プロローグ
「北のウィアツェペカに、お宝が眠ってる可能性があるだと?」
ざわざわと騒がしい酒場の中で胡散臭そうな表情を隠しもせずにそう言ったのは、焦げ茶色の短い髪の男だ。年齢は三十前半くらいだろうか。どことなく寄り付きにくさを感じさせる野性味が強い顔立ちの彼は、名をカーザ・レジウスという。
そんな男と丸テーブルを挟んで相対するのは、どこか軟派な雰囲気の抜けない美形の青年だ。彼はメルシアといって、男と付き合いが長い行商人なのだが、仕事の中で見聞きした情報を扱う情報屋でもある。
「そうなんですよ、特ダネでしょう?」
「そりゃ内容によるな。……そもそも、ウィアツェペカってのはどこにあるんだ?」
「ああ、そんなに有名な土地ではないので、カーザさんが知らないのも無理はないですね。ここから北に十日ほど行くとある、深い森のことです」
「森ねぇ。……で、なんだってそこにお宝があるって話になったんだ」
男の問いに、メルシアは周りを気にするように声を潜めた。
「青き森の奥深くに“とこしえの約束”が眠っている。……この話、カーザさんほどの凄腕ハンターなら、聞いたことくらいはあるんじゃないですか?」
「凄腕かどうかは知らんが、ハンター稼業の最中に噂を聞いたことくらいならあるな」
二人の会話からも判るように、男はハンターを生業としている人間だ。
ハンターとは依頼を受けて狩りを行う職のことで、雷鳴鳥の卵だとか、海鳴き鉱石の年代物だとか、生きたままの夜烏蝶だとか、様々なものを狩って生計を立てている。男もその例に洩れず、基本的には依頼されたものを狩ることが多いのだが、彼の場合、依頼がないフリーの期間には、自身の興味が湧いたものや金になりそうなものに的を絞って、それらを狩って売ったりもしていた。
ちなみに今はちょうどフリーなので、特に決まった獲物があるわけではない。さて今回のフリー期間では何を狙おうか、と思っていたところに、タイミング良くメルシアから良いネタがあると言われたので、こうして話を聞きに来たのである。だがこの感じだと、今回は外れかもしれないな、と男は思った。
この情報屋が寄越す情報は質が高く、男も重宝しているのだが、時々こうやって嘘か真か判らないような類のネタを寄越してくるのだ。一応は根拠らしきものを添えて提供されるので、男の方も時間と気持ちと体力に余裕があって、かつ少しでも興味を引かれるようであれば探索に出るのだが、成果らしい成果が得られることは十回に一回もない。
こりゃ今回は金になるネタじゃなさそうだな、と早々にやる気をなくした男が、それでも仕方なく話に付き合ってやる。
「とこしえの約束とやらの正体は不明だが、大層な呼び名から察するに相応のものであるはずだって話のアレだろ。実際、そういう類の呼び名がついた品ってのは大概が貴重な物で、高値がつくことが多いからな。……ま、この話が与太じゃなけりゃだが」
どうせ根も葉もない噂話だろうと言いたげな男の答えに、メルシアが首を横に振る。
「それがですね、そうとも限らないんですよ。件のウィアツェペカなんですが、実はその土地の古い言葉で“青い森”という意味を持つそうなんです。しかも、ウィアツェペカの近くの集落に、何やらそれらしい伝承が残っているんだとか」
「ふぅん」
やや興奮気味に話すメルシアに対し、男の方はあまり興味が湧かない様子で生返事をした。だが、メルシアはそれを気にもせずに言葉を続ける。
「で、僕としても気になってしまって、ちょっと調べてみたんですが、どうやら伝承の中に、“彼の約束を、遥けき先まで語り継ごう”っていう一文があるようで」
「その伝承の中の約束ってのが“とこしえの約束”だって? そりゃちぃと無理やりすぎるんじゃねぇか?」
「でも、古い言葉で青い森と名付けられた森の傍にそんな伝承があるのは、何か繋がりがあるように思いませんか? とはいえまあ、流石にそれだけじゃあありません。実は他にも、“永久なるものは青の中に”っていう文もあるらしいんですよ。しかもこの伝承、数千年近く古いものだそうで。それだけ古くから脈々と継がれてくるものには、大体何かしら潜んでいるものじゃあないですか」
「……成程、まあ、一理あるっちゃ一理あるな」
そう返した男に、メルシアがぱっと顔を明るくする。
