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痕跡発見!

 そうして、出発時には東の空にあった太陽がすっかり天頂まで昇ってきた頃、男は唐突に足を止めた。後ろについていた少女もそれに倣って慌てて止まり、一歩先の地面をじっと見つめている男を見上げる。


「ハンターさん? 何かありましたか?」

「ああ、あった。この辺りだ、判るか?」


 そう言って男は膝を折ると、目の前の地面を指し示した。それを受けて、少女も男の隣にしゃがみ込んで地面を観察してみる。だが、黒っぽい土の上に背の低い草と苔が生えていることくらいしか、彼女には判らなかった。

 だからといってすぐに答えを聞くのは悔しかったので、少女は何も言わずに難しい顔で地面を睨み続ける。そんな彼女の気持ちを汲んだのか、男は答えを急かすようなことはせず、静かに彼女の反応を待っていた。

 だが、結局少女は男が見つけた何かを見つけることができず、しょんぼりと肩を落として無念そうに口を開いた。


「……判らないです」

「そうか。まあそんなに気を落とさなくって良い。実際判りにくいからな」


 フォローを入れるというより、ただ事実を口にしているという調子でそう言い、男はまずこれだ、と苔の上を指差した。


「これは足跡だな」

「えっ、それがですか?」


 男が示した場所では、地面に生えた柔らかそうな苔が、少し潰れたようになっている。それは判るのだが、別の場所にも苔が崩れている部分はちらほらとあって、少女にはそれらと足跡の違いがよく判らなかった。だが男は、これが足跡であるとはっきり認識しているようだ。


「ここが人間の手の平に当たる部分の肉球で、こっちの小さい跡が指に当たる肉球。更にその先の、ここに二つ、地面が鋭く抉られてるだろ? これが爪痕だ。そんでもって、同じような跡がそっちの方から続いてきている」

「……私には同じような跡っていうのが判りませんけど、そうなんですね」


 指で示しながら男が説明するものの、少女はむぅと悔しそうにするばかりだった。それを見て男が小さく笑うと、彼女はより悔し気に頬を膨らませてみせたが、特に何を言うこともなく、ただ視線で男に話の先を促した。

 それを受け、男の指が今度は足跡から少し離れた場所を指し示す。そして何かをなぞるような動きをするのに、少女がその動きを追って苔を注視すると、彼女はあっと小さく目を見開いた。

 細く、何かを引きずった、あるいは引っ掻いたかのように、苔が潰れて線ができていたのだ。

 今度はきちんと痕跡を見つけることができた少女に、男は上出来だとでも言うように、微かに笑みを深めた。


「これは何なんですか?」

「尾の跡だ。それに加えて……」


 言いながら、男が苔に刻まれた尾の跡に手を伸ばし、そこから何かを摘まみ上げる。革のグローブに包まれた指先が捉えたのは、濃い緑色をした獣の体毛だった。


「この足跡と尾の跡、濃緑で硬い毛質の体毛。十中八九、こいつはリィンブラウムだ」


 確信を持って言い切った男に、少女はきょとりと目を瞬かせた。


「リィンブラウム?」

「知らねぇか? ああ、それとも花房猫って言やあ通じるか。大体そっちの呼び方で呼ばれてるしな」

「ああ、花房猫! それなら、見たことはないけど聞いたことはあります。確か、半植物性の魔獣ですよね?」

「その通りだ。半植物性、つまり動物としての肉体に植物の性質も持ち合わせている生き物なわけだが、花房猫ってのは、その名の通り猫みてぇな見た目の身体にいくつも花房を生やしてる魔獣だ」


 そう言った男は摘まんでいた毛を地面に落とすと、再び花房猫の残した痕跡を指差した。


「花房猫の特徴は、普通の猫と違って指に当たる肉球が二つしかない点だ。それから尾の先端が硬質化してて、爪なんかよりよっぽど固くってな。それで攻撃したり器用に木の実を割ったりするんだが、尾を持ち上げないで引きずるように歩くから、こういう跡ができるってわけだ。足跡の間隔やサイズ、毛の色を見るに、ここを通った花房猫は雌の成獣だろう」


