承
扉を出た先は、わずかな月明かりが頼りの薄暗い場所だった。
「く、暗い……」
「でもなんとなく道が分かるでしょう? あなたは勇者だから【千里眼】が発動しているはずよ」
「おお。本当だ」
暗いのは間違いない。それでも、どの道に行けばどこに辿り着けるかが直感で分かるようだった。
「……というか女神さま、なんでついてきてるの?」
「心配だもの。きっと私の助けが必要になるわ」
「じゃあ女神さまが戦えばいいのでは……」
「むりむり。私は霊体みたいなものだからアドバイスくらいしかできないわ。それよりも、あなたが戦わないと意味がないでしょ」
「はあ、そうなんですか」
どうあっても僕が戦わないといけないらしい。
まあせっかく強くなったんだから、頑張ってみるつもりだけど。
「この町は魔物に支配されてしまっているの。外れに小さな農家があったはずだから、手始めにそこの魔物を退治しましょう」
「おーけー。近道していこう」
それから少し歩くと、すぐに畑が見えてきた。
畑のやや上の方では青白い光が煌々と輝いている。
「なにあれ……?」
「ウィスプね。夜になると、ああやって虫を集めて食べているのよ。人間には無害だから気にしなくていいわ」
「そっか。じゃあ早速あの家に入ろう」
見たところ家の中に光はない。
魔物は完全に寝入っているものと考えていいだろう。
仕掛けるなら今がチャンスだ。
「あ、待って。エンチャントしていきましょう」
「エンチャント? 強化魔法ってこと?」
「そんな感じね。聖水を使うから、どちらかといえば祝福だけれど」
「どうすればエンチャントできるの?」
女神が道外れを指差す。
そこは直径1メートルほどの広さの穴が空いていて、覗き込むと虹色に輝くものが溜まっていた。
「この聖水に槍を突き入れて。放り込んじゃダメよ」
「よしきたっ」
女神に言われるまま、槍をその虹色溜まりに差し込む。
どぷり、とにぶい音をたてて槍先が沈んだ。
槍越しに伝わる独特な感触は液体というよりも、可塑性に富んだ個体というような印象を受ける。
「気になってもあまり触れない方がいいわよ」
「なんで?」
「聖属性が強過ぎて危険だから」
「はあ」
勇者の僕でも危ないらしい。
それほどすごい効果という事なのだろう。
「よっ……と」
ぐいっと槍を引き抜く。思っていたよりも、引き抜く時に力を込める必要があった。
「おめでとう! これで聖属性付与が完了したわ」
槍先はウィスプ光に照らされて七色に輝いている。
「これで突かれたらどうなっちゃうんだ……?」
「傷口から侵入した聖素が体の内から浄化していくわ」
「浄化ってことは魔物が良いやつになったりするの?」
「いいえ、死ぬわよ。具体的には、浄化が始まると筋肉が痙攣を起こして口が開かなくなったり、唾を飲み込めなくなったり、笑いたくないのに笑ったりするわ。たいていの場合、最後は全身が強く痙攣して海老反りに力んで背骨を折って死ぬわね」
「ひっ」
「だから中途半端な情けをかけると相手を苦しませるだけね。獅子吼を使って確実に仕留めればいいの」
まあ、魔物相手に慈悲なんてかける必要もないけど、と女神は付け加えた。
「奴らが人間に対して何をしてきたか。今のあなたなら分かるでしょう?」
一瞬、また砂嵐のようなノイズが視覚と聴覚を遮断する。
誰かの、記憶の断片を垣間見た。
魔物に虐げられる、最愛の――
――。
魔物は人類の敵だ。絶対に排除しなければならない。
「もう準備はいいよね」
「ええ。いい顔になったわ、勇者タカヒロ」
農家の入り口をゆっくりと開く。鍵はかかっていない。
