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第1章 ルーチェ
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暑くねっとりしたラーデン特有の空気が、船を降りたばかりの ルーチェの体にまとわりついてきた。陽は傾き始めているというのに、その熱気は収まる気配を見せなかった。
ルーチェはじんわりにじみ出してきた額の汗を、腕でぬぐった。
「とんでもない暑さね。もっと過ごしやすいところに行きたい」
サーシャはシャツの胸元をつかんで、バタバタと服の中へと風を送った。
「リーベは寒いからラーデンへ行こうと言い出したのは、だれだよ」
サイラスが横目でサーシャをにらみながら、ぶつくさ言った。
「こんなに暑いとは思ってなかったのよ」
サーシャも負けじと言い返す。
「ラーデンはいつも暑いんだ。そのくらい知ってんだろ」
サイラスがため息とともに吐き出した。
「けんかしないで、行くぞ」
一番最後に大きな荷物を背負ったミロンドが、二人を見ることなく言った。
「そうよ、さっさと荷物を置いて食事にしましょう。仕事は明日からにして」
ルネが付け加えた。
「ルーチェ、重くない?」
アイリーがルーチェにそっと訊いてきた。
「大丈夫だよ。このくらいは持てないとね」
ルーチェは母親に笑顔で答えた。
ルーチェも大きな荷物を背負っていた。中身は着替えとか日用品とか、細々としたものが入っている。
「馬車が港でないと預けてもられないらしいんだ。宿まで頑張れな」
すぐ後ろで、ミロンドの声がした。
「うん、頑張るよ。父さん」
ルーチェはちらりと振り返った。
それからルーチェは黙って歩いた。喋ると体力がどんどん奪われていってしまうような気分になったからだ。
ラーデンの首都、マーロは南国なのに木造よりも石造りの頑丈な建物が多い。それは確かフエリオと呼ばれる嵐が年に何回かやってくるためだと、父さんが言ってたなとルーチェはぼんやり考えながら歩いていた。
「暑いのかい?」
声をかけられふと横を見ると、フェルセがいた。
「うん、すごくね」
ルーチェはそう言うと、小さく笑った。
フェルセはいつもと変わらない少し大きめのローブを着ていたが、すずしげな顔をしていた。
「暑くないの?」
ラーデンに着いてまもなく上着を1枚脱いだルーチェにとっては、ソルシェの衣装は見ているだけでも嫌になった。
「そりゃ暑いよ。宿についてからはもう少し薄手の着替えようと思っている」
「ソルシェってあまり表情変えないから、すごいよね」
「暑いって思っているから、暑いんだ。大丈夫、そのうち慣れてくるよ」
ソルシェはまぶしそうに空を見上げた。
西の空は赤く染まりかけていた。大きな壺を頭に乗せて家路を急ぐ女性の上にも、道端で遊ぶ幼い子どもの上にもオレンジ色の光は舞い降りてきていた。
「さて、着いたぞ」
サイラスはそう言うと、年季が入ってボロボロになった木の扉を開いて中に入った。
ルーチェも母親の後に続いて中に入った。
建物の中は薄暗く、入ってすぐのところにカウンターがあった。
陰気な顔つきの痩せた男が何も言わずに、ルーチェたちが通りすぎるのをじっと眺めていた。カウンター脇にある急な階段を昇った先に廊下があって、その奥にルーチェ達が滞在する部屋があった。
部屋自体も壁に大きな染みが付いていたり、床の木がささくれだったりしていて、お世辞にもきれいと言えなかった。ただ無造作にベッドが4つ置いてあり、窓が1つついているだけで他はなにもない、狭い部屋だった。それでも、テント生活を続けるルーチェたちプラティ族にとっては、ちゃんとした建物で寝ることができるのはとてもありがたかった。
ルーチェは荷物を降ろすと、窓を開けた。部屋にこもっていたほこりをおびたもやもやとした熱気が風とともに外へ出て行くのが感じられた。
太陽は水平線を目指して下へ下へと傾いていった。人々はそんな太陽を惜しむかのように動き回っていた。
「ルーチェ」
アイリーが声をかけた。
「食べに行くの?」
ルーチェは振り返った。
「そうだ。行くぞ」
父と母が戸口のところに立っていた。
ルーチェは窓を閉めると、両親の元へと駆け寄った。