懐かしさと戸惑い
『設営終わったから先に帰ってるね!』
理央からのメッセージだ。
海の家の設営準備と浜辺の掃除のボランティアが終わった時であった。
俺たちは手分けして作業していた。俺と渚が海に取り残されてしまった。
……理央が気を利かせて俺と渚を二人っきりにしてくれている。
理屈は非常にわかる。でもなんだ? すごく寂しい気持ちなんだ。
理央との距離感が少しずつ変わっていくのを感じる。
俺は頭を振って気持ちを切り替えた。理央は良かれと思って俺と渚を二人っきりにしているんだ。
胸の奥のもやもやを押し込めて、俺は渚に言った。
「二人は終わったから帰ったってさ。伊集院は渚と一緒にいなくても大丈夫なのかよ?」
「……うん、どうせ家に帰ったら会えるからいいよ。理央ちゃんは明日も会えるし」
「そっか、とりあえずゴミ捨てて帰っか?」
「うん、ゆーさく、ちょっと待って。少し疲れちゃったから休みたい」
俺たちは理央と伊集院が設営した誰もいない海の家で休むことにした。
毎年海の家のバイトは稼ぎが良い。今回はボランティアで設営をしたけど、理央と良くバイトしたな……。
俺はカバンの中からペットボトルのお茶を取り出した。
それを渚に手渡す。
「渚、喉乾いただろ? 口付けてねえから飲んでくれよ」
「……うん、お茶好き」
渚はいつもよりも言葉数が少なかった。
お人形さんのような無表情だけど、海から見える夕日を見ている姿は子供の頃の渚と重なった――
子供の頃、夕暮れ時になると俺達はどちらからともなく別れる準備をする。
別れを惜しみながら家路につく。
最後は必ず――「また明日も会おうね!」と言って別れた。
いまの自分の気持ちがわからない。子供の頃の渚は大好きな存在であった。
渚だけがいればいい。そう思っていた。渚と別れた時は、自分の半身がいなくなったような痛みを感じた。
渚はごくごくとお茶を飲む。ぼそりと呟いた。
「……夕焼け綺麗だね、葵ちゃん。……あっ、ご、ごめん。い、今はゆーさくだもんね」
渚はひどく慌てた顔をしていた。そこには罪悪感と悲しみの感情があった。
俺は軽く首を振った。
「別に構わねえよ。俺は葵であり優作だ。間違っていない。……なあ、渚にとって葵ってどんなヤツだったんだ?」
「え、う、うんとね。葵ちゃんは――」
そこから渚の話が止まらなかった。
葵とどれだけ仲が良かったのか――
葵がどれだけ優しかったのか――
葵が自分にとってどれだけ大切な存在だったのか――
包み隠さず俺に教えてくれた。
俺は言葉を聞く度に心が痛くなる。だって、葵という存在は俺の過去の事だ。
渚は葵に逢うためにロンドンからわざわざ鎌倉に来たんだ。
「……でね、いじわるな上級生を追い返した葵は」
「泣き出しちゃったんだよな」
「うん、そう! 本当は怖かったのに、私を守るために勇気を出してくれたんだ!」
「葵ってすげえな」
「えへへ、私のとっておきの親友だったもん。……あっ……、ゆ、ゆーさくが葵だって分かってるけど……」
「気にするな。続けてくれよ。俺も昔の話を思い出したい」
「……うん……」
渚はしばらく葵の話をすると、無口になってしまった。
「どうした? もっと聞かせてくれよ」
「ううん、私はゆーさくの話を聞きたい。……私と別れてからのゆーさくの話。理央ちゃんと出会った時とか」
「そっか、なら話してやっか……。俺はあの後――」
なるべく胸糞悪い話を排除して俺と理央との出会いを語った。
渚は目を輝かせて俺の話を聞いてくれる。ゆーさくである葵の物語の続きだからだ。
渚は目を輝かせていた。
すごく端折って理央との出会いを語り終えると、渚は満足気に拍手をしてくれた。
「おーー、すごい出会いだよ。理央ちゃん……ゆーさくと出会えて良かったよ。……とても良い子だよね」
俺は即答した。
「ああ、俺の自慢の親友だ」
何故か渚は物悲しい笑顔を見せてくれた。
「うん、知ってるよ。……ゆーさく、そろそろ行こ! ふふ、なんだか懐かしい話ができて良かったよ!」
俺と渚は立ち上がった。
「あっ――」
いきなり立ったからか、渚はふらついて倒れそうになってしまった。
俺はとっさに渚の身体を支える。
柔らかい感触が手に伝わる。
こんな時でも、俺は理央の事を考えてしまった。理央だったら――『にしし、ゆーさく、ありがと!』と言ってくれるだろう。
渚は顔を赤らめたまま、俺の手の中で固まっていた。何も言わずに俺から離れていった。
俺たちは何事もなかったかのように、服に付いた砂を払い海の家から離れようとする。
浜辺を二人で無言で歩く。
お互い何を考えているかわからない。こんなに不安を感じる事はいままでなかった。
俺はまずい事をしたのだろうか? 普通の女の子との接し方がわからない。
伊集院は女性だけど、男友達みたいなものだ。
理央は――
浜辺から海岸線の道路に出た時に、渚は立ち止まった。
俺が数歩先で止まる。
うつむいたままの渚は微動だにしない。今まで感じたことのない空気だ。
渚は顔をあげて俺と真正面から見つめた。
その顔には生気が宿っていた――
何が引き金だったんだ? 一体……。
渚は小さく呟く。力強く俺を見ている瞳から涙が流れていた。
「……やっぱり、葵ちゃんと一緒の、匂い……、同じ感覚……、え、なんで、泣いてるの? あ、そっか、私、葵ちゃんが―――、ゆーさくが――」
渚は涙を雑に拭いて俺に言った―――
「ねえ、ゆーさく、今でも私の事が好きな、の?」
俺はその言葉を聞いて頭に思い浮かんだのが――理央の顔であった――




