イースリー 油断する
ウルザさんに温泉に誘われました。
私は温泉を知りませんが、野外にある大きなお風呂だそうです。
この村に来てから、お風呂には何度も入っているので興味があります。
温泉に行くことに同意しました。
油断していました。
まったくの失態です。
クローム伯の転移魔法で、私とウルザさんを含めた十数人は温泉に移動します。
思ったよりしっかりした建物があり、少し驚きましたが村の屋敷のことを考えれば騒ぐほどのことではありません。
ヨルさんという女性が出迎えてくれたのですが、私は彼女の後ろに付き従うように移動する大きな木造兵器が気になります。
なんでしょう、あれ?
ヨルさんの魔法で動かしていると。
なるほど。
名前も付けているのですね。
えーっと、ちょっと建物に入るだけで、ヨルさんは涙を流しながら木造兵器との別れを惜しむのですか?
いえ、サイズ的に木造兵器を建物の中に入れるのは無理だと思いますけど。
エルフのお姉さま方が、気にしてはいけませんと言うので気にしないことにします。
温泉。
予想していたものより、百倍ぐらい広くて凄いです。
これ、全部、お湯ですか?
女湯だけでこの広さ?
すごいです。
場所によって温度が違うのですね。
わかりました。
注意します。
あ、深さも違うと。
え?
深さ十メートル?
ここで船でも作っていたのですか?
ドラゴン用……そうですか。
なんにせよ、温泉です。
入ります。
少し前まで同性相手でも裸をみられることが恥ずかしかったのですが、屋敷のお風呂で慣れました。
お風呂は全裸。
温泉も全裸。
文化です。
……
ウルザさん、それは?
湯浴み着、温泉に入る時に着る服と。
なるほどなるほど。
たしかに野外ですからね。
不意に異性の目にさらされる可能性はあります。
注意するのは淑女の嗜みでしょう。
……
私にも湯浴み着をお願いします。
気をとり直し、温泉です。
まずはかけ湯をして、体を洗います。
当然ですね。
少し熱めのお湯を体にかけていると、背後に妙な気配を感じました。
誰かのいたずらでしょうか?
違いました。
ライオンがいました。
大きい。
三メートルぐらいありますね。
大人のライオン……ライオンの魔獣です。
タテガミがあるので雄なのでしょう。
ここは女湯ですよ。
そんなことを考えながら、私は焦っていました。
なぜなら、そのライオンの魔獣が私を威嚇しているからです。
そして気づきました。
いまの私は、武器を持っていません。
油断しました。
ともかく、距離を取って逃げなければ。
建物に戻れば、ナイフがあります。
ナイフがあっても勝てそうにないですけど……無抵抗ではやられません。
負けるにしても、相手の目か足は奪いたいと思います。
覚悟を決めて動こうとしたら、タテガミのない大人のライオンの魔獣が姿を現しました。
……
ライオンの魔獣に増援のようですね。
ずるいです。
私は色々と諦め、全力で逃げました。
魔獣とはいえ、ライオンはライオン。
ライオンの瞬発力はすごいですが、やつらは持久力に欠けます。
私の全力疾走なら、逃げ切ることも可能でしょう。
可能であってほしい。
そう思ったのですが……
ライオンの魔獣たち、空を飛んでます。
ずるいです。
私は思い出しました。
ゴールゼン王国にあった研究機関で、研究されていたキメラ計画を。
見学に行ったことがあります。
たしか、ライオンをベースに飛行能力を持たせるとかやっていましたね。
まさか、あのときのライオンですか?
それを覚えていて私を威嚇?
私は見学だけで、なにもしていませんよ。
それに、見学したのは七年~八年前のことです。
執念深いですよ。
いや、そうじゃなく、あの頃に比べて、私のスタイルもかなり変わったと思うのですが、私だとわかったのですか?
まさか、私のスタイルが変わっていない……
いいえ、ちゃんと胸もお尻も育っています。
ええ、育っているはずです。
現実逃避をしても仕方がありませんね。
私は森の中、ライオンの魔獣二頭に追い詰められています。
本当に私は見学しただけで、なにもしていませんよ。
いや、餌をあげたりしたはずです。
そうです。
見学と言って連れていかれたのに、下働きをさせられたのです。
あなたたちの部屋の掃除も、私がしたのですが……覚えていないのですか?
覚えていたら、許してほしいのですが……
そう言いながらも、逃げる隙を探しているのですがありません。
ぬう。
ここで私は終わりでしょうか。
いえ、大丈夫でした。
ライオンの魔獣たちは、私がお世話したことを覚えていたのでしょう。
怯える私を見て、二頭は満足したように威嚇を解いてくれました。
……
そういうところ、ありましたね。
懐かしいです。
あ、待って。
森の中に置いていかないで。
私、湯浴み着だけなんだから。
ライオンの魔物二頭と、私は温泉に戻りました。
案内、ありがとうございます。
道中、色々と思い出しました。
ライオンの魔獣の雄の名はラシャール。
雌の名はダマルティでしたね。
私が名付けました。
二十一号、二十二号では味気ないですからね。
ここでは別の名で呼ばれているのかもしれませんが……覚えていてくれてうれしいです。
言えるような立場ではありませんが、元気そうでよかった。
……
子供もいるのですね。
できれば、子供たちに私を威嚇するのを止めさせてもらえますか?
子供たちと私は全然、面識がないはずですよ。
さて、私はまだ温泉に入っていません。
森の中は寒かったので、早く温まりたいです。
ですが、急に森に走った私を心配してくれた人たちに謝るのが先です。
すみません。
ウルザさん、エルフのお姉さまたち、ヨルさん、それに……
ほんとうに油断していました。
私は暗殺者です。
ですが、それゆえに苦手なことがあります。
死なない相手、アンデッド系です。
……
すみません。
嘘を吐きました。
暗殺者だから苦手なのではなく、私個人が昔っから苦手なのです。
アンデッド系が!
三体の死霊騎士を見た私は、気を失いました。
結局、温泉には入らず戻りました。
寒かったので体が震えます。
恐怖で震えているわけではありませんよ。
屋敷のお風呂で温まりました。
うん、私は屋敷のお風呂で満足です。
……
負け惜しみです。
思いがけず長くなってしまったイースリー編ですが、これで終わりです。
お付き合い頂き、ありがとうございます。
次回から村長視点に戻ります。
イースリー「太陽城? 飛行船? 言及するとひどい目に遭いそうなので見なかったことにしています」