第9話 師匠と弟子
お忍びデート前日、ミリアは師匠のもとを訪ねていた。
「師匠、いよいよリナートの王子……エディ様とデートです」
「そうか……楽しんでこい」
うねる師匠に、ミリアはいつになく真剣な表情で言う。
「このデートを終えたら……私、リナートに嫁ぎます。それでも師匠は……私の師匠でいて下さいますか?」
「そんなの当たり前じゃないか。どんなに離れていようが、たとえお前が世界の裏側に行こうが、お前は俺の弟子だ」
師匠が安心させるようにうねる。
「ありがとうございます……!」
俯いたまま、黙ってしまう。
「ん? どうした?」
ミリアが師匠に抱きつく。目が潤んでいる。
師匠も拒みはしなかった。無数の触手で、ミリアを撫でてやる。
「不安か?」
「不安です!」
「怖いか?」
「怖いです!」
「リナートに嫁がなくてもいいんだぞ。俺が全力で守ってやる。たとえ、お前の兄を……プランやリナートを……いや全世界を敵に回そうともな」
師匠のうねり方は本気だった。本気でこう言ってくれている。弟子のために死ぬまで戦うと言ってくれている。
初めて会った時は「勘違いするな。お前を助けたのは自分のため」と突き放したというのに。
「嬉しいです……師匠」
ミリアは涙を拭く。
「だけど……私はプランの姫としての責務を果たします。師匠、見守ってて下さい」
「ああ、見守らせてもらおう」
ミリアは師匠の触手に身を寄せながら、思い出したように言った。
「あの……」
「ん?」
「どうして私が触手を目指したか、話してもいいですか?」
「そういえば聞いたことなかったな。ぜひ教えてくれ」
ミリアは歌でも歌うように語り始めた。
「私は幼い頃からおてんばで、お父様やお母様の言う事もあまり聞かなくて、姫としての自覚が全くありませんでした」
師匠は黙って聞いている。
「剣に打ち込むお兄様みたいに何かに熱中することもなく、このままでいいのかなって内心思いながらも、ずっとのんきに暮らしてたんです」
だけど、とミリア。
「あの時、熊さんから師匠に助けてもらった時、私の中で『これだ!』って思ったんです。心の底から師匠みたいになりたいと思ったんです。やっと自分の中で目的が出来た気がしたんです。だから、だから……」
「……」
「……って、師匠も言ってましたけど、人間が触手になりたいなんておかしいですよね」
師匠が否定するようにうねる。
「いいや、ちっともおかしくない」
「!」
「あの時は俺も動揺した。正直言って変な娘だと思った。だが、今は違う」
さらに力強くうねる。
「俺はいい弟子を持った」
「え……」
「お前は立派な触手であり……立派な姫だ。こんな両立を成し遂げた人間は、歴史上お前が初めてだろう。俺ですら触手でしかない。
お前はすごい。お前は誰にも負けない。もっと自信を持て!」
「はいっ!」
さらに泣いてしまうミリア。
師匠はしばらくそっとしてあげた。
「そういえば……師匠はずっとここに暮らしてるんですか?」
「そうだな。俺は動けないからな」
「一体どのぐらい?」
「うーむ……。数えてはいないが……おそらく数百年は生きている」
植物でもあり動物でもある触手の魔物は長命なのだ。
「色んなことがあったんでしょうね」
「まぁな。人間もそれなりに来た。俺に驚いて逃げていく奴もいたし、遊ぼうと話しかけてくるのもいたし、退治しにきた奴もいた。
いつしか、この森はあまり人が入らなくなり、ある種の保護区に指定されたので今は静かなものだが」
思い出に浸るようにうねる。
「だが……『弟子になりたい』という人間に会ったことは流石になかったな」
ウネッウネッと機嫌よさそうにうねる。
「いなかったんですか!」
「普通なろうと思わんだろう。触手の弟子なんて」
「さっきはおかしくないって言ったくせに!」
「さっきはさっき、今は今、だ。触手は柔軟でなければならない」
「師匠ずるーい! そういうのは柔軟じゃなく掌返しっていうんです!」
「触“手”なんだから掌ぐらいいくらでも返すさ」
「もーっ!」
ミリアはポカポカと師匠を叩いた。
「……そういえば、まだ免許皆伝の印を与えてなかったな」
考えておくといって保留にされていた話題だ。
「これをやろう」
ブチンッ。
師匠は自らの触手を一本ちぎった。
「ええええええっ!?」
「心配するな。すぐ生えてくるから」
師匠はちぎった触手を手渡す。
「いいんですか?」
「ああ、腐ることもないし、迷惑でなければ持っていってくれ」
「迷惑だなんて! 嬉しいです!」
「そういってもらえるとホッとするよ」
「大切にします! お城に飾ります! 家宝にします! ……いいえ国宝にします!」
「国宝はやめてくれ!」
「え、いいじゃないですか。絶対国宝にしますよ」
「頼むからやめてくれ……!」
「師匠も焦ることあるんですねー、やっと一本取れた気がします」
「ぐぬぬぬぬ……」
心底悔しそうにうねる。
「とにかく、この触手はありがたく頂戴します! 免許皆伝ありがとうございます!」
「ああ、俺はこの森からデートの成功を祈ってるぞ」
ミリアは頭を深く下げ、師匠のもとを後にした。