07.姦しい
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、アーノルド」
宗久がヤーシャに連れられた部屋には、すでに三人がいた。
ひとりはアーノルドという老紳士。指先まで神経が行き届いているかのような、洗礼された仕草でヤーシャに向かって礼をしている。身に纏っている執事服が実に似合っており、執事服とはまさに彼のような人物のためにあつらえた服であると言えた。
もう一人はソルテオ。昨日の今日で顔を見合わせるのは気恥ずかしかったが、ソルテオはその夜の女神のような神秘的な外見に似合わない、無邪気そのものといった笑みを浮かべて宗久にひらひらと手を振っていた。
そして最後のひとり。その女性は初対面だった。
ヤーシャと比べたら幾分くすんで見える赤髪。ヤーシャの髪を轟々と燃え盛る炎だとしたら、その女性の髪は宝石のルビーのように静かに煌めいていた。
その女性は、ヤーシャと共に入ってきた宗久を見て、目を細めた。そのルビーが嵌っているような瞳に魅入られ、宗久は思わず足を止める。そんな宗久に、ルビーのような女性は艶やかな厚い唇を歪めて笑みを浮かべた。宝石のような瞳が蠱惑的に宗久を射抜いていた。テーブルの向こうから試すように、そっと腕を組んで胸を強調する。大きく胸元が開いたドレスのような隙間から、大きく双丘が柔らかくたわみ溝を深める。そしてゆったりと足を組み替える。ちらりとその奥が見えそうで一瞬で隠れてしまう。
ごくりと息をのみ、思わず腰を後ろに引いてしまう。そんな宗久を確かめ、ルビーのような女性はさらに蠱惑的な笑みを深めた。
「ちょっと、あんまり朝から盛らないでくれる?」
目が離せず思いっ切り飲まれていた宗久を現実に戻したのは、思いっ切り不機嫌そうなヤーシャの声だった。
「あ、いや、その……」
「フン」
しどろもどろとなってしまった宗久に、不機嫌そのものな様子で鼻を鳴らすとヤーシャはさっさと自分の席に向かって歩き始めた。
ヤーシャは既にネグリジェではなく私服に着替えていた。その私服は、背伸びしたあのネグリジェよりも断然魅力的に宗久の目には映った。
半袖にホットパンツ、そして腿まであるニーソックス。そこから見える絶対領域が、力強くエネルギッシュなヤーシャに実にばっちりはまっていた。
そんなヤーシャは自分の席にどっかとつくと、そのカモシカのような足を組んだ。絶対領域が眩しすぎて、目が焼けるのも構わず見つめてしまう。
「アマギさまのお席はあちらになります」
アーノルドに声を掛けられ、再び宗久は現実に戻される。
「あ、はい、すみません」
言われた席に向かう。そんな宗久の様子にヤーシャは不機嫌そうに鼻を鳴らし、ソルテオは無邪気な笑みを浮かべ、そしてルビーのような女性は艶やかに笑っていた。
「し、失礼します」
「……」
隣のヤーシャにひと声かける。けれど、ヤーシャは不機嫌そのものといった感じでそっぽを向いていた。
「……えーっと」
主であるヤーシャにそっぽを向かれてしまい、宗久としては非常に居心地が悪くなってしまう。
そんな宗久に助け舟を出したのはソルテオだった。
「ムネヒサ、おはよー」
「あ、ソルテオさん。おはようございます。その……昨日はお恥ずかしいところをお見せしまして……」
「全然。ムネヒサがそれだけがんばってたってことだから、恥じるよりも『おれはそれだけがんばってきたんだぞー!』て胸を張った方がいいよ」
「えと、その……ありがとうございます……」
気恥ずかしくて、頬を掻いて下を向いてしまう。
「ふふふ、初々しい反応ね。昨日ソルテアちゃんと何があったのかしら?」
その艶やかな声に宗久は顔を上げる。そこにはルビーのような女性が流し目で宗久を見つめて蠱惑的な笑みを浮かべていた。
「あ、いえ、別に大したことじゃ……」
