黄金の王の視線
王都は、異様な熱気に包まれていた。
春季親善式典。
今年は特別な来賓が訪れる。
その中に隣国ラナグロークの王があった。その名が告げられてから、街は落ち着きを失っていた。
敵国の王。
武力により版図を広げた若き覇王。
冷酷にして無敗。
そして——
王自ら戦場に立つ男。
ラナグロークの王が来賓として招かれるのは異例だった。裏でなにか、動いているのかもしれない。
私は窓辺に立ち、王城へ向かう馬車列を見下ろしていた。
胸の奥が、妙にざわめいている。
一周目でも、この訪問はあった。
だが私は、彼と直接言葉を交わすことはなかった。
遠くから姿を見ただけ。それだけのはずだった。それなのに。
なぜか、胸の奥が警鐘を鳴らしている。
まるで——
これから起こる何かを、魂が知っているかのように。
式典会場の大広間は、豪奢な光に満ちていた。
磨かれた床に、無数の燭台の光が揺れる。
貴族たちの衣装は春の花のように華やかで、笑顔の裏に緊張が隠されている。
外交とは、戦の延長。誰もがそれを理解していた。
やがて、扉が開かれる。
ざわめきが、波のように広がった。
「ラナグローク国王陛下、御到着」
空気が変わる。静寂。そして。
ゆっくりと姿を現した男を見た瞬間、私は息を止めた。
陽光のような金の髪。琥珀色の瞳。
堂々たる体躯と、揺るがぬ足取り。
威圧ではない。存在そのものが、場を支配している。
彼こそが——
アルベルト・ラナグローク。
その名が、胸の奥で低く響いた。
周囲の貴族たちは一斉に頭を垂れる。
だが彼は、誰に媚びるでもなく、堂々と視線を巡らせた。
そして。
その視線が。
私に止まった。
心臓が、強く打つ。
逸らせない。
琥珀の瞳が、まるで確かめるように私を見つめている。
初めて会うはずの相手。
それなのに。
その眼差しには、奇妙な既視感があった。
——どこかで。
——この視線を知っている。
次の瞬間。
彼はわずかに口角を上げた。
微笑とも、挑発とも取れない、極めて微かな表情。面白い獲物を見つけたかのような目つき。
そして何事もなかったかのように視線を外す。
周囲は気づいていない。
だが私は確かに見た。
あの一瞬。
確かに、私を認識した。
(なぜ……?)
胸の奥に冷たいものが落ちる。
式典の挨拶が続く間、私は一言も耳に入らなかった。
ただ、先ほどの視線が焼き付いて離れない。
一周目では、こんなことはなかった。
彼は私など見ていない。
私はただの貴族令嬢の一人だった。
それなのに、今は違う。
まるで——
最初から私を知っているかのような目だった。
式典後の歓談の場。
音楽と談笑が広がる中、貴族たちは遠巻きに王を囲んでいる。
近づきたい。ものの、敵国の王だけあって、だが恐れ多い。
そんな空気が漂う。
私は壁際で静かに様子を見ていた。
不用意に近づくべきではない。
未来を変えるためには、軽率な行動は禁物だ。
そのとき。
「あなたが、ディジュワール公爵令嬢か」
低く響く声。
背筋が凍る。
振り返ると、そこに彼が立っていた。
アルベルト・ラナグローク。
護衛すら気配を消し、彼は至近距離に立っている。
彼から声をかけるなんてあり得ないと、周囲の空気が張り詰めるのを肌で感じた。
「……はい」
声が、わずかに震えた。
彼は私を見下ろし、静かに観察するような目を向ける。
「噂とは、ずいぶん違う」
鼓動が跳ねた。
「噂、とは……」
「冷酷で、誇り高く、誰も寄せつけぬ女だと聞いた」
周囲の視線が集まる。
逃げ場はない。
私は静かに答えた。
「評価は他者が決めるものです。私自身は変えられません」
一瞬の沈黙。
彼の瞳が、わずかに細められる。
そして。
「面白い」
低く笑った。
それは嘲笑ではない。
純粋な興味。
未知のものを見つけた子供のような、率直な響き。
彼はそれ以上何も言わず、背を向けて去っていった。
だがその場に残された空気は、明らかに変わっていた。
「あの呪いの令嬢に話しかけたぞ」
「恐ろしくないとはさすが、ラナグロークの王」
「ああ、忌まわしい」
囁きが広がる。冷たい視線が突き刺さる。
敵国の王が自ら声をかけた令嬢。それが意味するものを、誰もが測りかねている。
私は動けずに、胸の奥に残る違和感が、静かに広がっていく。
——噂とは違う。
彼はそう言った。
つまり。
すでに私の噂を知っている。まだ広がりきっていないはずの評価を。
どうして?
なぜ?
疑問が渦を巻く。
夜、屋敷へ戻ると、私は窓辺に立った。
月が静かに庭を照らしている。
今日一日の出来事が、現実感を失って脳裏に浮かぶ。
アルベルトの視線と意味深な言葉。そして、あの既視感。
まるで。
彼もまた、別の時間を知っているかのような——
そこまで考えて、私は首を振った。
ありえない。
逆行は私だけのはず。
だが、本当にそうだろうか。
私が処刑された時、この世界は滅びたのだ。逆行が私だけという確証はない。
窓の外の夜気は冷たく、静まり返っている。
けれど私は知っている。
運命は確実に動き始めた。
歯車は、もう回り出している。
そしてその中心に、私は立たされている。
孤独な闘いになるかもしれない。
それでも。私は未来を変える。たとえ世界そのものを敵に回すことになっても。
遠く、王城の方角に視線を向ける。
黄金の王の瞳が、脳裏によみがえる。
あの視線は——
偶然ではない。そんなことはわかりきっていた。




