1992年11月21日(トハ峠にて)
フェーリア達と宿を出発してから5日以上がたった。俺たちは今、フェーリア達の住む場所とアルタラン王国の間にある大山脈、シルトゥ山脈の峠の間近まで来ていた。フェーリアの話では、ここは山脈の中で一番落ち込んだ場所らしいが、それでも標高は2500メートルを超え、辺りには腰ほどの高さの低木が生えているだけになっている。その上には雪が積り、木は殆ど隠されている。
「なあ、フェーリア、まだ峠には着かないのか?」
空気が薄く、少し喋るだけでも息が上がってしまう。
「あと二時間も歩けば着くじゃろう。それにお主、私達はあと2つ峠を越えるんじゃぞ。このくらいでへばってどうする。」
「そんなこと言ったって、空気が薄くて力が出ないんですよ。」
既に歩く事も大変になってきていた。フェーリアの魔法のおかげで歩けてはいるが、それも限界だった。それに、寒さを防ぐ魔法も掛けて貰ってはいるが、温度が適正な訳ではないため、昼過ぎの太陽の光と、雪からの照り返しで周りの温度が高くなり、それもまた体力を奪っていた。
「しょうがないの。そろそろいい時間でもあるし、ここで休憩をするとしよう。カイン、昨日狩った魔獣の肉はまだ残っているかの?」
「はい。あと2回分の量があるので、峠を降りるまでは持ちそうです。」
そう言いながら、カインは背中に背負った袋から肉を取り出し、切り分けて配る。この世界の生き物は、体内の魔素を消費して魔法を使う。そして、消費した分は食事や休息で回復させるらしい。魔王であるフェーリアもそれは例外ではなく、長時間魔法を使っていれば、少なくない魔素を消費する。今までの様子からいって、そろそろ魔素が足りなくなってくるころらしい。
「う〜ん……やっぱり肉は固いし血なまぐさい……。」
肉は凍らせてあるので当たる事はないとフェーリアは言っていたが、現代日本で食べてきた美味しい肉とは程遠い味と食感には直ぐには慣れそうにない。
「我慢するんじゃ。食事が出来るだけマシだと思った方が良いぞ。私なんか冬には一週間も……」
いつものように、フェーリアのお説教が始まる。これが始まると、休憩が終わって歩き出してからも続く事があるが、俺はこの空間、というよりも空気感が好きになっていた。
周りにあるのは日本では考えられないような美しい景色。見たこともない動植物。そして、フェーリアやカイン、それに魔術師の人達もいる。危険な事は色々あるが、この数日間で少しづつ要領が掴めてきていた。
だからこそ、油断していたのかもしれない。ここは平和な日本とは違う、危険に満ち溢れている異世界だということに。
ふと、食事をしていたカインが食べるのをやめる。
「おかしいですね。フェーリア様、どうも先程から通信が不安定です。リリア達と連絡が取れません。」
「なに?短距離探知にはなにも影響はないぞ?」
フェーリアの雰囲気が変わる。こうなると、俺はもう蚊帳の外だ。流石は魔王様と言ったところだが、どうも今回はもっと緊迫した状況に思える。その圧に、自然と額から汗が流れてきた。
「どうも、段々と繋がりが悪くなっている様です。フェーリア様、アルタラン王国軍が近くまで来ている可能性もあります。」
「ふむ、ここは人間からしたら未開の地だが、一応山脈の稜線までは王国領内だからな。しかし、この時期に大軍を送り込むことは難しいはず……。となると、精鋭部隊の可能性もある。探知魔法を発動して…………避けろ‼」
フェーリアが突然叫び、俺を抱えて後ろに大きく飛ぶ。それと同時に、さっきまで俺たちがいた場所は、激しい炎と爆炎に包まれる。紅い炎が四方八方に広がり、焼けるような熱さが肌を焦がす。
「くっ、油断していたか。それにしても、この爆発と魔力反応、只者ではないな。オウカ、私の後ろにいろ。他にも敵が居るかもしれん、余り遠くには行くなよ。」
