表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/36

花房猫、いただきます2

 そんな風に少しの間無言で肉を胃に収めていた二人だったが、先に食べ終わった男が、包み焼きが放り込まれている焚火へと視線を向けた。約束通り少女の方の取り分を多めにしたこともあり、彼女はまだ串焼きが食べ終わっていないようだが、そろそろ頃合いである。


「包み焼きの方も取り出すか」

「んんっ!!」

「あー、別に肉は逃げねぇんだから急がなくっていい。落ち着いてゆっくり食え。今のあんたじゃ、喉詰まらせそうだ」

「んむぐ!」

「何言ってんのか判らんが、こっちもあんたの方を多めにしとくから安心しろよ」


 ひらひらと男が手を振ると、少女は満面の笑みを浮かべてから、引き続き串焼きを食べるのに専念し始めた。流石ハンターさん、という幻聴が聞こえた気がして、男は小さく苦笑しつつ、枝を使って焚き火から包み焼きを取り出した。その表面はすっかり黒くなっているが、包みが燃えて駄目になっているということはない。水分が豊富な厚めの葉を幾重にも巻き付けてあるので、これくらいの時間では燃え尽きないのだ。

 取り出した包みを枝で剥いでいけば、花房猫の花の豊潤な香りと共に、蒸し焼きにされた肉がお目見えした。串焼きである程度腹は満ちたというのに、勝手に喉がごくりと鳴って口内に涎が溢れてくるくらい良い匂いだ。

 漂うその香りに少女が食べるスピードを上げたのを視界の端に認めながら、男は木の枝をナイフで削って簡単なピックを作り、それで包み焼きの肉を取って口に放り込んだ。熱々の肉で火傷をしないように注意しつつ咀嚼した男が、思わず唸るような声を漏らす。蒸した肉は串焼きよりも柔らかい上に、花房猫の肉特有の甘みが強くなっており、そこに熱されて香りが強くなった花びらが微かな辛みを与えることで、肉が持つ旨味を最大限に引き立てている。とにもかくにも、得も言われぬほどに美味いのだ。


「っ、ハンターさん、私にも、私にもください!」


 串焼きを食べ終わった少女が前のめり気味に要求してきたのに、男が無言で蒸し焼きと木の枝のピックを渡してやる。返事をするには生憎、口が忙しいのだ。

 そんな男を気にもせずに包み焼きを受け取った少女は、せわしなく包みを開けて一口食べたところで、動きを止めた。

 その表情は、あまりの美味しさに輝いている、というよりも、訳も判らず混乱している、と表する方が正しい。そのまま声なき声を上げることもなく、もぐもぐとしっかり咀嚼して肉を飲み込んだ少女は、口の中を空にしても何も言うことなく、次の一口に取り掛かった。

 そんな少女の様子に、自分も最初にこれを食べたときは同じような感じになったなぁ、と男は懐かしく思った。予想を遥かに超えて美味すぎるものを食べると、美味いという感動よりも先に混乱がやってきて、そして無駄に口を利いてなどいられなくなるのだ。

 結局その後も互いに言葉を発することなく黙々と食べ続けた二人は、あっという間に全ての肉を平らげてしまった。男にしても少女にしても急ぐことなくじっくり味わって食べたというのに、こんなにも早く食べ終わってしまったのは、肉質が比較的あっさりとしていて食べやすかったのに加え、どんどん次を口に入れたくなるほどに美味しかったためだろう。

 肉を全て腹に収めたところで、男は水筒から水を飲んでひと心地ついた。それから、少し遅れて食べ終えた少女に水筒を差し出すと、彼女は受け取りはしたもののすぐに水を飲むことはなく、水筒を抱えて余韻に浸るようにしていた。


「……生きてて良かった……」


 この日のために生まれてきたのかもしれない、と続いた少女の呟きに、男はまた随分とでかいことを言い出したなと笑った。いやまあ、そう思う気持ちになるのは判らんでもないのだが、男よりも長く生きているという彼女が言うと、重みが段違いなのではないだろうか。


