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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

シクラボ短編集

あなたが逃げられないのなら

作者: 澄鈴亮

 明るい月が水面に写る。今日は特に明るい満月の日だった。発光する丸い物体が、天然の鏡によっていびつな形になっていた。ゆらゆらとゆれる月を見ていると、気持ち悪くなってくる。目の前が歪んで、ぐちゃぐちゃになって、回る、廻る。

 私はくるりと向きを変えると、森へと戻っていった。もう、あんなものを見るのはごめんだった。

 どうせここに居ても、なにも起こらない、なにも変わらない。

 きっと明日もまた、人間たちが生贄をこの湖に放り投げる。私は、その生贄の顔を見る。

 ただ、それだけ。

 気分の悪くなる毎日だ。




 やはり人間たちはやってきた。ロープで縛られ、目隠しをされた生贄を担いで。何やら憎々しげに騒いでいるのはいつものことだ。そうやって生贄に罵声を浴びせるのを楽しそうにしているのが、見て分かる。彼らはいつものように湖へと生贄を運び、そしていつものように、湖に投げ捨てる……はずだった。

 何をしているのか。

 私は、何を思ったか、人間たちから生贄を奪って、自分の縄張りにへと連れ去った。走っている後ろから、人間たちの罵声が聞こえた。


 「ん……」


 私は、もがく「生贄」の目隠しとロープを解いてやった。そして、私は息を飲んだ。

 生贄は、黒髪黒目の美しい男だった。これほど美しい人間を、私は見たことがなかったため、大層驚いた。彼は不思議そうにきょろきょろとあたりを見回した。濡れているような黒髪は、彼が首を振ったのできらきらと光っていた。


 「……」


 私は、じっと彼を見つめた。

 なんだろう……これは……。

 胸が高鳴る。熱いものが、込み上げてくるかのようだ。彼を見つめれば見つめるほどに、その熱さは増していく。こんなことは、初めての体験だった。


 「……?」


 彼は私の視線に気がつくと、不思議そうに首を傾げて、口を開いた。


 「……あの、ここは……?」


 どうやら彼は私に問うたらしい。

 私は正直に答えることにした。


 「私の縄張りだ。助けてやった。礼くらい言え。」

 「……! ……あ、ありがとうございます」


 彼はにっこり笑った。小さな花に微笑みかけるような顔だった。私はまた、胸の中に熱いものを感じた。

 しかし、一方の彼は、すぐに顔を曇らせた。


 「ですが……僕は、行かないと」

 「……何処へ、行くというのだ?」

 「……湖ですよ。僕は、生贄なので」

 「だめだ!!」


 私は怒鳴った。

 

 「助けてやったのに何だそれは!!意味が分からない!!生贄になるのが嬉しいのか!?」


 本当に意味が分からなかった。彼は自ら望んで生贄になるというのか。だとしたらこいつは気が触れている。あんな、あんな野蛮な湖の主に身を捧げたいなどと。

 私の問いに、彼は表情を変えず優しい微笑みのまま答えた。


 「……ええ。僕は……そのために生まれたのですから。」

 「……生贄になるために?」

 「僕が生贄になれば、もうあの人たちは苦しまなくて済むのです。これ以上、生贄を捧げなくて済むのです。」


 嫌だ。


 「貴女は……何故僕を助けてくださったのですか?」

 「……」


 分からない。

 湖の主は、確かに、この次の生贄で満足すると言っていた。ならば、こいつが生贄になれば、私はもうあの騒々しい人間たちに遭遇しなくて済む。心無い人間たちに森を荒らされずに済む。

 でも。


 「お前でなくともいいはずだ」

 「僕でなくて、誰が生贄になりたいと言うのですか?」

 「……っ、たしが……! 私が……」

 「駄目です。僕の使命です。僕がやり遂げたいのです。僕が、僕の存在に意味があったと、思えるように……」


 彼は、悪魔だった。気配で分かった。人間と、悪魔の間に生まれてしまった、哀れな悪魔だった。

 可哀想に・・・。

 きっと、あの人間たちから酷い仕打ちを受けたのだろう。だから、そんなことを、湖の主に、身を捧げたいなどと言うのだろう。




 私の縄張りに、森の仲間たちがやってきた。「どうしてあの悪魔を生贄に捧げないのだ」と、私を叱りに来たのだ。しかし、私はどうしても彼を捧げる気にはなれなかった。

 私が嫌がると、仲間たちは、彼を痛めつけた。「お前がなにか吹き込んだんだ。操っているんだ。この悪魔め。」「悪魔め!」と言って。

 殴られようが、蹴られようが、引っ掻かれようが、噛み付かれようが、叩き付けられようが、踏みつけられようが、何をされても、彼は……彼は黙って受け止めた。文句ひとつ言わずに。涙ひとつ、流さずに。


 

 私は、仲間には手出しできない。黙って見ていることしかできない。彼らは何も間違ってはいないのだ。悪魔を匿う私は異常なのだ。

 仲間たちが去っていくと、決まって私は彼に駆け寄った。そして、彼はふふっと笑った。

 

 「……貴女も、酷い目に遭ってしまいますよ……。ほら、僕を湖に」


 私は首を振った。そして、力いっぱい彼を抱きしめた。彼の黒い血が、手にべっとりとくっついた。汚らわしい、冥界の血。それなのに、私は気にならなかった。彼は、優しいまなざしで私を見つめてくれた。

 彼が愛おしくなった。


 

 仲間たちは、彼を傷つけるのが日課になった。私はその後、彼の世話をする。逃げられないよう、足を折られてしまった彼の面倒をみた。彼には悪魔の力がほとんどなく、羽がないどころか、治癒能力も低かった。

 だから、余計につらそうだった。



 数日が経ったある日、私を邪魔に思った森の仲間たちは、私を暗い洞窟に閉じ込めた。

 私は必死で脱出したが、彼は……


 湖に、捨てられた。




 私は湖に飛び込んだ。

 胸が張り裂けそうな思いで彼を探した。湖の冷たさが皮膚を刺したが、そんなことはどうでもよかった。彼を失いたくなかった。彼を、彼を死なせたくなかった。


 黒い煙のようなものが見えた。何かと思って辿ってみる。

 

 彼は、湖の底にいた。湖の底で、倒れていた。

 胸から、あの黒い煙のようなものが漂っている。……いや、煙ではない。

 彼の血だ。

 彼は、彼の心臓は、湖の主に……喰われてしまった。




 眠る彼を抱きかかえて、水辺に上がった。そっと彼を地面に寝かせると、自分はどさっとその場に倒れた。

 彼は、死んでしまった。

 きっと、彼にとってはこれでよかったのだと思う。もう、彼には、彼を罵る言葉もを聞く耳も、理不尽な暴力を感じる痛覚も無かった。空を見ると、この間のような月があった。彼を哀れむように、ぼんやりと光っていた。

 彼は、死んでしまっても、美しかった。

 


 「おまえが『悪魔』から逃れられないのなら、私が、堕ちればいいんだ」



 私は彼の唇にそっと口づけをした。まだ、温かいような気がした。

 それから、彼の隣に横たわって、目を閉じた。




 それから、2人が目を覚ますことはなかった。

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