そう言って、フェーリアは俺を降ろす。恐怖で体が思うように動かない。しかし、死の恐怖から逃れようとする本能が働いたのか、なんとか力を振り絞り離れる事ができた。
煙が晴れ、そこにあったのはぐちゃぐちゃに焼け焦げた死体と、その上に立つ少女だった。手に持った白い大きな杖のおかげで、少女はより小さく見える。
肉が焼ける強烈な臭いと、グロテスクな死体を見て、吐き気が込み上げてくる。何人かが巻き込まれたのだろう。先程まで隣に居て、生きていた人が、たった数秒で無残な姿になる事に、俺は耐えきる事が出来なかった。
「あ〜、外しちゃったか〜。結構自身あったんだけどなぁ〜。」
その少女が発したのは、足元の状況に似合わない陽気な声。服の上に最低限の部分を守る鎧を纏っただけの彼女は、溶けた雪と焼け焦げた肉片を踏みながら、ゆっくりとこちらに向かってくる。
「お主、アルタランの者じゃな。」
フェーリアが声に殺気を含ませ、少女を睨みつける。
「そう、私はアルタラン王国軍第一勇者支援隊隊長のアディー・コルテア!ところで、君たちは魔王で合っているのかな?」
相変わらずの陽気な声で少女、アディー・コルテアは話しかけてくる。その状況に見合わない声色が逆に恐怖心を煽り、俺は今すぐにでも気絶しそうだ。
「お主、なかなか感が鋭いの。自分で言うのもなんじゃが、お主達の考える魔王と私とはだいぶ違うと思うがの。まぁ、あのお膳立て軍隊の長なら当然か。」
フェーリアが軽く彼女を煽る。そしてその後、背中の中央当たりで、微かに青い光が放たれる。注意しなければ分からない様な僅かな光だが、偶然にも後に居た俺には見ることができた。
「じゃが、お主は私達を殺そうとし、現に部下が殺されておる。つまり、それ相応の覚悟が出来ていると見ていいんじゃな。」
そう言うと、フェーリアの背中の光が激しく発光を始め、轟音とともにアディーに向かって突っ込んでいく。そして、カキンという鈍い金属音。フェーリアが手に持った短剣と、アディーの持つ杖がぶつかり合った音だった。
「ふふ、無詠唱の身体強化魔法なんて珍しいね!私も全然気づかなかったよ!」
激しく鳴り響く金属音の中、アディーはそれでも陽気に話す。フェーリアはアディーの杖を思いっ切り蹴り、その反動で彼女から離れる。
そして、再びアディーに突っ込んでいく。フェーリアが自身の周りの地面に魔法陣を出現させると、そこに向かって猛スピードで短剣が引き付けられた。そのスピードを維持したまま、フェーリアはアディーに短剣を突き刺そうとする。しかし、またしてもアディーは杖で攻撃を防ぐ。フェーリアはいろいろな場所から魔法陣を出現させ、まるで空を飛んでいるかのようにアディーの周囲を回り続けている。
「あはは、面白い攻撃をするね!身体強化魔法でもないみたいだし。でも、それじゃ私を倒せないよ!『大地よ、我に力を貸したまえ。』ストーンウォール!」
アディーフェーリアの攻撃を防ぎながら何かの呪文を唱えると、杖が光だし、フェーリアの進行方向に岩の壁が一瞬で作られた。
「あ!お主、軌道を読んでいたか!」
フェーリアは岩の壁に魔法陣を出現させ、なんとか勢いを殺そうとする。しかし、とっさに速度を殺すことが出来ず、フェーリアは殆ど同じ速度のまま、岩の壁に激突する。ドォォンという、鈍く重い音。破壊された岩壁が崩れて土煙を巻き起こし、フェーリアとアディーを包み込む。
土煙の中で、金属同士がぶつかる鈍い音がした。何度か音が響き、そして、止まった。
「あはは、貴女の動きを読めていないとでも思った?この程度で魔王を名乗るなんて、魔族の質も落ちちゃったのかな?」
土煙が晴れ、二人が姿を表す。それまでと変わらず、平然と立つアディー。そして、彼女に踏みつけられたフェーリア。フェーリアの体から血が流れ、ぐったりと横たわっている。
