やり直し令嬢とお抱え錬金術師。
それは。
鮮明な。
悪夢だった。
私の好きな人が、告げる。
「貴様との婚約は破棄して」
私の婚約者は、言い放つ。
「断罪する!!」
私ではない女性を片腕に抱きながら、冷酷に下す。
私は好きな人がその女性と親しくしていることが気に食わず、嫌がらせをした。
あまりにも私の好きな人に寄り添うから、突き飛ばすこともしたのだ。
彼女を心から憎み、そして罪を冒した。
それは事実だ。
だから、私は投獄されたのだった。
そんな悪夢。
悪夢一つを見たくらいで、心変わりをしてしまうなんて。
おかしな話だとは思う。
けれども、私はその悪夢から抜け出して、目を覚ました。
百年の恋が冷めたのだ。
恋人達が散歩をするような畔のある公園のベンチ。
畔から冷たい風が吹き、私の亜麻色の波打つ髪を舞い上がらせた。
ここはよく私が彼を呼び出す場所。恋人のように、過ごしたいがため。
今日も彼を呼び出した。
「別れましょう」
好きな人だった彼に、私ははっきりと告げた。
ターナー公爵家の長男・ウィリアムズ。
金髪と青い瞳の持ち主。
彼は心底驚いた表情をするものの、別にショックは受けていない様子。
「唐突だな……裏があるのか?」
じぃっと私は彼を見上げて、改めて顔を見た。
確かに私はこの顔が好きだ。
だった、か。
整った顔立ちだし、他の令嬢からの人気も高い。
でもどうしてだろう。
「いえ? どこに惹かれていたのかとわからなくなっただけよ」
「は!?」
百年の恋が冷めるって、すごい。
あんな悪夢一つで、気持ちがすっかりなくなった。
私を愛してくれない上に、他の女性を腕に抱くような人を想い続けるなんて。
そんなバカげたこと、私には出来ない。
悪夢の話だけれど。
「元々親同士が決めて、私が解消をしぶってたのだから、好都合でしょ」
そう。私と彼は単なる親同士が決めた許嫁関係。
私は彼を好いていたから、婚約をしようとした。
恋人関係も無理矢理だ。私が迫っただけ。
互いに利益があるから、親同士がその気だった。
でも本人の意思は尊重すると言っていたから、関係を解消しても問題はないだろう。
「あ、ああ」
私の態度の豹変に戸惑いを隠さないけれど、やっぱり引き留めたりしない。
私は彼から離れるために歩み出した。
「さようなら」
さようなら、私が好きだった人。
さようなら、私の初恋。
さようなら。
何故だろう。
心から、安堵を感じた。
これで悪夢が現実になることはない。
私は真っ直ぐ我が家に帰った。
そしてある一室に、物音を立てないよう慎重に入る。
大きな長い机の上には液体の入った試験管が立てられていた。
錬金窯と呼ばれる鍋の中には、紫とピンクのマーブル色の液体がぐつぐつ煮込まれている。
私と同じくらいの歳の少年は、それをかき混ぜている。後ろから覗き込む私に気付きもしないほどの集中力。
いつものことだ。
「わっ」
そう真後ろで声をかけると、びくぅうううっと少年は震え上がった。
「エヴィリンお嬢様!? 脅かすのはやめてくださいって何度言えばっ!!」
少々癖のある黒髪が半分隠してしまうくらい真っ赤な顔を振り向かせて、胸を押さえる少年の名前はロイ・エンヴァー。
私の家で、錬金術師として雇われている。
頼りない感じではあるけれど、でも錬金術師として天才的。
「だって、面白いんだもの」
私はクスクスと笑う。
彼は肩を竦める。
「……お早いお帰りですね。デートに行かれたのでは?」
尋ねられても私はすぐに答えることなく、部屋にあったソファに横たわる。
「デートじゃないわ。別れ話をしてきただけ」
「えっ!?」
ロイが驚きのあまり固まってしまった。
「驚きすぎじゃない?」
「だ、だって! あんなに好きだって!」
「それがね、おかしな話なのだけれど、とてもリアルな悪夢を見てしまったのよ」
私ははぁーっと重たいため息をつき、初めて悪夢のことを口にする。
「悪夢、ですか?」
「ウィリアムズに好きな女性が出来て、私は嫉妬で嫌がらせして怪我まで負わせたから、公衆の面前のパーティーで婚約破棄して断罪されたの」
「……」
ロイは顔をしかめた。
何を考えているのだろうか。ちょっと予測は出来ない。
悪夢一つで別れたことが信じられないと思っているのかも。
「百年の恋も冷めるくらい、酷く鮮明だったの。嫉妬した怒りとか、怪我を負わせるために突き飛ばした感触だとか、婚約破棄を言い渡された瞬間の……」
引き裂かれるような胸の痛み。
「酷い男ですね」
言葉を止めたら、ロイが口にする。
「悪夢の中とは言え、お嬢様がいるのに他の女性を好きになるなんて……断罪までして」
「元々、彼は私を好いてないもの。それに当然の報いよ。本当に罪を冒していたし、悪夢の話だけれど」
「僕なら恋人を庇います! 僕ならお嬢様を……! えっと、その、悪夢の話ですね……熱くなってすみません」
必死なロイを、キョトンと見てしまった。
ロイは焦り出して、窯の中の液体を混ぜる作業に戻る。
「そう。全部悪夢よ。でも目が覚めたわ。これで想ってくれない相手を想い続けることをやめられた。なんだか心から安らげる気がする」
「……これからは、想ってくれて大切にしてくれる方を見付けてくださいね」
「そうね。ここで寝かせてもらうわね、悪夢のせいで寝た気がしないの」
