わからない距離感
「くそっ!! どこ行きやがった!!」
「ゆーさくっ、あっちの塀にいるよ!」
「はわわ、はあ、はあ、た、体力が……」
「あら、猫ちゃんってすばしっこいのね」
俺たちのボランティア部の依頼が始まった。
海の清掃や神社の清掃は比較的簡単なものだ。
まさかボランティアで逃げ出した猫の捜索をするとは思わなかった。
神社の神主さんの飼い猫が脱走したのである。
困っている神主さんを放って置けなかったので、俺達は猫の捜索を手伝う事にしたんだ。
だが、このにゃんこは……。
「くそ、あの猫、俺たちを馬鹿にしてやがる!!」
「駄目だよ、ゆーさく! 追いかけたら逃げるから餌で――」
「はぁはぁ、わ、私は、ここで、逃げ道を塞ぐ……」
「猫ちゃんって速いのね。あっ、こっちに――」
堀に追い込まれたにゃんこがこっちに向かって飛びかかってきた。流石この街のにゃんこだ。元気すぎる……。
「うわぁ!? く、暗いよ、重いよ!! た、助けて……」
伊集院の顔に飛び乗ったにゃんこを俺は優しく引き剥がす。
猫用おやつを持っている渚ににゃんこを手渡す。にゃんこは渚の腕の中で大人しくおやつを食べ始めた。
「にゃんこ……、可愛い。なでなで……。ふふっ」
昔の事を思い出してしまった。公園に迷い込んだにゃんこと戯れる幼い渚と俺。
あの時と同じ表情であった。
俺の胸がほんの少しの痛みと懐かしさに包まれる。あの時の感情を思い出してしまったようだ。
俺は感情を表に出さずに伊集院に手を差し伸べる。
「お手柄だな、伊集院!」
伊集院は俺の手を見つめながら、恐る恐る俺の手を取った。
少し顔が赤い。走りすぎて熱が出たのか?
「……あ、ありがとう……」
「顔赤いけど、大丈夫か? なんなら病院行くか?」
「い、いや大丈夫だ! ……そ、その、ちょっと距離が近すぎて……」
「ああ、わりい、つい癖でな」
理央も渚の隣でにゃんこの頭を撫でていた。
二人はまるで仲の良い姉妹のようであった。
「よし、依頼達成だ。神主さんのところに行こうぜ」
こうして俺達はは徐々に依頼をこなしていくのであった。
************
夏祭りの準備が一番大変な依頼だ。
漁港街だから年を取ってもヤンキーみたいなおっさん、おばさんが多いからである。
口は悪いが身内には甘い。そんな中に入るには、俺と理央がいなければ駄目であった。
「おう、理央ちゃん、飴ちゃんいるか?」
「がははっ、優作見ろよ、俺の上腕二頭筋を! お前も筋肉付けて神輿担げよ」
「三丁目の奴らには負けねえぞ!!」
「出店の手配は――」
「ったく、てめえらやかましいぞ! お嬢ちゃんたちが怖がってるじゃないの! バカチンが!」
伊集院と渚は場の空気に圧倒されていた。
良い年のおっさんとおばさんが、集会所で学生みたいにわちゃわちゃと騒いでいる。
というよりも祭りは子供の頃の延長なんだ。この時だけは子供心を取り戻せる。
江ノ電が走っている道路の脇にある集会所には小さな子供たちもいた。
近くの家から太鼓の音が聞こえてくる。
不思議な雰囲気だ。街中が祭りの準備で浮かれているようであった。
「ゆ、優作、この依頼は何をすればいいの? わ、私、ちょっと怖い」
珍しく渚が俺の後ろに隠れて様子を伺っていた。
伊集院も青い顔をして突っ立っている。
子供の頃の渚と一緒だ。……ざわめきそうな心を落ち着かせて、俺は指差した。
「渚と伊集院は子供たちと遊んでくれ。その間、俺と理央が祭りまでの準備期間にすることを取りまとめておくぜ」