「あんたの生まれた理由が今日で良いのか?」

「そう思っちゃうくらい美味しいって話です」


 男のからかうような笑い混じりの言葉にそう返し、少女はこくりと水を飲んだ。喉を潤し、はぁ、と吐き出された溜息めいたそれは、心底満足気である。


「俺より長く生きてるっつーんなら、もっと美味いもんの一つや二つ、食ってそうなもんだけどな」

「うーん。まあ確かに、前は不定期に土地を転々として、ハンターさん程じゃなくとも色んなところに行きはしましたけど、それはお役目のためで、グルメ観光のためじゃないですから。引っ越しと期間限定の定住とを繰り返していると、やっぱり結構お金がかかるので、贅沢な食事とも縁遠かったですしねぇ。冒険だって、ハンターさんについていくようになって初めてしたので、こういう未知に近い美味しいものと出会う機会はあんまりなかったんですよ」


 別に前までの生活が辛かったとか嫌だったとかは全然ないんですけどね、と言った少女が、どこか遠くを見るような目を焚き火の燃え跡に向ける。その横顔は普段の子供じみものとはかけ離れた静けさに満ちていて、歳月を重ねた森の奥深くを思わせるようだった。

 ごく稀に少女が覗かせるこの姿を見る度、男は彼女の生きてきた年月の長さにほんの少しだけ触れたような心地になる。いつも見た目に相応しく子供っぽい彼女は、確かに人ではなく、遥かな時を生きる存在なのだ。

 なんとなく黙り込んだまま、男が少女を見つめていると、ふと彼女が目を向けてきた。少女の黒々とした瞳と、男の青い目が真正面からぶつかり合う。


「でもやっぱり、今の方が前よりずっと楽しいです。色んなものを見たり聞いたり、食べたり嗅いだり。それなりに生きてきたのに、知らないことがまだまだたくさんあって。……改めて、私をお仕事に誘ってくれてありがとうございます、ハンターさん」


 そう言ってぺこりとお辞儀をした彼女が頭を上げたときには、その顔に浮かぶのはいつもの満面の笑みで、男が見慣れた見た目相応の少女の姿だった。それを見た男は、どことなく静まった雰囲気を打ち消すように、少し茶化すような声で言う。


「別に、あんたと組んだら楽になる仕事も多そうだと判断したから誘ったまでで、あんたを喜ばせようって考えてやってるわけじゃねぇよ。感謝したけりゃすりゃあいいが、それで返ってくるもんは特にねぇぞ」

「ふふ、私も返して欲しくてお礼を言ってるわけじゃないので、構いませんよ。ほら、言って気持ち良い言葉は、言えるときにたくさん言っておきたいじゃないですか」

「おーおー、そうかい」

「そうなんでーす」


 機嫌良さそうに笑う少女に、そりゃ良かったな、と小さく呟いてから、男は立ち上がって後片付けを始めた。そうやって男が動き始めるのを見て、少女も片付けを手伝うために立ち上がる。

 少女が小鍋を洗いに川に行っている間に焚き火の後始末をした男は、次いで使ったナイフの刃をざっと拭って鞘に納めた。取り出した花房猫の内臓はいずれ土に還るか他の魔獣なりが食うだろうということでそのままにし、首は土に埋めておいた。それから毛皮だが、これも首を埋めた辺りに捨てていくことに決めた。勿体ないとは思うが、皮はなめし処理をしなければすぐに痛んでしまうことと、その処理は今この場でさっとできることではないことを考えると、持って行く訳にはいかない。

 そういったもろもろの処理を男が手早く終えたところで、小鍋を持った少女が帰ってきた。濡れた小鍋を拭って男に渡した彼女は、首が埋められた場所が盛り土になっているのを見て、そこに向かって祈りの仕草をした。これは、彼女の種族特有のものらしい。いただいた命に感謝を捧げ、天に昇ったそれが再び巡って自分たちの元へやってきてくれることを祈るのだそうだ。

 彼女の祈りが終わるのを待ち、周囲をぐるりと見回して確認した男は、全ての片づけが滞りなく完了したのを見て頷いた。


「よし、行くか。ちっとゆっくりしちまったから、こっからは少しペースを上げるぞ。大丈夫か?」

「美味しいもの食べてお腹も膨れて元気いっぱい! ばっちりですよ、ハンターさん!」

「そりゃ頼もしい限りだ」


 ピースまでしてアピールする少女に笑い、男は少女を連れて森の探索を再開した。

 男の宣言通り、周囲を探りつつも午前中よりペースを上げ、更なる森の奥へと進んでいった二人だったが、その後は特にめぼしい発見もないまま、日が落ちる時間となってしまった。陽が沈んで森が一層暗くなる間は無理に進まないことにした二人は、身を休めるのに良さそうな場所を見つけると、そこで一夜を明かすことにした。




 こうして、探索一日目が終了したのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