂しいと公園にいたがるサヤに付き合って帰りが遅くなり、親から叱り飛ばされるのは日常茶飯事だった。けれど、オレが手を握ったときに彼女が浮かべる笑顔を見られるのであれば、親からどんなに小言を食らおうと構わなかった。

 あの頃、オレは常にサヤの傍にいた。

 まだちっぽけなガキだったけれど、ガキなりに、精一杯の力であいつを守ってやりたいと思っていた。あいつが泣くのを見るのは嫌でたまらず、あの手この手で笑わせてやろうとした。

 サヤも、オレといる時が一番笑っていた。

 それが変わってしまったのは、いつからだったろう。

 何となく、サヤがオレと距離を取っているように感じ始めたのは、中学生になってしばらくしてからだ。サヤの母親が再婚したのもその頃だったと思う。

 声をかけても言葉少なに返すだけで、目も合わせなくなった。それをおかしいと思うよりも、そんな態度を取られたことに傷ついて、父親ができて、オレのことは要らなくなったのかと、捻くれた。だから、部活を言い訳にして自分から距離を取った。

 高校も同じ学校に進んだが、サヤは次第に休みがちになり、二年の二学期に中退した。

 さすがに話をしようとしたが、サヤは応じなかった。何か困っていることがあるなら言ってくれというオレの言葉に、彼女は貼り付けたような笑みでかぶりを振るだけだった。その笑みは、オレが好きなものとは違っていた。オレが見たいのは、そんな笑顔ではなかった。

 それからも、時折、見知らぬ男と歩くサヤの姿を見かけた。目にするたび、チクチクと胸が疼いた。

 自分は、サヤに必要とされていない。彼女にとって、自分は意味のない存在だった。サヤは、オレではなくそいつを選んだのだ。

 そう思ったから、彼氏と思われるその男に肩を抱かれた彼女が幸せそうではないことには、気づかなかったふりをした。

 もしも、サヤがオレに何かを求めてきたら、すぐに応えただろう。

 だが、彼女はそうしなかった。

 オレは、サヤのことは頭の中から消し去った――消し去った、つもりだった。


『どうなんだ?』


 苛立ちを含んだ声で再び問われ、オレはオッサンを睨み付ける。

「あんたがオレなら、判るだろ」

 ぶすりと答えたオレに、オッサンはほんの顔を歪ませた。まるで古傷を抉られたかのように。

『……そうだな。俺はそれを後悔している』

 オッサンは低い声でそう言ってから、真っ直ぐにオレを見据えてきた。

『最後の予言を告げる。これは、今までのやつとは違う。いいか、よく聴け――』

 これまでになく重い響きを持つそれを聴き終えると同時に、オレは走り出した。



「これで未来が変わるかな?」

『……お前か』

 俺は透明な翅をはためかせてふらりと近寄ってきたトカゲモドキを一瞥する。

 眼下には、隣の家のドアの前に立つ五年前の自分の姿。

 彼がチャイムを鳴らし、ややして、扉が開かれる。

 出てきたのは、彼女だ。

 付き合っていた男の暴力で命を落とす前の、生きて動いている、彼女。

 どうして彼女はあんな男を選んだのかなど、どうでもいい。

 問題は、俺が動かなかったことだ。俺が彼女に伝えるべきことを伝えなかったことだ。

 俺は、彼女のことが大事なのだと。誰よりも、彼女のことを想っているのだと。

 かつての俺が、彼女を抱き締める。

 もしも、俺の想いを知ることで彼女が変わってくれたなら――彼女を喪う未来が変わってくれたなら。

 ふと見れば己の手が透けていた。それをチラリと見遣りながら、トカゲモドキが言う。

「本来、未来は変えられないんだ。過去を変えればその先にあった未来は消える。あの子が助かっても、『君』のものにはならないのに、本当にこれで良かったのかい? あの子が助かる未来に、『君』はいないんだ。あの子が助かれば、この『君』は消えるんだよ?」


 俺と、彼女となど、そんなもの、天秤にかけるまでもない。

 俺は笑う。

 晴れやかな気分で。

 この笑顔は、もう見えていないのかもしれないなと思いながら。


「俺が望んだのは彼女を手に入れることじゃない。この世界で彼女が幸せになるのなら、それでいい。俺が望んだのは、ただ――」




自分と引き換えに大事なひとを助けるのと、大事なひとがいない世界で生き続けるのと、どちらの方が良いかと言われたら、前者かな、とか。


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