「う、うん……、で、でも、あの子たち、乱暴そうで……」
確かにそうだ。やんちゃな子どもたちばかりである。……ヤンキーが多い地区なのになんで偏差値が高い学校が多いんだろう? わからん。
「しゃーねえ、理央、俺がおっさんと話すから、渚を――」
「ゆーさく。違うよ。私がおじさんと話すから、渚ちゃんと見ててね」
俺が少し苦い顔をすると、理央は「にしし」と言いながら俺の背中を押した。
仕方ない。俺がガキどもの面倒を見よう。
「渚、伊集院、こっちに来てくれ。これもボランティアの一貫だ」
子供たちは俺たちを見ると、目を輝かせた。
「お、優作じゃん!」
「俺とドラクエごっこしようぜ! 俺勇者じゃん!」
「そっちのひょろい兄ちゃんは僧侶役じゃん!」
「ええ、俺が勇者じゃん!」
「はっ、あんたたち私の下僕じゃん!」
伊集院は子供の勢いに圧倒されていたが、渚は――
「あっ、葵と一緒にやったことが……、わ、私、お姫様役がいい!」
「お姉ちゃん可愛いからそれでいいじゃん!」
「そうだそうだ!」
「優作は魔王役じゃん!」
「てめえら、じゃんじゃんうるせえよ!? その汚え言葉遣い直しやがれってんだよ! くそっ、俺は魔王だから超強いんだぞ!! 貴様らには地獄に落ちてもらうぞ!!」
伊集院が真顔で呟いていた。
「ゆ、優作君、ノリノリじゃないか……。くっ、僕はどうしたら……。これは試練か?」
「ひょろい兄ちゃんは俺の後に続け! ほら、優作は超強いから危険じゃん!」
そういいながら、子供たちが襲いかかってきた――
************
私、里見明美ようやく仕事を終えて集会所に向かう事ができた。
家に帰らず真っ直ぐ集会所を目指す。
祭りは私達の地元の一大イベントだ。祭りは準備段階から街が特別な雰囲気になる。乗り遅れてたまるものか。
歩きながら自分のクラスの生徒の事を考える。
優作と理央。
うちのクラスの問題児であり、私の可愛い教え子。
正直、あの学校は堅苦しい所がある。
それでも我が母校だ。必死に勉強して入学して、思い出を作って、優男だと思っていたボランティア部の部長にボコボコにされて……、恋をして――。
すごく楽しかった。思い出が今も生きている。
私は、生徒たちにも同じ経験をしてもらいたい。
だけど、このご時世、生徒をお客様のように扱う事しかできない。
私と生徒との間にある壁。見えないけど、それはとても分厚い。
……優作と理央は根は良い子だ。言い方が悪いが、あれは運が悪い。
家族がもっとまともだったら。誤解を解こうと努力していれば。周りの悪意に目を背ければ。自分を傷つけて全て解決しようとしなければ――
二人には学校生活を満喫してほしい。
転校生である伊集院と片桐と仲良くなったの意外だったが、良い機会だと思った。
これを機に、輪を広げてくれたら――
「明美ちゃん、遅かったわね〜。あんたのところの生徒が来てるわよ」
「すまねえ、学校って意外とブラックな職場でな。……おっ、ちゃんと遊んでるな」
「がははっ、ガキは遊んでればいいんだよ!! 高校生なんてやんちゃしてなんぼだ!」
「そうだ、俺が高校の頃は殴り込みがあって――」
「てめえの武勇伝は聞き飽きたんだよ! だから明美ちゃんに振られちまうんだよ!」
「まあまあ、明美ちゃんは俺たちの代のアイドルだったからな……」
「は、恥ずかしいからやめろっ!」
やっぱり、堅苦しい学校よりもここが一番落ち付く。
私は酒を飲みながら子供たちと遊んでいる優作たちを見つめる。
――今度は私が道を示さないと。
そう心に改めて誓った。