 解説を終えると男は立ち上がり、判ったか、と言って少女を見た。それを受けた彼女が、感嘆したような声で流石ですねぇと笑う。

 男は何の感慨もない様子で、大したことはねぇよと返してきたが、少女からすれば十分大したことなのだ。

 少女は長い生によって蓄積された豊富な知識を持っているが、こうして男の狩りに同行していると、彼が披露する自分とはまた違った知識の数々に、いつも驚かされる。純粋な知識量だけで言うのであれば、男のそれなど少女の足元にも及ばないのだろう。だが、机上のものではない実践と経験に基づいた知識は、男の方がずっと豊富なのだ。

 そんな少女の心からの賛辞を右から左に流した男は、彼女に立つように促してから、何かを探るようにぐるりと周囲を見回したあとで、取り敢えずは大丈夫そうだな、と呟いた。

 独り言じみたそれに、指示通り立ち上がった少女は何の話だろうと男を窺う。そんな彼女の視線に気づいた男は、再び少女へと視線を戻した。


「ここいらに花房猫がいるってことが判明したからな。あんたもそろそろ警戒度を上げておけ」

「あ、はい。……あれ、でも、花房猫ってそんなに危ない魔獣でしたっけ?」


 男の言葉に素直に頷いた直後、少女は訝し気に首を傾げた。少女は花房猫についての詳しい知識を持っている訳ではないが、それでも魔獣の中では大人しく、むやみやたらに人を襲うような種ではない、ということくらいは知っている。

 勿論ハンターとしてベテランである男の言葉に逆らうつもりはないが、純粋に不思議に思ったのだ。

 そんな彼女の疑問に対し、男は嫌な顔をすることもなく口を開いた。


「いや、花房猫自体には危険性は殆どない。こっちから手出ししなけりゃ、基本的には大人しいモンだ。ただ、あいつらの巣作りの習性が、な」

「えっと、確か花房猫って、木の根元に素材を運んで巣を作るんでしたよね。それで何か危ないことがあるんですか?」

「巣作り自体っつーより、その素材が問題なんだ。あいつら巣材の一部として、必ず竜擬狼の鱗を使うんだよ」

「えっ」


 男の言葉を聞いた少女は、思わず目を丸くして小さく声を零した。

 竜擬狼といえば、狼の姿をした魔獣の一種だ。だが、勿論ただの狼ではない。彼らは身体の所々に竜のように強靭な鱗を持っており、長い尾も竜種のように鱗で覆われている。その気質は獰猛で、縄張りに踏み込む存在を見つけると、強靭な爪や牙、尾で以って容赦なく侵入者を屠って餌とすることで有名だ。

 幸いなことに(つがい)以外と群れを作ることはなく、縄張りもとても広いというわけではないのだが、では縄張りに踏み込まなければ安全かというと、彼らは度々縄張りの外に出ることがあるため、そうとも言えない。しかも、竜擬狼が縄張りの外に出るのは基本的に餌を探すときなので、仮に縄張りの外で出会ってしまった場合、その時点で餌として認識されてしまう。そうなったら最後、戦う術を持たない人間であれば、すぐにただの肉塊と成り果てるだろう。

 と言っても、そもそも竜擬狼はあまり人が住まないような山岳地帯だとか森の深部だとかに生息する魔獣なので、人への被害が多いわけではない。だからこそ、世間的には強く危険視されていないのだが、それでも一年に数度は、森に採集に出掛けた人が偶然出くわした竜擬狼に食い殺された、という話を聞くことがある。


「花房猫はどういうわけか、竜擬狼の鱗を好んでてなぁ。あいつら、わざわざ竜擬狼の巣に忍び込んでまで鱗を確保することもあるんだよ。だからまあ、花房猫がいるってことは、必然的に竜擬狼もこの森にいるってことになる」

「な、成程……」

「竜擬狼の痕跡は今のところ見つけてねぇから、恐らく今いる辺りは縄張りの外なんだろうが、餌を探して縄張り外を徘徊していないとも限らねぇからな。注意しておくに越したことはない」


