05.異世界生活初夜
とはいえ、そこは当たり前というかお約束というか、ソルテオの発言にはオチがつく。
「わたしね、実はここら辺では<聖女>って呼ばれているんだよ」
ソルテオは笑みを浮かべていた。
「悩みとか苦しみとか聞いてあげて、手助けするの。こう見えても数々の人生相談を受けてきたベテランなんだから」
ドヤァとした顔をしながら、その豊かな胸に手を当てる。
「だからお話しよっ。ムネヒサのこと、色々聞かせて欲しいな!」
そう言って、夜の女神のような出で立ちをしたソルテオは、しかし太陽ような笑みを浮かべていた。
その燦々と輝くような笑みを受けて、宗久は思わずたじろぐ。
そんな宗久をソルテオはニコニコとした笑みで話し出すのを待っていた。
混乱しながら、なんとか宗久は頭を動かす。
どこまで話せばいいのか?
情報は力だ。現代での資源でも『ヒト、モノ、カネ、情報』と言われるくらいだし、『知の力』という言葉があるように、それを知っているのと知らないのでは、単純にそれだけで優劣が生まれる。
とはいえ、相手にこちらの情報を伝えなければ信用や信頼は生まれない。いきなり外で知らない人に声を掛けられた警戒するものだし、その人物が例えば同じ学校の卒業生と知っただけで親近感をわくものだ。
とはいえ、今の自分は異世界転移者。この世界での異世界転移者がどのような見解なのかわからないし、また日本の常識ではイタイ子扱いされて下に見られてしまう。
だからこそ、慎重にならなければならない。言葉のチョイスをミスれば不利な状況になるかもしれない。
「えっと……」
「あ、そんなに緊張しないで。別に重大なお話がしたいわけじゃなくて、単純に雑談がしたいだけだからね」
宗久の様子を見て、ニコニコしながらソルテオは言った。
けれどその笑みを見ながら、宗久は「だからその雑談ですらできねえんだ!」と心の中で絶叫した。気分は、どこに地雷が埋まっているのかわからない真っ暗闇を歩くようなものだった。
「まぁ、いきなりだから警戒するのもわかるよ。うんうん、そりゃそうだよね。まずはわたしからわたしのお話をするのが礼儀だよね」
言い淀んでいる気配を敏感に察したようで、ソルテオは自分から会話を始めた。
「わたしもね、ムネヒサと同じ境遇なんだよ」
「同じ……?」
「うん、わたしも何年か前にヤーシャちゃんに拾われたの。拾われ者なのです」
そこのどこに誇らしげな要素があるのか、何故かソルテオはドヤァとした顔をした。
「ムネヒサも今日ヤーシャちゃんに拾われたんだよね。だからわたしと同じだねっ!」
「まぁ、確かに、そうだな……?」
「ねっ!」
嬉しそうな顔でソルテオは笑った。その眩しさに気圧されながら、宗久は頷いた。
「でね、ヤーシャちゃんに拾われる前のお話なんだけどね。ところどころ記憶がないんだけど、結構色々なことをやってたんだ。ある時はとある国の戦士長! またある時は冷酷無比な暗殺者! そしてまたある時は教会のシスターさん! とかね」
「はぁ……」
ドヤァとしたまま誇らしげに鼻息を荒くしてソルテオは告げる。
戦士長だったり暗殺者だったりシスターだったりと、確かにそれが本当なら波瀾万丈な人生だと思うけど、どう考えても見た目とそれらにかかる日数があってない気がする。
なので宗久はソルテオの話をさらっと聞き流した。
しかし、次の言葉は聞き逃せなかった。
「でね、実はわたし、前にムネヒサと似たような雰囲気の人にあったことあるの」
そして、澄んだ瞳に宗久をしっかりと映した。
「"日本"って国から来た男の子なんだけどね」
「なんだってッ!」
たまらず反射的に宗久は叫んでしまった。
ソルテオの話だと、少年と出会ったのはもうずいぶんと前の話だそうだ。
名前はリョータといったそうだ。戦いとは無縁の住人のような空気感を持ち、かといって貴族とは全く違う、けれども教養があるのがわかる、上等な服を着た健康的な少年だったという。
リョータはよくこの世界を「異世界だ!」と言っていたそうだ。「秘められたチートが目覚めて、無双ハーレムだ!」と喜んでいたらしい。
で、セオリーのように「冒険者になる!」と言ったが、リョータの言うギルドという組織がないようで愕然としてしまったようだ。
生きるためには最低でも食事をしなければならない。で、社会で食を得るためにはカネがいる。けど、リョータは無一文だった。
途方に暮れているリョータにソルテオは声を掛けたらしい。困っている人を見かけたら放っておけないとドヤ顔をしていた。
で、リョータの当面の生活の面倒を見てあげることにしたらしい。
最初はそこそこ順調だったそうだ。ソルテオの紹介で仕事先も見つかり、もう少しで一人で生活できるようにもなれそうだったらしい。
けれど日に日にリョータはやつれていった。事あるごとに「日本に帰りたい」と愚痴をこぼすようになったらしい。
そんなリョータを見ながら、ソルテオは事あるごとに気にかけていた。けれど、ある日ソルテオにとってはまったくの予想外の事件が起きてしまった。
その日、いつまでたってもリョータは家に帰ってこなかったそうだ。
ソルテオは必死になって探した。
見つかったのは翌日。
木の枝に縄を結び、そこで首を吊っていたらしい。
