一番最初の記録会
練習を順調にこなし地区大会間近となった。駅伝部のメンバー達の表情も日に日に張りが出てきている。
今日は地区大会の申し込み締め切り日だ。まだ出場種目について話をしていなかったので練習を軽く切り上げて出場種目について話し合った。
暗がりの付属陸上競技場の一角に集合したのだがグラウンドでは陸上部やサッカー部が声を張り上げて走り回っている。京子はその様子をボケ―っと眺めていた。
「おい京子、話し合いを始めるけどいいか?」
「あ、はい、すみません。ボーっとしてて」
練習で疲れたのかな? でも地区大会目目前はピリピリした雰囲気になるはずなのに、ちょっと不安だ。
「まぁいいさ。じゃあまずは京子の種目から考えよう。やっぱり1500mと3000mか?」
「そうですね。去年からずっとその組み合わせですし。お願いします」
体育座りながらペコリと小さくお辞儀をした京子。
「よし、決定。えぇーっと、京子は1500mと3000mっと………………」
駅伝部の練習日誌にメモを取りながら話を進めていく。
「漣はどうする?」
「私は800mだけで充分だよ」
漣は興味なさそうにスマホをいじる。ちょっとくらいは礼儀をわきまえてもいいんじゃないのか………… でも、その前に
「1500mは出ないのかよ」
これだけ人数が少なくて出場枠もガラガラなのにもったいない。
「やだ。今年こそは県の決勝で勝負したいから1500mは出なくていい」
「そんな寂しいこと言うなよ。この間のビルドアップでもいい感じに走れてたし、長い距離もやってみたほうがいいんじゃないのか」
確かにそうなのだ。普通、800m専門の選手で3000mが専門の京子と並んで長距離を走れるなんてちょっと考えられない。
「どうせ決勝にいけないから800mだけで充分だって」
冷たいその言葉にカチンときた。
「1500mで決勝にもいけない奴が、800mでインターハイなんて行けるわけないと思うけどなー」
「ちょ、そんなことないって!」
漣は急所を疲れたようにちょっと苦い顔をした。
「他校のライバルだって800mだけの人なんてあんまり見ないけどなー」
「いるよ! 去年の県新人で優勝した、暁月高校の寺門さんとか」
あー、あの子か。ちゃんとリサーチ済みだ。
「あれー? 彼女はマイルリレーも走っていたような気がするけどなー」
「それは…………」
漣はついに追い詰められた。必死に何かを考えているようだったが、結局思いつかずギブアップした。
「あーもう分かったよ! どっちも出て決勝に行けばいいんだろ!」
「よーし良い子良い子」
漣の分もメモをとった。
「次は稲穂だな。稲穂はまだ1年生だから――――――」
「800mと1500mと3000mに出たいです!」
「「「!」」」
その大声に3人同時に言葉を失った。
「ま、待て。確かに3種目までは兼ねられるけど、長距離で3種目兼ねる人はめったにいないよ」
「それでも出たいです!」
「負担が大きすぎる! いいから1種目だけにしろ!」
「1種目ですか…………」
稲穂は希望が叶わないとあきらめるとショボンとした表情をした。
「そうだ。自己ベストは速いけど、稲穂はまだ体作りがちゃんと出来ていない。それにケガの危険性だって高い」
「それじゃあ…………3000mにします」
一番長い距離選んだよ。どんだけ走りたいんだコイツは。
あきれながらも全員分を記入し終えた。
「じゃあ最後に一応確認をしとく。呼ばれたら返事をしてくれ。800m、漣」
「はーい」
やる気のなさそうな返事が、一つ。
「1500m、漣、京子」
「「はい」」
やる気のある返事となさそうな返事が、一つずつ。
「3000m、京子、稲穂」
「はい!」
やる気のありすぎる返事が、一つ…………
って、あまりに稲穂の声がデカかったので京子の声が聞こえなかったじゃねーか。
「稲穂の声しか聞こえなったよ。じゃあもう一回。3000m、京子」
「はい」
ちゃんと返事が聞けてよかった。なんだか身の引き締まる思いがした。
「よし、これでエントリーしておくからな。今日の練習はもう終わりにしよう。お疲れ様でした。
今日も練習がおわった。
日はとっくに沈んでおり、完全な夜だった。
でもやっぱり彼女達は練習を終えない。いつものように漣は走りに行き、京子も腹筋をしている。稲穂もそれを見て何か筋トレをしているようだった。俺も用事がなかったので彼女達の様子でも眺めることにした。
ぼんやりしながら、よくあんなに一生懸命に練習できるよなって思った。現役時代の俺は練習が終われば真っ先に帰宅していた。だからオーバートレーニングにはならなかった。でももしかしたら「まじめさ」が足りなかったんじゃないかな? だから最後の箱根予選会であんな失速をする羽目になったのかもしれない。今思えば自業自得だ。
だから彼女達には結果を出してほしい。どうせ今年で終わる駅伝部だ。最後の最後に3人でいい思い出を残そうじゃないか。
俺自身の思いを再確認すると、俺は陸上競技場を後にした。
それから数日後の土曜日、調整のため記録会に出場した。稲穂は入部がエントリーに間に合わなかったものの、京子と漣はとてもいい走りをした。
京子は3000mに出場したが、去年から大幅自己ベストとなる9分51秒64を出し2位でゴールした。これは充分に県大会を突破できるタイムだ。周りの関係者も新星の登場に驚いていたようだった。
漣は800mに出場し、こちらも大幅な自己ベストとなる2分21秒で3位でゴール。決勝ではライバル視している暁月高校の寺門に途中まで並走していた健闘ぶりだ。
帰りは俺の車で帰ったのだが、その日のことを大いに誉めた。
「2人ともすごいじゃないか! 去年とは別人みたいだぞ」
まるで去年も顧問をやっていたかの口ぶりだが、まぁいいか。
「いえいえ、先生のおかげですよ」
「そんなことないよ。お前の努力の成果だ」
謙虚な姿勢がちょっぴり嬉しい。
「漣も頑張ろうな」
「………………」
返事がない。また不機嫌なリアクションなのかな?
