黒歴史
始祖さんに奥さんがいたのは驚いた。
驚いたのだけど……
「覚えていない」
あれだけ強烈なドロップキックをくらったのに、まったく思い出さない始祖さん。
これまでのつき合いがあるから、あまり言いたくはないのだが……
奥さんのことを忘れるのはどうなのだろう?
さすがに酷いと思う。
俺の中で、始祖さん株が下落中だ。
だが待つんだ。
あの始祖さんが奥さんのことを忘れるだろうか?
ヴェルサの妄言の可能性もあるのではないだろうか?
「ふっ。
この程度で思い出すとは私も考えていない。
だが、私が嘘吐きであると思われるのは心外だ。
エルメ、ルマニ以外の者に紙とペンを渡しなさい」
エルメはメイドの名前らしい。
メイドは俺たちに紙とペンを渡してくれた。
良質の紙だな。
ペンは羽ペン。
インク壺も個別に一つずつ渡してくれる。
なにかを書く必要があるのかな?
あ、メイドさん。
クロの子供たちやザブトンの子供たちには無理だから。
え?
書ける?
まあ、釣りができたぐらいだしな。
よし、頑張れ。
俺たちに紙とペンが配り終えたことをメイドがヴェルサに報告すると、ヴェルサが宣言した。
「これより、私の言うことを記録することを許可する」
つまり、これからヴェルサが言うことを記録しろってことかな?
「ああ、記録は強制ではない。
興味がある者だけがすればよいからな。
インフェルノウルフたちは無理するでないぞ。
デーモンスパイダーたちは……糸を使えば書けるようだな。
ふふふ、愛らしいではないか」
ザブトンの子供たちを愛らしいと言えるのだから、思ったよりもいい人っぽい。
そのヴェルサは咳払いをしたあと、顔の半分を片手で隠すポーズを決めた。
「ううっ……私の右目に宿りし“破壊の王”が暴れたがっている。
鎮まれ、まだその時ではない。
黒の契約を違えるのか」
え?
「ちっ、今度は左腕に宿りし“虚無の女神”が起きたか。
この甘えん坊め。
だが、お前を出すわけにはいかん。
そのまま眠っていろ」
えーっと……
「これより死地に向かう。
わかっている。
待っていてくれるのだろう……ふっ、さすがは私の片翼だ」
これはなんだろう?
俺は周囲を見ると……始祖さんが苦しんでいた。
「や、やめろ!
やめてくれぇっ!
頭がぁぁっ!」
察するに、始祖さんの言ったセリフ集だろうか?
なるほど。
始祖さんにも、こんな感じのことを言ってた時期があるのか。
そして、それをきっかけに記憶を呼び戻すと。
始祖さんの反応から、可能性は高そうだ……って、始祖さんが床に伏せてゴロゴロしだしたが、ヴェルサは止めない。
記憶が戻るまで、続けるようだ。
容赦がないな。
ところで、ルー。
なぜ君まで床に伏せてゴロゴロしているのかな?
流れ弾に当たったと……
意外な一面だなぁ。
ちなみに、俺とルー、それとレギンレイヴ以外の者は、ヴェルサのセリフを漏らさず記録している。
始祖さんの弱点をゲットしたと思っているんじゃないだろうな。
悪用は駄目だぞ。
レギンレイヴが記録していないのは、腹を抱えて笑っているから。
大爆笑だな。
こっちも意外な一面だ。
あ、過呼吸になってる。
すまないメイドさん。
ちょっと手伝って。
「その燃えるような赤髪。
美しい。
その美しさを私に独占させてはくれないだろうか?
なに、世間の祝福はいらない。
この星空が祝福してくれているのだから。
これ、私に求婚したときのルマニの言葉ね」
ヴェルサはやり切った顔で、俺たちに微笑んだ。
終わったようだ。
始祖さん、ルーは床に伏して動かない。
ダメージが大きいみたいだ。
レギンレイヴは命が危険だったので、部屋から出した。
彼女は一生分笑ったんじゃないかな。
「お……思い出したぞヴェルサ……」
あ、始祖さんが復活した。
ヴェルサの思惑どおり、記憶が戻ったようだ。
「よくも私を辱めてくれたな」
「第二部、始めてもいいのだけど?」
「……忘れていて、申し訳ありませんでした」
「ほほほほほ。
妻を忘れた罰よ」
会話から、ほんとうにヴェルサは始祖さんの奥さんのようだ。
俺の中で、始祖さん株が大暴落。
奥さんの記憶を消すのは駄目でしょう。
俺の視線に気づいたのか、始祖さんが全員に向かってこう言った。
「どうして私が彼女のことを忘れていたか、説明させてほしい」
聞きましょう。
「だが、これには色々と障害があり、この場にいる全員に説明するのは難しい。
それゆえ、まずは村長に説明し、理解してもらう。
村長が理解したとき、ほかの者も納得してもらいたい」
俺にだけ説明?