「ヤーシャちゃんに頼まれて、ちょっとお話を聞いてあげてたんだよ」
「へぇー、そうなの」
ソルテオの話を聞いて、ルビーのような女性は蠱惑的な笑みを深めた。意図しているのか無意識なのか、その挑発的な目線と仕草に、宗久はまともに彼女に視線を合わせられなくなる。
「…………ふーん」
そんな様子の宗久に、ヤーシャがジト目で不機嫌そうに流し見る。
それらの視線に耐えきれず、宗久は立ち上がった。
「あ、自己紹介がまだでしたね。私は昨日、こちらのヤーシャお嬢様に助けて頂いた、天城宗久と申します。どうぞムネヒサとお呼びください」
言って、頭を下げる。そんな宗久に、ルビーの女性が意味ありげに呟いた。
「ヤーシャお嬢様、ね。ですってよ、ヤーシャちゃん?」
「……ムネヒサ、だったわね」
不機嫌そうにヤーシャが宗久を見る。その様子に宗久は不安を感じる。
「ソルテオにもう聞いたみたいだけど、改めて名乗らせてもらうわ。あたしの名はヤーシャ。ガジルとソフィーリアの娘のヤーシャよ」
「はい、ヤーシャお嬢様。改めましてお礼申し上げます。私が今こうしていられるのは、すべてお嬢様のおかげです」
「その『お嬢様』っての、やめてくれる?」
「は?」
深く頭を下げた上に、思いがけないほど冷たい声が降りてきた。
「あたしはそんな大層なものじゃないっての。あたしはそこらへんにいるスラム街のごろつきの娘よ」
「は? え? でも……?」
宗久はちらっとアーノルドへ視線を向ける。
アーノルドは洗練された仕草まで、朝食を給仕していた。使われている食器だって見るからに高そうだ。部屋の感じも、決して豪華ではないが品の良さを感じる。そんなところで朝食を取る主が、『スラム街のごろつきの娘』と自らを称しても正直信じられない。
「信じられないかもしれないけど、ほんとよ。あたしは生まれてこの方、裏社会で生きてるんだから」
宗久が自分とアーノルドを交互に見るのを見て察したのかヤーシャはつまらなそうに言った。
「ガジルを捕まえて、『そこらへんにいるごろつき』ってのは、ちょっと説得力は欠けるわね」
「安心して、ムネヒサ。裏社会の一員とはいえ、ここのみんなは良い人たちだよ」
「……はぁ」
ちょっと自身の理解が及ばず、宗久は生返事を返してしまう。
そんな呆気にとられている宗久をさらっと無視して、ソルテオは天真爛漫な笑みを浮かべた。
「ムネヒサ、改めて自己紹介だね。わたしはソルテオ。ムネヒサと同じヤーシャちゃんに拾われた者で、この辺のスラムでは<スラム街の聖女>って言われてるよっ」
豊かな胸に手を置いて、昨晩と同じ輝くようなドヤ顔を浮かべてソルテオが自己紹介をする。
それに習って、ソルテオの隣に座るルビーの女性が挑発的で蠱惑的な笑みを浮かべて述べた。
「私は<ヘレーネ>。<紅流>に飼われている娼婦の長をやっているわ」
そして挑発的な笑みを浮かべた。
「あ、そういう意味だと、わたしはヤーシャちゃんに飼われていることになるのかな?」
ヘレーネの言葉を受けて、無邪気にソルテオが尋ねる。
「まあ……間違いではないわね」
「じゃ、ムネヒサもヤーシャちゃんに飼われているということだね!」
「ちょっと待って。あたしはムネヒサを飼うつもりで助けたんじゃないんだけど。外聞悪すぎでしょ」
「…………すみません、少しだけ整理するお時間を頂けませんか?」
ちょっと眩暈を感じて宗久は頭を抱えた。
ヤーシャは『そこらへんにいるごろつき』では収まらない裏社会の男の娘で、ヘレーネはその男に飼われている娼婦のトップで、ソルテオはヤーシャに飼われているというのは間違いではないらしい。
少し情報を整理をして出てきた結論は、酷く端的だった。
「もしかして俺、ひょっとしてヤクザの娘に助けられた?」
ぽつりと零れた言葉に誰も答えを返さなかった。