表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/26

時間の外側に立つ者




 夜は、静かすぎた。


 皇宮から戻った後も、胸のざわめきが消えない。

 クリストフの言葉。あの視線。

 ──まるで一度すべてを失った者の目だ。


 違う。失ったのは、私だけ。そう思おうとすればするほど、確信が揺らぐ。


 眠れずに、私は庭園へ出た。


 月光が白い砂利道を照らしている。噴水の水音が、やけに遠い。


 春の夜気は柔らかいはずなのに、肌に触れる空気は冷たかった。


 あの感覚に似ている。


 処刑台の上。刃が振り下ろされる直前の、世界が息を止めた瞬間。


「……やはり来たか」


 背後から声が落ちた。声をかけられるまで、その人の気配に気がつくことができなかった。


 振り返る。


 そこに立っていたのは、昼間に柱の影で見た青年。


 月光を溶かしたような淡い髪。

 感情の読めない、静かな瞳。


 距離はあるのに、存在だけが近い。


「あなたは……?」


 喉が乾く。


 名を知らないはずなのに、心が先に理解している。


 この人は。


 あの瞬間、世界が崩れるのを“見ていた”。


「ダニエルだ」


 あっさりと名乗る。


 その声音には重さがない。

 まるで時間という概念に縛られていない者のように。


「どうして、ここに」


「君がいるからだ」


 即答。


 ぞくりと背筋が粟立つ。


「……私を監視しているの?」


「違う」


 彼は一歩近づく。


 足音がしない。


「世界を監視している」


 意味が理解できない。


「君が死んだ瞬間、均衡が崩れた」


 心臓が強く打つ。それはこの世界が終わったということだろうか?


「空が裂け、大地が歪み、時間が巻き戻った」


 彼の瞳が、わずかに細まる。


「君は覚えているな」


 肯定も否定もできない。


 なぜ彼がそれを知っているのか。


「……あれは、何だったの」


 声がかすれる。


「世界の拒絶だ」


 静かな断定。


「君は“礎”だ」


 その言葉が落ちた瞬間、空気が重くなる。


「私が、世界を支えているとでも言うの?」


「正確には、支えるための器だ」


 月光が彼の横顔を照らす。


 人間のようで、人間ではない。人である気配を感じることができなかった。


「君が消えれば、この世界は収束できない」


 処刑台で見た空の亀裂が脳裏に蘇る。


 つまり──


「この帝国は私を殺そうとしたのに? 私が死んだら世界が終わるとでも?」


 思わず笑いが漏れた。


「世界は、私を拒んだのに?」


「人は世界の構造を知らない」


 淡々とした声。


「王家も、神殿も、真実の半分しか理解していない」


 風が止まる。


 不自然な静寂。


「では、あなたは何を知っているの」


「すべてではない」


 彼は首を傾ける。


「だが、君が“循環の中心”であることは確かだ」


 循環。


 その言葉が胸の奥で引っかかる。


「逆行は奇跡ではない」


 彼の瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。


「崩壊を防ぐための強制修正だ」


 世界が、私を巻き戻した?


「選んだのは、世界だ」


 低い声。


「だが代償はある」


 鼓動が速まる。


「代償……?」


「均衡は常に揺らぐ。君が未来を変えれば、別の歪みが生まれる」


 庭園の空間が、わずかに歪む。噴水の水が、一瞬だけ逆流する。


 息を呑む。


 現実が、崩れかけている。


「今も完全には安定していない」


 ダニエルの視線が空を向く。


 月が、ほんのわずか欠けたように見えた。


「処刑は、必要だったの?」


 震える声で問う。


 もし、あれが均衡だったのなら。


「必要ではない」


 即答だった。


「最悪の選択だった」


 その言葉に、胸が締め付けられる。


「だが人は、知らぬまま最悪を選ぶ」


 彼が初めて、感情のようなものを滲ませた。


「君は、また同じ道を辿る可能性が高い」


 血の気が引く。


「それを止められるのは、君だけだ」


 なぜ、私がこんな役目を。


「逃げたいか」


 問われる。答えは簡単だ。 


 逃げたい。

 普通に生きたい。

 悪役令嬢と呼ばれずに。

 処刑されずに。


 けれど。


「……壊れるのは、嫌」


 それが本音だった。


 私が死ねば世界が滅びる。


 ならば。


「生きるわ」


 宣言する。


「何度でも、未来を変える」


 ダニエルの瞳が、わずかに柔らぐ。その視線は私をひどく安心させた。


「それでいい」


 その瞬間。


 背後で枝が折れる音がした。


 振り向く。誰もいない。


 だが確かに、誰かがいた。


 ──聞かれた?


 戻ってダニエルを見る。


 彼の姿が、薄れている。


「待って」


 思わず手を伸ばす。だが、遅かった。指先が空を切る。


「私は、あなたを信じていいの?」


 消えかけた輪郭が、月光に溶ける。


「信じる必要はない」


 最後に残った声。


「だが、私は常に見ている」


 完全に消える。


 庭園は元の静けさを取り戻す。


 正常な噴水の水音。すこし肌を凍えさせる夜風。


 何事もなかったかのように時が進んでいる。


 けれど違う。


 確定した。私は偶然生き返ったのではない。生き還らされたのだ。


 世界はまだ不安定で。


 私はその中心にいる。


 そして──


 闇の奥で、もう一つの視線が動いた。


 それはダニエルとは違う。


 もっと、人間的で。

 もっと、近い。


 静かに、確実に。


 運命が動き始めている。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