 男の言葉の意味を理解した少女は、改めてしっかりと頷いてから、気合を入れるように両手でぺちぺちと自分の頬を叩いた。

 それから深呼吸をして、よし、と呟いた少女だったが、その顏には緊張と不安が微かに滲んでおり、男はそれを見逃すことなく読み取った。

 彼が少女を連れるようになってから、こういった身の危険のある狩りは何度かあった。だが、生命の危機というのはそう簡単に慣れるものではない。いくら彼女が人並外れた力を持つ長命種だろうと、ほんの一年前までは、町に住むただの子供も同然の生活を送っていたのだ。正確には、彼女は少々特殊な仕事をしていたけれど、それは別に他の存在に命を脅かされるような類のものではなかった。故に、彼女が今の状況に怯えを抱くのは至極当然のことだ。

 だから男は、努めて穏やかに、小さな頭にぽんと片手を乗せた。

 その瞬間、ぱっと少女が顔を上げ、男を見やる。ぱちぱちと繰り返される瞬きに、男は少しばかり口端を持ち上げてみせた。


「警戒はしなきゃならねぇが、あんまり気負い過ぎなくてもいいぞ。常に最悪を想定するのは大切なことだが、それに気を取られすぎても足元を掬われるからな。さっきも言ったがここは縄張りの外だろうし、縄張りの中よりは外の方がずっと安全なのは事実だ。取り敢えず今は、ここまで順調に来られたことを喜んでおくと良い」


 そう言った男の手が、宥めるようにぽんぽんと少女の頭を撫でる。彼にしては優しいその手つきに、少女は少しだけ驚きつつも、滲んでいた不安の類がゆっくりと消えていくのを感じた。


「……ふふふ、そうですね。ハンターさんの言う通り、今は魔獣の生息域になるくらいの奥に来られたことを、喜んでおくことにします」


 そう言って笑んでから、ありがとうございます、と続いた言葉に、男がひらひらと手を振る。


「別に礼を言われるようなことはねぇよ」


 あっさりとした声でそう言った男は、次いでその顔に浮かべる笑みの質を変えてニッと笑った。どことなく悪戯っぽいそれに少女が不思議な顔をすると、それを見た彼が愉快気に口を開く。


「ついでにもう一つ喜んでおくといい」

「え?」


 きょとんとした少女を横目に、男は上を見上げた。頭上は生い茂る葉に殆ど覆われており、その先にあるはずの空はまったく見えないが、木漏れ日の差し具合から、男には日の高さがどれくらいであるのか手に取るように判った。

 笑みを深めた男が、少女に視線を戻して口を開く。


「もうぼちぼち昼どきだ。あんたもそろそろ腹が減っただろ。流通量が少なくってあんまり知られてねぇが、実は花房猫ってのは、肉がめちゃくちゃ美味い」

「本当ですか!?」


 男が言った途端、少女は食い気味に叫ぶとずいっと男に迫ってきた。その顔からはまだ少しだけ残っていた緊張やら何やらが吹っ飛んでおり、両目は常になくきらきらと輝いている。

 跳ね回るような声で、ハンターさんは食べたことあるんですか、どんな味なんですか、めちゃくちゃってどれくらいですか、と興奮気味に言ってくるその様子に、男は単純なやつだなあと思いながら答えた。


「食ってからのお楽しみだ。ちなみに、雌は雄よりも肉質が柔らかくて良いぞ」

「やったー!!」


 ばんざい、と両手を上げると共に大きく歓喜の声を上げた少女の口を塞ぐか塞ぐまいか、僅かの間悩んだ男だったが、まあいいかと好きにはしゃがせてやることにした。実は男は先程からずっと周囲を窺いつつ少女の相手をしていたのだが、確認できる限り特に何かが潜んでいるような動きもなかったので、許容範囲であると判断したのだ。様々な意味で何が起こるか判らないのがこの仕事だが、だからこそ喜べるときに素直に喜ぶのは悪いことではない。

 ただそうは言っても、少女が落ち着いたら注意くらいはしておかないとな、などと思いつつ、男は彼女に声を掛けた。


「それじゃあ、探索ついでに昼飯を狩りに行くか」

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