探索前夜
結局旅支度を整えるのに丸一日を費やした男と少女は、情報屋メルシアの話を聞いてから二日後の早朝、目的地であるウィアツェペカに向かって出発した。
想定通り長い旅路ではあったが、道中で何か不測の事態が生じるということもなく、出発から十日後、二人は目的の森のすぐ近くにある村にまで辿り着いた。
それでは早速この村を拠点に探索へ、といきたいところだったが、村に着いた時点で日が暮れていたため、森の探索は明日から開始することにして、今日のところは休息を取ることにする。もしかすると男一人ならば軽い探索くらいは行ったのかもしれないが、今回はハンター稼業に不慣れな少女もいるので、万全を期すためにもしっかりとした休息を入れることにしたのだ。
今晩の宿に荷物を置いて身軽になってから外へと繰り出した二人は、その辺りを歩いている村人からオススメの食事処を紹介して貰い、夕食を取るべくそこに足を踏み入れた。
そこまで大きくはない村にある少々手狭な食事処なので、あまり期待はしていなかったのだが、店内を漂う匂いはなかなかどうして食欲をそそるもので、歩き通しで空腹を訴えていた二人の腹が、同時にぐぅと鳴る。
「早く、早く食べましょう、ハンターさん!」
今にも涎を垂らしそうな勢いでそう言った少女に、今回ばかりは男も同意して、テーブルにつくや否や目に留まったメニューを適当に頼み始めた。
程なくして運ばれてきた料理の数々に、少女が舌鼓を打ってかぶりつく。
「んん! ハンターさん、このお肉とっても美味しいです! ランナ肉の香草焼きでしたっけ? 聞いたことがない名前ですけど、この辺特有の生き物のお肉とかなんですかね?」
「ランナっつーのは、この辺りみたいに比較的寒い土地で飼われることが多い家畜だな。大人しくて育てやすいから家畜向きの動物ではあるんだが、寒い場所じゃないと肉付きがよくない上に病気にもなりやすいってんで、北方地帯でしか見る機会がない。時折俺らの拠点の街なんかにも塩漬け肉が運ばれてくることはあるが、保存食になっちまうと味が落ちるから、わざわざ買おうとは思わねぇんだよな」
「は~、そうなんですねぇ」
相槌を打ちながらも、少女は食べる手を休めずに料理を口へと運んでいく。それを少しだけ呆れた目で見ながら、男はそれにしても、と言った。
「ランナは寒ければ寒いほど肉質が良くなるもんの筈だが、ここらは別に激しく寒いって訳でもねぇのに、随分と良い肉を扱ってるようだな。肉だけじゃなくて、他の料理も高級レストラン並みの味だ」
言っちまえば田舎の小さな食事処だってのに、よくもまあここまで大層な味が出せるもんだな、と言った男に、少女も頷きを返す。
「そう言えば、お昼に立ち寄ったところもすっごくご飯が美味しかったですよね。もしかして、この辺りの人たちは舌が肥えてるんでしょうか?」
「そうなんだよな。昼の飯屋もここも、肉だけじゃなく野菜も穀物類も種類が豊富だし、一品一品の量も多い。まあ肉はともかくとして、激しく寒い訳じぇねぇっつっても寒くはあるここらの土地なら、もう少し小ざっぱりした食事になりそうなもんなんだが、……よっぽど土壌が良いのかね」
フォークで肉をつつきながら考えこむようにした男だったが、すぐにその思考を打ち切る。男は仕事柄様々な場所に赴くため、こういう土地ではこうであることが多い、というのが感覚的になんとなく判りはするが、所詮は感覚の話だ。学者でもなんでもない彼では、いくら考えたところでこの辺り一帯が豊かである理由など判るはずもない。
そんな無駄なことを考えるよりも、と、男は少女に別の話題を切り出した。
「明日はまず買い出しから始めるぞ。なにせ、この村に着いたときにはもうほとんどの店が閉まっちまってたせいで、買い足す必要がある消耗品を何一つ買えてねぇからな。店が開くと同時にその辺を調達して、それが済んだらさっさと森に向かうことにしよう。取り敢えずあんたは、宿に戻ったら荷物のチェックをして、買うもの頭に入れとけ」
「はい、判りました」
「店が開く時間を考えたら、ここに来る道中よりかは朝ゆっくりできるだろうが、今夜はさっさと寝て休んどけよ」
「はい」
そんな風に簡単に明日の話をしながらも、男は手早く皿の上を片付けていく。彼はハンターとしていつ何がどうなるか判らない環境にいることが多いので、人よりも食事の手が早いのだ。ゆっくり食べようと意識すればできないわけではないが、明日の予定が何もなく、のんびり酒でも飲むか、という時くらいにしかそれをしない。食事が好きな少女は、そんな男の職業病じみた癖に、もっと味わわないと勿体ないと何度か言ったことがあるのだが、男は右から左に流すように生返事を返すだけだった。
いつも通りさっさかと食事を終えた男に対し、少女の方は未だのんびりと食事を続けていたが、男は特に少女を急かすこともなく、時折水で口を湿らせながら彼女を待つ。
それから少しして、少女が最後の一口を嚥下し終えたのを確認した男は、よし、と言って椅子から立ち上がった。
「食い終わったな。んじゃ行くか」
しかし、テーブルの上の伝票を手に取り、会計に向かおうとした男を、椅子に座ったままの少女がちょっと待ってくださいと引き止めた。
なんだ、と少女を振り返った男を、随分と真剣な顔をした彼女が見つめ返す。
「ランナ肉の香草焼き、もう一皿追加したいです」
「……あんたな、明日っから森を歩き回るんだぞ?」
呆れを多分に含んだ表情でそう言った男の言葉には、重い腹を抱えて明日の探索に赴くつもりなのか、という意味が判りやすく込められている。だがそれに対し、少女は無い胸を張ってみせた。
「だからこそ、英気を養うためのお肉なんじゃないですか! 大丈夫! きちんと腹八分目にしておきます!」
「…………いやまあ、確かにこれだけじゃ足りないんじゃねぇかとは思ってたけどよ……」
今日の少女はいつもよりゆっくりと食事を楽しんでいるようだったので、実はそこまで空腹な訳ではないのか、と思ったりもしたのだが、そんなことはなかったらしい。それをそれとなく少女に伝えると、案の定彼女は首を横に振って否定した。
「違いますよ。美味しいお肉を味わって食べてただけです。いつも言ってますけど、ハンターさんも狩りの最中はともかく、普段はそうした方が良いと思いますよ」
「余計なお世話だな。つーか、追加注文するならするで、なんで食い終わってから頼むんだよ。先に頼んどきゃ良いじゃねぇか」
「お腹に少し溜まってから二枚目にいけば、それ以上食べようって思うのを防げそうでしょう? 腹八分目に留めるための戦略というやつです。それに、焼き立ての方が美味しいので」
にこーっと満面の笑みを浮かべて見上げてくる少女と見つめ合うこと、数拍。男の口から小さく溜め息が吐き出されたのを見て、少女はわぁいと小さく手を叩いた。
「……ったく」
立ち上がったばかりの椅子に座り直した男が、片手を上げて店員を呼ぶ。横目に少女の笑みがいっそう深まったのを見て、仕方ねぇなぁと彼は小さく呟いた。