「えっ。なんでここでっ? ご自分のベッドがあるのに」
「もう動きたくなーい。おやすみなさいー」
クッションを枕代わりにして、私は眠った。
ロイは諦めたような呆れたような息を吐く音が聞こえる。
私が雇い主の令嬢だから、こういうワガママを受け入れてくれる。
天才的な錬金術を行うロイは、その才能を買われて、お抱え錬金術師になった。
五年も前のことだ。それからずっと、こんなやり取りを繰り返している。
私は、ロイを信用している。錬金術師としても、友だちとしても。
だから、私は安心して眠りにつく。
けれども。
私は悪夢の続きを見てしまう。
断罪されたあと、肩を押されて、投獄された。
冷たい床に座って、何日も泣いている私の前に、現れたのは――――ロイだ。
「エヴィリンお嬢様!」
「ロイ……? どうやってここに」
息を乱したロイは、鉄格子の隙間から手を伸ばしてきた。
「これを!」
「時計?」
受け取ったのは、小さな懐中時計が二つ重ねたものだ。
ゴールド色で、針は止まっている。
ロイが渡したのだ。きっと錬金術の道具。
「時間を巻き戻す道具が出来たんです!」
「時間を巻き戻す? そんなこと……そんな魔法みたいなこと……」
「元から作ろうとしてたんです、やっと、やっと完成出来た! これで、やり直してください!! 上のスイッチを押せば、最初からやり直せる! 全部、なかったことにして、正しい選択が出来るんです!」
にわかに信じがたかった。
でも、ロイなら、ロイならきっとそんなこともやってのけるはずだ。
天才的な錬金術師だから。
それに嘘なんて、つかない。
不眠不休でこれを完成させてくれたのだろう。ロイは酷い顔をしている。
目元はクマがあり、やつれていた。髪だって、いつもよりボサボサ。
差し出した時に、触れた手だって、乾燥しカサカサしていた。
「ありがとう。でも、どうして? ロイ。私のために……どうしてここまで? 私は……私は罪を冒したのに。彼女に嫌がらせして、怪我だって負わせた。私は悪い人間なのに、どうして?」
どうして、手を差し伸べてくれるのだろうか。
理由がわからなかった。
こんなにも無理をしてまで来たなんて、理解が出来ない。
私は罪人。それは紛れもない事実なのに。
「泣かないでください、エヴィリンお嬢様。誰だって間違った選択をします」
また涙を流している私に、ロイは笑いかけてきた。
あまりにも優しい言葉に、私は涙を溢れさせる。
「エヴィリンお嬢様がどんな敵を作ったとしても……僕は味方になります。いつだって、どんな時だって、僕はあなたの味方です」
私の、味方。
そう言ったロイはまた鉄格子の隙間に手を入れては、懐中時計のスイッチを押した。
カッチーン!
周囲に音が響く。そして、円形の模様の光が、私を囲った。
下も上も、左右も、円形の模様のゴールド色の光が現れる。
よく見れば、時計だ。
チクタク、チクタク。
逆に針を動かしながら、音を鳴り響かせる。
チクタク。
「エヴィリンお嬢様。ずっと……お慕いしておりました」
鉄格子の向こうのロイは少し泣いた。でも笑っていた。
「心から愛してます」
「ロイ……!」
「どうか、今度は幸せになる選択をしてください」
チクタク。チクタク。チクタク!
時計の針の音が煩いくらい高鳴り、そして速まっていく。
そして、私に迫ってきた。
黄金色の時計が私を包み込み、そして光が――――。
――――カチン!
私は、飛び起きた。
「えっ? エヴィリンお嬢様? どうしたんですか? また悪夢を見たのですか?」
息を乱した私を、ロイは覗き込む。
心配してくれている表情を見て、私は首を振る。
「悪夢じゃなかった……現実だった」
「エヴィリンお嬢様?」
「全部、現実だった」
ロイを見つめて、私は涙を溢す。
「お嬢様っ」
慌てた様子でロイが、ポケットからハンカチを取り出す。その際に、ゴールドの懐中時計が落ちた。
見覚えがある。牢屋で渡されたものと酷似していた。きっと、これを使って、作ったのだ。
時間を巻き戻す錬金術の道具。
「ロイが私を助けてくれた」
私はハンカチを受け取り、涙を拭いながら言う。
「時間を巻き戻す道具を作れるの?」
「えっ、どうしてそれを……ずっと研究してますけど、まだ完成してなくて……」
「あなたは作った。それを私にくれて、私はやり直した」
ロイが驚愕で目を見開く。
「ねぇ、ロイ。いつから私を想ってくれていたの?」
「っ……!?」
耳まで真っ赤になったロイ。
いつも驚かせた時に真っ赤になるのは、私が好きだったから?
私はすすり泣きつつも、ロイの手を握り締めた。
「ありがとう、ロイ。私は幸せになる選択をするわ」
私を想って大切にしてくれる人を選ぼう。
どんな敵を作っても、私の味方をしてくれる人を選ぶ。
「私を幸せにしてくれる?」
真っ赤になったロイは、口をぱくぱくさせて、混乱していたけれど、やがて息を呑んだ。
「……はい」
そう精一杯そうに頷いてくれた。
ちょっぴり頼りない感じがしてしまうけれど、私を助けてくれたヒーロー。
私を想い、大切にしてくれて、どんな時でも味方になってくれる。
そんなロイに、私は愛を返したい。
ちゅっと、頬にキスをしたら、ロイはひっくり返ってしまった。
やっぱり、ちょっぴり頼りないかもしれない。
私は笑ってしまった。
end
いい夫婦に、なるはず。
20211122