奴らは皆、扉に鍵をかける事をしない。この町を出歩けるのは仲間だけだと思っているのだろう。
どこまでも人間を舐めている。
「目を慣らそう」
室内は暗く、窓口にもカーテンが引かれてウィスプ光は届かない。
僕は目が慣れるまで、しばらく戸口に佇んでいた。
五感が研ぎ澄まされる。
室内のシルエットが見え始め、かすかな寝息も聞き取れるようになっていった。
「ここにいるのは二匹だけみたいね」
僕は声を出さずに頷いた。この家にいるターゲットは二つ。どちらも熟睡中だ。
寝室の扉を開けると、二つのベッドが並んでいた。掛け布団が膨らみが、奴らがそこにいる事を示している。
「チャンスね」
ベッドの隣に立つ。
どんな顔で寝ているのかはよく見えない。
ただ、醜悪である事は間違いないだろう。
断罪されるべき、人類の敵。その首元へ狙いをつける。
聖槍を逆手に持ち、大きく振り上げる。
情け容赦は必要ない。文字通り、怒りの矛先を全力をもって一点に集中させるだけだ――――獅子吼発動。
ずっ、と柔らかいものを突き刺した感触が武器越しに伝わってくる。
おびただしい量の黒い血しぶきが噴水のように吹き出した。
すでに喉元を大きく切り裂かれた魔物は悲鳴をあげられずにいた。
代わりに、ぶうぶうと汚い音と血を、裂かれた喉から吐き出し続けている。
もう、こいつが事切れるのは時間の問題になった。
「まだ死んでないわよ」
「分かってる。だけど効率よくやらないと」
もう一方のベッドから魔物が転げ落ちるのを横目で捉えていた。
隠れて隙を見て逃げ出す算段かもしれない。
「逃すか!」
僕はすぐに回り込むと床に突っ伏したまま震えている二匹目を見つけた。
逃げ出したというより、単純に現在起こっている事のショックで動けなくなっているようだった。
先ほどの個体と比べると、体の線が少し細い。
「雌ね。叫ばれると面倒よ」
僕は魔物の背中へ、体重をしっかり乗せるように足を押し付けた。
「こうすればいい」
腹部と胸部を強く圧迫されれば大きな声は出せなくなる。
僕はそのまま、床に固定された魔物の首へ聖槍を突き刺した。
何度も、何度も。同じところを正確に。
足を通して伝わってきた生命の鼓動は徐々に弱くなっていき、首と胴体が分かれる頃にはすっかり動かなくなっていた。
隣の魔物も既に息絶えている。
呼吸を整えて寝室から出ると、女神がどこから持ってきたのかクラッカーをぱんと鳴らした。
「おめでとう! 最初の敵をやっつけたわね。勇者タカヒロ」
「こんなに簡単だったのか」
「言ったでしょう? あなたは最強。なんだって出来るわ」
「でも、まだ終わりじゃない」
僕は緩みかけていた口元をもう一度引き締めた。
「そうね。この町にはまだ魔物が残っているわ。だけどもう夜明けが近いの。わかる?」
「うん。奴らが動き始める。気付かれたら、お得意の群れて押し潰す方法を取ってくるから、そうなると危険だ」
「それなら今は体制を整えるべきよ。また夜に各個撃破していけば難易度はぐんと下がる。魔物達が個々では非力なのは良く分かったでしょう?」
「女神さまがそう言うのなら」
奴らの行動原理は群れることだ。
仲間とみなした相手と助け合い、そうでない相手をいたぶり、滅ぼす。自分が孤立すれば、その矛先が自分に向くことを再確認しながら。
つまるところ、恐怖に突き動かされているのだ。
それ故に罪の意識すらない。助け合っているという一点だけを誇示して美徳とさえしている。
だからこそ奴らは魔物なのだ。
間違った社会を築きあげた魔物どもを粛清してやらなければならない。
それを成せるのはたった一人。他の誰でもない。
僕だ。勇者タカヒロだ。