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宿に戻りシャワーを浴びると、もう後は眠るしかなくなった。
相変わらず窓の外では提灯が煌々と輝き、人の波は耐えることなく流れていった。
「そろそろ寝なさい」
「うん、もうちょっと」
アイリーが声をかけても、ルーチェは窓から離れることはなかった。
何か物を一生懸命売っている女の人、酔って人に絡んでいる老人……。ずっと眺めていても飽きが来ない。
「ルーチェ!」
しびれを切らしたアイリーが、ルーチェのそばに歩み寄った。
「ねぇ、今日母さんと寝ていい?」
母の口が開く前に、ルーチェはアイリーに抱きついた。
「ルーチェ、あなたもう9歳でしょ」
アイリーは呆れたように言った。
「だって、母さんっと寝るのが良いんだもん」
「ルーチェは寝相悪いから。いつも蹴られるのよ」
ぶつぶつとつぶやく母の表情は、ほんの少しだけ嬉しそうだ。
「やった。決まり!!」
ルーチェはそう言うと、寝る準備をするために立ち上がった。
『コンコン』
ドアをノックする音が聞こえた。
「誰だろう?」
ルーチェはドアの方を見て、首を傾げた。
武器の手入れをしていたミロンドが立ち上がり、ドアを開けた。
「ミロンドおじさん」
フェルセだった。
フェルセは寝間着姿で立っていた。足には何も履いていない。
「どうした?」
「今日、こっちで寝ていい?」
ソルシェの声は震えていた。
「ルネか?」
ミロンドの問いかけに、フェルセは小さくうなずいた。
「良いよ。入っておいで」
ミロンドはフェルセを招き入れると、ドアを閉めた。
ありがとうとフェルセは消え入りそうな声で礼を言うと、部屋の中に入った。
「フェルセ、大丈夫?」
ルーチェは駆け寄った。
「ありがとう。いつものことだから」
細く、切れ長な瞳は涙で潤んでいた。
「まったく、困っちゃうわね。ルネには。もう、大丈夫よ」
アイリーはフェルセを優しく抱きしめた。
フェルセはアイリーに顔をうずめた。母親を独り占めにしたかったルーチェはほんの少し妬いたが、友人のことを考えると仕方がないと諦めた。
「フェルセ、今日はルーチェと寝なさいな」
フェルセが落ち着きを取り戻した頃、アイリーが言った。
「ありがとう」
フェルセは礼を言った。
「ということで、フェルセ。今日はソルシェと寝るのよ」
アイリーは顔を上げてルーチェに告げた。
「分かった」
母親と一緒に寝られないのは寂しいけど、フェルセとならばいい。
「フェルセ、寝ようか」
ルーチェは自分のベッドへソルシェを誘った。
「うん」
フェルセは小さく返事すると、ルーチェと同じベッドに入った。
「母さんは、ぼくを畏れているんだ」
ベッドに入って一息ついた後、フェルセが言った。
「それはやっぱり、君がサピドゥル様の子だから?」
「そう」
フェルセは短く答えた。
フェルセの母、ルネはオーレンを産んでしばらくたった頃、サピドゥル様と結ばれた。
サピドゥル様とは、この世界にいる9人の『神』と呼ばれる者達の一人だった。火・風・水・地の一般魔法を管理していて、知恵の象徴とされている。
『昼寝をしていたらサピドゥル様が現れて、宮殿へ行ってきた』
当時、ルネの言葉を信じる人は誰もいなかった。夢を見ていたんじゃないかと、皆が笑って言った。
しかし、ルネの妊娠が分かり生まれてきた子を見て、誰もがルネの話を信じるようになった。子どもの顔はプラティ族よりもサピドゥル人に似ていたし、何よりもその魔法の力はとてつもなく強かったからだ。
「母さんは兄さんのような普通の子どもは好きだけど、僕のような少し変わった子どもは嫌いなんだ」
フェルセの声は寂しそうだ。
「僕はフェルセが大好きだよ。いろんなことを知っているし、僕が慌てても、フェルセはちゃんと見ていてくれて、話してくれるんだもん。すごく頼りになるよ」
「そうかな。ぼくはとても普通なことをしていると思うんだ。でも、ありがとう、ルーチェ。ぼくにとって大切な友だちだよ」
フェルセの表情は暗くて良く分からなかったけど、その口調はとても嬉しそうだった。
「10歳になったら、修行へ行くの?」
ルーチェが訊いた。
『子どもが10歳になったら、こっちによこしてくれ』
サピドゥル様は、ルネにそう告げたという。
「行くよ。ちょっと楽しみなんだ。もっと強い魔法を使いたいし。それに、サピドゥル様ってどんなお方なのか、どんな宮殿に住んでいるか、この目で確かめたいもの」
サピドゥル様が描かれている絵は、裁判所や図書館、大学などに飾られている。
絵で描かれるサピドゥル様は老爺だが、ルネが見たサピドゥル様は若い男の姿だったという。
『あの絵を若返らせた感じ。格好良かったわ』
サピドゥル様の絵を見て、ルネが言っていた。
しかし、ルーチェにはどうしても想像がつかなかった。
「いいなぁ、僕も見てみたいよ。それに、フェルセがいない間はすっごく寂しくなるよ」
「18歳になったら、帰ってくるよ。また一緒に旅をすればいいじゃないか」
ふてくされる友人を、フェルセがなだめた。
「18歳か……。それまでにもっともっと、アーディンが上手に弾けるよう、練習しておくよ」
修行から戻ってきたフェルセに笑われないよう、頑張らなければ。
「きっと大丈夫だよ。ルーチェは良い弾き手になるよ」
お互い頑張ろう。
そう言い合うと、なんだか本当にできる気がしてきた。