凍てついた再会
皇宮の謁見の間は、記憶と寸分違わぬ姿でそこにあった。
高く伸びる白亜の柱。磨き上げられた大理石の床。天窓から落ちる淡い光が、室内を神聖な色に染めている。
一周目でも、私はここに立った。
王太子妃候補として、未来の皇太子妃として。
そして最後には、罪人として。
「公爵令嬢マルール・ディジュワール様、ご入室」
名を告げられる。
心臓がひときわ強く打つ。
落ち着いて。まだ何も起きていない。
ゆっくりと一歩を踏み出す。
視線の先、玉座の下段に立つ人物。
白銀の髪。蒼い瞳。整いすぎた横顔。
皇太子クリストフ・ポルディネ。
処刑台で、最後に私を見下ろしていた人。
喉がひりつく。
あの瞬間、彼の瞳は確かに揺れた。
けれど刃は止まらなかった。
私は深く一礼する。
「本日はお時間を賜り、光栄に存じます」
声は安定している。
完璧な令嬢として振る舞う。それが私の鎧だ。
「顔を上げよ、マルール嬢」
低く、よく通る声。
変わらないはずの声音なのに、わずかに温度が違う気がした。
顔を上げる。
視線が、真正面から絡む。
息が止まる。
冷たい。
それなのに──どこか探るような色が宿っている。
「体調を崩したと聞いたが、問題はないか」
一周目でも、同じ言葉をかけられた。
だがそのときの彼は、形式的な配慮しか見せなかった。
今は違う。
ほんの一瞬、私の瞳の奥を覗き込むような眼差し。
「問題ございません。ご心配をおかけしました」
「……そうか」
沈黙が落ちる。
空気が重い。
彼は視線を逸らさない。
まるで、私が何かを隠していると知っているかのように。
嫌な汗が背を伝う。
まさか。
彼も、覚えているの? そんなはずはない。
逆行したのは私だけのはず。
「来月より、宮廷教育を本格化させる。異論はないな」
「ございません」
予定通りだ。
ここから私は宮廷に足を踏み入れ、貴族たちの嫉妬と猜疑の渦中に立つ。
そして“禁忌”の噂が広がり始める。
未来を変えるなら、最初の一歩が肝心だ。
「殿下」
私は意を決して口を開く。
前世では言えなかった言葉。
「僭越ながら、一つご提案がございます」
周囲の空気がぴんと張る。
クリストフの眉がわずかに動いた。
「申してみよ」
「宮廷教育の一環として、民の暮らしを視察する機会を設けていただけませんか。帝国を支えるのは貴族だけではございません」
一周目では、私は貴族社会の中だけで完璧であろうとした。
その閉鎖性が、孤立を招いた。
ならば今回は、最初から外へ向かう。
ざわり、と空気が揺れる。
意外だったのだろう。
冷酷非道と噂される公爵令嬢が、民を口にすることが。
クリストフはしばらく無言で私を見つめた。
その蒼い瞳が、わずかに細まる。
「……面白い」
小さな呟き。
前世では聞かなかった言葉。
「前向きに検討しよう」
胸が小さく跳ねる。
未来が、ずれた。
確実に。
だがその瞬間。
背後から冷たい視線を感じた。
振り向かずとも分かる。
謁見の間の柱の影。
そこに、誰かが立っている。
月光のように淡い髪。
感情を読ませない瞳。
庭園で見た影と同じ存在。
なぜ皇宮に。
鼓動が速まる。
「どうした、顔色が悪いぞ」
クリストフの声が近い。
気づけば彼は一段降り、私のすぐ前に立っていた。
距離が近い。
低く囁くような声音。
「何を恐れている」
心臓が跳ね上がる。
その問いは、あまりにも核心に近い。
「……恐れてなどおりません」
嘘だ。
私は知っている。
自分が死ねば、世界が壊れる。
そして世界は、再び私を処刑へ導こうとしているかもしれない。
彼の指が、私の顎に触れそうになり──止まった。
触れない。
だが、距離は近いまま。
「お前は、以前より変わった」
低い断定。
「まるで、一度すべてを失った者の目だ」
血の気が引く。
やはり、何かがおかしい。
彼は覚えていないはずなのに。
それなのに、私の“死”を知っているような言葉。
「殿下こそ」
気づけば言い返していた。
「以前より、私を見ていらっしゃる」
沈黙。
ほんの刹那。
蒼い瞳が揺れた。
その揺らぎは、処刑台で見たものと同じ。
けれど次の瞬間、皇太子の仮面が戻る。
「気のせいだ」
距離が離れる。
「本日はこれまでとする」
一礼し、私は踵を返す。
背中にいくつもの視線が刺さる。
その中に、確かに“あの存在”の視線があった。
謁見の間を出た瞬間、肺に空気が流れ込む。
手が震えている。
未来は変わった。
だが──
皇太子もまた、何かを抱えている。
もしかして。
もしも。
彼も、あの瞬間を。
処刑台の崩壊を。
覚えているのだとしたら。
世界は、私だけを逆行させたのではない?
廊下の窓に映る自分の顔。
かすかに、空間が歪んだ。
ほんの一瞬。
背後に、処刑台の幻影が重なる。
首筋に冷たい感触。
刃の記憶。
──逃げられない。
世界は、まだ壊れていない。
だが確実に、何かが動き出している。
そして私は悟る。
この物語は、ただのやり直しではない。
これは。
世界と、運命との対決だ。