まあ、かまわないが……
俺は説明を聞こうと始祖さんに近づこうとすると、手で制された。
「それ以上、私に近づいてはいけない。
村長はそのまま真後ろに……そう、その壁にある本棚から、本を一冊抜いてほしい。
どれでもいい。
それを開き、誰にも見られないように中を数行、読んでほしい。
注意するんだ。
絶対に声に出してはいけない」
始祖さんの声が真剣だったので、俺も真剣に従った。
しかし、俺が手にしたのは普通の本だけどな?
これを数行読めと。
場所はどこでもいいのかな?
いいみたいなので、適当に開いて読む。
……ん?
…………
俺は本を置き、別の本を開いて読む。
…………………………
俺の表情から察したのか、始祖さんがヴェルサに声をかけた。
「村長が手にした本は、なんだ?」
「もちろん、私の力作だ」
なるほど。
「村長、理解しましたか?
いや、まだ理解があやふやでもかまわない。
申し訳ないが女性陣に部屋から出るように言ってもらえないだろうか。
これから先の私の言葉は伝播する毒だから」
始祖さんがそう言うので、一時部屋から退避してもらう。
あ、倒れているルーも連れて行って。
ガルフは……始祖さんが聞かないほうがいいと言うので、一緒に出ていった。
聞かないほうがいいなら、俺も聞きたくないのだが……
この部屋には、俺、始祖さん、クロの子供たち、ザブトンの子供たち、そしてヴェルサとメイドが残った。
始祖さんが扉が完全に閉まったのを確認してから、叫んだ。
「村長!
この部屋、いや、この屋敷にある本はすべてヴェルサが書いた本だ!
内容はさきほど読んでもらった系統で統一されている!」
「統一とは乱暴な。
もう少し細かい分類があるぞ」
「やかましい!
全部が全部、男と男の絡みがある本だろうが!」
え?
ここにあるの全部、そうなの?
すごいな。
でも……
「わかっている!
そういった本があるのは知っているし、それらを馬鹿にしたりはしない!
認めている!
立派な文学だ!
また、書くことも止めたりもしない!
これだけの量を書くのも才能だし、その情熱には頭が下がる!」
あ、この本たちが奥さんを忘れる理由じゃないのね。
「私を本に登場させたことも許そう。
受けだの攻めだのはまだちょっと理解できないので、どちらがいいとは言えないが好きに書けばいい」
えー、夫をこういった本に書いたの?
俺なら嫌だなぁ。
それを許す始祖さんって、心が広いのかもしれない。
「だが!
そう、だが!
実際に男を用意し、私に絡めと言ってくることには耐えられん!
わかるか村長!
ちょっといい顔の王子がいたからと誘拐して私の前に差し出し、ヘタレ攻めからの誘い受けでどうかひとつと言われたときの気持ちが!
これを忘れようとするのは罪だろうか!」
「妻の趣味につき合うのも夫の役目だと思います」
「限度ってのがあるわ!
あのあと、なんとか断って王子を王国に送り返して戻ってきたら、私と王子の愛の逃避行をテーマにした本が七冊も増えていたうえに、簀巻きにされた別の王子を渡され、タイプの違う王子もいいわよと言われたんだぞ!
全てを忘れて旅に出た私を誰が責めると言うんだ!」
……
俺も完璧に理解できたとは言わないが……判決!
始祖さん、無罪!
始祖さん株、回復。
よかった。
奥さんを泣かせる始祖さんはいなかったんだ。
「村長、この悲しみを伝播させてはいけない。
ここにある本は全て禁書。
閲覧も持ち出しも禁止、いや興味を持つことも禁止だと、村の住人たちに言ってほしい」
約束しよう。
そして俺は改めて思う。
ここに子供たちを連れてこなくて正解だったと。
今回の一番の被害者はルーだと思う。