「フェーリア!」
その姿に、俺は思わず声を張り上げる。たが、彼女に踏まれたフェーリアは、僅かにうめき声を上げることしか出来ていない。
「あれ、君は誰かな?」
声に気づいたフェーリアが、こちらに笑顔を向ける。しかし、その瞳の奥には冷たい冷気が宿っていた。
「まあ、どうでもいいか。君は邪魔だから、すこし黙っていてね。」
彼女はそう言うと、手に持っていた杖を俺の方に向ける。
『大地よ、我に力を貸したまえ。ストーンウォール』
俺の左右のの地面が隆起し、俺の体を挟み込む。
「グフッ。お、お前、フェーリアを離せ!」
俺は必死に声を荒げる。目の前で人が死ぬという事実。それを止めたい。それしか考えることが出来ず、恐怖心を感じる程の余裕は残っていなかった。
「よし、これで邪魔な奴もいなくなったし、貴女には死んで貰うね!勇者様の倒す敵はいなくなるけど、魔族はまだたくさんいるでしょ?」
アディーが杖を傾け、足元のフェーリアに先端を向ける。
「それじゃあ、さようなら。」
アディーの杖が発光し、そして……。彼女の背後で大きな爆発が起こる。
「な、何が起こったの!」
かろうじて爆発をのがれたアディーが、驚きをもって叫ぶ。そこには先程での余裕はなく、断続的に起こる爆発を必死に避けるだけになっていた。
「はぁ、はぁ。お主、カイン達の事を忘れておったじゃろ。まだまだ未熟よの。私の魔力の大半はカイン達に流しておった。そして、お主はそれに気づかなかった。お主達も知っているじゃろ、魔王の持つ膨大な魔力を。それが全て使われたら、お主なら想像できるじゃろ。」
フェーリアは、血が流れ出る右腕を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。こちらからは背中しか見えないが、ちらりと見えたその目には、強い力が宿っていた。
「ま、まさか。しゃあ、この爆発は!」
アディーは驚き声を荒げる。そうしている間にも、爆発は続いている。既にその膨大な熱によってあたりの雪は溶け、その雪解け水も蒸発してた。それだけの爆発を何度も起こせるのは、素人の俺からしても、大きな力が、それこそ魔王と呼ばれる人物程の力が無いと出来ないと分かる。
「全て私の魔力じゃよ。魔法の起動はカイン達に任せているがな。」
「お、お前ェェェェェエエエエ!」
アディーがフェーリアに向かって走りながら杖を構える。
『ストーンアロー!』
アディーの周りに何本もの岩の矢が出現し、フェーリアに向かって飛んでいく。
「無駄じゃよ。この爆発を潜り抜ける事はできん!」
フェーリアが右手を前にかざす。すると、数十本あった岩の矢が全て爆発し、バラバラになる。
「な!そこまで正確に出来るのか!グアッ」
アディーの背後で爆発が起き、彼女を吹き飛ばす。
「クッ、もう無理か……。いいか、魔王!お前たちは、必ず勇者様によって殺されるだろう。その時、魔族は人間に負けることにる!必ず魔族を殲滅するからな!」
爆発で吹き飛ばされ、なんとか姿勢を立て直したアディーが叫ぶ。
『スキル、空中飛行発動!』
アディーが叫ぶと、彼女の体が浮き、そして次の瞬間には猛スピードで空を飛び、はるか遠くまで行ってしまった。
「オウカ!大丈夫か!」
フェーリアはアディーが去ると、直ぐに俺の元にやってきた。フェーリアは俺を挟んでいる岩の固まりを掴み、最初に見た魔法陣を展開する。すると、岩の固まりはいとも簡単に破壊されてしまった。
「あ、ありがとう。フェーリアも大丈夫なのか?すごい血が出てる。直ぐに治療しなきゃ!」
俺は焦る。まだ、彼女の腕からは血が溢れていた。
「大丈夫じゃ。この程度の傷、直ぐに治る。安心せい。本当のことじゃ。」
フェーリアは微かに笑う。よく見ると、小さな傷がもう無くなっている。どうやら本当のようだ。
