感情政権
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感情の赴くままに行動することは、意外と難しい。実際にやってみて、私はそれを痛感していた。
「まったくもう……。何回注意されたら分かるのかしら? そこは立ち入り禁止なの。分かってないでしょう?」
「うっさいわね、そんなだから独身なのよ」
好奇心に始まり、注意では終わらない。それが感情に支配されることだと、私は実感していた。こんな風に何度も繰り返していると、何であんなことしたんだろうと思えてくる。気楽そうに思えても、全然気楽じゃない。何度も変わろうとしたが、ダメだった。感情という独裁者は日に日にその権力を強め、私を飲み込んでいった。そして、この前、ついに政権交代の日が来た。
「馬鹿じゃないの」
今の私にとって、理性ほど邪魔なものはない。だから、彼は私にとって危険因子以外の何者でもなかった。
「あんた、そこで何やってんのよ?」
「人を、待っているんだ。ずっと前の約束、今日、この場所で待ち合わせ」
その日は、ガミガミとうるさいナンシーから逃れて散歩をしていた。そんなとき、私は公園で彼を見つけて、感情に従って話しかけた。しかし、それが間違いだったのだ。
「馬鹿ね。こんなに晴れてるんだから、約束なんてほっといて遊べばいいのに。なにか、やりたいことの一つぐらいあるでしょ?」
私が聞くと、彼は私に背を向けたまま答えた。
「僕は、約束を守りたい」
ただそれだけだよと、彼は続けた。こういう落ち着いた切り返しはつまらない。彼に比べれば、ナンシーのほうがずっとマシだ。
けれど、何を思ったのか、私は彼に名前を聞いた。
「僕はエミリオ。君は?」
彼はやっとこちらを向いた。愛想の良い笑みを浮かべている。
「名乗りたくないわ。じゃあね」
「あ、ちょっと待って」
私が立ち去ろうとすると、エミリオはあわてて私を引きとめた。
「何よ?」
「僕が待ってる人、ロザリンドって言うんだけど、知ってたら教え――」
ロザリンド、という名前に反応して、私は勢いよく走り出した。そっと振り向くと、エミリオが手を振って微笑んでいた。
「そういえば、夕方から雨だったわね。洗濯物取り込まなきゃ……」
私の後ろでナンシーが早口で言う。私はなんとなく時計を見てそこに示された『六時三十分』を認識する。
エミリオは、まだあの公園で待っているのだろうか。
私は柄にもなく考え、俯いた。理性は独立を試みる。
「冷え込むらしいから外出するなら温かくし……って、ローザ!?」
よく分からないまま、体が動いた。独裁者は独立を妨げ、感情を先行させる。会わなければいけないという気持ちは、もはや義務だった。
家を出てから少しして、雨が降り始めた。最初は小降りだったものの、雨足は次第に強まり、やがて土砂降りになった。
「エミリオッ!」
息を切らして公園に着いた時には、私はすでにびしょぬれだった。彼の姿が見えないことに苛立ちを覚え、泥を蹴って進む。
「エミリオ……」
「僕に何か用かな?」
後ろから聞こえたのは、おどけた声。安心する声。
さぁ、政権交代のときだ。
「名乗る気になったの。私、私はっ」
彼は黙って聞いていた。
「ロザリンド・エウロンドというの」
語呂が悪くて、大嫌いな私の名前。
それを受け入れたとき、理性は独立を遂げた。
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