第2話 柔らかくなっていく姫様
次の日から、ミリアの触手を目指す修行の日々は本格化した。
まず、朝起きたら料理長の許可をもらってお酢を飲む。
「いただきまーす!」
暇さえあればストレッチ。
「おいっちに! おいっちに!」
柔軟な思考の特訓のため、セバスにクイズを出してもらう。
「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の生き物はなんでしょう?」
「人間!」
「頭を柔らかくしたいのでしょう? 既存の答えでは意味がありませんぞ」
「そうだったよね……ごめんなさい」
ミリアの奇行ともいえる数々の所業に、城内では心配する声も出たが、誰に迷惑をかけているわけでもないので止める者はいなかった。
お酢の消費量は少し増えたが、酢を作る職人はむしろ喜んだ。
こんな生活を続けておよそ二週間、ミリアの体には明らかな変化が起こっていた。
「今日もはりきってストレッチ……っと。えいっ!」
グニャリ。
ものすごくよく曲がった。
「あれ? こんなに曲がるなんて初めて! 自分でも驚いちゃった!」
身体中の関節で試してみる。
すると――
グニャリ、グニャリ、グニャリ。
手も足も、首も、腰もよく曲がる。修行の効果が表れ出したのである。
「すごい……! こんなに体が曲がるなんて……!」
私の体柔らかすぎ……?
ミリアは二週間ぶりに、師匠のところに行こうと決めた。
**********
森の中をドレス姿で駆け回り、ミリアは師匠の元へたどり着いた。生息地はバッチリ覚えている。
師匠は相変わらずウネウネしていた。ミリアは元気よく挨拶する。
「お久しぶりでーす、師匠!」
「誰かと思えばお前か」
来ちゃったかぁ……という感じでうねる師匠。明らかに歓迎していない。
「そりゃ来ますよ! なんたって弟子なんですから!」
弟子、そういえばそうだったな、という具合に呆れる師匠。
「それで? 何をしにきたんだ?」
「もちろん、修行の成果を見せに来たんですよ!」
「修行の成果?」
「ひどい、忘れてるんですか? 触手になるために修行をしてきたんです。お酢を飲め、ストレッチしろ、柔軟な思考をしろって言ったでしょう」
「本当にやってきたのか……」
そんなデタラメ、実際忘れていた。まさか本当にやってくるとも思ってなかった。
「分かった。じゃあ、成果を見せてみろ」
「はいっ!」
師匠に言われ、ミリアはその“成果”を見せ始める。
ウネッ。肘をあらぬ方向に曲げる。ウネッ。首の曲がり方も明らかに常人以上。ウネッ。腰を捻る。
ウネ、ウネ、ウネ、ウネ、ウネ、ウネ……。
ミリアはまるで踊るように自分の体の柔らかさを披露した。
「……!」
これにはさすがの触手もショックを受けた。ミリアの柔軟性はもはや人間のそれではなかった。
筋肉や関節がというより、骨そのものが柔らかくなったのではと思えるほどの柔軟さ。
なのに、人間としての丈夫さはきちんと保ってるようだ。普通に立つこともできる。
「どうして、こんなに柔らかくなったんだ!?」
「なったんだって師匠の言う通りやったらこうなったんですよ。いかがです?」
師匠は考える。
自分のデタラメ修行法が正しかったとは思えない。が、現に効果は出ている。
これはおそらく、ミリアの「触手になりたい」という強い願いが、自分の教えたデタラメ修行法と交わり、とんでもない効果を生み出してしまったのではなかろうか……と推測した。
他の人間が彼女の真似をしても、きっとああはならない。ミリアだからこそ起こせた奇跡なのだ。
いずれにせよ、これで師匠は考えを改めた。
「すまなかった」とウネウネする。
「え……?」
「お前の弟子になりたいという気持ち。触手になりたいという気持ち。なんとなく軽んじていた。しょせんお姫様が道楽で言ってるのだろう、と」
「そんなぁ、気にしないでいいですよ」
「だが、気が変わった。お前がそこまで本気だというのなら、俺も本気でやろう。お前に“触手”の何たるかを叩き込んでやろう! 生半可ではついてこれないぞ、覚悟はいいか!?」
人差し指を突き付けられるように触手を突き付けられ、一瞬ミリアは怯むが、
「お願いします、師匠!」
すぐさまいつも通りの笑顔で応じた。
かくしてここに、触手と姫という師弟関係が本格的に始動した。
**********
師匠がウネウネと動きながら、触手らしからぬバリトンボイスでレッスンを開始する。
「“触手心得三ヶ条”を教えてやろう」
「はいっ!」
師匠がさらにウネウネする。弟子に教えを授けるという状況に高ぶっている。
ミリアの心臓も高鳴る。
「一つ、いつでもウネウネ柔らかく!」
「いつでもウネウネ柔らかく!」
「一つ、素早くしなやかに!」
「素早くしなやかに!」
「一つ、狙った獲物は逃がすな!」
「狙った獲物は逃がすな!」
触手の言う通りやる通りに体を動かし、四肢をうねらせるミリア。
まだまだ本家の柔らかさには到底及ばない。
「遅い! もっと速く!」
「はいっ!」
「もっとうねれ! お前のうねりはまだまだ人間レベルだ! お前ならもっと柔らかくなれる!」
「はいっ!」
「手足が触手になってるのをイメージしろ! いや、手足だけでなく全身がだ!」
「はいっ!」
本気を出した師匠の指導は厳しく、的確だった。
ミリアの筋肉や関節の質を分析し、どうすればもっと柔らかくなれるか具体的なアドバイスを与える。
日々鍛錬を重ねるうち、ミリアの柔軟性は加速度的にアップしていく。
ウネウネウネウネウネウネ……。
「いいぞ! もっとうねれ!」
「はいっ!」
ミリアは楽しくなっていた。どんどん触手スキルの上がってる自分に。
「どうですか、師匠!?」
「いいぞ、そのうち『職種は触手』と名乗ってもいいようになる!」
「名乗りたいです!」
師匠もまた、ミリアの上達ぶりが楽しくなっていた。
この弟子にして、この師匠あり。
うねれ、師弟……!