「良かった。ところでフェーリア。さっきのアディーとかって奴。魔族を殲滅するって言ってたよな。」
このアディーの言葉。聞いたときからずっと引っかかっていた。
「ああ、奴らは魔族を憎んでおる。ニリア教とか言う宗教に騙されてな。勝手に私達の土地を人間の物だと言っているのじゃ。恐らく、奴らは私達魔族を一人残らず殺すつもりじゃろうな。」
魔族を一人残らず殺す。その言葉に、俺は思わず後ずさる。そんな、そんな事があっていい訳がない。なにか、俺に出来る事は無いのか。そんな考えが生まれては消えていく。
「なぁ、フェーリア。奴らは、人間は軍隊とかで魔族を殺しに来るのか?」
「ん?そうじゃな。勇者も使って来るだろうが、基本は大群でやってくる。一人では弱いが、集団になると奴らは強い。魔族と言えども、少数では太刀打ち出来ない。私達は少人数の村で生活しているからな。」
そうか、ならいい案が思いついた。現代日本で平和に生きていた俺が出来るかは分からないが、何かの役には立つはずだ。突拍子もない案だし、魔族の事なんて俺には関係ないかもしれない。でも、さっきの戦いを見て分かった。遠い国の話ではなく、今俺のいるこの場所で、一人残らず殺されるような、地獄が生まれるのだ。そんな事にはさせたくない。自分が死にたくないだけかもしれない。でも、それをやるのが俺の使命だと感じていた。
「国を創るんだ。」
ポツリ、と呟く。
「なに?」
フェーリアが聞き返す。
「国を創るんだよ。人間のじゃない、魔族の国を。一つずつ村が壊されるなら、沢山の人を集めて、村を守ればいい。ちゃんとした国を創って、他の国から責められないくらいの力を持っていれば、人間に蹂躙されるような事も無くなるだろ?」
二人の間に沈黙が流れる。たっぷりと間をおいたあと、フェーリアが大声で笑いだした。
「あははははは。まったく、何を言い出すのかと思ったら、国を創ると来たか。流石、異世界人じゃな。確かに、それも悪くないの。ふふふ。」
そこまで笑われるとは。こっちは真面目に言っていたのに。
「よし、決めた!私は魔族領に国を創るぞ!魔王の国といったところかの?強そうな国じゃなろ?」
まったく、フェーリアにもこんな一面があったなんてな。魔族の国、良いじゃないか。
フェーリアが国を創ると決めた所で、カイン達が戻って来た。
「カイン、決めたぞ!私は魔族領に国をつくる!人間に邪魔をされない、魔族の国だ!」
フェーリアのその決定に、若干の戸惑いをみせつつも、カイン達は直ぐに賛同した。
「魔族の国、ですか。良いと思いますよ。我々が一つにまとまることは良いことです。」
こうして、魔族領に国を創る、という事が決定した。俺がなにを出来るかはまだ分からない。でも、そんな俺でも、何かの役には立つはずだ。
「それでは、トトリ族の村に向かうとしよう。オウカ、行くぞ!」
フェーリアが声をかけ、全員が歩き出そうとする。
「フェーリア、ちょっと待ってくれ。」
俺はそれを引き止める。まだ、やって置かねばならない事があるのだ。こちらにその文化は無いかもしれないが、それでもやらなければならないと思ったんだ。
「さっき死んだ二人に、墓を作りたいんだ。」
墓を作る。さっきの戦闘で死体は跡形も無くなってしまったが、それでも作らなければ、彼らの魂はこの場に永遠に残ってしまう気がした。
「そうだな、分かった。魔法で石碑を作ろう。名前は私とお主が掘ればよい。」
フェーリアはそう言って、魔法陣を発動し、その場に1メートル程の、一つの岩の壁を作った。それから、魔法を使いながら文字を彫っていった。
「さて、では行くとするかの。村に着くまでに、どんな国を創るか考えておかねばな。」
墓を作り終え、俺達は峠に向かって歩き出す。こうして、異世界での俺の生活が始まったのだった。