「でしょう! どうです? 調べてみたくなりませんか?」
「……って言われてもなぁ」
確かに少し興味を引かれはしたが、片道だけで十日も要する場所に赴くとなると、それなりの準備や装備が必要になり、それだけ出費も嵩むことになる。今は別段金に困っている訳ではないが、だからといって有り余っているということもないので、そこまでの金銭をかけてガセネタを漁りにいくのは余り気乗りしない、というのが正直なところだ。
だがそこで、男の隣から声が掛かる。
「良いじゃないですか、ハンターさん。折角お話して貰ったんですし、行ってみましょうよ」
唐突にそう言って会話に入ってきたのは、男の隣にちょこんと座っていた、肩に届かないくらいの短めの黒髪をした、平凡な顔立ちの少女だった。十三、四歳ほどの見た目にはあまりそぐわない大きなステーキを頬張りながら男を見上げたこの少女は、エイル・レハネストといって、何を隠そう男の狩りのパートナーである。
と言っても、彼女がパートナーとして狩りに同行するようになったのはここ一年ほどのことで、それまで男は基本的にソロで狩りをすることがほとんどだった。それが、一年半ほど前にあったとある出来事をきっかけに、少女の腕に惚れこんだ男がスカウトをして、現在はこうしてハンター稼業と、ついでに生活も共にしている。
「行ってみましょうっつったって、……あんた、どうせ久々に遠出してみたいだけだろ」
「あ、バレちゃいました?」
悪びれもせずに笑顔でそう言った少女に、男が呆れたような顔をする。
「まあまあ、良いじゃないですか。ここのところ近場での狩りが多かったですし、息抜きがてら遠出しちゃいましょうよ」
そう言う少女にどうやら譲る気はないようで、それを悟った男は、はぁと溜息をついたあとで、じろりと情報屋を睨んだ。
「こうなるって判ってて話したな?」
「いやぁ、なんのことだか僕にはさっぱり。僕はただ、僕が知る中で一番腕利きのハンターに話をしようと思って来ただけですよ」
「よく言うぜ。ああ、ったく、判ったよ。乗ってやるから詳しい情報と場所を教えろ」
とうとう諦めてそう言った男に、メルシアがにっこりと微笑む。
「ふふ、お買い上げありがとうございます。エイル嬢も、カーザさんの背を押してくれてありがとうございますね」
「いえいえ、私が行ってみたかっただけなので。それにハンターさん、結構私に甘いので、おねだりしたら割と聞いて貰えることが多いんです」
食べ途中の肉を腹に詰め込む作業の合間にそう言った彼女に、男が額を押さえて息を吐く。
「……あんたな、そういうのは本人の前で言うことじゃねぇよ」
「でも事実じゃないですか」
きょとんとした顔で言った少女に、メルシアが楽しそうな笑い声を上げて男を見た。
「いやいや、この人がそこまで甘やかすんですから、エイル嬢は本当にカーザさんに気に入られているんですねぇ。とは言え、あのカーザ・レジウスがただのお嬢さんに首ったけになるとは考えにくい。……そろそろ本当のところを教えてくれたりはしませんか?」
人当たりの良い笑顔の中にちらりと垣間見せる程度の探るような色を滲ませて言ったメルシアに、少女がにこりと微笑みを返す。
「いやだなぁ、何度も言ってるじゃないですか。私がたまたま三種類の魔法を扱える珍しい存在で、しかもその魔法が狩りにとても役立つ魔法ばかりだったから、ハンターさんにお手伝いをお願いされたんですよ。うちはお父さんもお母さんも割と放任主義というか、かわいい子には旅をさせろの精神の持ち主なので、とんとん拍子に話が進んで、こうしてハンターさんと一緒にハンターの道に足を踏み入れたという訳です」
淀みなくそう言った少女に、メルシアがにこやかな顔のままで数度瞬きをする。そのまま互いに笑顔で見つめ合うこと数拍。先にその表情を崩して息を吐き出したのは、メルシアの方だった。
「うーん、まだまだ信用が足りませんか。それでは、話す気になったら是非色々聞かせてくださいね」
「ちょっとよく意味が判らないですけど、今回の狩りで面白いことがあったら、次にお会いしたときにお話しますね!」
そんな二人のやり取りを見ていた男がぽつりと、茶番だなぁと呟いたが、それは酒場の喧噪に呑まれて誰の耳にも届かなかった。