1992年11月15日
規則的な振動が伝わってくる。眠っていたのか?なにか衝撃が来て、頭に何かが流れ込んでくるような感覚があったのは覚えている。
目を開ける。どうやら肩に担がれているらしい。体格的に男だ。俺はどうなったんだ?誘拐されてるのか?だが、体を動かそうと思っても、ピクリとも動かないし声も出ない。唯一目だけが動かせている。
いや、まずは落ち着こう。冷静になる事が大事だって前に上司に言われたんだ。
一旦目を閉じ、心を落ち着かせながら目を開ける。
まずはここが何処か。場所は分からないが、周りの木は広葉樹だろう。たしか、広葉樹の森は明るかった筈だ。
次に、俺を担いでいる男。服の上からだと分かりづらいが、かなりガッチリした体型をしている。年齢は50歳くらいに見えるな。いや、こいつは人間か?走るスピードが早くないか?木が後ろに流れてくスピードが速すぎる。まるで車に乗ってるみたいだ!それに、後ろから着いてきてる人達も同じスピードで走っている。こいつらいったい何なんだ!
「おや、どうやら目覚めたようですな。私の話す事が分かりますか?」
走るスピードに驚いていると、俺が目覚めた事に気が付いた男が、こちらに話しかけてきた。
「私の言っている事が分かりますか?」
かなりのスピードで走っているのに、それを感じさせない落ち着いた声で男が話す。だが、男の話している内容が分かる。たしか気絶する前は何を言っているのか分からなかったはずだ。
「………………………………」
俺は声を出そうとするが、口は動かなかった。何度やっても出ないので、目を動かして、なんとか伝わらないか試してみる。
「ふむ、目以外は動かせないといった所でしょうか?恐らく魔法の副作用でしょう。もうしばらくしたら動けるようになってくるはずです。」
魔法?魔法ってあの魔法か⁉そうえば、気絶する前、凄い光が出ていたな。あれが魔法なのか?いや、そもそも地球に魔法なんてあるわけがない。これはハッタリだ、たぶん。
それから、体感で3時間程たった。驚くことに、男達は一切止まらず、同じペースで走っていた。体が動くようになったので、少し頭を傾けてみると、俺の後ろにももう一人いたらしい、こちらはどうも女性のようだ。
そして、俺たちは村のような場所に到着した。だが、村といっても、俺がイメージしていたトタンや茅葺きの屋根が付いているような日本の家ではなく、石やレンガで出来ている、ヨーロッパのような造りの家が10件ほど建っているものだ。村の手前で、俺は肩から降ろされた。村の周りはうっそうとした森で、どこからか小鳥の鳴き声が聴こえてくる。自分が知らない場所に来た高揚感と、不安感が混じって、なんとも言えない気分になる。
「ここからは自分で歩いてください。宿を取ってありますので、まずはそちらで休憩しましょう。」
そう男に言われ、一緒に村の中に入る。もう体は完全に動くようになっていたので、逃げようかとも思ったが、周りにいるのは屈強そうな人ばかりだし、ここが何処か分からないので辞めておいた。ここで逃げて死ぬのは嫌だ。
俺たちは村の端にある、2階建ての建物に入った。恐らくここが宿屋だろう。今ここにいるのは俺と、俺を担いできた男と、隣を走っていた女の子だけだ。他は別の部屋に入っていった。
「さて、では情報交換としましょうか。」
男にそう言われ、俺は頷く。いまは聞きたいことが山ほどある。
「では名前から、私はフェーリア様の従者をしております、カイン·エルニアです。」
男が自己紹介する。日本人じゃないのか?でも顔が日本人に似ているから、名前を変えているかもしれない。
カインと名乗った男は筋肉ムキムキとかって訳ではないが、ガッチリした体型だ。髪は短くて、かなり濃い黒色をしている。50歳くらいだと思うが、年齢を感じさせない佇まいだ。
「私はフェーリアじゃ、一応、魔王を名乗っておる。と言っても、好き好んで人間と敵対した事は一度もないがの。名前は好きに呼んでくれて構わん。フェーリアでも良いぞ。」
魔王⁉魔王ってあの魔王か?そもそも地球に魔王なんていない。これでハッタリのつもりなのだろうか。でも、フェーリアと名乗った女の子の身長は140センチくらい、銀髪の髪を伸ばしていて、日本人ではないように見えるし、どこから見ても子供だ。でも、その目の鋭さはというか、力みたいなものはとても子供には見えない。もしかして、本当にここは異世界なのか?
