マスター登録
「それじゃあお話もひと段落したということで、追加の食べ物をください」
そんな言葉と共に差し出された華奢な手を見た男は、何度目になるか判らないこのやり取りに嫌気が差して、持っていた食料を全て彼女の腕に押し付けた。
「え、これ全部食べて良いんですか!?」
驚いた顔で見上げてきた彼女に、男がああと返す。
「必要なんだろ」
「正直貰えるなら有難いんですけど、これ非常食も入ってますよね? 大丈夫ですか?」
「幸いなことに、この森には食えるものがいくらでもあるからな。このままこの神殿や地下に閉じ込められでもしたら大問題だが、失せし技術を扱えるあんたがいてそうなるってのは考えにくいし、問題ないだろうよ」
男の言葉に、彼女がパァっと顔を輝かせたあとで、貰った干し肉やら乾燥果実やらを両手で掴み、貪るようにして食べ始めた。
美しい姿に見合わぬワイルドな食べっぷりに、男が思わずそっと目を逸らす。初恋の相手の変わり果てた姿など、見なくて済むのならこれ以上見たくない。いや、恋ではないのだが。
そんな風にすごい勢いで食料を胃に収めた彼女は、渡された全てを食べ終えたところで、ふうと息をついた。
「ありがとうございます。これだけ食べれば、ひとまずは大丈夫です」
「そりゃ何よりだ。だったら、さっさとちっこい姿になったらどうだ?」
「あ、それはこの氷を処理しちゃってからにしましょう。古代魔法で生んだ氷は特別製なので、自然に融けるのを待つと十年以上かかるんですよ。このままじゃ肝心の“とこしえの約束”も凍っちゃってて確認できないですし、解除してあげないと」
「ああ、だからずっとその姿のままだったのかあんた。すぐに小さくなりゃあ良いのにならねぇから、てっきり腹が減り過ぎてその気力もねぇのかと思ったわ」
「もう! 失礼ですよハンターさん!」
ぷんすこと怒ったような表情を浮かべてみせた彼女だったが、なにせ絶世の美女のやることなので、そんな姿すら美しい。
こりゃ目に毒だからさっさと戻って貰わないと困るな、と内心でぼやいた男が、視線を自動人形と祭壇の方へと向けた。
「あの鎧、氷解いちまって大丈夫なのか?」
「あんまり大丈夫じゃないので、ひとまず拘束の氷は溶かさずにおいておきましょう。必要な部分だけ溶かしてから、マスター登録を弄ってみようと思います」
「なんだって?」
聞き慣れない単語に理解が追い付かなかった男が訊き返せば、彼女はええと、と言った。
「多分なんですけど、この神殿は、かつての私のご先祖様、北の守護者の管轄だと思うんです。地理的に北方だからっていうのもそうなんですが、何よりもここら一帯がこの姿の私と随分共鳴しているようなので。だから、上手くいけばあの自動人形の新しい主人として、私を登録することができるかもしれません」
「はあ、なるほど」
「何かしらの理由があって、この神殿は守護されるべき、とご先祖様が判断したんでしょうし、だったらできれば守護役は残しておいた方が良いと思うんですよね。でも、何もせずに自動人形を解放すれば、きっとまた私たちに襲いかかってくる。それでは困るので、マスター登録という訳です」
「……できるのか?」
「頑張ってみましょう!」
むんっ、と張り切って言った彼女に、男はそういうことならと、自動人形の処理は彼女に任せることにした。
そうと決まれば善は急げと立ち上がった彼女が、ぱちんと両手を一度鳴らす。すると、まるで硝子が割れるようにして、氷という氷が砕け散った。だというのに、氷の中に呑まれていた物は割れるどころか一切の傷すらない。原理は判らないが、物体を覆う氷の部分だけが綺麗に砕け散ったのだろう。
細かな粒となった氷がキラキラと輝きながら宙を舞う様は、実に美しい光景だった。
「……古代魔法ってのは、詠唱なしで発動できるもんなのか」
「はい。頭の中で起こしたい現象を思い浮かべて、よいしょってすると発動するんです」
「よいしょってのが全く判らねぇが、判ったところで意味もねぇし良いわ」
そんな会話をしながら、二人は未だに動けずにいる自動人形の元へと向かった。氷漬けの鎧を少しの間観察した彼女が、不意にその背中の部分の氷を指先で撫でる。すると、彼女の意志の通りその部分の氷だけが砕けて消え、鎧の背部が剥き出しになった。
そこに手を伸ばした彼女が背中をとんとんと叩くと、あのパネルに浮かんだものにも似た光の紋様が浮かび上がった。そこにするすると指を滑らせた彼女が、何度か模様を描くように指を動かしたあとで、自分の右手をぺたりと鎧の背中に押し当てる。
すると、掌を当てた部分を起点として鎧の全身に線上の光がすっと走ったかと思うと、突如音声が響いた。
《――マスター登録完了。最高権限保持者として承認しました》
「あっ、上手くいきました! 良かったぁ!」
満面の笑みを浮かべた彼女が、次いでぱちんと手を打ち鳴らすと、鎧を覆っていた最後の氷が跡形もなく砕けて消えていった。突如解放された鎧に男は思わずぎょっとしたが、ぐるりと振り返った鎧がすぐさま彼女に向かって跪いたのを認め、感心したように息を吐き出す。
「よく判んねぇが、これでこいつが襲ってくることはなくなったってことで良いのか?」
「はい。マスター登録のついでにハンターさんを排除除外リストに登録しておいたので、私が命じない限りはハンターさんに危害を加えるようなことはしないですよ」
「なんだ、除外されただけなのか。俺のこともマスターとして登録してくれても良かったんだが」
笑い混じりで言った男に、彼女はそれが冗談であると理解した上で、わざと思い悩むような顔をしてみせた。
「残念ながら、それは不可能なんですよ。この自動人形、どうやらかなり優れた技師が作った代物のようで、特定の血統の持ち主じゃないとマスター登録ができない仕組みになっているみたいなんです」
「ってことはつまり、あんたはたまたまその特定の血統に連なる存在だったってことか。そりゃ運が良いな」
「あはは、そうですね。あ、この姿でやらなくちゃならないことはこれで済みましたし、そろそろいつもの姿に戻りますね」
そう言った彼女が、両手で自分の頬をぺたぺたと触ってから、えいっと気が抜けるような声を上げた。
すると、見る見る内に彼女の姿が蜃気楼のように歪んで揺らぎ、そして僅か数拍後、そこには男の見慣れた少女が立っていた。