学園の変化
とある学園の教師の視点のお話です。
●登場人物
キハトロイ 混代竜族の一人。魔王国の王都にいる。
オージェス 混代竜族の一人。魔王国の王都にいる。
学園長 魔王の奥さん。
冬のガルガルド貴族学園は、静かだ。
遠くから魔法の爆発音が聞こえるが、静かだ。
振動で校舎がびりびり震えたけど、静かだ。
学園長が怒鳴りながら走っているけど、静かだ。
……
静かったら、静かなの!
私は王都にあるガルガルド貴族学園の教師の一人。
一応、それなりに古株になる。
教えているのは礼儀作法。
正直、人気のない教室だ。
なにせここは貴族学園。
生徒たちの大半は貴族の子弟をはじめとした関係者。
それゆえ、学園に入る前には基礎的な礼儀作法は十分に習得している。
いまさら、礼儀作法のなにを学ぶというのだと言われる。
なるほどと頷ける。
しかし。
そう、しかし。
十分に習得しているとしても、礼儀作法を極めたわけではないだろう?
まだまだ学ぶことはある。
あるんだ。
私はそう言いたい。
実際に言った。
聞いた生徒たちの反応はこうだ。
「先生、細かいところまで気にしすぎですよ」
…………
礼儀作法って、そういったところを気にするものじゃないかな?
細かいとか、そういうことじゃなくて。
ま、まあ、いい。
実力でトップが決まる魔王国。
礼儀作法に関してはかなり寛容。
ゆるゆるだ。
相手をできるだけ怒らせない、ぐらいの精神だ。
もともと魔王国の礼儀作法は、古の悪魔族や竜族との交渉で必要に迫られて作られたものだからな。
完璧には程遠い。
しかし、だからこそ極めていかねばいかんと思うのだが……
無理やり教えても、身につくものでもない。
学びたいという姿勢が大事なのだ。
うん。
その姿勢があれば、私はどんな生徒だって受け入れる。
そうそう、もう八十年ほど前になるか……
一人の印象深い生徒がいた。
共通語ができないオーガ族の男子生徒。
親が戦争で活躍して男爵の地位を得てしまい、無理やり学園に放り込まれたうえに、礼儀作法が必要になったと私に泣きついてきたのだ。
オーガ語で。
あのときは怖かった。
殺されるかと思った。
オーガ族は基本、顔が怖い。
さらに、彼の発することができる共通語は「死ね」と「くたばれ」の二つだったから。
まずは彼がなにを言いたいのかを理解するのに半年ほどかかってしまったが、彼は根気強かった。
私も負けずに頑張った。
そして私がオーガ語をマスターするに至り、やっと彼への礼儀作法の教育が始まった。
同時に共通語の教育も始まったけど。
大変だった。
しかし、成果はあった。
彼は優秀だ。
二ヵ月ほどで、共通語の挨拶ができるようになったのだ。
誰かと出会ったときは共通語で「こんにちは」、別れるときは「さようなら」。
ああ、貴族語ではないぞ。
あんないろいろと複雑な意味の入る言葉は、彼には早かったからな。
普通の共通語だ。
もっといろいろと教えたかったのだが、当時の戦況がそれを許さず、彼は親によって戦場に呼び出された。
一年に満たないつき合いだったが、私は彼の無事を祈った。
そして、私の心配に反して彼は活躍した。
異名を得るほどに。
異名は「こんにちはオーガ」。
彼は戦場でも礼儀作法を忘れなかったようだ。
嬉しかった。
そんな彼との交流はいまでも続いている。
彼の結婚式には呼んでもらったし、彼の娘の結婚式にも参加したぐらいだ。
次は彼の娘の娘の結婚式かな。
彼から学んだオーガ語は、とても役に立っている。
おっと、思い出に浸る暇はなかった。
本来、暇であるはずの冬の学園で私はなにをしているかというと、春から始まる次の授業の準備だ。
人気のない私の教室で準備が必要なのかと言わないでほしい。
春から学園のシステムが少し変わるのだ。
これまでの学園では、生徒は自由に教室を選び、その教室から出る課題をこなして卒業の証をもらう。
卒業の証を三つ集めれば卒業だった。
この基礎は変わらないが、“共通語一般”と“共通語文書作成”、それと“礼儀作法”の教室を必須で受けないといけなくなった。
必須の教室では課題は出ないが、出席することでポイントを獲得するチャンスがあり、卒業時には総合で三十ポイント以上を持っている必要がある。
学園としては、一回出席して一ポイントが目安で、それぞれ十回ほどの出席をしてもらいたいらしい。
ただ、どれか一つの教室に三十回出席してもポイントの獲得は可能だ。