ソルテオにはまったくわからなかった。状況的に見て、リョータは自ら命を絶ったのは明白だった。けど、どうして自分で自分を殺してしまうのか全然わからなかった。
呆然としたままリョータの遺体を火葬し、家に帰宅する。そしてソルテオは紙に見たこともない文字で書かれている手紙らしきものを見つけて、直感的に「これはリョータからの手紙だ」とわかるも、まったく読むことができなかったらしい。
「その手紙は、今も……?」
かすれた声で尋ねた。しかし、ソルテオは寂しそうな笑みを浮かべて首を横に振った。
「それから色々あってね。着ていた服以外全部なくしちゃった」
「そっか……」
宗久は床を見ながら、なんとかそれだけ絞り出した。
間違いない、と思った。疑いようもない。異世界から来たと喜んでいたリョータ少年は、まず間違いなく宗久と同じ存在だったのだ。
だからこそ、ソルテオから語られたリョータ少年の顛末は、そのまま宗久の未来を暗示させていた。
この世界は決して、ラノベやマンガのような優しい世界ではない。間違っても無双ハーレムなんてできないし、チートだってない。
死が当たり前に隣にある世界なのだ。
リョータ少年の顛末を語るソルテオは、身近にいた分の悲しみはあれどごくごくありふれた話として語っていた。せいぜいが知り合いの親戚の誰かが自殺した、程度の話しぶりだった。間違っても一時でも生活を共にした人物の死を語る口ぶりではなかった。
ここはそんな世界なのだ。
――リョータは何故か首を吊って死んでたんだ。
そう語ったソルテオの声が蘇る。
ソルテオは全然理解できないと言っていたが、同じ存在である宗久には痛いほどありありと理由が想像できた。
ぐっと奥歯を噛みしめる。ごめんだ、そんな結末なんて。強く握りしめる。絶対に生きて、しぶとく生き残って、この世界に生きた証を残してやるんだ。
「――でね、ムネヒサ。きみもリョータと同じなんだ」
ソルテオの声に宗久ははっとなる。
ソルテオは慈愛の滲んだ、それでいて透き通った――そんな笑みを浮かべていた。
「戦いなんて無縁で、かといって貴族じゃないのに教養があるのが透けて見えて、この世界を『異世界』だと考えている」
はっきりと断言された。息が詰まった。
宗久を見つめるソルテオの瞳はどこまでも澄み切っていて、その深さを知ることができない。完全に思考が止まって、何も考えられなくなった。
「けど、ムネヒサはリョータとは違う」
笑みを浮かべたまま視線を逸らすことなく、ソルテオは続けた。
「きみは『戦士』の眼をしている。それも大敗を期した傷だらけの『将』の眼だ。そして『死兵』の眼だ。けれど同時に、決意ある意志を宿した『英雄』の眼でもある」
不意にソルテオは立ち上がると、その胸に労わるように優しく宗久の頭を抱いた。そして慈しむようにソルテオは宗久のゆったりと撫でた。
「ムネヒサ。さっき会ったばかりのわたしには、ムネヒサのことは全然わからない。異世界から来たきみにとって、わたしが信用ならないこともわかる。だから、もう無理にとは言わないよ」
トクトクとソルテオの鼓動が聞こえた。びっくりするほど柔らかくて優しい匂いがする。温かくて、とっても安心した。いきなりソルテオのような美女の胸に抱えられたというのに、驚愕するほどいやらしい気分にはならなかった。それどころか気を抜くと涙が出そうになった。
「まだムネヒサは会って間もないけど、わたしにはわかったことがあるよ。それはムネヒサがとても強くて賢くて、とっても一生懸命で、過去にとってもとってもがんばって戦ったことのある人だって。そして、また一生懸命がんばることを決めたんだなって。でも、まだがんばるのはダメ。今ムネヒサはボロボロなんだから、そんな状態でがんばってもいいことないよ」
ソルテオの言葉のひとつひとつが胸に沁みた。涙がどうしようもなく溢れて来て、けれどもなんとか歯を食いしばって我慢する。
起業家として成功する夢を見た。
そのために何十時間、何百時間と努力した。
駆けずり回って、無駄足を踏んで、寝る間も惜しんで勉強した。
なんとか軌道に乗らせ、思わず天狗になった。
そして騙されて、借金地獄に落ちた。
友達はみんな消えていった。親からも見放された。
借金取りからの執拗な電話。
ほぼ毎日二十四時間近くのバイト。
周りには誰もいなかった。クリスマスですら、その日になって初めて気づいた。
寂しかった。寒かった。凍えそうだった。
精神的にも肉体的にもボロボロだった。
そんな時に、この世界に来た。
「――今までよくがんばったね、ムネヒサ」
我慢の限界だった。
「うっ……くっ……うぅうう……」
涙が溢れた。溢れて溢れて止まらなくなった。
異世界に来た初日に、さっき会った女性の胸の中で宗久は声を押し殺して号泣した。
そんな宗久を、ソルテオは嫌な顔一つせず慈愛に満ちた表情で頭を撫でた。
ここが死と隣り合わせの危険な世界だとか。
この二本の足で何度でも足掻いてやるとか。
常識が通じない世界で生きていく不安とか。
相手の思うツボなのでは?という疑念とか。
そんなもの、もうどうでも良かった。
その夜、宗久はソルテオの胸の上で吐き出すように泣き続けた。