「どうも信じておらんようじゃの。これなら信じるか?」
俺の考えてる事が分かったようで、フェーリアがそう言うと、いきなり手から炎が出てきた。
「えっ!なんですかそれ!」
「無詠唱魔法じゃ。それとも、魔法自体に驚いているのかの?」
「それが魔法なんですか!?すごい!こんなの初めて見ましたよ!」
「ふむ、お主の世界では魔法は珍しいのか。これでここが異世界と分かったかの?それとも別の証拠が必要か?」
「いや、よく分かったよ。ここは異世界だ。」
これはもう素直に認めるしかないな……。これからどうなる事やら…。
「それにしても、異世界人にここまで驚かれるとはな。で、そなたの名前は?」
本名を名乗っていいか迷ったが、カインと名乗る男の強烈な視線を浴びて、名乗らなければならないと思った。「稲瀬櫻花だ。」フェーリアの質問に答える。それにしても、やっぱり女っぽい名前だ。自分の名前を言うのが恥ずかしい。
「やはり、変わった名前だな。イナセが名で良いのかの?」
「逆だ、櫻花が名前だ。」
とっさにそう答える。前にこんなのを見た事があるな。これがテンプレと言うやつか。こういうのもすこし楽しいかもしれない。ここが異世界だと認めると、逆にすこし楽しくなってくる。
「ふむ、なかなか珍しいな。私が知っているのは南の国の者がそのような名を使っていることぐらいだな。」
これもテンプレかな?小説とかだと東の国が多いけど、ここだと南なのか。ここは少し寒いし、気候的にはロシアか北海道が近いかな?そうすると、南といっても熱帯ではないのかもしれないな。そのうちここらへんの地理とかも教えて貰いたい。
「さて、私達がお主を呼んだ理由じゃが、簡単に言うと、私達はお主を使って、この世界を支配している偽りの神を殺し、この世界を元に戻したいのじゃ。」
は?いきなり何を言っているんだ。
「え?何を言っているんですか!?俺にそんなこと出来るわけないでしょう!」
「まあ、そうおもうじゃろうな。私もそれを聴いたときはそう思ったからな。だが、この世界の実情を知れば、そうもいってられないじゃろうな。安心せい。お主のみが戦う訳ではないし、直ぐに使えるとは考えとらんよ。」
「じゃあ、何をすれば?」
「お主はこの世界の人間ではないし、偽りの神によって召喚されたわけでもない。勘づいてはいるだろうが、マークされていることは無いだろうからな。だから、それを使って、気づかれずに神を殺して欲しいのじゃ。最も、やり方が変わることはあるだろうし、お主の意見を尊重するつもりだからな。強制的に働かせては人間のやることと変わらないしの。たとえお主が嫌というなら、村の畑仕事でもしてもらうつもりじゃ。」
「いや、そんな事を言われても、直ぐには……。」
理解が追い付かない。いったいなにしたらいいんだ……。
「まあ、直ぐに考えなくてもよい。ゆっくり考えてくれ。それに疲れているはずじゃ、今は休め。細かい話は明日にしよう。」
そう言ってフェーリアとカインは部屋から出ていった。別の部屋でもとってあるのだろう。俺はベッドに横になり、すぐに寝てしまった。あまり質の良くないベッドは硬かったが、それは気にならなかった。