これは見逃している抜け道。
どうがんばっても無理ということはあるからだ。
なので“礼儀作法”の授業に誰も来ない可能性もあるのだが、大勢来る可能性もある。
だから準備は必要だ。
学園がシステムを変更したのは、魔王国の体制の変化もある。
これまで軍事優先の魔王国だったが、ここ十数年は大人しい。
そう思っていたら、急に戦争勝利宣言を出した。
そして、これからは内政に力を入れていくと。
だから、これからの貴族はちゃんと会話ができて、読み書きができて、最低限の礼儀作法を身につけておいてほしいという魔王国の野望……失礼、希望を出してきた。
王都の文官たちが、魔王様にかなり強い圧力をかけたらしい。
その一環で、学園にも変化を求められた。
学園はそういった外部の圧力には屈しないのだが、学園は学園で魔王国の今後を考えたのだろう。
このシステムの変更は悪いことじゃない。
いいことだ。
しかし、そのおかげで私は冬の学園で頑張ることになっている。
一部に負担が行くのは違うと思うなぁ。
ふう。
一息つくと、私の部屋の扉がノックされた。
「先生、夕食の時間ですよー」
おっと、もうそんな時間か。
さっきまで昼だと思っていたのだがな。
冬の学園は人が少なくなるので、食堂が閉鎖される日が多い。
今日も閉鎖だ。
なので食事は自前で用意しなければならないのだが、近年は毎日のように有志が集まって食事を作ってくれる。
ありがたい。
ああ、もちろん無料ではない。
食べるには、食費を出すか、食材を提供するか、労働しなければいけない。
私は労働した。
テーブルや椅子を作ったのだ。
食堂が開いていれば借りることもできるが、閉鎖しているときはむずかしいからな。
これでも木工には自信がある。
生徒たちからは、礼儀作法じゃなく木工の教室を開いてほしいと言われるぐらいだ。
まあ、貴族学園で木工を教えるのは相応しくないので、かなわないのだが。
なんにせよ、私は少し前にテーブルや椅子を五十人分ほど作ったので、春までは食べていいことになっている。
遠慮なく、食べに行かせてもらおう。
うん。
外は寒い。
食事をする場所の近くはたき火がいくつもあるので暖かだが、風が冷たい。
今度は食事をするための小屋でも建ててみるか?
木工ではなく、建築になってしまうが……
やれないことはないだろう。
「先生。
今日の食事はカレー、パスタ、サンドイッチの三種類です」
生徒が案内してくれた先にある三つの食事提供場所。
それぞれ列ができている。
定番のカレー。
今日の辛さは少し甘めらしい。
パスタは、ソースに大きめの肉がゴロゴロしているな。
美味そうだ。
そしてパンとパンのあいだに具材を挟んだ料理、サンドイッチ。
なんでも、このサンドイッチをバーガーと呼称しようとする勢力がいるとかなんとか。
私としては名はどうでもいい。
気になる具材は……
揚げ物……カツか!
揚げたあと、ドロりとした黒いタレに漬け込んだカツ!
よし、今日はサンドイッチだ。
一つ、いや、二つもらおう。
私を案内してくれた生徒も、サンドイッチにしたらしい。
三つ、もらっていた。
ふふふ。
残すと叱られるぞ。
ここまで一緒だったから、たき火の一つを囲んで生徒と一緒に食事をする。
話題は……
そういえば、さっきの爆発はなんだったんだ?
「さっき?
あー、キハトロイさんがオージェスさんをからかったときのやつですね。
敷地内に大きな穴ができましたよ。
学園長が叱って、二人は罰で森に狩りに行きました。
明日の食事は豪華になりますね」
なるほど。
混代竜族であるオージェスさんの攻撃音だったのか。
……
混代竜族って、本来は百年に一度、遠くを飛んでいるのを見るぐらいの希少種なんだけどなぁ。
まあ、いまさらか。
春のパレードでは、混代竜族より希少種の神代竜族が並んでいた。
滅んだとされる古の悪魔族もいっぱいいたし。
混代竜族程度では驚かないか。
食事を終えたら、今日はもう仕事は止めよう。
そうだな。
どんな小屋を作るか考えるのが楽しそうだ。
材料は……生徒の何人かが仲介業をしている。
彼らに頼れば大丈夫だろう。
あとは人手だが……
私は人気のない教室の教師だが、呼べば数人は集まってくれるはずだ。
うん、授業じゃなく木工……建築だからな。
いっぱい集まるかもしれん。
礼儀作法の教師。
実はオーガ語の解説本を出している。
オーガ族では「困ったら、あの先生を頼れ」とか言われていたりする。