「なぁ、いくら寺門に負けたからって大健闘だったじゃないか。そんなに凹むなって」
「…………………………」
ダメだこりゃ。
「栃岡先生、姉貴は寝ています」
運転席からミラーで確認すると、確かに漣は眠っていた。しかも暴睡。
「車が出たときからずっと寝てますよ」
「じゃあだったら最初から言えよ………… すっげー恥ずかしいじゃん………………」
漣をもう一度見る。いつもはツンとしている漣だが寝ているときは穏やかだ。
「寝顔はけっこう可愛いんだな」
「栃岡先生、気を抜いてるとまた誤解されますよ」
京子が不安そうな顔で危惧してくれる。
「大丈夫。ここには朝陽はいないから」
「ちがいます。稲穂にです」
ミラーの視線を稲穂に移すと、稲穂はガクガク震えていた。
「先生って、ロ・リ・コ………………」
「違う違う違う違う違う違う」
全身全霊をかけて否定した。違う。絶対に違う。そいう性的嗜好はありません。
その時、窮地を救おうと京子が援護してくれた。
「稲穂ちゃん、落ち着いて。高校教師にロリコンはいないよ」
京子! ナイスフォロー! 心の中でそう叫んだ。
「たまに制服大好きな人はいるみたいだけど…………」
どこから聞いた話だよ!
「いやあああああああああ」
あーあ。拡声器が暴走しちゃったよ……
こうなるともう収拾がつかない。俺は結局変態扱いなのか? てか京子もなんだかんでちょっと楽しんでる!
騒いでいると稲穂の大音響によって漣が目を覚ました。
「うっせーな…………」
「姉貴、大変です! 栃岡先生はロリコンでした!」
その一言に漣は嬉しそうな顔を浮かべる。
「あー、やっぱり?」
ニヤニヤしながら携帯をいじりはじめた漣。やめて! 外部流出はやめて!
再び変態のレッテルを貼られそうになっていることに俺は半ば恐怖心を抱いていた。結局その後の車内は稲穂の誤解→漣の過剰反応→俺の全否定→京子のバッドフォローという無限ルーティンを繰り返すこととなった。
部員達は学校まで送り届けるつもりだったが、彼女達の家はその道中にあったので一人一人家に送り届けることにした。
「センセー、送ってくれてありがと」
「先生、ありがとうございました!!!」
可愛げがないのかあるのかよくわからない返事を聞きながら彼女達を次々に送り届けていく。
漣と稲穂を送り届けると、京子も家まで送ることにした。
「先生、いいんですか? 私の家は道中から結構離れてます」
「別にいいよ。ってか京子だけ送ってかないとなんか差別っぽくなっちゃうし」
申し訳なさそうな顔を浮かべる京子に笑って語りかけた。
「あ、はい。よろしくおねがいします!」
京子の家に近づいていくにつれて道は閑散としてくる。駅からも少し離れているようで街頭もポツポツとある程度だ。
「京子って大変そうなところに住んでるんだな」
「バスも通ってなくて大変です。いつもは親の送迎と自転車で通ってます」
苦虫を噛むような顔をした京子。妙に大変さが伝わってくる。
「雪が降ったらますます大変だな。親が用事で迎えに来れなかったらどうするんだ?」
「そういうときは歩きます。駅からは一時間弱かかりますが」
部活終わってからさらに一時間も歩くなんて…………
「それで部活もやってるんだから本当にすごいよな」
「いえ、そんなこと・・・・・・」
京子は照れくさそうに顔を赤らませていた。
しばらくすると京子の家に着いた。最近新築かリフォームしたと思われる綺麗な家で、暗かったが玄関には綺麗なチューリップが並んでいるのが分かった。
「わざわざありがとうございます。先生のお帰りも遅くなってしまったことでしょう」
「俺のことは気にすんなって。それに明日は日曜日だから一日中寝てられるし」
「でも、不規則な生活はダメですよ。体に悪いです」
真剣そうな顔をして京子はそう言う。
「京子はしっかり者だな。たぶん将来は立派な奥さんになれるぞ」
冗談まじりにそう言って笑うと、京子はまっすぐ俺の顔を見て口をはさんだ。
「先生、」
玄関のライトが京子の顔を照らす。
「ん? どした?」
「…………いえ。なんでもないです。今日はありがとうございました」
京子はそそくさと家の中に入っていった。
「トイレでも我慢してたのかな。まぁいいや。帰ろう」
玄関のライトが消えると俺はその場を後にした。